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魔術師の涙  作者: 冬雅
第二章 巡る思い
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第十二話『悪意の牙』


 魔法を用いて、砂埃が舞う中を見れば、ちょうどヘレオンがメルクリウスに肉薄している瞬間を私の目は捉えた。


 へレオンは元々、目くらましに砂を舞わせるつもりだったのだろう。予め、今、私が使っているような補助魔法を用いて、自身の優位性を確保した上で自分が開始の合図を任されたのをいい事に不意打ちをするとは。どこまでも卑怯なへレオンの作戦だが、メルクリウス相手には所詮は子供騙しでしかないはずだ。そもそも、彼にとって目くらましは意味を為さないだろう。それは私にも言えることであり、一般的な魔術師たちは皆、肉眼に頼ることを止めている。魔法の中には不可視のものも多くあることに加え、神経なんて余計なものを通していては身体的に避けられるものも避けられなくなるからだ。そんな魔法を常時展開しているような魔術師はそこら中にいる。私でも一人の時は日常生活の殆どの場面で用いてる魔法であり、そんな基礎的な魔法をメルクリウスが使っていない訳がない。また、メルクリウスの反射速度や身体能力を考慮すれば、例え、突然目の前に相手が現れたとしても反応出来るだろう。


 そんな予想を立てていた私だったからこそ、現実に起きた事への衝撃は凄まじかった。


 まず、肉薄していたへレオンはメルクリウスが盲目状態にある事をいいことに至近距離で魔法を放った。極々、一般的な火球を生み出す魔法だ。小さな火の玉とはいえ、生身の身体に当たれば火傷は必然のものであるが今回、ヘレオンがそんな魔法を用いたのには別の目的があるらしい。その火の玉はメルクリウスの顔近くで一気に燃え上がる。その火の玉は瞬間的な火力を生み出し、代わりに形を保っていた魔力が霧散する。それによって、ヘレオンが得られたのは陽動効果だ。

 純粋な身体能力としては規格外であるメルクリウスの反射神経がその、変化をいち早く感じ取り、燃え上がる直前にそちらへと目を向けてしまう。次に彼の目が映したのはきっと、強烈な光だ。眩いその光に完全に目を潰されたメルクリウス。そして、へレオンはそんな彼に対し、更に追撃を叩き込むべく、重い踏み込みと共に思いっきり、メルクリウスに殴りかかった。


 ヘレオンの動きは見習い魔術師としてはまずまずであり、流れるように鮮やかな動きではある。しかし、それはまだ砂埃さえなければ肉眼でも捉えられる程度の緩慢とした動きであって、決して人外と揶揄される魔術師の動きではない。


 故にそんな動きにメルクリウスは、いくらでも対処可能な筈で。けれども、彼が取ったのは腕一本による防御だった。なんの身体強化も施されていない腕だ。対して、へレオンは不意打ちにも関わらず、念押しのように自身へと身体強化魔法を掛けている。

 ここまでの魔法使用の練度は、見習いとしては確かに目を見張るものがある。実践しているのは事実なのだろう。粋がるだけの噛ませではないのも、そう。けれども、相手はあのメルクリウスなのだ。ヘレオンと模擬戦をすれば、私ですら圧勝でき、一年生では恐らくトップ10に入るカルロやスーフィアでも十分相手取る事ができる。そんな相手に学院という括りのみならず、人類の頂点に立つ魔術師が幾つもの制限や決まりがあるのだとしても負ける訳がない。これを勝負というのも馬鹿らしい。大人が子供に構ってもらっているだけでしかない。どちらが大人でどちらが子供かは言わずもがな、である。


 それにも関わらず、メルクリウスは淡々とヘレオンの攻撃を受け続ける。しかも、微弱な魔法ばかりでこれといった魔法も使わずである。一体どういう事なのだろうか。


 ―――メルクリウスは何を狙ってる?


 或いはこの勝負の結果にこそ、彼の狙いがあるのか。されども、この模擬戦に彼がわざと負ける事で得られる利益が負けた場合の不利益に釣り合わない。私の中にいる《英雄に憧れた私》がそれを許せない。お遊びだ。命のやり取りをしている訳じゃない。一度、敗ければそれで終わりの戦いじゃない。こんな所でメルクリウスは決して本気を出さない。本気を出せるほどの相手がいない。だから、カルロや私を相手にしたときと同じ程度に、軽く腕でも何でも捻ってやればいいのだ。その上で諭せばいい。


 今後が楽だから、と。面倒だから、と。こんな格下相手に必死で手を抜いて、必死で負けようとするのは違うのではないか、とそう思えてならない。


 メルクリウス・レイフォントがするべき事じゃない。彼にプライドはなくとも、私は彼の強さを知っている。私の大切な思い出の中に彼が刻まれている。そんな彼を貶める事は彼自身であっても許せない。勝手なことを言っているのは分かっている。理論的でも何でもない。十人いれば一人でも説得できればいいほうで。そんな穴だらけの理由だけで私はメルクリウスが負けようとしている事が許容出来ないのだ。


 へレオンはメルクリウスが防戦一方を演じている事に胡座をかいて、型も何もない攻撃を仕掛けている。その姿は獣のようだ。けれど、獣にあるのは生きようとする本能だけで、ヘレオンには彼ら獣にはないものがある。彼の顔に刻まれる笑み。愉快げに細められる目。それ即ち、悪意。事実、彼の口から漏れるのは嘲笑だ。自身の力に陶酔している。


