第五話『怪獣』
幾つもの黒い飛沫が宙を舞う。部屋の床や黒刀にまで付着したソレらに悲鳴を上げる侍女。
ベチャリ、ベチャリと床を這うソレは俺が発する魔力に誘われ、俺の足元までにじり寄ってきていた。
ソレが何であるのかを俺は知っていた。魔物より異質な存在といっても過言ではないソレ。
知っていると言っても他者よりはよっぽど、という意味だが。魔界毒の正体たるソレは人の感情と魔力を喰らう得体の知れない存在だ。
「『悍ましき闇を這う者共』か……」
具体性に欠ける名称は伝承上にあるソレに酷似した存在より取ったものだ。
どうやら、その伝承と俺が実際に得た実験結果によるとソレは特定の姿を持たないらしい。
貴重なサンプル故、採取したいのは山々だが、今回はあまりに時間が無さ過ぎた。惜しむらくは、その準備不足がゆえか。
ふと、ベッドに横たわる赤髪の少女を見て、思う。
一体、この少女になんの義理があるのだ。いきなり、何の理由もなく魔法を撃ち込まれた身だろう。これから先、どうして障害にならないと言えようか。
―――この赤髪の少女はどこまでなら切り刻んでも死なないだろうか……。
否、もうメルクリウスはそういうことに手を染めるのは止めるんだったな。
俺は瞑目し、自嘲的な笑みが溢す。
瞼の裏にチラつくのは銀髪の少女だった。
「『信じてる』……ね」
今、求められているのは強い魔術師としてのメルクリウスじゃない。俺の存在価値を定めているのは人としてのメルクリウスだ。
俺はいつになれば、彼女に真実を告げられるだろうか。命の恩人などというものが存在しなかった事を彼女が知ればどんな顔をするだろうか。
メルクリウス・レイフォントならば、きっとそれを見たくはないだろうから。
俺は瞑目していた瞳を開け、もう既に胸の辺りにまでよじ登ってきていたソレを純粋魔力の纏った右手で鷲掴みにする。「プギィ」と豚の鳴き声のような、それにしてはか細すぎる声を上げたソレに構わず、同じように魔力を纏った左手で殴りつけ、その部位から順に霧散させていく。
ソレは牙を生やした触手のようなものを俺へと伸ばす。
ふと、侍女はどうしたのかと見てみれば、此方を見て怯えながらも必死に侍女はアリシアを介抱していた。
やはり優秀な侍女のようだ。今出来る自身の最善を弁えている。この部屋を出ていこうとしないのは扉前で俺とソレが陣取ってしまっているからだろう。
ソレの伸ばした触手を掴み上げることで余裕のできた俺は扉の前から立ち退く。
侍女に頷きで合図を送ると彼女はアリシアを背負い、速やかに部屋を退出した。
―――あとは俺がソレを処理するのみ。
燃え盛る炎の光景が何度も何度も脳裏を過り、今はそれどころじゃないだろうと自分に言い聞かせる。
頭がズキリと痛み、俺は早々に決着をつける事を選択した。ギリギリではあるが許容範囲の内だろう。
口を大きく開く。掴んだ触手を更に引っ張り上げ、それを口の中へ。
「■■■■■■■■■!!!」
訳の分からない声を発してソレが暴れ狂った。滅茶苦茶に暴れるソレを不可視の魔力体で押さえつけ、圧縮する。人の可聴域を遥かに超えた音波を発し、ソレは俺の体内に……。
捕食者として在り続けていた筈のソレが史上初めて、恐怖を覚えた瞬間だった。
メルクリウスの頼みで私とスーフィアはカルネシア家別邸、その正面玄関前にまで出ていた。
メルクリウスの勢いに圧され、外に出たまではいいが、本当にそこまでする必要が果たして、あったのだろうか。そうは思うものの、場の雰囲気に流されてよく考えもしなかった自分が悪い。
もし、メルクリウスが奥の手を持っているのだとして。それがメルクリウスを異端であるとそう思わせしめるものだったとして。
それを理由に人払いしたのだとすれば、何故、メルクリウスの素性を知る私までも遠ざけたのか。ただ、それだけが腑に落ちない。
確かに屋敷の中にいた時はまだ、微かに部屋の中の様子を音から察する事ができていたのに対し、今こうして外に出ると室内の様子は防音対策が為されているのか、全くと言っていいほど聞こえない。聞こえないが為、その様子も伺い知ることはできない。
完全な情報遮断である事は分かる。しかし、メルクリウスは既に私に対して、彼に関する殆どの情報を渡している筈だ。誰もがその存在を知っているのに、誰もが彼を知らない。
私はそれに比例するだけの重大な秘密を彼から打ち明けられたはずだ。
それとも、それらすら彼を知るにはまだ薄っぺらな上辺だけの秘密なのだろうか。
胸がざわつく。私は彼を勘違いしているように思えてならない。
