第十二話『観衆の責務』
私は目の前の光景に驚きを禁じ得なかった。
日常の中では大凡、聞く事のない巨大な金属音にも似た硬質な音に続き、聞こえたのはズシリと巨体が地を震わす音だった。
魔物。それは人類の大敵。
その大敵を前にして思い通りに身体を動かせるものが一体、ここには何人いただろうか。
居たとして、メルクリウスよりも迅速に対応できた者が果たして、居たのだろうか。
その問いに最早、意味はないがそれでも思わざるを得なかった。
それだけ、私はその光景に対する憧憬にも似た感情を抑えるのに必死だったのだ。
笑いたくば笑えばいい。愚かだと罵られようと力に魅せられる事の何が悪い。ましてや、それが人を守る為のものであるのならば、そこに輝きを見る事は魔術師であろうとなかろうと当然の事であるとすら言える。
飛竜が大扉を破壊し、それをメルクリウスが倒すまでに掛けた時間は僅か五分弱。
あり得ない速さだった。そもそも戦闘行為自体はほんの一瞬の間の出来事であり、実際にメルクリウスが魔物へと攻撃を仕掛けたのは脚を斬り落とした時と、地面へと叩き付けた時の二度のみ。
唖然とするのは何も私だけではない。
避難所にいるのは大半が学生だ。
私なんかよりもよっぽど魔術師として未熟な彼らには先の戦いの凄まじさが具体的には分からないかもしれない。
しかしながら、分からないなら分からないなりに今できる事をしようとする者がいた。
「み、皆さん!魔物はまだ生きています!あ、あ貴方もはやく、此方へ!」
震えた声で、しかし、精一杯の虚勢を張るその姿は見ようによっては勇ましさすらあった。
声の主は黒髪に眼鏡をかけた、あの小動物的な女性教師だ。
全身を返り血で汚しながら、こちらへと歩み寄るメルクリウスはいつの間に付けたのやら、面妖な仮面を被っていた。
但し、その仮面はいつか見た授与式の時のような狐の仮面ではない。もっと悪魔的で恐怖心を与える類のものだ。
恐らくはメルクリウスと《最強》との繋がりを隠す為のものだろうことは察せられたが、しかし、どうしてそのチョイスなのか。
返り血を浴びていることも相まってこれではまるで魔物とどちらが恐怖心を煽っているのか分からない。
当然、私は魔物の方が恐ろしいという形容すら生温い悍ましい生物である事を知っているが、しかし。
避難所の中からメルクリウスの戦闘を見ていた人々にとってはそうでもないようだ。
それはメルクリウスが一歩、こちらはと歩み寄ってくる毎にゴクリと生唾を飲み込む音が聞こえてきそうな程に緊張した面持ちの男性がいる事や、怯え引き攣った学生の姿がある事により証明されている。
確かに恐ろしい。力あるものを畏怖することは人の本能であるのかもしれない。
だとしても、
「ば、化物……」
ボソリと呟かれたその言葉は一体誰の者だったのか。しかし、問題はそこではなく、その言葉を受け、当人が歩を止めたことにあった。
恐ろしい形相の仮面はその下にある彼の表情を見せることはない。ないが、人の想像力は難なく、それを補う。
顔を歪ませた彼の心を慮れる程度には私達は人間だ。人間であるからこそ、どこまでいったって私達は彼を理解する事は出来ないのかもしれない。
こちらへと歩み寄ることを止めたメルクリウスは温かみをどこにも感じさせない淡々とした冷たい声を女性の呼びかけに対する返答とした。
「仰る通り、まだ魔物は死んでいません。私はこれから、学生街全域で避難の援助を行います。魔物に対する有効打は魔法です。ここまで言えば分かりますね?」
メルクリウスは女性が頷くか否かの中間程度の仕草をした所でもう既に背を向け、通りの向こうへと走り去っていった。
