第15話 沈着奮起
「調査機関長 ルイス・ブランド、日本支部長 あきら・ノーブル・君島、そして日本支部職員の如月灯真だな?」
「法執行機関の……確か……」
黒服たちの中心にいる人物に見覚えがあるルイスだったが、どうしても名前を思い出すことができなかった。虫でも見ているかのような目つき、嘲笑うように釣り上がった口、肩まで伸びたサラサラな黒髪。君島もその男を絶対に知っているはずなのだが、名前がどうしても出てこない。
「松平さん……でしたっけ。以前研修で来ていた」
灯真に教えられ、ようやくルイスたちも彼の名前を思い出した。ルイスは単純に会う機会が少なかったからだが、君島は名前を聞かされて大きなため息をついている。彼女は思い出せなかったのではなく、思い出したくなくて脳が拒否していたようだ。
「あ〜……あの時の彼ね……」
「そう言うな、アキラ。ああ見えて、日本支部の主任だぞ?」
調査機関で言えば土屋と同じ位置、支部長の次に偉い役職でもある。あまりの態度の悪さに君島は彼が主任であることを信じられなかったが、高い検挙率はデータとして公表されているし、魔法使いとしても3つ目のランクを獲得していて高い能力を有しているのは事実だった。
魔法使いはその力の熟練度によってランクが設けられている。一番下から「キーフ」「ロムナー」「ヴァンセット」「ペルスリア」「ディジェイン」「ルート」の6段階ある。松平は3段階目、『上級者』を意味するヴァンセットである。ランクは毎年行われる試験に受かることで昇格できるが、ヴァンセットは最初の難関と言われ合格率は極めて低く、それだけ魔法使いとして優秀であるという証明でもあった。
「私の話が聞こえていないのか?」
「聞こえているよ。それで、法執行機関日本支部主任の君が何の用だ?」
「そこにいる如月灯真を拘束するためです。禁止生物であるエルフの創造と保持の疑いでね」
「何のことだ? 今日私たちは保護した彼女を、魔法使い予備群に登録するために来たんだが?」
松平の言葉に戸惑うことなく、ルイスは淡々と自分たちが来た理由を述べる。君島も灯真も表面上は冷静さを保っているが、内心では彼がエルフという単語を口にした瞬間から警戒を強めていた。
「アーサーからの報告書も上がってるはずだ」
「それはこちらでも確認しております、調査機関長殿。ですが、同時にその女がエルフだという情報も我々に入ってきている。もし本当だとしたらその男は重罪人。我々としては真偽の確認が取れていない以上、こちらに入った情報が真として動かなくてはなりません」
ルイスは言い返すことができなかった。どこからエルフの情報が入ってきたのかは置いといて、彼の言い分は間違っていない。
「調査機関を通して出されている報告書に嘘があると、そう言いたいのですか?」
「ご無沙汰しています、君島支部長。申し訳ないが、我々に入った情報が真実ならば、そういうことになってしまいますね。証拠が不十分である以上は、どちらも疑って動くのが法を司る我々の仕事です」
不気味な笑みを浮かべながら語る松平を見て、君島の体に寒気が走った。ランクも役職も君島の方が上なのだが、君島は生理的にこの男の、人のことを見下しているような笑顔が苦手だった。
「抵抗するようなら、全員を拘束しなければなりません。ですがっ! 大人しく如月灯真とエルフの疑いがあるその女を渡していただければこちらも助かります。我々とて無駄な争いは避けたいので」
ルイスがこの場をどう打開するか悩んでいる間、灯真はディーナの様子を気にかけていた。松平の姿と声を確認した彼女が、先ほどから灯真の後ろに隠れてガタガタと肩を震わせている。灯真の後ろにディーナがいることを確認した松平は、狙っていた獲物を捉えたかのように目を光らせ、自分の唇をペロリと舐める。