私がそんな風に不安に駆られて、屋内の様子を窺おうとした、その時。突然、玄関の扉が開き、顔を真っ青にさせた侍女がアリシアを抱えた状態で屋敷から出て来た。私達を見てもまだ、裸足のままに何処かへ去ろうとするので慌てて、それを引き止め、少々の時間。
カルエラ・アメラリラと名乗ったその侍女が言うには今、メルクリウスはアリシアの体内より現れた得体の知れない怪物と戦っているらしい。
スーフィアが魔物ではないのか、と訊ねるもアレは魔物なんかではありません、とそう言って身を震わせるばかりだった。
そのカルエラさんの報告に、耳を澄ますもやはり、何の音も聞こえない。不気味なまでの静寂が夕暮れのカルネシア家別邸を包み込んでいた。
私は魔法によってアリシアの傷の回復を促しながら、少しずつ落ち着いてきたカルエラさんへ事情聴取と言ってはなんだが、それに値するものを行っていた。
そして、彼女曰く、アリシアは一昨日にあった例の事件の翌日、つまりは昨日の朝から熱を出していたらしい。なんでも、『魔物自体は突然現れた全身返り血に塗れた男が(多分、メルクリウスだろう)魔物数体を滅多叩きにしたお陰でほとんど無力化された。しかしながら、それをした当人は何処かへと走り去ってしまったので、残った使用人が総出で魔法を用いて、止めを刺した』というのが大方の事件当時のカルネシア家別邸で起きたことのあらましだという。
そして、その事件の翌日にアリシアが熱を出し、しかもその症状が軽いものだった為に精神的疲労からくるものだと考えたカルエラさん達はアリシアに休養をとるよう提案し、アリシアはそれを承諾。その日の夕方には既に元気を取り戻していたらしい。次いで、今日。顔を真っ青にさせたアリシアが朝、帰ってくるなり、部屋に閉じ篭ってしまった。
アリシアの専属侍女とはいえ、一使用人が無断で主人の私室に入る訳にも行かず、次に会ったのがつい先程。
それが大体のカルエラさんが話した内容だ。
要約してしまえば、カルエラさんも全く現状を把握できていないという事らしい。
アリシアの治療も終わり、あとは自然回復を待つのみとなった頃。時間にしてみれば数分の事情聴取も終わり、そろそろ、メルクリウスの様子を見に行こうと提案した矢先の事だった。
「メルクリウス様は……」
私達よりも五つか六つ上であろう、侍女のカルエラさんが未だ、震えながらも口を開いた。
「メルクリウス様はどのような方なのですか……?」
どのような方…か。その質問に答えることは難しい。私は彼の正体を知ってはいるが、彼を語るにはあまりにも短い時間しか過ごしていない。だから…。
「メルクリウスくんは優しい方ですよ。恐らく私が知るよりも、とても。そうですよね、ルミアちゃん?」
私が何かを言うより早く、スーフィアが一歩前に出ると慄えるカルエラさんに向かって、彼女はメルクリウスを弁護した。そして、私を振り返って、花の咲くような笑顔をその顔にたたえながら、問いかけるのだ。
私はそのスーフィアの勢いについつい、頷いていた。頷き、肯定した後になって、簡単に彼をそう定義してしまってよかったのか、と。彼をそんな風にただの人間のように捉えてしまって……。
「ルミアちゃん」
スーフィアが私に囁きかける。
「私はルミアちゃんほどメルクリウスくんと一緒にいる訳でもメルクリウスくんの事を知っている訳でもありませんが……。
それでもルミアちゃんはメルクリウスくんを大切に思っているんでしょう?それはメルクリウスくんもきっと同じですよ。その優しさは本物のはずです」
そうか。誰かの目を通して見る私達はそう見えているのか。心配そうに私の顔を覗く、その紫紺の瞳に映った少女は酷く不安げな様子だった。
こんな私は、私じゃない。誰かを想ってこんな顔をする私なんて、らしくない。
それでも十五の少女がするには余りにも、らしいその顔を。
人は恋と呼ぶ。
メルクリウスに信用しているといった手前、急かすように室内に入る事は躊躇われ、どうしようかと相談していたが……メルクリウスに外へ追いやられ、カルエラさんが出て来てからもう半刻近くが経とうとしていた。流石に遅すぎる。そう判断し、メルクリウスがいる筈のアリシアの部屋へと入ろうと決まり、今まさにアリシアの部屋のドアノブに手をかけた瞬間。
平然とした様子のメルクリウスが扉を開けて出て来た。当然のように、ドアノブを掴んでいた私は内開きのドアに引っ張られるようにして、メルクリウスの方へと吸い寄せられ―――
「おっと」
