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魔術師の涙  作者: 冬雅
第二章 巡る思い
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第十話『新たなる日々の兆し』


 初の魔法実技科目が始まってからはや、四ヶ月。入学当初、事件続きだった学院生活も本来の平穏さを取り戻し、勉学にも慣れ始めてきた頃合い。相変わらず、俺達は五人組で放課後を魔法議論を交えた雑談をしたり、授業の復習をしたりと大凡、学生として正しい生活を送ることに成功していた……筈だった。



 

 魔法実技における初回授業を欠席していたアリシア・カルネシアがその一週間後に復帰した際、何故か異様に俺を恐れているのに気が付いた。しかし、それで何が変わるということもない。


 俺にとって魔物も人も変わりはしない。寧ろ、感情を持たない俺は魔物に近しいものであるとさえ考えている。偶々、その俺の異質さに気が付いた人間がいたとしても形容し難いそれを、果たして周囲に言い触らすだろうか。少なくとも俺が見てきた人間の中で、そんな愚策を立てるものはいなかった。それは俺の力を理由としているのかと言えば、そうでもなく。力がないと侮っているのならば、そもそもの前提として恐れることはない。


 即ち、アリシア・カルネシアにとって俺は異分子であっても排除の対象になり得ないのだ。理論上は。


 だからこそ、俺はありもしない困惑に首を傾げざるを得ない。俺の目の前に立ちはだかる赤髪の少女に疑問を呈さざるを得ない。




















 事の発端はメルクリウスとスーフィア、そして私の三人でアリシアを訪ねたときにまで遡る。あの日の夜、メルクリウスが私たちを部屋から追い出し、何をしたかまでは分からない。けれど、分からないなりに一つ言えることがあった。それこそがメルクリウス・レイフォントという人の特殊な在り方だ。

 感情を持たないが故、彼は人と痛みを分かち合うことが出来ない。彼は己に頓着を抱くことが出来ない。それをありありとあの日の夜に教えられた。


 なりふり構わず、学院長に泣きついてまでメルクリウスを救いたいと思ったあの日見た、"白鱗"の称号を冠した魔術師の魔法は今でも目に焼き付いている。まるで時を遡るようにして治っていくメルクリウスの身体。回復魔法の真髄。それを惜しげもなく、扱う《九十九》の魔術師は私如き、一介の魔術師にとって確かな高みを見せた。そうして、私達は待つだけで良かった。


 しかし。


 

「レイデン、駄目です……」



 遥か高みにあるはずの、私では到底敵わぬはずの魔法を持ってして"白鱗"の口を衝いて出たのはあまりにも力ない言葉だった。そして、その言葉を証明するように再び、メルクリウスの体中から噴き出した紅を見れば、反論なんか出ようはずもなかった。



「メニア、こうなる事はアレの存在からして織り込み済み。もとより、勝算の薄い魔法からかけても仕方あるまいよ」



 その言葉に希望を抱く。しかし、まだ安心するな、という言葉が呪縛のようにして私の心に巣食う。砕かれ、散りゆく希望は絶望より尚深い奈落へと私を誘うだろうから。だから。



「《我、異界の審判なりて。彼の世と此の世を区切るは我が特権なり:異裂》」



 耳を劈くは鋭く高い音。頭が割れそうな程の痛みに襲われ、涙で目が潤む。その場に蹲り、吐きそうになるのを必死で堪えて。そうまでした所で学院長が何をしたのか、と焦燥に駆られる。私が食らったのはただの余波だった。防御もまともにせず、動揺したままの精神が魔法の付け入る隙を与えたのだ。想定以上のダメージであったのはそうだろう。最大限の配慮がなされていたのだろう事も室内の全く破壊痕が見られない現状から判断できるが、しかし。


 聞いたことのない魔法であろうともその用途ぐらいは主に魔術師を相手にしていたが為に見当はつく。その経験が警笛を鳴らしていた。



「な、何をされたのですか?!"黒葬"様!」



 柄にもなく、声を荒らげる。


 明らかな攻性魔法。負傷者に向ければ、どんな人間であろうとただで済むわけがない。例え、それが最強の魔術師だったとしても……。



「囀るな、小娘。もとより俺様達の魔法だけでこの深手を、それも魔界の生物から受けた傷を治すことは出来ん。ならば、小僧の身体を活性化させるより他にこの傷を治す事は不可能。小僧にとってもこの事態は想定外であったのだろうな。想像以上に身体が持ち堪えてしまった、この事態がな」



 学院長が顎で指し示すのはメルクリウスが横になっていた筈のバラバラになったベッドの残骸。そして、その上の……。



「何が……起きたんですか……?」



 呆然と私はそんな言葉を洩らした。これは、あまりに理解の範疇を超えている。そんな事はあっちゃいけない。脳が理解を拒んでいる。悲鳴をあげて耳を塞いでいる。

 