私はそのメルクリウスの行動をどう受け取ればいいのか分からない。なまじ、彼の言葉に矛盾を感じているが為。
彼は『心と身体が切り離されているという状態に近い』と言ったがそれでは、感情の喪失とは結びつかないのではないか。心を切り離したという事は心はまだ、そこにあるのではないか。
けれども、彼はこうも言ったのだ。『感情の表出はあり得ない』と。
それはつまり、行動を感情に左右されることがないということだ。
感情というものが表面化して初めてそれと認知されるのか、それとも深層心理の視点から見れば、彼の感情はあるという状態になるのか。
恐らくは彼自身ですら把握しきれていない事柄なのだ。
どの程度の具合で彼の感情というものが定義付けられているのかは。
言ってしまえば、私はメルクリウスを人として接するか、それとも心無い機械として扱うか、決めかねているのだと言えた。
どんなに乱暴に扱ったって、結局の所は自分自身は痛くも痒くもない他人だ。だけど、そんな理屈がまかり通っていては世界は簡単に滅んでしまう。今まで、そうならなかったのは単に人と人とが心を持って和を築いてきたからだ。
気付けば、私は空いた裏口から外へと飛び出していた。制止の声も聞かず、今の自身が魔力を十全に扱えないことも関係なしにメルクリウスの背を追っていた。
途中、気絶する飛竜の横を通り過ぎる時に思い出したのは七年前のこと。
そうだ、私はまだあの人にお礼を言っていないのだ。
言わなくてはならない。たとえ、彼が彼であったという、この記憶を消されるのだとしても。それでも私は。
愚かであってもいい。けど、私は私を助けてくれた人に感謝を伝えなければならない。それが仮に機械のような人であっても。そこに感謝こそすれ、冷淡であっていい理由などない。
魔力欠乏の後遺症で息が乱れるのがいつもよりも格段と早い。
口の奥でザラついた血の味がする。
構いはしない。こんなものは訓練の時に何度も味わった。
私が駆ける街はいつもの歓声で溢れる其処とはまるで違った。時々、男か女かも判断つかない絶叫が木霊し、化物の咆哮が聞こえ、辺りからは死臭が香る。建物の崩落音と地響き。おまけに骨肉が潰れる音まで幻聴として聞こえてくる。
それでも私はメルクリウスを追った。すでに彼の背は見えなくなっていたけれど、彼の目的地は分かるような気がした。
避難の最も難しい所と言えば、何処か。避難の条件が困難なのは、何処か。
まず、人の密集する場所が挙げられるだろう。
ならば、学院か?否、学院には教師陣をはじめとする優秀な魔術師が集まっている。同じ理由で学生寮も勿論、除外だ。わざわざ避難援助なんてする必要はないだろう。では、次点で住宅街が挙げられるが、それでは目標が多すぎるし、黒刀しか持たない今のメルクリウス一人の力ではとても守りきれる人の数じゃない。
だとすれば、かつて私がそうであったように孤児院の子どもたちを助けに行くのか?否、そんな訳がない。
今でも時々、不思議に思うことがある。何故、あのときメルクリウスは私一人しか残されていない孤児院の魔物を掃討し、私を助けたのか。単純に目についたから助けたのだろうか。
それぐらいには私は助ける価値のない場所にいる、助ける価値のない人間であったはずだ。
メルクリウスが論理的思考を優先するのであれば、身元の保証されない孤児を助けることが如何に残酷であるかを理解しているだろう。
であらば、逃げたくとも逃げれない人々を助けることだろう。
生憎と学生街たる此処に老人介護の施設といったものはない。しかも、メルクリウスが走っていった方向にあるのは……。
それらの事実を鑑みれば、自ずと答えは出る。
つまるところ、病院だ。
