第二話『少年少女魔術師』
魔術師ランクというものがある。
魔術師ギルドにより登録された個々の魔術師達の強さと貢献度、練度やその他諸々の要素を合わせ、統合的判断の下に決定される順位の事でそれらは魔術師達にとって誇りになり得るもの。順位が高ければ高いほどにその魔術師は優れている事を意味する。
特に百位以内に入った魔術師たちには魔術師ギルドより称号が与えられる。いわゆる勲章であり、実力の証左であるそれは魔術師達にとって大変名誉ある事だ。しかも、その称号授与の様子は魔晶板の投影魔術により、大々的に放送される。即ち、それは英雄になる事を意味している。
補償が支払われ、これまでの貢献に対する見返りが与えられるその様子に多くの魔術師は憧れを抱く。だから、その日訪れた衝撃は人々にとって、そして、同じ高みを目指す魔術師達にとって、あまりにも大きなものだった。
これまで一位の座に君臨していたローウェン・アルベルトが二位に降格され、新たな魔術師ランク一位の座に上り詰めた英雄が誕生した。それ自体は魔術師ランク制度の長い歴史から見れば特段、取り上げるような事でもない。魔術師ランクはある程度の功績が認められれば変動するし、一位の魔術師が別の魔術師になるのも一世代を待たずともあり得る。ただ百位以内のもの、それも十位以内に入る一桁台の変動はその実力の高さゆえ、あまりないことではあるが、しかし。
問題はそこではなく。与えられた称号にあった。
《最強 》。単純かつ明快。一位の座に相応しい称号。ただそれは余りにも奇妙。
これまで与えられてきた称号といえば《炎天》や《氷花》といったような直接的に強さを表す言葉ではないものが用いられてきた。それは単純に順位が常に変動する魔術師ランクにおいてその称号の普遍性や公平性を失わせないためであったりするがそういった前例を鑑みればその称号は些か、大げさ過ぎた。まるで魔術師の頂点を指すかのようなその称号に人々は騒めき、困惑する。しかし、そんな人々の反応を知ってか知らずか、同席していた称号持ちの魔術師たち、つまりは百位以内にその名を刻む者達はあたかも当然のようにその称号を与えられた人物に惜しみない拍手を贈る。
その中には無論、元一位の魔術師ローウェン・アルベルトや魔術師ギルドのグランドマスター、エルザック・レイフォント、その他多数の名の知れた魔術師達。
それは異様な光景だった。素顔を面妖な仮面で隠し、その背丈は子ども程のものしかない。そんな人物を名だたる英雄達が祝福している。お前らの頂点はコイツだ、と言わんばかりの称号を授けられたその人物に。
そして、授与された称号に続き、その人物が成し遂げた功績が読み上げられる。数多の討伐作戦への従軍や南方領地拡大作戦における多大なる貢献、果ては災厄級の魔物の討伐。馬鹿げた称号に馬鹿げた数の功績。とても人一人で成し遂げることの出来るものではない。参加しているだけならばまだ、あり得た。しかし、参加した作戦をいずれも成功させ、人的被害も最小限に留めたのは紛れもなく、《最強》 の称号を授けられたその人物だと言う。
やがて、世にも奇妙な授与式は終わりを告げ、市井は《最強》の話で持ちきりになる。なにせ、名前も顔も公開されず、その功績と称号の異様さだけが人々にとって唯一与えられた情報なのだから。元一位だったローウェン・アルベルトは確かに人々にとって納得できるだけの功績を残して一位の座に着いた。謂わば、なるべくして英雄となったのだ。しかし、その彼でさえ、与えられたその称号は《魔淵》。
英雄の中の英雄と呼ばれた彼でさえ、授けられなかった称号をなぜ、あの人物には授けられたのか。なぜ、あの人物は顔も名前も伏せられたのか。なぜ、あれだけの功績を持ちながら、今の今まで知られていなかったのか。
無数の何故が飛び交う。