「小娘、よく見よ。お主が救おうとしているものの姿を、な」



 言われて、その通りにしようとして。しかし、それでも目の前で起きている事を認識する、たったそれだけなのに。



「これは……これが、メルクリウス……なのですか……?」



 震える声をどうにか絞り出して。そうしてやっと出た声はやっぱり掠れていて。



「そうだ。お主が人間だ、とそう言った者の姿だ」



 学院長が使ったものはきっと対象を切断する類の魔法だった。初めて聞く呪文に、初めて見た魔法。されどその効果は馬鹿でも分かる。だって、その結果が今、目の前にあるのだから。


 そこにあるものが死体だったならばいっそのこと、良かった。そうであれば、縋ることができた。けれども。


 彼の全身を這う血管のような筋。赤黒いそれは脈動し、彼の損傷部から飛び出た細い糸のようなものが彼の傷を縫い付けていく。蛆が死体に集るように、その細い糸が欠損部を埋め尽くし、筋繊維を再現していく。私はそれによく似た光景を見たことがある。

 


 違う。違う、違う、違う。メルクリウスは、彼は違う。人間だ。人間なのに。


 

「どうだ、小娘。これを見ても尚、お主は人間と言えるか、コレを。いっそのこと、まも―――」



「違います!!!メルクリウスは人間です。私を、私を助けてくれたんです!彼が人間じゃないと言うなら、私は、私は……」



 段々と自身の声がしぼんでいくのが分かった。それはもしかすれば、とそう彼を疑う事に等しく――


 

「レイデンッ!貴方はまたそうやってっ!」


「メニア、俺様は何も小僧が憎くてやっているわけではないと知っているだろう。心を失くした小僧にとっての幸せは何だ。小僧が思い描く平和とは何だ。小僧が守りたかったものを、守ろうとするものを小僧に壊させるのか?そんな酷い話があってたまるか。なれば、いっそのこと小僧に不用意に近づくなと忠告してやった方がいいだろう!俺様が忘れる訳がなかろうがっ!あの日。あの忌まわしき天光竜を討伐せんと集った四十あまりの魔術師たちの中で、あの最高峰の魔法の使い手達の中で、小僧は……」



 何事かを言いかけた学院長ははたと我に返ったように目を見開くと。悔しげに俯いた。副学院長がそんな彼に寄り添う。それをただ棒立ちになって聞いていた。


 いつの間にか。彼が心を捨てたと言っていたから。だから、メルクリウスを想っているのは自分だけだと思いこんでいた自分に気付かされる。自分だけがメルクリウスを見ているのだと。本当のメルクリウスを知っているのは自分だけだと。だから、自分が彼を変えてあげなくちゃいけない。あの日の恩返しをしなくちゃいけないとばかり、思っていた。彼を一番理解しているとそんな事を。


 一番、彼を分かってあげられていなかったのは私だった。英雄としての彼を、偶像の彼を追い求めているのは私の方だった。心を持たない人間にとって、何が一番の苦痛なのか想像することは難しい。けれども、考えない理由にはならない。彼にとって幸せなことは何なのか。私はそれを知らない。心の片隅で感情のない人間の幸せを否定していた。そんなものはないとばかり思っていた。


 それを間違いだ、と彼らの後悔の煮詰まった表情が訴えている。



「小娘。小僧はしばらくは目を覚まさないだろう。そして、目覚めたこやつは今日という日を忘れているだろう」


「どういう……ことですか?」


「詳しくは俺様達にも分からん。しかし、小僧の体内には余りある魔力によって作り出された人造の魔物……いや、生きた魔法と言ったほうが近いかも知れん。俺様も小僧の父代わりからの又聞きであり、彼の災害討伐時に万が一、小僧が瀕死になった時は魔法を撃ち込むように説明された限りだ。故にどのような理屈で身体の再生を可能としているのか、欠損や魔界の異形によるものさえ治せているのか分からぬ。何を代償とすれば、それ程のことができるのかも、な。少なくとも小僧はその再生の代わりとして幾らかの記憶を失う。いつの記憶を失うのか、どれだけの記憶を失うのかはその時によってまちまちだというが、再生直前の記憶は例外なく失う、と。もしやすれば、目覚めた小僧はお主との出会いすら覚えておらぬかもしれぬぞ。それでもお主は小僧を好くか?好いてやることができるか?」



 私は学院長の言葉に瞑目する。すぐに頷くことはできない。彼にとっての幸せを分かって上げられる自信がない。彼を理解できない。けれども、ここ数日の内に知り得た彼は。


 

「迷え、小娘。そうやって迷っている内はまだお主が小僧の寝首を掻く事は無いだろう。されど、心せよ。迷える時間はあまり、多くはない。お主の願いが果たされる事はないやもしれん。結末はいつでも幸福とは限らないと知れ」



 そう言い残し、学院長達は魔法による余波を手を降る動き一つで修復すると転移魔法を発動させ、帰っていった。残された私はやはり、突っ立ったままで。何をすれば良いのか、これらどうしていけば良いのか。それすらも分からず、眠るメルクリウスの顔を見つめ続けていた。そうして、ないない尽くしの中でたったひとつだけ、出した答えは迷う事だった。彼の側にいて、彼について考え、彼を想い続けること。