取り留めもない根拠への確証が欲しくて、考え事をしながら走っていたのが悪かったのだろう。「あっ」と声が漏れた時にはもう遅かった。身体が思うように動かない。足がもつれ、眼前に地面が迫っていた。
「おっと」
軽い調子を含んだその声音が耳元で囁かれたのは鼻先一寸前には大地があるような時だった。
そして案の定、私は無様に顔から地面へと突っ込んだ。
痛い、という言葉が真っ先に口から出そうになって、あるはずのそれが無いことに気が付く。
「痛く……ない?」
思わず、呟いた私に言葉を返す者がいた。
「そうだろうとも。僕の魔法はとても優しいんだ!」
この状況に対して、不自然極まりない程に楽しげな声色。その声がする方へと顔を向けようと私は地面へと手をつく。
そして、その手が伝えるのは硬い地面のそれとは全く持って違う感触。地面を触っているはずなのにまるで羽毛のような柔らかさが手のひらを介して伝わってくる異様さは実際に触れたものにしか分からないことだろう。
して、その感触の気味の悪さに顔を顰めながら、前へと向けた視線の先にいたのは道化師姿の巫山戯た男だった。男だと思ったのあくまで、声質が男性的であったという一点ではあるが。
「誰……?」
「道化師だよ!エンターティナーさ!」
兎にも角にもおちゃらけて言う男は下手くそな口笛を吹きながら、即興で作り出したかのような、これまた下手な踊りをしてみせた。
正直に言おう。不気味であると。道化師の男は真っ白な化粧を顔にし、赤鼻をつけて、目下には涙を描いている。古典的魔法使いが好んで使ったとされるローブに身を包んではいるが一般的な道化師のイメージとは大してかけ離れてはおらず、素顔はその化粧によって分からない。
笑顔を浮かべる彼か彼女かは一見して温和で優しそうな印象を与える。
しかし、だ。このような状況下でこんなにも陽気に振る舞える人間が優しい気性を持っているとは思えない。
無理をしているのならば別だ。大した胆力だと思う。けれども道化師にはそんな感情は見えない。私の目には道化師の笑顔が本物であるように映った。
答にならない答えを返した道化師はそれで私の質問が終わったと思ったのだろう。今度は逆に私へと質問してきた。
「君は見た所……学生みたいだね?それに何か捜し物……いや、人探しかな?手伝ってあげようか?」
心を見透かしたかのような道化師の言葉に私はひどく動揺する。
内心の不安を隠し、私は道化師に言葉を返した。
「いえ、もう目処は立っています。それにこんな緊急事態に他人の手を煩わせてしまうのは……」
「あっ、危ないよ」
その声が私の耳に届くか否かの瞬間、頬に鋭い痛みが走る。
何事かと後ろを確認してみれば屋根に乗っかった大蜘蛛がそこにはいた。
大蜘蛛、正式名称をアラグと呼ばれるこの魔物は比較的聖域に近い位置に多く存在する低級の魔物の一種で戦ったことはないものの、遭遇戦に備え、治安維持を職務としているイーラの兵士でも知っているものは多い。この大蜘蛛は外見こそ、巨大化した蜘蛛のそれだがその実、全くと言っていいほど蜘蛛との間に生物学的な関係を持たない。
その証左こそ、現在私目掛けて飛ばそうとしている針だ。
針という形容が正しいのかはどうかはこの際、別としてもこの針状の牙はアラグの体内に大量のストックがされており、口内で螺旋状になって攻撃意思の下に射出される。
危険だとそう思う間もなく、高まる魔力を背に感じる。
私が振り返ってみれば既に魔法を放ったあとの道化師がいた。
手のひらをまるで砲口か何かのようにアラグへと向けた道化師の視線の先を追えば、かつてアラグだった肉塊に穿たれた穴。その先に見える空があった。
冷や汗が背を伝った。
もし、この道化師がいなければ?
もし、道化師が私を狙って魔法を放っていたならば?