松平の視線を感じたディーナから灯真へと強い何かが流れてくる。頭に鈍い衝撃が走ったかと思うと、彼は先ほどまでいた広間とは別の場所に立っていた。そこは金属のように冷たい壁の覆われた部屋で、一糸まとわぬ姿の女性たちが横一列に並んでいる。その中にディーナもいた。
「何なんだこれ……」
状況が飲み込めてない灯真は、ひとまずディーナと合流すべく彼女の方へ歩み寄る。しかし、見えない壁に阻まれ彼女に近づくことができない。
「こいつはすごい! どれもこれも俺好みだ!」
聞き覚えのある声が聞こえ灯真が目を向けると、そこにいたのは自分たちと対峙していた松平の姿だった。
「どれにしようか……」
まるで品定めでもしているかのように、松平は女性一人一人の全身を舐め回すように眺めていく。彼が近づくにつれてディーナの呼吸が荒くなる。そして彼が目の前にやってくると、荒かった息が急に止まった代わりに歯をガチガチといわせながら小刻みに震え始めた。
「ディーナ!」
灯真が見えない壁を力一杯叩きながら、彼女の名前を叫ぶ。松平や他の女性たちは気付いていない様子だが、ディーナだけは硬直している首を必死に動かし灯真の方に顔を向ける。怯える彼女が涙を滲ませた目で助けを求めてきたところで、灯真は現実へと戻ってきた。気づけば震えるディーナの肩に手を置いており、見つめ合う彼女は先程の部屋と同じ目をしていた。
「ディーナ、あの男に会ったことがあるんだな?」
灯真の問いにディーナは力を振り絞り小さく頷く。先程見た景色が幻ではないと理解した灯真は、彼女の頭を優しく撫でるとゆっくり体を反転させる。
「社長」
それはルイスと君島は初めて聞く声だった。いつもの無気力で事務的なものではなく、氷のような冷たさを纏った声に驚き、ルイスはすぐに彼の方へと目を向ける。ディーナを自分の後ろに隠したまま、突き刺すような目で松平たちを見つめるその表情は、ルイスも君島も初めて見るものだった。
「緊急逮捕権を行使します」
「え!?」
それは、調査中に犯人やその関係者と遭遇した際に法執行機関に代わり相手を捕まえられる、調査機関の職員に与えられた権限のことである。灯真の声を聞き松平たちの表情が険しくなる。
「あの中に、ディーナと何らかの関わりがある人物がいるようです。だから彼らにディーナを渡せません」
その人物が誰であるかは明言しなかったが、灯真の視線が松平に向かっていることに君島とルイスは気付く。
「如月さん待って! 緊急逮捕権っていっても何を証拠に」
「今は怯えていて何も話せそうにありませんが、ディーナは明確にそれが誰なのかわかっています」
彼の言っていることが完全に間違ってるとはルイスも君島も思ってはいない。しかし、ディーナの記憶以外はっきりとした証拠もないままでは誤認逮捕とされる可能性も高い。そうなると灯真たちはエルフのことを隠そうとしていると、より強い疑いをかけられてしまい不利な状況となってしまう。
「緊急逮捕とは……我々にどのような疑いを持たれているのかな?」
「報告書にもありますが、ディーナやその親族はこれまで魔法使いの保護に動いてきた協会の調査でも発見できませんでした。しかしディーナは記憶障害を患っており、彼女の親族も誰一人見つかっていません」
いつになく饒舌な灯真だが、彼が話しているのは事前に見ていた報告書の内容である。法執行機関にも提出されているので、松平たちも知らない内容ではない。
「その程度のこと、今更聞かされなくとも知っている。それが今の状況とどう関係があるというんだ?」
「あなた方を見てから、ディーナは何かを思い出して怯えています。こちらとしては、あなた方が彼女と何らかの関わりがあったのではないかと、そう考えているわけです。例えば意図的に彼女やその親族が協会に見つからないようにしていた……とかね」
