第2話 社畜人形
「報告はちゃんとくれないと困るんだが?」
「すみません。ずっと通話中でしたので」
「だったら一本メールを寄越せばいいだろう」
灯真の予測通り、戻ると上司である土屋主任からの説教が事務所内に響き渡った。白髪混じりの髪を後ろに流しているせいで、額に浮き出ている血管もはっきり見える。ストレスなのか体質なのか、かなり生え際が薄くなってきている。日常茶飯事となっているこの光景に事務所内にいた従業員達は、またかと呆れた顔を見せていた。
調査機関『ヴェストガイン』日本支部。30名に満たない人数で、日本国内で発生している魔法使いによる犯罪の調査を全て行なっている。
調査する事件は魔法によるものとは限らない。しかし依頼さえあれば、少なくとも魔法が関わっているかどうか調査を行わなければならない。魔法による犯罪、いわゆる真報の確率は10%にも満たず、やりがいを見出せず辞めていく者も多い。
犯人逮捕に動く別の機関に倍以上の人数が働いているところからも、調査機関の人気の無さは明白であり、魔法使いのやりたくない職業第1位を毎年勝ち取っている。
「またやられてんな、社畜人形さん」
「県警の刑事から信頼されて毎回ご指名って話じゃん」
「まあ、いいんじゃない?おかげで他の人が疑い深い事件に集中して捜査できるわけだし」
打ち合わせをしている者も、パソコンで作業している者も、怒られている彼のことをチラチラと見ながら周囲の同僚と小さな声で話している。哀れんでいるもの、喜んでいるもの、鼻で笑っているもの、様々である。社畜人形とは同僚達が灯真につけたあだ名で、与えられた仕事を断ることなくこなしていくその様子が、まるで人形のようだということでそう呼ばれている。
「お、終わったみたいだな」
怒れる上司から解放され、ゆっくりと自分の机の方へと向かう灯真に、一人の男が歩み寄り彼の前に立った。ツーブロックにカットされた髪は綺麗にセットされ、ワイシャツの肩の張り具合やお腹の引っ込み具合からしてかなり鍛えられた体をしているように見える。癖のある髪を適当に流している華奢な灯真と並ぶと、見た目の差がよりはっきりとする。
「ご苦労さん。大変だな、ハズレばっかりで」
紅野 幸路……調査機関内でも一目置かれる調査員で、灯真の先輩であり教育係。白い歯を光らせながら笑顔で話しかける彼の言葉は、一見彼を労っているように聞こえるが、その真意は別にあることを事務所内のすべての人間が理解していた。
調査員達は、依頼者の情報から魔法が関係するのかをある程度判断し調査を断ることも多い。今回灯真が受けた依頼も、《企業に忍び込んだ人物がデータを盗み車で逃走した》という情報から魔法との関係性は薄いと判断してほとんどの調査員が断る案件だった。無駄に依頼を受けることは調査員とし能力不足だと考えるものも少なくない。紅野は特にその傾向が強く、彼の発した言葉は先輩からの慰労とは別に同じ調査員としての蔑視の意味も持っていた。
「依頼された以上は動かないと」
しっかりと紅野の目を見ながら喋っているが、声に覇気はまるでなくその目は抵抗する意思を感じない。興味を持っていないというのが一番正しい表現かもしれない。彼の反応を見て紅野の表情が険しくなっていく。
「むやみに依頼を受けてたら体がいくつあっても足りねぇ。資料の時点で必要ないってわかる調査は断れって。何度も言ってるだろ?」
「はぁ……」
依頼を断るのは、本当に必要な依頼に集中するためというしっかりとした理由がある。それは調査機関の方針であり、なんでも依頼を受けてしまう灯真の行動はそれに反している。紅野がこれまで何度指導しても直る気配がなかった。紅野も冷静を装っているが、苛立ちを隠しきれずにいる。
「紅野さんって如月さんに対して結構強めに当たるわよね。ほっとけばいいのに」
「ああ見えて仕事に関しては真面目だし、彼の教育係だったからね」
遠目に二人のやりとりを見ている女性たちがコソコソと話をする中、紅野の話を聞き流し続ける灯真。その目線は彼の後ろの壁にかけてある時計に向いていた。
「すみません、書類作んなきゃいけないんで」
「ちゃんと分かったんだろうな……」
紅野に一礼して灯真は自分の机の方へ歩いていく。納得のいかない表情の紅野はため息をつきながら事務所内の隅に作られた休憩スペースへ行き、ソファーに腰を下ろした。
(三科警部も困ったもんだな……何でも依頼受けるからって如月を指名して)
三科とは紅野も面識があり、依頼を受けたことは何度もある。しかし、灯真が入ってきて一緒に捜査した事件でたまたま真報に当たって以来、三科は必ず灯真を指名するようになった。
(あいつも、もう少し上手く立ち回ってくれればいいんだけどなぁ。どうやったら理解してくれるのやら)
パソコンで作業する灯真を、紅野は休憩スペースを隠すように立っているパーテーションの隙間から覗く。仕事自体はとても丁寧。それは実際に教育した紅野が一番分かっている。だから、どうにかして機関の方針を分かってほしくて声を掛けるが、どうしても彼には強く発言してしまうことが多い。理由は紅野自身分かっている。
(かっこ悪いよな……入って2年目の新人に嫉妬するなんてさ……)
調査員にとって依頼者からの指名は信頼の証。特に調査依頼の多い警察からの指名は調査員としては誇らしいことである。これまでかなりの数の真報を調査してきた紅野であったが、警察の人間から指名されたことは一度もなかった。目線を天井に移すと、右手で両目を覆い隠して紅野は自分に言い聞かせる。「如月は如月、俺は俺」と。