第14話 協会本部
「そう言えば、月末でしたっけ? 定期報告会は」
「ああ。またモトヒロから例の意見書が出されたので、行かないわけには……」
そういってルイスは肩を落とした。定期報告会とは各機関の長が集まり活動報告を行う場だが、ルイスのいうモトヒロこと日之宮 一大が長を務める法執行機関から、調査機関と業務を統合すべきという意見書が毎回提出され報告会を長引かせている。魔法犯罪者を取り締まることが仕事である自分たちがまとめて動いた方が、効率が良いというのが彼らの主張である。
「しつこいですね。前回の研修報告書、結構きついこと書いて出しましたけど」
「協会もモトヒロ自身もその案には否定的だ。定期報告会で却下されれば部下たちも文句は言えないと考えているようだが、モトヒロも頭を抱えているよ」
過去に協会からの提案で、法執行機関の人間が調査機関へ研修に来たことがある。向こうからすれば「この程度の業務なら我々でも出来る」とでも言いたかったのだろう。しかし結果は散々。発光結晶の反応を見る前に魔道具を使用し現場を混乱させるわ、調査に使用する魔道具がうまく扱えず必要な証拠の確認ができないわ、君島が今思い出してもため息が止まらなかった。
魔法にも色々な種類がある。灯真も含め調査員たちは調査用の魔道具を簡単に扱っているが、対犯罪者の訓練に重点を置いた弊害ともいうべきか、彼らはそういった魔道具の扱いを得意としていなかったのだ。
「そんなに酷かったんですか?」
「如月さんはあのとき研修中でしたもんね。調査に同行していたら、きっと如月さんでも目が点になりますよ」
研修に来ていた人間に挨拶を交わした記憶は灯真もある。妙に上から目線で、当時灯真の指導に入っていた紅野が研修生の担当でないことを喜んでいた。
「モトヒロのところは職務上、犯人を捕まえることに特化しているからな。仕方ないことなんだが……さあ、着いたぞ」
ポーンと目的の階へついたことを知らせる音が鳴り、エレベーターの扉がゆっくりと左右に開いていく。このフロアは全てネフロラジャパンのものだが、灯真たちはルイスの後ろについて一番奥にある『ネフロラジャパン品質管理部』と書かれた扉の前にやってきた。軽いノックを2回してからルイスがゆっくりと扉を開けると、中では10人ほどの男女がパソコンを前にして黙々と作業をしている。
『ドニー、ちょっといいか?』
『ルー!』
ルイスの声に反応したのは、どこか彼と似た雰囲気を持つブロンドの白人男性だった。彼は立ち上がるとルイスの方へ笑顔で歩み寄る。お腹がぽっこり出ていてベルトが悲鳴を上げている。
『アーサーの指示であの子の登録に来たんだ。連絡が来ていると思うんだが』
『その子が例の……』
『例の?』
『なんだ聞いてないのかよ。協会でも把握してなかった魔法使いの血筋って結構騒がれてるぞ』
そういってドニーが見せたのは、協会の長であるアーサー・ナイトレイのサインが書かれている彼女の調査報告書だった。
『ディーナ・ノガルダ。ヴィルデム語でドラゴン……って意味だっけ? 羨ましいラストネームだけど、両親や親戚はすでに亡くなっているし本人も先祖が魔法使いであることは知らなかったそうじゃないか』
報告書によればディーナは協会設立以降、未だ登録が行われていなかった魔法使いの家系という、なんともそれっぽい内容が事細かに書かれていた。同胞の保護に力を入れている協会が探しきれていなかったとなれば、捜索方法を見直さなければいけない重要な事案なのだが、それが全て虚偽であると知るルイスはアーサーの妙なこだわりに少し呆れた様子を見せている。
「君島さん……社長はなんと?」
「え? ああ、ごめんなさい。ディーナちゃんのこと、見つかっていなかった魔法使いの血筋だってことにしてるみたい」
「そういうことですか」
先ほどからルイスとドニーは英語で話しているので、それが得意でない灯真にはディーナの苗字がノガルダにされていることしかわからなかった。それに対して君島は、海外で暮らしていたこともあって日本語以外に数カ国語を使いこなす。当然、二人の会話は問題なく聞き取れている。君島に耳打ちされ、灯真はルイスの表情の意味を理解した。
「ディーナちゃんは今の話わかった?」
