第3話 業務日常
ブー、ブー、ブー
作業をしていた灯真の机の上でスマートフォンが震え出す。彼のプライベート用だ。画面に表示された『来栖』という文字を確認し、スマートフォンを手に取って画面にタッチする。
「はい、如月です」
左肩を上げて器用にスマートフォンを押さえると、パソコンのキーボードを叩きながら電話を続ける。時々、机の上に置かれたファイルを手に取り何かを確認しているが、それでも会話は止めない。電話で業務が中断するようならば注意を受けるところなのだが、彼はいつも仕事の手をゆるめることがないので土屋は何も言わない。
「また電話か……毎回誰と話してんだ?」
灯真の声を聞き、再びパーテーションの隙間から彼の様子を伺う紅野。それは土屋も同じだった。パソコン上に映し出されている書類のチェックを行いながら、チラチラと灯真の様子を伺いその話に耳を傾けている。灯真は会社の飲み会にも参加したことはなく、仕事以外の話はしたことがないので、そのプライベートはかなり謎だった。
「なるほど。それでどうなった?」
電話の相手は誰なのか、気にする従業員は多かった。土屋や紅野に限らず、彼と仕事以外の話は誰もしたことがない。
(支部長があんな指示を出すとなると……余計なことを考えるのは良くないか……)
土屋も上司として灯真のことを入社以来気にしているが、支部長から《如月灯真のプライベートを詮索しないように》という謎の御達しが出ていた。
(協会の記録にも怪しいところはなかった……だとすると、やはりプライベートな問題の方か……)
土屋のいう協会とは、魔法の力を管理するため作られた組織のこと。名を『ネフロラ』という。灯真たちの働く調査機関も、この協会に所属する組織の一つである。
かつては魔法の関わる問題に対してそのすべての業務を協会が行なっていた。そのため、「協会の職員はトップエリート」という意識が今も根強く残っており、魔法使いが働きたい職場として常に1位に君臨している。
しかし現在は、新たに立ち上げた専門機関に業務を分け、協会が行うのは魔法使いと彼らの使う魔法の記録・管理。魔法使った犯罪歴なども協会で記録している。
土屋はこれまでも協会の記録を調べ、灯真の犯罪歴や、何らかの事件の被害者なのかなど探ってみたが、それらしき情報は何もなかった。出てきたのは、不眠症のために病院へ通っていることくらい。目の下のクマはそれによるものらしい。
(もしや……重い病気の家族でもいるのでは!?)
土屋は腕を組んで考え込んでしまい、完全に作業の手が止まってしまった。上司としては、不測の事態に備えて多少は部下のプライベートを知っておきたい。それがもし彼の考えたような家庭の事情であれば、代わりの調査員の手配など考えなければならない。
「わかった。後でこっちの予定を教えるから、都合がいい日を確認しよう」
灯真の言葉から察するに、毎回誰かの相談に乗っているだろうというところまではわかっている。相手が誰にしろ男性なのか女性なのか、恋人なのか友人なのか、土屋や紅野が知りたいのはそこである。
「あの容姿であの性格だ……女がいるわけがない」
そう考えながら鼻で笑っている紅野だったが、もしかしたらという考えが頭の中に膨らんでくる。職場ではオシャレに気を使っていなくても、プライベートの時間でそうとは限らない。もしかしたら信じられないくらい美人の彼女がいるのかもしれない。
(そんな……そんなわけないない)
頭の中で言い聞かせるが、そうすればするほど見たくない映像が頭の中に映し出される。ここまで灯真のことで頭を悩ませているのは部下のことを把握しておきたい土屋と、彼に嫉妬心を持つ紅野くらいで、他の従業員達は多少気にはしつつも普通に仕事をこなしている。
「報告書、フォルダに入れておきましたので確認お願いします」
「あ、はい。ご苦労様です。ちょっと待ってください」
紅野が頭の中の妄想に苦しんでいる間に、作業を終わらせた灯真は席を立ち一人の男性のところにいた。彼の名は岩端 飛鳥。灯真の専任事務員である。
調査機関といっても全員が現場に赴くわけではない。中には事務的な作業を専門とする事務員もいる。岩端は灯真の専任事務員であり、彼の調査してきた案件の事務処理を担当している。歳は灯真よりも若いがここでは先輩にあたる。
「いかん、もうこんな時間か」
灯真のことを考えすぎて時間も忘れていた土屋は、壁にかけられた時計の針がもうすぐ午後7時を示そうとしていることに気がつき、組んでいた腕を解いて作業を再開する。他の従業員達は既にペースをあげて作業を進めており、全員から「7時には帰ろう」という強い意志が見受けられた。定時は午後6時。既に1時間が過ぎようとしていた。
「——今日のやつですよね」