―――そのままメルクリウスにぶつかる……なんてことは無く、少し前にもピエロ姿の魔術師が漏らした声と同じ声を上げながら素早く脇にどいたメルクリウス。その腕に支えられる。
助けてくれたのはありがたいがもっと、こう。抱き寄せてくれるぐらいしてくれたっていいのではないだろうか。
いや、別にそっちのほうが体幹のしっかりしているだろうメルクリウスなら、安全そうだからという理由なだけで他意はないが。
それとなんで、こうもタイミングよく開けるのだろうか。寧ろ、これを待っていたのかと言いたくなる。
何はともあれ、顔から地面に激突するなんて惨事にならなかったのはメルクリウスのおかげだ。一応のお礼だけは言っておく。
「あ、ありがとう……」
それに対し、メルクリウスは頷くに留め、カルエラさんと彼女が背負うアリシアを見る。
「アリシアの部屋に古式魔法の結界を張りました。俺の勝手な判断で、した事です。が、しばらくはアリシアをその結界の中より外に出さないでください。それを破れば、最悪、アリシアは魔術師生命を絶たれます。しかし、逆に言えばそれさえ守って頂ければ、これまで通りの生活に戻れます。具体的には一週間ほど。それだけあれば、食い荒されていた神経系が回復するでしょうから」
メルクリウスは一息にそれを言葉にし、カルエラさんに告げると姿勢を正し、頭を下げた。
「それと……今回、由緒正しきカルネシア家の、別邸とはいえ、このような形で突然、訪問してしまった事、お詫び申し上げます。結界はその対価として頂きたい。
それでは、これで失礼致します」
すくと立ち上がったメルクリウスはそれまでの誠実さが嘘のように、カルエラさんの返事も聞かぬまま、悠々と歩き出した。
カルエラさんがあのっ、と声を掛けるがメルクリウスは毛ほども気にせず、真っ直ぐに玄関へと向かっていった。
代わりにカルエラさんの言葉を受け取ることになったのは残った私達だ。
現状をすべて理解できている訳ではないものの、アリシアを助けたという一点はしっかりと伝わったようで、後日、本家からなんらかの形で招待があるだろうとの事だった。
専属ということもあり、一入思い入れがあるのだろう。「アリシアお嬢様、並びにアリシアお嬢様のお母上様たるメリア・カルネシア様に代わって厚く感謝致します」とはカルエラさんの言だ。
それを聞き終わり、私もスーフィアもカルエラさんに見送られながらカルネシア家別邸を後にした。
スーフィアとはもう遅いから、と道中で分かれ、私は一人、メルクリウスを追う。とは言うものの私とメルクリウスの寮室は同じだ。そこに行けばほぼ確実に会う事ができる。
何が故、あんな風にそそくさと帰ってしまったのかは謎だが、それも夕飯でも食べながら、訊けばいい。
そう思って寮室の玄関扉を開ける。鍵は掛かっていなかった。と言うことはメルクリウスはもう帰ってきているはずだ。
「メルクリウス……?」
呼びかける。返事はない。部屋に明かりは点いているが、点けた本人であろうメルクリウスの姿が見当たらない。
この寮室は玄関から短い廊下を挟んでリビングルームがあり、そこに隣接する形でダイニングキッチンがある。そして玄関より見て、リビングルーム右側奥に寝室があり、今の所そこにはベッドが一つ置いてあるだけだ。
トイレはリビングルームから寝室に行くより一つ手前にあり、お風呂はその反対側、ダイニングキッチン奥の扉から廊下を使って行ける。
そんな間取りをしたこの寮室だ。探せば、メルクリウスはすぐに見つかった。
よっぽど疲れたのか、普段は(と言っても実際に寮室で過ごしているのは三日ほどだが)私に譲っているベッドに倒れ込んでいた。
如何なる《最強》の称号を与えられた青年でも所詮は人なのだ。目を瞑り、ピクリとも動かないメルクリウスの寝顔を見て思う。
リビングルームまでは電気を点けていたようだが、寝室までは体力が保たなかったらしい。
全く。疲れてベッドに倒れ込むなんて子供みたいだ。私だってそんな事しないのに。少なくともお風呂には入る。
一人、頑張ってくれたのだろうことは分かる。それに対する引け目も若干ながら感じる。しかし、それとこれとは別だ。
「メルクリウス……起きて」
制服を着たまま、ベッドに寝転がっていては服に皺がつく。
魔法で取ることは出来るとはいえ、一々、そんな下らないことに魔法を使うなんて馬鹿らしい。無駄な労力を払うのは避けるべきだ。
そう思って、メルクリウスの身体を揺り動かす。
そうして、揺さぶる手の平から伝わるのは彼の温かな熱。そして、べチャリとした湿った感覚。
ベチャリ……?
