第四話『血に笑う』
拭いきれないほどの濃密な魔力が身体に纏わり付く。ガチガチと歯を噛み鳴らし、身体を萎縮させる。
いつ何時も淑女らしく。十五大貴族の一家系足らんとするならば、舐められるわけにはいかない。何より上下の関係を重んじろ。
決して上に逆らわず、下を正しく導き、無能あればそのすべてを切り捨てよ。
呪いのような言葉が脳裏に過り、ブルブルと全身を震えが襲った。
あの日見た、この世の憎悪を煮詰めたかのような目が忘れられない。しかし、それ以上にあの無感情な瞳が恐ろしい。
あんな者をあの方の近くになど置いておけない。あんな得体の知れない気味の悪い存在があの方の側に居続けることなんて、私には看過しがたい。
間違いなく、あの方はこれから十五大貴族を引っ張っていく。あの方を主と崇め、私はこの命に代えてでもあの方を守らねばならない。
私如きが存在、幾らでもいるんだ。だから、私は……私は……。
例の事件当時、ここカルネシア家の別邸を襲った魔物の数は計五体。
突然に現れた赤い男は、蜘蛛に似たその魔物たちを化物じみた身体能力で一閃。得物は刀であるようなのに、それを鈍器が如く扱って、魔物の頭を順々に潰した。しかし、魔物はそれだけでその動きを止めるような存在ではなく、それをカルネシア家に仕える使用人達が魔法によって、焼き払った。
月夜に現れた悪魔の姿。返り血に塗れた全身と感情を宿さない赤と青の目は正しくそう呼ぶに相応しく。その男は圧倒的な暴力を見せつけ、私達の心に恐怖だけを残して、目の前から去っていった。直接に顔を合わせた訳ではなかったから向こうは私が見ていたことなんて気付かなかっただろう。
して、排除しなければならないと思った。恐怖の根源はきっとあの暴力になく、その徹底した感情の無さだった。
危険な人物であるとそう考えるのは当然で、それが同じ特高学科にいて、しかもスーフィア様の周りを彷徨いているとなれば、それを野放しにしておく事なんて出来るわけがなかったのだ。
勝算、と言える程のものはなかったが仮にも十五大貴族の一家系たるカルネシア家の長女である自身が、警告しさえすればなんとかなる。そんな根拠のない自信と、どうにかして敵を排除しなければならないという強い感情の下に今朝、実行に移したはいいものの、結果は惨敗。
最初は威嚇のつもりだった。威嚇のつもりで中空に炎槍を停滞させていたのだ。
ただ、それは失敗だった。
去ろうとするメルクリウス・レイフォントの背中に向けて圧力を放った瞬間、強烈な敵意を向けられ、魔法を反射的に放ってしまったのだ。
運の悪い事に、ルミア・ラルカといえったか。銀髪に赤い瞳をしたクラスメイトが突然にメルクリウス・レイフォントの背中の前に立ち塞がり、身体を擲って庇ったのだ。
これには流石の私も慌てて、魔法を消したがほんの数瞬、間に合わなかった。
それで正論をもってして説教された訳だが、そこでようやく気付いたのだ。
―――なんだってこんなにも熱くなっているんだろうか、と。
「なんで、私は……」
コンコンッ。ノックの音が響く。
考え込んでいた私は思わず、ビクリと肩が上がり、一拍遅れて返事を返した。
「何?」
「アリシアお嬢様、お客様がいらっしゃいました。面会をご希望なされているようですがどうなさいますか?」
