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魔術師の涙  作者: 冬雅
第一章 何者
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第十一話『異形の者共』


 声ならぬ叫び声が響く。続いて、扉が吹き飛ぶ音が。その巻き添えを食らった人達の絶叫が。自身の口から漏れ出た言葉は魔法の文言なんかじゃなく。



「あぁ……」



 情けないと言わないで欲しい。戦え、だなんて言わないでほしい。

 

 未だ、私の心に深く傷を残す怪物の姿と今まさに、裏口からのそりとその巨体を押し込み、入ろうとしている醜悪な怪物とが重なる。



「嗚呼……」



 死ぬのか。私は今ここで。


 この世界では大して少なくもない、ありきたりな覚悟を決めて、私は強く目を瞑った。当然、瞳を閉じれば視界は瞼の裏を映す。そこにあるのはただただ真っ暗な世界だった。


 風の音が聞こえる。少し前まで草木の一つとして揺れることもなかったというのに、今は不自然なほどにその音がやけに大きく聞こえた


 微かに香る鉄臭い匂いはきっと。

 冷たい石畳が振動し、私の身体を揺さぶる。


 私はあの日から魔物をただの一度も見ずして、生きてきた。


 聖域内の治安を守り、いつか来たるべき日の為に魔法の技術を磨き、そうして、そうして……。


 ―――そうして私は生き抜こうとした。


 そうだ。結局、そういうもんなんだ。自らの意思さえ、この世界では捻じ曲げられる。たった一つ守りたいものさえ、取り上げられる。


 強くなくては何もかも失う。

 戦えなくては何も得られない。


 馬鹿みたいだ。こんな時に使えないだなんて、何の為にある力なんだ。


 何の為に私は今まで……!



「ルミア、君の軍刀を貸してくれないか?」



 ゆっくりと開けた視界の中で仄かに差していた影を一筋の斜陽が過ぎる。状況に似つかわしくない平然とした声で話すメルクリウスに私は愕然とする。


 どうして、と湧き上がった疑問にメルクリウスに「心が無い事」を思い出す。


 非常に不可思議な事で何度もその違和感を味わっている筈なのに、ふとすれば忘れてしまいそうになる。


 隣に立つ彼が人としての自らを捨てた魔性である事を。


 しかし、私に呆然とする余裕はなく、メルクリウスは魔物を見上げたままだった顔を此方へ向けると急かすように手を差し伸べた。


 その仕草に有無を言わせぬ何かを感じ、私は深く考えもせず、《想庫》内に常備している、ひと振りの刀を取り出した。正式名称を刀剣型軍式対魔物兵器と呼ばれるその刀。その真っ黒な刀身は何を隠そう魔物の素材から作られたものだ。聖域外で活動する軍属魔術師は各個人毎に様々な対魔物兵器を持つというが、私の場合はまだ聖域の外に出たことはない為、メルクリウスへと差し出したその刀は、上官によれば《つまらない代物(凡庸型)》らしい。

 しかし、その《つまらない代物(凡庸型)》であっても魔物に対して攻撃を与える事はできる。魔法以外の攻撃方法で唯一、有効打を与え得るのが魔物を素材としたそれらの兵器だ。


 して、その黒い刀は震える私の手からメルクリウスの手へと渡る。

 メルクリウスはその握り心地を確かめるようにして、虚空を一閃。


 風を切る音がしたかと思えば、床に残ったのは深々とした斬撃痕。


 目を見開き、それを見つめる。息が止まる程の驚きに身を固める。


 黒刀に朱色の筋が血脈のように広がり、禍々しさを増す。それはまさに刀の歓びを表しているかのようで、まるで刀が生きているかのような錯覚さえ起こさせる。


 

 否、実際に生きているのかもしれない。魔物なんて実の所、殆ど何も分かっていないのだ。聖域が出来てから五百年間、魔物は人類の大敵として君臨している。それより以前からそうであったとされるが、少なくとも私のような一般の兵士に見せてもらえるような資料の中には五百年前のことはどこにも書かれていなかった。

 

 魔物は人間の魔力量とは比べ物にならないほどの魔力をその身に蓄えている。その潤沢な魔力はただ、体内にそれがあるだけで常に身体強化の魔法を使っているかのような身体能力、身体構造を魔物に与えている。通常兵器では傷一つつけられないほどの硬質な皮膚の正体がこれだ。

 ただ一度の戦闘という面ではそれだけの知識があれば、十分だ。しかし、魔物を絶滅させ、人類の生存圏を拡げるには不十分だ。


 そんな、魔物に対して無知たる人類がそれでも、知っている事がある。


 魔物は死して尚、身体強化魔法を扱っている。


 生命活動を停止した筈の魔物の死体にも魔力が残存している事がその証明である、と。

 

 魔力とは――あくまで一般論に沿うのであればの話だが――生き物が無意識の内に生きる為、消費している力の過剰分であるらしい。その理論を用いるならば魔物は私達から見て、死んだ状態にあろうと生きていることになる。