そのどちらにも対しても私は自分の力不足に歯噛みするしかない。
「僕の助けが必要だろう?」
道化師の問いかけに私は頷くより他なかった。
病院へと辿り着く頃には、辺りはすっかり夜の帳が下り、夜空には満点の星空が広がっていた。
そうして、いざ病院内外を探そうとした時、ふと思う。
私は何をすればいいのか。メルクリウスを探し出したところで今の戦えない私に出来る事なんてあるのだろうか。あの時、メルクリウスを追いかけなければ、とそう思うがままに走ってきた。
何故、こんなときに限って感情任せに動いてしまったのだろう。
確信めいた何かに身体が突き動かされたといえば運命的なものを感じはするが、実際の所、無計画に小娘が一人、馬鹿みたいに知り合いを追いかけてきただけの事だった。
「それで、どうするんだい?」
病院の入り口で立ち尽くしたままの私に道化師がまたしても内心を見透かしたかのように問いかけた。
この道化師は道中、一つとして生理的な反応を見せずして、ここまで来た。所謂、発汗であったり、息切れであったりのことだ。
それが訓練の賜物であるとは思えなかった。それよりかは魔術師特有の体質であるように感じる。
私なんかは魔術師としての腕よりもイーラでの活躍から現在の魔術師ランクに至った節で実際の魔術師としての腕前はもう少し下になる。
だから、詳しいことは理解し難いがどうやら魔術師はある一定の段階に達すると人外の力を発現させるらしい。
ただでさえ、魔術師とそうでない人の間には身体能力と魔法の面で差が出るが更に(あくまである程度の指標ではあるが)魔術師ランク上位の魔術師は化物じみた身体能力を持つ。
そして、その事実がある事をみるに道化師姿のこの魔術師もまた、魔術師としての深み、業に囚われた者なのだろう。
「私は病院の中を探してきます。貴方はええっと……」
「僕はルシェット・ジェスター!《悲しみ喰らい》のルシェットさ!」
大仰に手を広げたルシェットさんは高らかに名乗ってみせた。
ルシェットさんが自身の名前の前へと付けたのは通り名だろう。百位以内へと魔術師ランクを上げた魔術師は例え、順位変動が起きても魔術師追放をされない限りは剥奪されない称号を魔術師ギルドから授かるが、いつの世も人は力を誇示したがるものだ。ある一定の影響力ある魔術師にはファンが出来たりすることもあるし、逆に影響力を増すという目的であったりもするが、いずれにせよ、称号にかわって、通り名というものが付けられた魔術師達がいる。非公認とはいえ、それがまかり通るのは実力があるからだ。
称号付きの魔術師は偽装や何やらを防ぐという目的もあって顔や声等が大々的に公表されているから、ルシェットさんが称号付き魔術師、『九十九』の魔術師達であることは無い。だからこそ、メルクリウスの称号授与は顔すら見せない異例のものだったのだが、それはともかくとして。
通り名を持つということはそれ、即ち、魔術師としての腕前は相当な物だ。たとえ魔術師ランクが『九十九』に見劣りするものでも通り名付きの魔術師は戦闘能力に関して言えば信頼の置ける魔術師であることを示している。
であらば。
「通り名付き……ではルシェットさんはメルクリウス……変な仮面をつけた人をこの辺りで探してもらえませんか」
「お安い御用さ」
なぜ、こんなにも協力的なのかは分からない。分からないなら、分からないなりに利用させてもらおう。
もとより、ルシェットさんの力はここにくるまでに積み上げてきた魔物の死体が物語っている。
いくつかの戦闘はどれも遠くにいた魔物を早い段階で捕捉し、ルシェットさんが例の不可視の魔弾を掌から射出することで処理してきた為に二人して衣服の汚れも余りなかった。
飛んでいる飛竜を一撃で射殺した時にはやはり、相当な手練であることを察し、同時に真意の見えないルシェットさんに危機感を抱きはしたが。
そんな緊張に塗れた時間もそろそろ終わりだ。次にあった時は私とルシェットさん以外にももう一人か二人ぐらいはいる時だろう。
ルシェットさんは出会ったときと同様に軽い調子で私の頼みを聞き入れると私に背を向け、大して急ぐ様子もなく、何処かへと歩いていく。
その後ろ姿を見ていると疑う自分が悪者のように思えてくるが、初対面の笑みが印象的過ぎてどうにも、根っからの善人であるようには思えないのだ。
私はそんな良心の呵責に苛まれながらも、何度可の襲撃があったのだろう、数時間前とはその形容を変えた病院の中へと入っていく。
大して面白味もない戦闘劇を繰り広げ、私達の命を守ってくれた英雄に感謝を伝える為。私は強く頬を張る。
何かをしようだなんて思い上がるからいけないんだ。ただ感謝を伝える。それだけでも私は彼を人間として認めていると伝えられるだろうから。
劇としては何も面白くない。物語としては三流ももいいところだ。けれど、現実として恐怖に動けない私達を守ったのは紛れもない彼だ。
彼は化物なんかじゃない。それを私は知っている。
18時に……。




