第七話『ある朝、目覚めれば』
朝日が窓から差し込み、その眩しさが瞼を閉じていても瞳に淡い靄のようなものを映した。
そこでようやく、自身の意識が現実へと回帰した事を確認し、ゆっくりと目を開く。
「メルクリウス……!」
開いた視界いっぱいに広がる純白。微かな膨らみが顔に押し付けられ、軽く息が詰まった。とまれ、魔術師にとってはその程度は些事でしかない。
息が止まるのならば、止めてしまえばいい。酸素の一つや二つくらい、なくたって生きれるのだから。それぐらい出来なければ魔術師としては到底やっていけない。
「メルクリウス……?」
俺を抱き締めていた腕を解き、不思議そうに首を傾げたルミアがベッドの上で半身を起こした俺を見る。
よく見れば、ルミアの頬には透明な軌跡があった。泣いていたのだろう事までは分かったが、彼女をそこまで悲しませた何かについてはまるで分からない。
どうにも何かを忘れているような気がしてならなかった。
「ルミア、何かあったのか?」
朝の目覚めも早々に、ルミアに尋ねるのは己が置かれている現状について。
キョトンっとするルミアは俺の言葉に対して、理解が及んでいない様子だった。
代わりにルミアが口にしたのは、今日一日の予定だった。
「それより、今日は実技がある。どうするの?」
ルミアの言葉でそういえば、と思い出す。
「今日は魔法実技か。学院に入って数日だというのに、少し早すぎるんじゃないか?」
「そう……?一流の魔術師を目指すなら、早いうちから実践していたほうがいい……と思う。少なくとも私は」
自己主張の少なかったルミアが自分の意見をはっきりと口にしたことに彼女の変化を感じる。
なるほど。たった数日間でここまで人が変われるのならば、学院という所も案外、捨てたものではないのかもしれない。
「それで。どうするか、だったか。
俺としてはカルロとの模擬試合の時ぐらいで十分だと思っているんだが、ルミアはどう思う?」
その俺の問いかけにルミアが驚き、目を見開く。それは僅かな間のものであったが、生憎と表面的な機微に俺は敏い。そうでもなければ、到底俺のような存在は人の輪に馴染むことはできない。
「驚いた。メルクリウスは私に意見なんか、求めてないと思ってた」
「まぁ……実際、求めてはいないな。毎度、言っていることだが俺に人の意見を求めるなどといった感情はないから、な。が、可能性の幅を広げるには他人の意見も聞いておくべきである事は、経験上、知っている。それだけの話だ」
「そう……」
伏し目がちに呟くルミアはほんの少しだけ、悲しそうに見えた。あくまで、そう見えただけに過ぎないのは当たり前の事として、それより今は。
「それで、ルミアはどう思うんだ?」
ルミアは諦めたような顔でため息を吐く。
「メルクリウスはもう少し力を見せるべき。そうすれば、私も護衛する手間が少しは省ける」
「そう思うなら少しぐらい、自由にしてくれてもいいんだぞ?」
「――!それは駄目。メルクリウスは……ううん。私は魔術師としての自分を高めなくちゃだめだから。それにはメルクリウスの側にいたほうが効率的」
「そうか。ルミアがそう言うなら俺は別にいいが」
俺には分からない感覚であるものの、どうやらそういう事らしい。
魔術師が己の力を高めるには研鑽だけがその近道になる。知識を集め、その知識を活用し、己の糧とする。無論、精神的にも多大な負荷がかかるだろう。だから、魔術師は感情を殺す。心を押し殺すことから始まり、上位の魔術師ともなると、表層的な感情であらば、意のままに操ることも容易い。
先日に会った《悲嘆者》が良い例だ。アレは感情というものを歪めて、何重にも包装し、決して本物の心という奴を見せようとはしない。所詮、受け売りの言葉とはいえ、その言葉の持ち主は魔術師ランク元一位にして、今尚、最高の魔術師であり続ける男だ。
話は逸れたが、ルミアの目指す魔術師の高みというのはそういうものだ。俺のような紛い物ではない。であらば、それは違う、と道を指し示すことも出来た。しかし、ルミアは既に誰かの手を借りるべくもなく、魔術師としての力を身に着けている。俺がわざわざ、口出しする必要もない。
然るに俺は問題の無視を決め込んだ。
短い朝の会話を終え、ルミアが作ってくれた朝食を食べる。普通とはこんなものなのだろうか、と夢想し、直ぐに否定の言葉が返る己を恨む。メルクリウスは何処までも何も感じてはいないのだと痛感させられる。
簡易的な魔法で服を着替え、いつの間にか用意されていた準備物を携える。鞄を手に取るといつもの如く、鳴り響いた呼び鈴にルミアと共に外へ出た。
五人並んで登校してきた俺達は雑談を交わしながら、教室まで来ていた。とはいえ、まだ朝早い時間だ。教室の人気は少ない。
寮から学院までが遠くはないと行っても学院自体も相当な大きさである。教室へ行くまでの時間を考えれば、余裕を持って登校するのは当たり前だった。ただ、その中でも俺達が早く来たのには訳がある。
「それでメルクリウス、ここなんだが……」
教室へ入って荷物を置き、一息吐く間もなくしてカルロが一冊のノートを開けながら、訊ねてきた。