しかしして、人々の中にそれらすべての疑問に答えられる人は誰一人としていなかった。根も葉もない噂だけが流れ、真相は今や闇の中。しかし、魔術師としての大成を夢見る若者たちにとってその称号は魔術師の高みを目指す向上心を掻き立てた。最強を下したその先には一体何があるのか。はたまた、単に最強という名を欲しいがままにする者を超えたかったのか。理由はなんであれ、その《最強》と言う称号が魔術師達の奮闘に拍車をかける結果となった事は紛れもない事実だったのだ。
レニオレア学院。その門戸を叩く志高くある学徒は数多くいる中、その門の先に至るものは少ない。
数有る魔術師育成教育機関の中でも最高峰の技術と知識が蓄積されたこの学院の学徒は、天才、貴族、努力家とそれら三種の人間に大きく分けられる。
ルミア・ラルカはその分類で言うならば最後の努力による者に入るのだろうか。ふと、そんな事を思う。その銀色の髪を肩に届くか否かの所で切りそろえ、赤く爛々とした目をした少女は意味の無い思考に耽りながら、今回の警護対象を待った。
学院を経ず、兵士となったルミアには己の才能が如何程のものであるのか分からなかった。ただ実力に関して、自負はある。当たり前だ。軍属魔術師たるルミアにとって実力とは即ち、生き死にを左右する生存力を意味する。それを上げようとしない馬鹿は即刻、死ぬ。けれども、才能といった面で見ると分からない、というしかない。平均よりは少し上、優秀とは言えないかもしれない。血反吐を吐きながら、訓練に励んできた軍属魔術師になる前の自分を思い出し、文字通り身を削ってきた事を再確認する。
次に思うのは待ち人についての事だ。
警護対象ともなるぐらいの人物である。先程の分類を持ち出せば、才能とコネによる者、つまりは貴族の可能性が高い。そして、そういった者ほど得てして力を誇示し、その癖高い実力を持ち得るから余計に質が悪い。そんな想像を膨らませ、ルミアは警護対象に会う前から暗鬱とした気分になる。
ルミアとしてはこんな所に居るのは自分じゃなくてもいいはずだとそう考えている。聖域内に危険がないとは言わない。事実、ルミアはその"危険"を排除することをこれまで仕事としてきた。しかし、この学院の中に限っていうなら話は別。最高の教育機関であるこの学院はその設備も最高のものだ。寧ろ、何故、ここの学徒たる人物を警護などせねばならないのか。そんな疑問がルミアの心中に素朴に湧き上がる。
「全く……なぜ、私が」
ルミアの口から思わず、そんな愚痴が零れる。そして徐に空間魔法の一つである《想庫》を行使した。ルミアが小さく呪文を呟けば、ポッカリと真っ暗な穴が突然、ルミアの手元に現れ、その穴へなんの躊躇いもなく、ルミアは手を入れる。そして、そこからある物を取り出した。
魔術師資格証明書。手の平に収まるほどのサイズでしかないそのカードには魔術師としてのルミア個人の情報が幾多にも記されている。魔術師ならば誰もが持っているカード。勿論、このカードにも魔法は使われていて、表記された事柄以外にも様々な情報が内包されている。ただ、ルミアが眺めるのは表記された情報の一つ。魔術師ランク。そこに書かれた順位を見て、ルミアは溜息をこぼす。
9741位/99999位。
魔術師ランクの順位表記において魔術師の総数に当たる順位は自身の順位より一桁多い桁数の最低順位までが表記される。そして、表記されていない分の魔術師の総数を考えればルミアの順位は決して溜息を付くような低さではない。むしろ誇って然るべきものだ。
だというのにルミアの表情は暗い。
その心境にあるのはルミアの高すぎる目標と自身の実力との乖離による失望感。そして、やはりこの仕事に対する不服にも似た憤りがルミアの心を満たしていく。