灯真の話に合わせるように、君島がさらなる追い打ちをかける。上司としては灯真の行動を看過することはできないが、君島もディーナをこのまま彼らに渡すことを良しと思っていない。
長たちでしか共有していないはずのディーナの情報を持っていることも、今日ここに来ることがわかっていたことも、情報が流出していることを表している。君島の脳裏に、すぐ横にいるルイスが彼らの仲間だったらという最悪の可能性が浮かぶが、当の本人は灯真の話を聞いてからずっと眉を顰めたまま松平の様子を伺っている。
睨み合いが続き10秒ほどの静寂が過ぎると、不意に松平の横にいた金髪の男が一歩前に出て灯真たちに向かって手を差し出した。
「こっちも忙しいんだ。さっさとこっちに引き渡してくださいよ」
その言葉と共に彼の掌が発光し灯真たちの視界を白く染め上げた。それはほんの一瞬だった。あまりの眩しさに灯真たちはすぐ目を閉じたが、目を開いても変わらず松平達の姿が見えており変わった様子はないように思えた。
「やられたな」
最初に異変に気づいたのはルイスだった。体が何かに押さえつけらているかのように動かない。彼に続いて君島も、首から下が全く動かないことに気がついた。
「さすがに、そっちの二人は動きを制限するのが精一杯っすか……」
「光を使って意識に介入する魔法だったな……話は聞いていたが、実際受けてみるとこうなるのか」
光を使った魔法によって、武闘派の多い法執行機関の中でも数少ない戦闘を発生させず犯人を鎮めるこの男、広瀬 佳久の情報はルイスの耳にも届いている。
しかし、相手の体や意識に作用する魔法は、生産できる魔力の量が多いと抵抗力が強くなるためその効果は弱くなる。松平よりも上のランクである君島とルイスには、肉体を拘束するのが限界だった。
「まっ、そこのキーフには十分通用したみたいっすけどね」
そう言って広瀬は口角を引き上げると、松平のことをじっと見つめたまま動かない灯真の元へ歩み寄っていく。彼が魔法を使った目的はルイスたちの足止めではない。ディーナを後ろに匿う灯真の自由を奪うことだ。灯真が影になったことで影響を受けなかったディーナだったが、広瀬の足音が近づくごとに足の震えが強くなり、縋るように灯真の服を力一杯掴む。
「如月……さん?」
「無駄だよ。レベルの低いそいつには誰の声もとどっ……」
君島が声をかけても反応する様子を見せない灯真を見て笑いながら近づく広瀬だったが、言いかけ途中で突然何かに躓き顔から地面に倒れていった。まるで喜劇のような展開に、辺りに微妙な空気が流れ誰一人として声を発することができない。誰がどう見ても足を引っ掛けそうなものは何もない。沈黙が続く中、広瀬はゆっくりと立ち上がりスーツについたゴミをはたき落とすと、何事もなかったかのように灯真に向かって歩き出す。だが、3歩目で再び転倒。広瀬は怒りの形相で起き上がり足元を確認するが、やはり足を引っ掛けそうなものは何もない。
「どういうこと……」
君島がそれに気付いたのは、広瀬が一歩踏み出した直後のことだった。そのとき君島の視界には、灯真の体から薄い靄のようなものが吹き出していく様が映っていた。激しく吹き出すそれは、広瀬が光を放つ直前には君島の目の前に極薄の絹でもかかっているように空間全体を埋め尽くしていた。君島が灯真に声をかけたのは、彼のことを心配したのではない。彼が何をしたのかが気になったからだ。彼女には、灯真が目の前の男の放った魔法の影響を受けていないことがわかっていた。もし影響を受けていたのなら、体からあの靄が、彼の魔力が放出されるわけがない。
(魔力を……この空間全体に満たしたっていうの?)