道中、初めに教えてほしいところがあると言い出したのはカルロである。それに乗っかる形で――
「私もお恥ずかしながら、ここが……」
――スーフィアもまた、同じようにノートを開きながら、俺へと質問したいと申し出ていた箇所を指し示していた。
まさか、街道のど真ん中で教えるわけにもいかず、教室で教えるという体に持ってきた訳であり、この現状が作り出された理由だった。
アルトは、といえば例外的な俺とルミアを除けば、知識面では学年トップの成績を収めている。それなら、この二人に教えてやる事もできるのでは、と聞くも返されたのは『僕が教えるよりメルクリウスが教えた方がいいと思うんですよね』との言葉。ならば、ルミアに、と思うもルミアは今日もまた、寝ずの番でもしていたのか、教室に入り、席に着くなり、気持ちよさそうに眠りについた。
それで、残った俺が二人の面倒を見る運びとなったのだ。
特高学科という魔術師育成機関の最高峰の授業である。魔法体系の細分化された今日では非常に専門的な分野となっている魔法を学ぼうとしているのだから、こうした自学自習は必須だろう。ましてや、それが実戦的なものであるならば、尚更であり、己の扱う力を一つでも理解していないなどということはそのまま、死に直結する。
とはいえ、まだ一年生の授業だ。俺からすれば、常識と言える知識ばかりで分からない事が理解出来ないという感覚だった。
初めは口頭で二人の質問に答えていたものの、段々とそれも難しくなってくる。主に文字に書き起こするのが困難な魔法による熱上昇効果であるとか、排熱魔法の重要性であるとかだった。
教室に備え付けられたボードを使い、人体の簡易図を描く。更に口から吐き出される呼気と吸われている気体を付け足す。そこへ言葉を加え、ちょっとした講義のようになった。
「……よって、魔法を使う事は体内魔力を活性化させることと同時に脳や心臓への負荷がかかる。その影響が最も顕著に現れるのが体温の上昇だ。体内の熱を吐き出し、空気中の魔力を微量ながら、取り込むことによって生じる熱量は抵抗力がなければ、卒倒しかねない程だ。これを抑える為、魔術師は皆、物理的にも魔法的にも肉体の強化を行う。だから、卓越した魔術師であればあるほど人間離れした身体能力を得るようになる……というのが前回の授業について噛み砕いて説明したものになる」
一通りの説明を終え、背を向けていた教室側を振り返るとスーフィアやカルロ以外にも何名かの生徒が俺の話を聞いていたようだった。中には唖然として見つめる者や好奇の目を向けているだけの者もいたが、大半がカルロ達のようにノートへ文字を書き写していた。
目立つことを目的としていない俺にとっては迷惑と言わないまでも、好ましくはない。しかし、してしまったものは仕方がない。既にカルロとの一戦で平均的な一年生の熟練度でないことはバレているのだ。今更、特別隠す必要もないのかもしれない。
カルロ達がノートに書き込み終わるタイミングを見計らい、俺は黒板上の内容を指を振るい、消す。そして、自席に戻り、隣を見る。
「なに……?」
眠っていると思われていたルミアが机に頭を寝かせたまま、その赤い瞳を俺に向けた。
「いや?特に理由はない。ただ、疲れているのかと思っただけだ」
「そう」
存外にあっさりと引き下がるルミアを見て、彼女は機嫌が悪いのかもしれないと思い付く。思えば、今朝からどうにも様子がおかしかった。口数が少ないのはいつもの事として、突っかかってくるような事は今まで殆どなかった。ルミアはなにかと俺に対して、遠慮……のようなものを感じている節がある。
全く。何故、俺はこんな下らないことについて考えているのか。俺が至極、無意味な事に思考を回す合間にローニウスが教室へと入ってきて、朝のホームルームが始まった。
「まず初めに自己紹介をさせてもらおう。私はクロス。クロス・ボルグレア。《ラオニア》に籍を置いていたが、諸事情により、今年度からレニオレア学院で教員として働く事となった。諸君らが入学時に受けた実技試験についても一部、試験官を担当させてもらった故、中には知っている者もいるかもしれんが、まぁよろしく頼む」
そんな口上を訓練棟にて一年特高科生の前で話す男が一人。右半分の額から左頬にかけて大きな裂傷がある男だった。
俺は試験を免除されているので、クロスとは面識がある筈もない。しかし、他の生徒は違うようだ。少しばかり、生徒の間に慄きに似た何かが漂う。いや、クロスの強面も多少ばかり、手伝っているのだろうか。
「それでは、早速だが実技授業について簡単に説明させてもらおう。
初めに言っておこう。私が担当するこの実技授業においては魔法の使用を禁ずる」
特高科生たちが一斉に騒めく。隣にいたルミアが目を見開き、俺はその物珍しさに目を惹かれる。
それを見ていると目の前を青を携えた影が横切った。
「先生。それでは魔法の実技にはなりません。私達は魔法を学びに来たのです。魔法を使わなければ、何の実技をするというのですか」
「無論、諸君らの身体的能力を十全に活用してもらうのだよ。スーフィア・アルシェ嬢」
クロスはそう、ニヤリと言い放った。