面会希望のゲスト?今日はそんな予定はなかったはずだし、誰かが訪れる理由も此処にはないはずだ。あるとして学院の職員だが……。あれで結構忙しくしている人間ばかりの場所であり、たとえ動ける人間がいても事実確認やらなんやらをしっかり整えた上でしか、直接訪問なんていう強引な方法は取れない。今日の内に訪問してくることなどあり得ないだろう。
それにしてもさっきから頭がぼうっとして上手く思考が回らない。
一体誰なのか。予定も告げずにいきなり訪問するなどという無礼者は。
そんなもの勝手にあしらってしまえばいいものを、わざわざ判断を仰ごうとするこの扉前にいるだろう使用人にも腹が立つ。
嗚呼、本当に腹立たしい。苛立ちが収まらない。
なんだってこんなにも。
嗚呼、違う。これは苛立ちなんかじゃない。
「――殺してやりたいんだ」
「それは駄目だろう」
いつの間にか、開け放たれた部屋の扉。それは恐ろしい考えが胸に去来した私が、言葉を洩らしたその瞬間にはもう既にそこにいた。
つい二日前に見た無表情はなりを潜め、今朝と変わらぬ格好で腕を組んで壁にもたれかかっていた。
それこと、メルクリウス・レイフォント。その右隣には肩のあたりで切り揃えられた銀髪に爛々とした赤い目を持った少女――ルミア・ラルカがいて、さらにルミアの右隣には……。
「す、スーフィア様…?!」
青い長髪にすべてを見透かすかのような不思議な紫紺の瞳。人形のような顔立ちの私が、主と崇めることになるであろう人。
十五大貴族が筆頭アルシェ家の長女、スーフィア・アルシェ様がそこにはいらっしゃった。
しかし、この構図は不味い。大方、今朝のことをメルクリウスとルミアの両方から聞いているに違いない、スーフィア様は私を完全に悪者だと思い込んでいる。それは不味い。非常に不味い。
「ち、違うのでふっ!――ッ……こ、これはその……!」
噛んだ。弁明しようと口を開いた第一声を盛大に噛んでしまった。
嗚呼!
そんな顔で私を見るな……!
そして、スーフィア様から離れろ……!さもなくば……!
スーフィア様もルミアも顔を見合わせ、躊躇いがちに笑みを零すがただ一人、真顔のまま表情を変えずにいたメルクリウスは私に向かってこんな事を言ってきた。
「アリシア・カルネシア。お前は心性魔質中毒と呼ばれる中毒症状を起こしている。魔界毒に心身を汚染されて普段の冷静さを失っているのが何よりの証拠だ。面会してくれるだけの理性があるのなら別だが先の言葉を聞く限り、どうやらなさそうだったから無理矢理、開けさせてもらった。責任はスーフィアがとってくれるらしいからな」
スーフィア様が責任を……?しかも、この男は何を言っているんだ。噛んだ舌の痛みがだんだんと引いていくのが分かる。否、違う。消えていっている。それに反して頭が割れるような痛みに襲われる。酷い耳鳴りがしてきて、周囲の音が聞き取りづらくなる。それでも辛うじて私は言葉を発した。
「何を言っているの。私はまとも。貴方の方がおかしいんじゃありませんの?!一昨日の夜に見せたあの表情を見て、どうして正常だと言えるんですか?!それにスーフィア様だってなんだってそんな者に……!」
「アリシアさんがもし、本当にメルクリウスくんが仰っていたような事になっていらしているのでしたら放っておくことなど出来ません。現状を見る限り、メルクリウスくんの推論はあたっていたようですしね。今からアリシアさんを拘束させていただきます」
―――アァァァァアアア……。
頭が痛い。痛い痛い痛い痛い。違う、全身が……手も足も背中もお腹も、内臓も筋肉の一筋一筋、血管全てが痛くて痒くて熱くて寒くて苦しい。
―――ナニガオキテルノ?