不思議に思い、彼に触れていた手を見る。
暗い寝室に唯一差した光源、月明かりの下に手を差し出す。
「……!」
目を見開く。私の視線の先。そこに照らし出されたのは、ぬらぬらと輝く、真っ赤な血だった。
驚き、寝室の明かりを点ける。よくよく見てみれば、点々と落ちた血の痕がリビングから横になるメルクリウスにまで続いている。
「め、メルクリウス!メルクリウス!」
胸の奥がつっかえ、脈々と打つ鼓動の音がやけに五月蝿い。
冷や汗が背筋を伝い、顔から血の気が失せるのが自分でも分かった。
「メルクリウス!メルクリウス、しっかりして!」
さっきよりも強くメルクリウスの身体を揺さぶる。見れば、彼の制服には血が滲み、それはベッドにまで及んでいた。その血だらけの制服の下がどうなっているかなんて、想像したくもない。
しかし、彼が起きてくれないのならばそうするより他ない。傷口を見なければ、どういった類の負傷なのか判断つかない。
声を荒げたって何にもならない。努めて冷静にメルクリウスの制服、その袖を捲る。
グイッと袖を捲れば、包まれていた腕が見える。当然だ。当然であるからに私は絶句した。
「なに……これ……」
果たして、メルクリウスの腕は赤黒い脈が浮き上がり、凡そ、人の肌では決して見られないような状態にあった。
これは一体……?
そう思う間もなく、今も流れ続ける血の、その量に焦りを覚える。
どうすればいい?どうすれば、メルクリウスを助けられる?
幾ら考えたって、目の前の現状が理解出来ていない今、適切な治療法が浮かばない。
「死なないで……お願い……私はまだ、貴方に何も返せてない……」
全力で魔力を込め、回復魔法をかけるもその効果は見られず、悲痛な声を漏らすことしか出来ない自分が情けない。メルクリウスの身体に縋り付き、涙を零す。
何故、こうなった?何が原因だ?
考えられる事は二つ。
メルクリウスが戦闘を行ったという魔界毒。若しくは私が帰るまでの間に何かがあったか。
後者はあまりにも時間が短すぎる事とこの学院街に仮にも魔術師の頂きに座すメルクリウスをそんな短時間でこんな風にすることが可能な者がいるかどうか。であらば、可能性が高いのは前者の方だ。
魔界毒というものについて、メルクリウスからは『魔界にしかないこと』、『魔界毒に侵食されると攻撃的になり、やがて死ぬこと』ぐらいのものでカルエラさんが見たという気味の悪い存在についてもメルクリウスはなんの言及もしていなかった。
「どうして……なの」
どうして彼は何も話してはくれないのだろうか。いつも、そうだなんてことは言えない。私達の関係性はそんなにも深くはない。私が一方的に彼に助けられて、それに感謝しているだけの事だ。
だけれども。だからこそ、私は彼に生きていて欲しい。
いつか、彼が記憶を取り戻してちゃんと、あの日の感謝を伝える。その日を夢見ている。例え、その日が来なくたって、私はそれでも良い。彼が人として生きられるのなら。
自分でも分からないのだ。こんなにも彼に惹かれる理由が。助けられた。それだけの事で彼に惹かれている自分がいる事に戸惑いを隠せない。
様々な想いが次から次に全身を駆け巡る。場違いな感情が悲哀と共に溢れだす。
「メルクリウス、お願い……目をさまして……」
願いにも似たその感情を捧げた。
私は、きっと。
彼に……。
第二章は十五話まで、あと十話に御座います。第三章より毎日投稿ではなく、書き溜めがなくなるので、不定期更新となります。ご了承下さいませ。
尚、第三章一話の開幕は11月4日午後6時で不定期ながら午後6時の投稿は変わりません。