こんな場所でのうのうと過ごしている時間は自分にはないのに、と歯噛みし、自由になる事のできない自分の立場に絶望する。こんな世界だ。どこに行こうが自由はない。しかし、自由のない世界の中でも殊更に不自由な境遇にある自身の運命を呪うしかなかった。保護してもらった事への感謝はある。面倒を見てもらったという恩義もまた。ただ、それは保護者代わりだった兵士の一人に対するもので軍部に対するものじゃない……とそこまで考えた所でルミアはこの不毛な悩みの解決を放棄した。
そろそろ、待ち人との約束の時間だった。十五分前行動がルミアにとっては当たり前だったからこそ、こうして待つことになってしまった。しかし、今は本来、約束していた時間をほんの少し過ぎている。やはり、お金持ちの坊っちゃんだから時間感覚に疎いのだろうか。それとも支度に時間が掛かっているのか。
いずれにせよ、ルミアがそんな風に悪い方向へと思考を巡らせていると待合室の扉が開いた。
入ってきたのはルミアの予想に反して、一見して優しそうな風貌をした青年だった。金髪に赤と青のオッドアイ。服装は少し薄汚れているようにも見える。けれどもその顔は無愛想。氷のような冷たさは感じないまでもどこか憂鬱そうな表情は神秘的な外見とは裏腹に何処か希薄さを纏っていた。
ルミアはポカンとその青年を凝視するがそれも束の間、我に帰り、慌てて口上を述べようと座っていた椅子から立ち上がりかけるが、しかし。
「いや立たなくていいし、挨拶もいらない」
それだけ言った青年はルミアの前にある椅子まで歩いていき、腰掛け、再び口を開いた。
「俺はメルクリウス・レイフォントという。君の警護対象で明日から色々と世話になると思う。よろしく頼む」
そこまで一息に言ったメルクリウスにルミアは戸惑いがちに問うた。
「……私については聞かないのですか」
メルクリウスは一度、首を傾げてから暫く黙考する。それからようやく得心がいったか、一つ頷いた。
「ああ、なるほど。こういった時には自己紹介をし合うものなのか……」
なにやら感慨深げなメルクリウスに困惑を深めながら、黙っているわけにもいかず、ルミアはメルクリウスに話し掛ける。
「恐らくは。私もあまり、分かりませんが……」
ただ、言葉にしたはいいもののルミアにも自信はない。
八歳の頃から軍部に所属しているルミアにとって、初対面でかつ同年代の誰かとこうして二人きりで会うことなど経験にない事だ。しかし、長期の警護任務。少なくともメルクリウスが学院を卒業するまでの間は過ごす事になるのだから互いを知ることは大切な事だろう。少なくとも表面上はそうするべきだ。
「もう知っているとは思いますが、ルミア・ラルカと申します。今回の警護任務を任されました」
言葉少なになってしまうのはいつものこと。それも自己紹介ともなれば何を言っていいのか分からない。聞かないのか、といった手前ではあったが致し方なかった。
元々、ルミアは無口な方で内向的な性格をしているのだ。任務とはいえ、いきなり初対面の人物に対して明け透けな態度で接しろという方が無理な話だった。わざわざ言うほどのことだったのかと人によっては憤りを覚えるような自己紹介。しかし、そんな自己紹介をされたメルクリウスはといえば、気にした様子もなく。ふむ、と頷き、それではとばかりに本題へ移った。
「単刀直入にきくが、学院における俺達の関係性についてだが、どうしたい?」
「どうしたい……ですか?それは一体どういう意味の質問でしょうか?」
「勿論、君が警護任務を遂行する為に最善なのは俺と常にいること……だと思うが生憎と俺にとって、その必要はない」
メルクリウスと今日会ってから内心、引っ掻き回されるばかりのルミアだったが、これには本気で困ってしまう。
警護任務だというのに警護の必要が無い……とは一体全体どういう事なのか。こんな事は事前に報告されていない。となればメルクリウスの独断ということになる。そこまで考えてからようやく、ルミアはある事に思い当たる。