世界が赤く染まる。
メルクリウスの推測は的中する。考え得る限り、最悪に最も近い形で。
最悪なのは私達が今日何も行動を起こさない事だったがその次に最悪なのは発作が既に起きていることだった。だから、私達が到着した時点でそれが起きていてもおかしくはなく、使用人の人達に無理を言って(主にスーフィアの権力を使って)部屋の前まで付いてきたわけだが、丁度私達が辿り着いた頃が魔界毒による発作のピークであったようだ。
間に合ったのかどうかは怪しいところであるものの、とりあえず抑えられそうな場所にいてくれて良かった。窓でも突き破って外に出られでもしたら面倒だ。
「アァアアアア!!!」
悲鳴のような声を上げるアリシア。
メルクリウスの言葉を鵜呑みにするなら、アリシアの今の状態は魔力の暴走状態にあるらしい。
魔力を多く保有する魔術師が度々、起こすことで知られる魔力暴走はあらゆる条件が偶発的に出揃うことで起きる。中でも感情はその大きな要因の一つであるという。メルクリウスが感情を消したのもそれが一つの理由だろう。感情の制御が魔法を上手く扱えることに繋がるのと同じ理由である。
しかし、急に保有魔力量が上昇するなんてことは非常に稀なことで、しかも聖域内となると前例を見ない現象だ。
その答えが魔界毒にある。心性魔質中毒と呼ばれる、患者の魔力量を上昇させ、攻撃的な意識にさせる中毒症状を引き起こす、この物質は魔界にしかないと言う。それが魔物の発生によって魔界毒も共に生成され、それを摂取したアリシアが中毒症状を発症。今回のちょっとした諍いに繋がった、と。けれども、それだけではアリシアだけがそのようなことになった理由が分からないし、特定出来ない。
しかし、その根拠にメルクリウスが挙げたのは学生街の構造と魔界毒の性質についてだった。
学生街は学院をほぼ中心に栄えているが、実際に中心にあるのはカルネシア家の別荘であり、どうやら吹き溜まりのようにして、古式魔法結界に分類される魔法で魔力が、カルネシア家の別荘に集まっているらしいこと。
魔界毒には魔力を餌のように消費する細菌のような性質があること。
何故なのかはメルクリウスの推測であるものの、魔力が集まっていることは確認できたし、魔界毒についてもメルクリウスが知っていた。
メルクリウスによれば、心性魔質中毒は、魔界毒が魔力を喰らうために体内の魔力を無理矢理絞り出しているというイメージに近いらしく、攻撃的になるのはそれに伴う不調から本能的に自身を守ろうとしてのことらしい。
それらを鑑みると今、目の前で絶叫するアリシアは、とても気の毒な状態にあるのだ。
早いところ、気でも失わせたほうが彼女の為だろう。と言っても私の魔法は実践的な魔法が多く、メルクリウスには簡単にあしらわれたものの、対魔術師に特化しているから、恐慌状態にあるアリシアに向けて放つには些か、過剰すぎる。それ以外の魔法はといえば拘束するだけの強固さは持っていない基礎的な魔法ばかりであるから、やっぱりこの場には適していない。
私が学院で学ぶことは多いらしい。
メルクリウスもまた、例の誓約とやらで魔法の使用を禁じられている。だから残ったスーフィアにやってもらうしかないのだが、それとなくメルクリウスが魔法を使えない理由を誤魔化すには労力がかかった。
頑なにやりたくはないとそう言っていたスーフィアに理由を訊ねれば、友達に魔法を向けるのが単純に嫌であることを語った彼女だったが私達のお願いと時間が逼迫していた事でついに折れたのだが……果たして。
「《束印》」
静かに一言。彼女の青髪がふわりと浮かび、それにほんの少し目を奪われていた合間にアリシアはベッドに縛り付けられていた。
勝負にすらならない。まさにその一言だった。
メルクリウスの話では凶暴性を増し、魔力枯渇を起こすまで暴れ続けるという話だったからスーフィアにしばらくの間、押さえつけてもらい、その間にメルクリウスが治療するという話だったのだが……。
柔らかそうな青い魔力で出来た布は立ち上がろうと藻掻くアリシアをベッドの上に抑えつけ、決してアリシアをそこから逃しはしない。
しかし、依然としてアリシアが暴走状態にある事は変わりない。
ここから先の話はメルクリウスにも聞いていない。
どうするのか、とメルクリウスに問いかけようとして振り返った先。
そこにはいつか見たあの無表情をたたえたメルクリウスがいて、あの日から返してもらっていなかった黒刀を彼は手にしていた。
私は驚きに目を見開く。それをどう受け取ったのだろうか。
メルクリウスは抜き身の黒刀を携えながら、スーフィアに訊ねた。
「スーフィアの《束印》はこの屋敷の外に出てもある程度は持続させられるか?」