灯真が作っていた書類は現場で三科にサインをもらったものとは別で、調査内容をより細かく書き記したものである。その中には魔法が使われた痕跡の有無のほか、得た情報も詳しく書かれていた。それらの情報は、全て協会に提出することが義務付けられており、調べなければいけないものも決められている。
一つは《現場に残された魔法の痕跡》。魔法を使用すると、その場や着ている衣服などには魔力残渣が付着する。魔法使いたちはこれを『ドライニム』と呼ぶ。調査機関はこの魔力残渣が一定量あったときに反応し様々な色に変化する特殊な鉱石『発光結晶』を用いて、その場で魔法が使われたのかを調べる。如月が車の中を調べる際に持っていた直方体の鉱石がそれであり、どこに近づけようとも変化がなかったということはその場に魔力残渣がほとんど存在しなかったということである。
もう一つは《現場の記録》。現場と魔法が使われた位置が違えば当然魔力残渣がないこともある。なので、魔法を用いてその他の情報も調べ上げる必要がある。現在最も使用されているのが《現場に残された思念を読み取る》方法である。
物や場所には、持ち主やそこにいた人々の思念が強く残ることがある。それを可視化する魔法によって、犯人の特徴や感情を調べ上げる。この魔法は調査機関に所属する一人の魔法使いのものだが、魔法を記憶する特別な道具『魔道具』によって調査員たちの標準装備として共有されている。車の中で如月が握りしめた球体がそれであり、彼が見ていたのは車に乗っていた人たちの思念。はっきりと見えた女性以外のものは、時間が経っているものや強い思念ではなかったため、形も声もはっきり聞こえなかったのである。
ちなみに、魔力残渣の有無を調べてからその他の情報を調査するのが鉄則だが、逆の順序でやると調査に入った魔法使いが犯人として疑われてしまう。
「細かい部分はこっちでチェックしますので。何かあれば明日にでも」
「よろしくお願いします」
軽く会釈すると灯真は、座席にかけていた上着を羽織って事務所を後にした。書類を作るまでが調査員の仕事だが、それをチェックして協会に提出するのは事務員の業務の一つ。岩端は灯真が事務所を出るのを見送ると、机の上に置かれたレターケースの中からラミネート処理された一枚の紙を取り出す。チェック表と書かれている。
「さて……10分もあれば終わるかな」
専任に決まってしばらくは緊張を隠せなかった岩端だったが、業務のことで話をしてみれば他の先輩たちに聞いていた印象とは全く違った。愛想はないが年下の岩端をちゃんと先輩として接してくれる。また魔法に関してよく知っているようで、調査結果のことで聞くと事細かに説明してくれる。提出してくる書類も未だミスを発見したことはない。
「紅野さんもこれくらいしっかりやってくれるといいんだけど」
書類に問題がないことを確認し印刷をかけていく岩端。彼は以前紅野の書類のチェックをしたことがあったが、記載漏れが多すぎて何回もやり直しが発生した。それと比べれば灯真はかなり優秀だといえるが、そんな彼が「社畜人形」と呼ばれていることを岩端は快く思っていなかった。
(本人が気にしてないからなぁ……)
印刷を終えた書類をクリアファイルに入れ、「提出」と書かれた棚の中に収めていく。本人が気にしていない以上口出し無用。そう言い聞かせてはいるが、毎回聞いていると担当している身としては心苦しいところでもある。ただ、あのひたすら仕事だけしている姿を見ると「社畜」という呼び名を否定できないところでもあり、岩端はため息をつきながら席へと戻っていく。
「相変わらず事務処理は優秀だな」
事務所を出る灯真の姿を目で追いつつ、コーヒーを口にしている紅野。教えている時から彼は書類作成が早い方だったが、やり方を覚えてからはさらに速度を増している。教えていた身としては鼻が高い。
「そう思ってるなら、お前も見習ってくれるといいんだがなぁ?」
後ろに寒気を感じて紅野が振り向くと、そこには引きつった笑顔で仁王立ちしている土屋の姿があった。
「こっ……これ飲んだらやろうと思ってたところですよ」
苦笑いしながら返事をした紅野は、コーヒーを一気に飲み干して自分のデスクへと足を運ぶ。灯真の事務処理能力は土屋からも評価が高く、最近では「如月を見習え」と調査員たちにいうことも多くなった。彼の教育係だった紅野も例外ではない。
(あいつを育てたのは俺だぞ?)
しぶしぶ自分の作業を再開した紅野であったが、灯真の登場によって苦手な書類作成に注意を受ける頻度が増加していた。真報を見つけて解決に導いた件数は数知れず、調査機関の評価をあげることに貢献しているのにも関わらず、事務作業が遅いという理由で注意を受けることに紅野は納得できずにいた。