 己の優越感を満たすことに快感を覚えている暴君の目だ。



「オラオラァ、どうした?ん?メルクリウス君よぉ!特高科ってのはこんなもんかぁっ?こんなものでよく、デケェ面出来たもんだなぁ!?特高科だ、なんだというが所詮はこんなものかっ!我が物顔で街を歩く貴族様となんにも変わんねぇよ、お前らはよぉ!」



 結界内の砂埃が徐々に晴れ出し、二人の姿が顕になる。へレオンは攻撃の手を緩めない。そうする事でメルクリウスの動きを完全に封じ込めているつもりなのだろう。実に浅はかだ。


 最早、私はこの模擬戦自体に対する興味が薄れてきていた。早く、終わってしまえとすら思う。メルクリウスのこんな姿を見ているのは胸が苦しい。私の中にある英雄像にヒビが入ってしまうのが恐ろしくて。雑魚相手に膝をつくメルクリウスを見て、私が抱いてしまう感情を知りたくないのだ。


 それでも私が動けずにいるのは人間としての彼に期待する自身がいるから。その愚かしさに気付いて、考えを改めるメルクリウスに期待しているから。万が一の可能性にかけているから。そして、それは同時に一以外の全てを諦めてもいると言う事だ。


 ちっぽけなプライドすらない彼に人としての何を期待しているのかは分からない。しかし。

 ヘレオンの言葉にメルクリウスがほんの一瞬、思案げに目を細めたのを私は目敏く捉える。 

 何らかの不備でもあったのだろうか。彼の考えに間違いがあったという事だろうか。

 それでも何度も何度も振り下ろされる拳に、既にメルクリウスの腕はボロボロになっていた。紫色に腫れ上がる彼の左腕は結界を出てしまえば治ることを知っていても痛々しい。


 

「ねぇ、ルミアちゃん。メルクリウス君は何を狙っていらっしゃるのかしら」


「そうだぜ、メルクリウスは何してるんだ?何度か隙があっただろ。なのに、なんで攻撃しないんだ?」


「まさか、何か脅されているのでしょうか……」



 スーフィアたち三人はメルクリウスがある程度、戦い慣れていることをこれまでのカルロとの模擬戦や私との試合で知っている。素人目ではあるものの、彼らの疑問は最もなものであり、私ほどではないにせよ、彼らもまた、メルクリウスの魔術師としての腕を朧気ながら理解しているからこそ、今日の魔法指導を頼んだのだ。おろおろと私の隣で落ち着かない様子のアリシアも言葉にはしないものの、同じことを思っているのだろう。或いはメルクリウスが動けないほどの傷を負った日の出来事を目前で見ていた可能性もある彼女だ。もっと畏怖的な何かをメルクリウスに抱いていても不思議ではない。

 そうして、四人ともがメルクリウスの強さを信じているからこそ、彼には、勝つための狙いなんてものが無いことを教えるのが心苦しい。


 なにも、圧倒的な力を見せつけろとは言わない。それでも軽くあしらう程度で済ませてしまえばいいのではないか。負ける必要なんて、どこにも……。


 『俺は普通の生活を望んでいるんだ』


 だから、どうした。普通の生活を望んでいるのならば、もっとうまく、もっと真剣に生きられるだろう。メルクリウス・レイフォントとはそういう人間ではないのか。

 この勝負に横槍を入れてもメルクリウスが形式上の負けを喫すことは確定だ。その事実が腹立たしい。

 一番の苛立ちの原因はメルクリウス本人にあるということも私の心をささくれ立たせる要因だ。


 何故、なぜと。彼に尋ねたってきっと、何も言ってくれない。感情が浮かばないならば、これが最善だと言う。不意に思ったのだ。彼の不死性を知ったあの日、学院長が言っていたのはこういう事ではないか、と。自身が傷つくことに無頓着だから。だから、彼は強いのだと。彼は自分を犠牲に出来る。命のストックがいくつもあるような物だ。恐れを知らない。自身の有用性を知りながらも、強さを保持したままで尚、死に向かう行為に躊躇いがない。


 最早、それは感情云々の話ではなく。生物として間違っている。だから、学院長はメルクリウスを化物と呼ぶのかもしれない。


 知っているのだ。こんな思いは間違っている。自分の理想像を相手に押し付ける行為は間違っている。だけど、間違っていると知りながら、進み続け、答えを得ることができるのも人間だ。


 歯軋り一つ。私は走る。


 丁度いい。私とメルクリウスは幼馴染だ。そういう事になっている。なら、幼馴染が傷付くのを見ていられなかったとか、なんだと言い訳が出来る。よくあるではないか。ありきたりな話じゃないか。メルクリウスに嫌われる心配はない。私は私の為にメルクリウスを守りたい。軍務がどうとか、メルクリウスがどうとかは関係ない。だから―――



「降参だ……降参する!」



 ―――情けない声だった。まるで覇気のない声。にも関わらず、響き渡ったのはヘレオンが攻撃を止めていたからだ。殴打の音が止んだことでメルクリウスの声が良く通った。スーフィアはそんな彼の声に目を丸くして驚き、カルロは目をそらす。アルトは何を考えているのか俯きがちに眼鏡の位置を整えた。アリシアは……痛ましいくらいに青褪めた顔でその様子を見ている。


 そして、哄笑が訪れる。あたかも化物を退治したとばかりにワッと湧くのはヘレオンの取り巻きたちだ。


 なにが。



「なにが……何が面白いの……?」



 気付けば、溢れていた言葉は恥知らずの馬鹿たちの声に呑まれていく。



 いつだって、英雄を殺すのは多くの悪意だ。

 

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