「それはそ、そうですがメルクリウスくんはそれで何を為されるおつもりなんですか?」
「そうか…ならルミアと一緒に邸宅を出ていてくれないか」
スーフィアの問い掛けを無視して、私達に指示したのとは反対にメルクリウスはアリシアの部屋にズンズンと入っていく。そこまですれば、今の今まで必死に口を挟まないようにしていた使用人も黙っていられなくなったのだろう。
「お言葉ですが、お客様。スーフィア様の同伴であらせられる貴方様であるから下りた許可でございます。アリシアお嬢様と二人だけになど出来ません。しかも、武器を持たれた方となど……」
竦みながらも、はきはきとした口調で言う使用人の女性。別邸とはいえ、流石、十五大貴族の長女に仕える使用人といったところだろうか。
そんな侍女に対するメルクリウスの言葉は冷たい。
「なら黙って、見ていて下さい。アリシアが大事なら今すぐに処置を施すべきだ。
ルミア、スーフィアを連れて暫く外にいてくれないか?処置の邪魔になる」
「何をするつもりなの……?」
「処置だ。俺はこれを決して治療とは呼ばない。だから、俺を信じたくないなら残ればいい」
そんな事を言われてしまえば、私がここに残る事なんてできない。メルクリウスを、命の恩人を信用しないこと以上の不義理があるだろうか。
しかし、処置とは…。
「キャァァァァアアアア!!!!」
「早くしろ!外に出るか、残るか。俺はどっちでもいい。それよりも早く、処置に移りたい」
拘束されたままのアリシアが叫び声を上げる。それを見たメルクリウスはいつになく強い語調で私に言った。普段から声を荒げることのないメルクリウスが今や焦りに満ちた表情をしている。最早、それは感情がない魔術師のそれではないように思えて、しかし、一瞬にしていつもの無表情に変わったその顔を見て。
私は。
「わ、私は!私は……メルクリウスを信じる……だから……」
その続きは言わない。私はメルクリウスの怒気によって呆気にとられたままのスーフィアの手を取り、同じように呆然としていた侍女を残して屋敷を出た。
後ろで扉の閉まる音がして、暫く。耳を劈く断末魔の叫びが聞こえた。
ルミアとスーフィアを遠ざけたのには勿論、ちゃんとした理由がある。これからする事を考えれば、少々、刺激が強すぎるのではないかと考えた次第だった。そして、同じ理由から出来れば侍女にも出ていってほしかったものだが、人の心というのは難しいもので、大切に思うが故、その人の全てを見ていたいとそう願う気持ちも確かにあるらしい。
分からないものでもなかった。そのような感情を抱いたことが無かったわけでもなかったからこそ、許可した。
それは優しさなんかじゃない。きっと残酷な事だ。
俺は、メルクリウスは扉を施錠し、ベッドに縛り付けられ、藻掻き苦しむアリシアに近付く。
それに対して侍女は何か文句を言いたげであったが、先の俺の発言の手前、中々、言葉にし難いのか素振りだけに留めた。
賢明な判断だ。今、ここで止められようものなら実力行使も考えざるを得ない。
ルミアに借りた黒刀。あの時より返していなかったそれは、魔物の血を初めて吸ったときより、赤黒い光を鈍く発していた。本来、俺が武器を持つことは認可されていない。
これがバレれば何かしらのペナルティが発生するだろう事は予想がつく。しかし、魔法の使用に対するそれとは異なり、比較的緩い誓約であることから、まだ安牌と言ったところか。
また、汚してしまう。そうは思うものの時間のないこの状況では致し方ない。
「少し痛むが許してくれ」
して、黒刀を暴れるアリシアの腕に添え、薄く切り裂く。
それだけの事でアリシアは今までのどの甲高い声よりも高い声をあげ、気を失った。
鮮血が舞った。黒く濁ったその血は魔界毒に侵された事の証左に他ならなかった。
「あ、あれは一体……?」
「それが魔界毒だ」
侍女の指差す先。そこにあるのは黒い血だまりだ。
ソレはうねうねと形を変え、人間の大人、半分程度の大きさまで膨れ上がる。
膨れ上がったソレに三つの穴がボコリと空いて、グチャグチャと咀嚼音に似た音を立てながらその穴三つにギザギザとした歯が螺旋状に生まれた。
口唇のない、穴ばかりのそこに螺旋状の牙が生えた怪物。液体状の身体をくねくねと揺らし、最後に一際大きく開いた穴ができる。そこにもまた、ノコギリのような牙が生えていて、やはり唇はない。その口が弧を描く。
ニマっと笑みを浮かべたその姿に大抵の人間は心を酷く掻き乱されるが、しかし。生憎と俺には掻き乱される心がなかった。
「死ねよ、化物」
それは自身の口から漏れた言葉であったが一体どちらに向けた言葉だったのか。それも分からぬまま、俺はソレを斬った。