君島の他に、誰一人として灯真の体から出たものに気付いている様子はない。この場にいる中で、特異的な能力を有する彼女だけがその存在を視認できていた。
(こんな広範囲に……しかもこの薄さで広げるなんて……どこでこんな方法を)
状況から鑑みて、灯真が使えると聞いていた探知のために魔力を広げたと君島は思っていた。しかし、このやり方は彼女が知っているものとはまるで違う。
一般的な探知とは、体の外に出した魔力を波紋のように周囲に広げていき、それに触れたものを感知するというものである。魔力を空間に充満させるような、こんなやり方は聞いたこともない。
「なるほど……やってくれるじゃないか、如月灯真!」
何かに気づいたのか口では笑みを浮かべながらも、眉間に力を入れながら松平は叫んだ。
「貴様の見え辛い羽を気付かれないように足元に展開していたんだろう。随分と小賢しい使い方をするじゃないか!」
「……」
松平は30歳手前になって魔法使いの道を歩んだ灯真の、自分たちを逮捕しようなどという発言や、ランクも上で魔法使いとして生きた年月も違う自分を見る目が許せず苛立っていた。
代々魔法使いとして生きる松平家は、投資家として一定の地位を確立し今や世界的企業であるネフロラ創設にも貢献した一方で、魔法使いとしても高い能力を有し協会でも一目置かれている家系である。長男であり後継者でもある松平は、幼い頃から魔法でも勉学でも高い成績を叩き出しエリート街道を突き進んできた。一方で数年前まで魔法とは無縁の生活を送ってきた灯真は、ランクが地位に直結するとも言われている魔法使いの世界で一番底辺の存在。そんな彼が自分に歯向かうなど、松平からすれば到底許容し難い態度なのである。
「何をしている! さっさと女を渡すよう命令して……」
「アトナールィン ディーナァウ レブドナウトン。エティルボルサ(お前達にディーナは渡さない。絶対に)」
灯真が発した言葉に、全員呆然となった。それは彼が発した聞き慣れない言語のせいではなく、彼が広瀬の放った魔法の影響を受けていると思い込んでいたためである。彼の様子を見て硬くなっていたルイスの頬が緩んでいく。
「トーマのやつ、いつの間にこんな……」
「どういうことですか?」
「前をよく見てみるんだ」
ルイスに言われるまま君島が目を凝らして自分の前を見ると、非常に透明度の高い羽が何枚も浮遊しているのを確認できた。規則的に綺麗に並んでいる反面、羽同士の間に隙間が出来てしまっている。
「如月さんの……羽?」
「隙間から光が漏れてしまったようだが、間違いない」
「よくあのタイミングでここまで……」
君島が驚いたのは並んでいる羽の枚数である。ピンと張った長さ20センチ、幅5センチほど羽は、まるで軍隊のように規則正しい列を組みルイスと君島の全身を隠すほどの壁となっている。ただでさえ見え辛い羽を数えようとは君島も思っていないが、魔力を広げながら数十枚はあろうかというそれを展開した技術は、灯真の経験年数とは見合わない。
「如月さんの魔法は確か……ただの盾だったはずじゃ……」
灯真の魔法……登録名『ドレイス ゼーファ』。『盾羽』という意味で名付けられた魔法は、その名の通り羽の形状をした盾である。自由に動かすことができる反面、その形状ゆえに広範囲の攻撃を防御するには複数枚必要となる。また、多くの魔法は使う魔力に応じてその効果は強くなっていくが、彼の魔法は羽の枚数が増やせるだけで羽一枚の強さも大きさも変わらない。その特性を知った協会の職員からは「近年稀に見る非効率的な魔法だ」という評価を受けている。
「あの時と一緒だ。他の通行人は全員効いてたのにあいつだけ……」
協会の登録情報によれば、彼の作る羽はただの『盾』である。その透明度の高さゆえに光を透過し断熱効果も弱く、特別な能力は持たない。だからこそ広瀬は、自分の魔法が彼を捕まえるのに最も効果的であると確信していた。想定外の状況に、広瀬は動揺を隠せない。
「広瀬!」
松平に声で我に返った広瀬はすぐに口を閉じるが、灯真は聞き逃さなかった。
「あの時?」
「気にする必要はない」
声がしたことに気付き灯真が目線を左に動かした時には、スーツを着ていてもわかるほどがっしりした体格の男が、拳を振りかざしているところだった。人とは思えない速度で距離を詰めたその男は、灯真の前で強く右足を踏み込みブレーキをかけると、止まらぬ勢いを乗せた左の拳を灯真の顔面に叩きつけた。
存在しない言語を一から作るのはなかなか苦労します。文法が特に。でも考えるのは楽しいです。