 それは現に今こうして目の前でメルクリウスの魔力に反応し、起動された《つまらない代物(凡庸型)》が証明していた。


 対魔物兵器はそのままでも兵器としては十分すぎるほどの性能を誇っているけれど、魔術師が自身の魔力を通す事でその素材に用いられた魔物元来の能力をその一部分であるとはいえ、引き出すことが出来、それこそがこの兵器の真骨頂であると言える。


 黒刀の性能はお察しの通りだ。

 本当に唯、強靭な刀身を持つ刀であるだけ。


 しかし、メルクリウスにとってはそれだけで十分だったのだろう。


 赤黒く脈動する刀身を水平に、顔の横スレスレで持つ独特な構え。一見して刺突の前振りであるかのように見えるそれは、しかしして、どうして様に見える。


 魔物が(恐らくは)飛竜系統特有の飛翼をはためかせ、攻撃の意思を見せた人間を威嚇する。またはそれに類似した行為を行い、一旦後退したかと思えば、それ自身が自ら空けた大扉の穴に突進を仕掛けた。


 一撃目で大扉は既に跡形も無く、吹き飛んでいる。では、二撃目では?



 果たして、二度目の突進による被害は決して訪れなかった。


 


 

 

 


 


 

 


 

 


 


 


 

 


 

 

 


 


 


 


 


 




 古式剣術の構えの一つに一度の刺突で致命打を与えるものがあるというが、俺がとった構えは形こそ似てはいてもそれとは全く以て非なるものだ。


 そもそも一撃で倒そうだなんて考えること自体間違っているのだ。しかも、図体がでかく、致命傷を与え得る部位というものが統一でない魔物に対して、対人を意識した古式剣術の点としての攻撃は賢い選択とは言えない。

 で、あればだ。

 


「竜を狩りたくば、其の翼をもげ」



 小さな呟きを一つ。その呟きの意味を知る者は此処にはいない。

 そして勿論、魔物にその意味が理解出来る訳がない。


 俺の後方。そこにあったのは飛竜種の一種、アルガルムと呼称される竜もどきが突進を仕掛けようと構えた体勢のままに崩れ落ちていく姿だった。


 遅れて、鮮血が舞う。外見こそ、異形そのものである魔物だが、意外な事にその血は鮮やかな赤である。


 舞った血はアルガルムから然程、離れていなかった俺にまで届き、俺の体全体を朱で染め上げた。

 なんてことはない。体当りするか飛ぶかばかりしか芸のない竜もどきの脚を切り落としたまでの事。


 当然、それだけで異形が絶命するわけも無い。


 既に無くなってしまった膝下の傷口を直接、地につけてゆっくりと起き上がったアルガルム。


 その顔貌は凶悪な竜のものであることを差し置いても怒り心頭という様相だ。


 俺は敢えて挑発する。


「来いよ」


 でなければ、避難所のすぐ外である此処では被害の拡散を招くことになる。目標を俺単体に絞らせることはここで戦闘を始めなければならなかった以上、必要な処置だった。


 そして、この目論見の結果はアルガルムのあげた咆哮と共に示された。簡潔に言えば、奴は俺目掛け、突進してきたのだ。



 『―――――ァァァアアアアア!!!』



 その女性の金切り声のような叫びは聞く者に聴覚的な阻害を齎し、一時的とはいえ、身体機能にも影響を与える。それ即ち、全身の硬直であり、如何に構えようと、如何に感情を取り払おうと、草食獣が肉食獣の咆哮に怯えるが如く、人は本能的に魔物という天敵に対する恐怖を身体に刻まれているのだ。


 それはやはり感情を知覚し得ない俺であっても例外ではなく、ほんの瞬き一つ分の間、身体の主導権を失う。

 人間は通常、頭で考えた事を無意識に一度、感情に振るいかけ、行動へと移す訳だがその一工程分を本来、抜きに出来る俺でさえ、そうなのだ。

 元々、それの出来ない人間が例え、魔術師だろうとこうも至近距離で戦闘態勢に入っていない状態で矢面に立ち、無傷で要られるわけがない。


 そういう意味ではこういった奇襲に対して、俺は無類の強さを誇る。


 こと、魔物との戦闘において悩むという言葉は俺の辞書にはない。最適かつ最大の行動を取れるという確信がある。


 アルガルムが裏口の大扉を破壊し、俺がその両脚を斬り落とすまでの間はたったニ分程度。そして、咆哮があがるまでが一分十秒程。


 ここまでで約三分。訓練もしていないような学生魔術師が戦えるまで回復するには優秀な者であろうと最低でも五分は必要だろう。


 飛竜の両足は斬るに容易い。他の部位に比べ、地を駆ける事を目的としない飛竜系統の魔物の足は得てして、斬りやすい。無論、巨体を支えるだけの筋力量を持ちはするがそれは速筋に値するものであり、『硬質かつ収縮性の少ない筋肉』である。これは飛翔前の加速時にこの筋肉を必要とするからだろう。しかし、この筋肉と只々頑丈であることが取り柄であるこの黒刀は非常に相性が良い。この武器が刀であるが故、斬ると言う表現を用いたが実際の所は硬いものをそれ以上の硬さで潰したと言ったほうが的確だ。そこへ更に、飛竜自体が殆ど脚を必要としないことも相まって、脆いという表現すら出来る。