「はい。あの……ヴィルデム語? というのだけよくわかりませんでしたが……」
そんなバカな!? ----と言わんばかりに驚いた表情を見せる君島に対し、灯真は目を大きく見開き「ほ〜……」と自身の顎に手を当てている。
「ディーナ、社長の魔法名はなんだったっけ?」
「ルイス・ブランドさんは……《レドルムント・ラガルフ》です」
「意味は」
「《不殺の両刃剣》です」
「今ディーナが言った魔法名がヴィルデム語だよ」
協会に登録する際に付けられる魔法名を含め、魔法使いたちが固有名詞に使う言語が、《ヴィルデム語》と呼ばれる魔法使いだけが使用しているものである。
「ヴィルデム語というものなんですね!」
「知らないで覚えてるのか……」
「ディーナちゃん、英語はわかるの?」
「えっと……その……英語というのは?」
「話してる内容は理解できているが、使われている言葉が何なのかはわかっていない……といったところですかね」
灯真の推測通り、ディーナは自分の話している言葉が日本語であることもルイスたちが使っている言葉が英語であることも知らず、全て『言葉』という大きな括りで認識している。しかし彼女からは、勉強をしたことはないと聞いている。
「あの……それで……えっと……英語というのは何のことなのでしょうか?」
君島と灯真にじっと見つめられながら、ディーナは申し訳なさそうにもう一度問いかけた。
––––気になることがあればちゃんと聞くように––––
一緒に暮らす上でそう約束したディーナに、灯真はルイスたちの話している英語のことや、自分たちが話しているのが日本語であることを丁寧に教えた。
新しいことを知ったときのディーナは非常に可愛いらしいもので、大人びた見た目とは裏腹に小さい子供のような愛らしい笑顔を見せる。
(緊張したままだったし、ちょうどよかったわね)
先ほどまでの緊張が嘘のような切りかえの速さだが、君島は彼女が自分のことを5歳だと話していたことを思い出し、体は大人だが中身はまだ子供なのだということを改めて実感した。
『まさかこんな内容にしてくるとは』
ルイスは嘆息を漏らしながら、ディーナと親しげに会話している灯真のことを見る。
(トーマが怒らないといいんだが…)
ルイスは心の中でそう呟きながら、再び目線を渡された書類に戻した。そこに書かれていたのは、両親を失くしたディーナが一人で暮らしていたこと、近隣の町からやってきた男たちに襲われていたこと、そんな彼女を海外研修としてアーサーに同行していた灯真が助けたこと、そして「俺が君のことを守る」という灯真の言葉をディーナが受け入れたことで保護することに決まったこと。無論、灯真は海外には行っていないし、ここに書かれたことは報告書を作成したアーサーの作り話だ。
『彼だろ? 報告書にあるトーマって男は。冴えない感じだが、隣にいる彼女の顔を見れば信頼しあってるのがよくわかる。良い部下を持ったじゃないか』
『ああ……そうだな』
ルイスにとって灯真が良い部下であることは間違っていないし、彼のとった行動も報告書に書かれている事と全てが違うとは言い切れない。
『どうしたんだ?』
『いや、アーサーの報告書の細かさに少し驚いただけだ。会議室、使わせてもらうぞ』
『わかった。使用記録はこっちで入力しておくから、気をつけてな』
笑顔で背中を叩くドニーと苦笑するルイスのことを、君島らが心配そうに見つめている。彼の様子を見て、何か問題が発生したのではないかとわずかな不安が過ぎる。
「社長、大丈夫ですか?」
「ああ、問題があったわけではないんだ……いや、問題といえば問題なんだが……会議室の中で話そう」
ルイスの後ろに付いて3人は会議室と書かれた扉を入っていく。8畳ほどの部屋の中には机など一切なく、あるのは入って左手の壁に見える、この部屋には不釣り合いな黒い重厚な扉だけであった。
「それで社長……何があったんです?」
「その……実はな……」
君島に心配そうな目を向けられ申し訳なく感じたルイスは、ドニーから渡された報告書を渋々3人に見せた。
「なんか……報告書というよりは小説ですね」
「アーサーが自分で書いた報告書だ。子供の頃から物書きを目指していたせいもあって、調子に乗るとすぐこういう書類を出すんだ」