メルクリウスは名前を名乗った時になんといったか。メルクリウス・レイフォント……とそう名乗らなかったか。レイフォントの性といえば魔術師の中で知らぬ者はいない。
代々、魔術師ギルドのグランドマスターを担う名家として知られるレイフォントの性をこの目の前の青年は名乗ったのだ。ルミアは自身が任された警護任務の重要性を理解する。普段ならば、血筋なんてものを重要視する性分ではないミルアだったが今回ばかりは違う。
現魔術師ギルドグランドマスター、エルザック・レイフォントの親族を任されてしまった。自分のような小娘にそんな人を任せる理由とは何なのか。そんな疑問が湧き上がり、思考の渦に呑まれる。そんな様子を察したのか、メルクリウスがルミアに声を掛けた。
「大丈夫か?何を考えているのかはわからないが何も任務自体を放棄しろ、と言っている訳じゃない。俺に警護の必要はないが学院で一人でいるのは何かと厄介事に巻き込まれかねない。だから、最初の内は君を頼らせて欲しい、というのが本音だ」
つまりは隠れ蓑であるとそうメルクリウスは言う。続けて、メルクリウスは提案する。
「そこで考えたのが幼馴染という設定だ。
まぁ、他にも色々と候補はあるだろうが……これなら君と俺はある程度の距離感を保っていれば互いに自由でいられるし、妙ないざこざに合う事も少ない。名目上であるが、君の警護任務も達成しやすい」
そうスラスラと言葉を並べるメルクリウスはまるで練習でもしていたかのよう。
ルミアはそんなメルクリウスの言葉を黙って聞きながら、これからどうするべきかを考える。いくら本人に警護の必要はないと言われようと任務は任務だ。幾ら、レイフォント家の親族であろうと関係はない。血筋による魔術師の才能遺伝は確かに有名だ。彼の実力が高いものにあることは十分察せられる。ただ、警護任務というからには何かある筈だ。
ルミアは年齢的にいえば子供であるとはいえ、そんなものに騙される程、頭が回らないわけではない。それに幾ら才能ある人物であろうとそれは将来的なもの。軍人である自身を凌ぐとは思えず、なによりも軍人であるルミアにとってメルクリウスの言葉を鵜呑みにする訳にはいかない。それでもしも万が一が起きてしまえば責任を負うのは紛れもないルミア自身だ。この任務の完遂を目指すのはメルクリウスの身を思ってではなく、ルミアの夢のため。
そう、認識を改めて再確認したルミアはメルクリウスの提案に頷いた。
それからは明日の持ち物についての相談だったり、幼馴染というメルクリウスの設定をもう少し、深く掘り下げて話し合ったりと学院での生活準備に勤しんだ。失敗は許されない、なんていう程の任務ではないが何か裏のありそうな今回の任務。不穏な影を見ていながら準備を疎かにすることは出来なかった。
半日程の時間しかなかった事もあり、殆ど出来る事もなかったのが実情だったが致し方ない。ただの護衛と高を括っていた自身が悪いのだとルミアは反省した。
明日から、ルミアは生活の殆どをメルクリウスに捧げることになる。それは聞きようによってはなんだかロマンチックに聞こえるかもしれないが実際にする事といえば、人柄をよく知りもしない赤の他人を守ること。
ルミアのメルクリウスに対する印象は良くも悪くもない。所詮はこれから同僚になる人、ぐらいの親愛度。否、勝手な意見を述べられた事を加味するならばそれ以下と言ったところだ。
特に悪気があった訳ではないのだろう。もしかすればルミアの軍人と言うにはあまりに幼い容姿がそう言わせたのかも知れない。だから、ルミアも別に悪い気はしていなかった。けれども、メルクリウスは何かを隠しているような節がある。それがルミアに得体の知れない不安のようなものを感じさせていた。