 何も決まっていない筈なのに、その答えはすっと胸に入ってきて。


 何だ、何も変わらないんじゃないかと。そう思わされた。


 

 


 



 

 

 

 

 






 


 そうして、今。あの日を知らないメルクリウスの前に赤髪の少女、アリシア・カルネシアが立ち塞がっていた。その意志の強そうな目で此方を睨みつけ、眉根を寄せながら数歩こちらへと歩み寄る。それだけで彼我の差はたった五歩程度のものになっていた。

 またしても、彼女は波乱を巻き起こすのか、と密かに杖を構え、警戒する。あの時とはコンディションが違う。後れを取るような真似はもう出来ない。常に死と隣合わせで生きてきた筈の自身が気を抜く事はもうありえない。


 だから、彼女が妙な動きをすればもう手加減なんてするものか、とそう思っていた。



「申し訳、ございませんでした。私、その、ごめんなさい……」


「えっ……?」



 漏れた疑問の声は誰にも聞かれやしなかっただろうか。メルクリウスに聞こえはしなかっただろうか。


 アリシアは今にも泣きそうな目を彼と私に向け、謝罪する。


 意味が分からなかった。何故、今になってアリシアが謝罪をするのか。何故、こんなにも小動物的なのか。


 私以上に現状を理解できないであろうメルクリウス。しかし、彼は予想外の言動をする。



「ふむ、なるほど。要は俺に謝りたくてずっとこっちの様子を見てたのか。ならば、俺よりも謝るべきはこっちだろう?」



 そう言って突然、後ろを向いたメルクリウスが私の腕を引っ張り、私は彼の前に立たされる。彼の手が私の肩に置かれ、知らずビクリと肩が跳ねる。それを何事もなかったかのようにするメルクリウスは意識的なのな、無意識的なのか分からない態度のまま、アリシアに言った。



「ほら、君が謝るべきは彼女に対して、だ」



 そのメルクリウスの言葉を聞いて、顔を真っ赤に染めながらもアリシアは絞り出すようなか細い声でごめんなさい、と口にした。



「もっと、はっきりと」


「ごめんなさい!」



 潤んだ瞳は羞恥の表れか或いは罪悪感が故か。

 何も言わないメルクリウスを振り返ると彼の赤と青の不思議な瞳が私を見つめていた。片眉を吊り上げ、私に続く言葉を促す彼。



「その、アリシア……私は大丈夫、だから。それにメルクリウスも、ね?」



 今にも溢れそうな程に涙を湛えた私の彼女に対する印象は最早、幼気な子犬だ。


 この状況を作り出したメルクリウス本人に対話の意志がないのか。それとも単純に自分がこの会話に混ざるべきではないと思っているのか。或いは――


 

「アリシアさん、彼らはきちんと許してくれていますよ。もちろん、私もですよ?」



 私達の後ろから、この数カ月間でよく聞きなれた声がした。メルクリウスが半身を反らし、私もその背に隠れていた廊下の奥を見る。


 そこにいたのは青髪にアメジスト色の瞳を煌めかせる少女。自信に満ち溢れ、才気立たせた顔で悠々と闊歩し、こちらへと向かってくる。されど嫌味はなく、ただただ上品さばかりが辺りの空気を華やがせた。



「アリシアさんたら、ずっと気になされていたんですよ?」



 クスクスと優雅に笑う彼女は精巧に作られた人形のようで。



「ですから、メルクリウスさんも彼女の事をあんまり睨まないであげてください。もう、ルミアちゃんを傷付けたりしないでしょうから」



 フッと息を漏らす音が聞こえる。無論、それは背後にいるメルクリウスのものでそれが嘲りであるのか、何なのか。私には判断がつかない。



「睨んでなんていないさ」



 肩を竦める彼はすっかり皆が知るメルクリウス・レイフォンドであり、スーフィアは笑みを浮かべながら、そうですか、と茶化す。



「てっきり、ルミアちゃんの為に怒っているのかと思っていました」



 そんな訳がない。彼が私の為に?


 そう分かっていながら、ありはしないと知りながら、淡い期待を抱き、彼を覗い見る。そうして、私を見下ろす彼の目にあったのは複雑な何かで。慈愛とも憐憫とも取れる視線の、その意味を測りかねている所へまた、聞き慣れた声がする。



「おー、メルクリウス達じゃん。何してんだ?」



 いつもみたく手を頭の後ろに回しながら、学院の廊下に立つ私達を見つけたカルロだった。その後ろにはやはり、アルトがいる。意図せず、仲良くしている集団に囲まれたアリシアは狼狽え始め、見兼ねたスーフィアが宥める。


 なんだか、新たな日々が始まろうとしている、そう私に感じさせる光景がそこにはあった。



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