 かわって、それ以外の部位は飛竜にとっても斬られては困るものであり、且つ飛翔時に使う翼をはじめとした長時間の運動に耐え得る柔らかな遅筋が多い。柔らかさは硬さとはまた違った斬り難さを生む。総じて、頑丈なだけの武器では攻略は難しいということが言える。


 つまり、だ。俺は今現在、アルガルムの討伐にあたって、有効的な一手を持っていない事になる。



「まぁ、だからといって何も手が無いわけではないが」



 ついつい独り言が多くなるのはいつもの報告による癖だろうか。これもまた、身体に刻まれたものなのだろう。


 瞬く間の内、硬直から脱した俺の目前にはアルガルムの歯。


 ズラリと並んだ牙は、知らぬ間に大層な名前が付けられていた、いつかのあの難敵やつい最近、出会った黒竜な学院長を思わせるが、なかなか、どうしてこうも迫力に欠けるのか。


 力ある者に相対すれば、心情的ではなくとも身体の痺れやビリビリとした刺激のようなものを感じるものだが、既に自身の喉元にまで迫るこの牙に対しては何一つとして、それらに類似する一切のものが感じられない。


 それは余裕ではない。そんなものは余裕と呼ぶに値しない。木から林檎が地面へと落ちていく事と同じぐらいには普通の事だ。


 だってそうだろう。


 こんな少し翼が生えた程度の蜥蜴に俺が殺されるだなんて夢でもあり得ない。


 そんな事は非論理的すぎる。

 飛ぶことが少し得意な程度の蜥蜴がどうして、俺を害せるだろうか。

 そのちゃちな牙と爪でどうして、俺を噛み砕き、切り裂いてみせることができようか。


 たとえ、魔法を使えなくともこの程度の相手に後れを取るような魔術師が《最強(ザ・ワン)》を名乗っていいはずがない。

 全魔術師の頂点であっていい筈がないのだ。


 俺はほんの少しだけ、身体を後方へと倒す。自身の体内で暴れ回る魔力を抑えつけ、呼吸を止める。

 そして、一息に黒刀を振りかぶった。

 当然、その刃先は迫るアルガルムの牙へと激突し、火花が舞う。


 音は遅れてやってきた。二つの硬質なものがぶつかり合う事で生じる、金属音にも似たその音。音すら置き去りにしていた事をそれにより知る。

 


「ふぅ―――」



 止めていた呼気を吐き出す。


 魔力を活用することで得た人外の膂力で以てして繰り出した攻撃。

 それは刀を使った全力のフルスイングだ。


 刀を刀とも思わぬその行為に東方領土の剣聖が聞きでもすれば、斬られるのだろうかと無意味な事を考える。


 無意味な事はそれとして、今は俺の攻撃がその対象に与えた結果だ。


 果たして、俺の攻撃は違う事なく、アルガルムの牙へと直撃し、その牙を数本折るが、勢い止まらぬ竜もどきはそのままに俺を呑み込まんとしていた。


 想定通りだった。その事実にほくそ笑むことで、それを内外に知らしめ、俺は振りかぶる勢いを利用し、一転、二転と身体を車輪か何かのように回転させ、遂に辿り着くは竜もどきの口端。そこへ刀がぶつかるかどうかで俺の運命は決まる訳だが、それを計算せずして実行に移すほど、俺は間抜けではない。竜もどきの加速が如何程のものであるかを予測し、自身が与える衝撃によって微調整を行う。決して簡単なことであるとは言い難いがそれよりも遥かに困難極まりない魔法は幾らでもある。それらを修めてきた俺にとっては出来ないことの範疇ではなかったし、成功率の低い賭けでもなかった。

 故の実行であった訳であるが、世の中は上手くできているもので、法則に則っていることが大半を占めているらしい。

 俺の企ては成功し、黒刀が竜もどきの口端に乗った瞬間、再び、腕に力を込め、竜もどきの顎を叩き割らん勢いで黒刀を叩き付けた。


 如何なる生物といえど、脳を揺さぶられるのは耐え難い苦痛となる。また、その生物の質量が大きかった場合には尚更のことだ。


 それは魔物も例外ではない。


 半ば、生き物の枠組みを超えているとはいえ、食らった衝撃は深刻な影響は出ずとも相当なものだろう。


 地面が揺れ、アルガルムの巨体が叩き付けられた地面を陥没させる。


 死んではいない。しかし、立ち上がる為には時間が掛かる。


 その時間さえ、あれば十分だろう。


 俺の出る幕は一旦、ここで終わりだ。

 

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