「でも、いいんですか? もし虚偽報告だと誰かに知られたら……」
「心配するな。そうならないように、わざわざアーサーに報告書を作ってもらったんだ。それに、今ここでディーナのことを正直に報告した方が彼女が危険だと思っている。アキラに調査保留の指示を出していたのもそれが理由だ」
「どういうことです?」
「登録が無事済んでからじっくり説明する。ひとまず今は、協会の人間に何を聞かれてもこの報告書の内容で話を合わせてくれ」
「……わかりました」
腑に落ちない君島だったが、今はルイスの言葉を信じるしかなかった。改めて二人は報告書の中身に細かく目を通していく。そんな二人を真似るように、ディーナも目を左右に動かしながら書かれている内容を確認していった。
(守る……灯真さんが……私を……)
報告書に書かれたその言葉のところでディーナの目は動きを止めた。もしこの言葉通りにしてもらえたならと淡い期待を心の中に抱くも、それが困難なことであることは理解している。一度は晴れたディーナの心の雲行きが怪しくなっていくのを感じた灯真が、俯く彼女の肩にそっと手を置く。だが灯真もそれ以上のことはしなかった。
灯真も、できることならディーナの意思を尊重してやりたいと思っている。だが彼女の今後を決められるのは彼ではない。確定ではないにしろ、エルフという存在の疑いがある以上は、協会の監視下に置かれることは目に見えている。彼女の沈んだ気持ちをどうにかしてやりたい灯真だったが、かけるべき言葉を見つけられなかった。
「如月さんがこんなこという姿、想像できませんけどね」
「この報告書が事実だったら、女っ気のない灯真に相手が見つかったと手を挙げて喜ぶところなんだが……」
「やめてくださいよ」
耳に入ってきた二人の言動に呆れて嘆息を漏らす灯真だったが、ディーナに伝わってくる彼の感情は『恐怖』だった。
「仕事中に誰かと電話していると聞くが、すでに相手がいるのか?」
「いませんよ。電話してるのは以前捜査で知り合った連中です。魔法のコントロールの仕方で相談を受けてるだけで」
「意外ね。そういうことするように見えないのに」
「頼まれて仕方なく……ですよ」
二人からの質問を嫌そうに返す灯真からディーナへと伝わるのは、やはり『恐怖』であり『嫌悪』ではない。そしてそれは、ルイスと君島の二人に対してではなかった。状況に合わないそれに違和感を覚えたディーナだったが、灯真のところにきて初めて見た夢の、泣き叫んでいた少年が今の彼と重なって見えた。
「俺のことより、もうそろそろ時間ですよ」
「そうだな。じゃあ、上手く話を合わせてくれ。ディーナは困ったらトーマの方を見ればいい。トーマが上手く答えてくれる」
「わっ……わかりました!」
ディーナの変に力が入った返事を聞き、ルイスは笑顔で返す。緊張感がさらに増して体が強張り始めていたディーナの背中を、安心させようと君島が優しく摩る。彼女の手から何かを感じ取ったか、ディーナの硬かった表情が解れていく。
「では、行くとしようか」
ルイスが黒い扉のドアノブに手をかけるとガチャっと鍵が開いたかのような音が聞こえた。そしてドアの中央にはめ込まれた丸い宝石が淡い光を放つと、ドアノブが勝手に動き重たい扉がゆっくりと開いていく。
扉の先にあったのは、高い天井から強い光が降り注ぐドーム状の空間だった。扉を潜りその空間へと移動すると、規則的な縦筋の入ったライトグレーの壁には同じような黒い扉が幾つも並んでいる。床はピンと張った布地のように真っ平らで、歩いてみるとタイルのような材質に感じるが切れ目が一切見えない。
「相変わらず無駄に広い空間ですね」
灯真達がきたこの空間は、世界各地と協会本部を結んでいる重要な場所で、並んでいる扉は各地にあるネフロラのオフィスにつながっている。灯真が最後にここにきたのは会社に入る前なのでもう2年以上前になるが、何度見てもこんな広い空間が必要だったのかと疑問に思っていた。
「いざというときの避難場所も兼ねているからな」
100人以上入れるであろうこの場所の正体は、アーサーの家に古くから伝わっていた古の魔法使いが作り出したとされる遺跡。この巨大な空間と別の場所とをつなぐ扉、奥に立っている巨大な建物、そして魔力を流すことで光を放つ照明以外には何もなく、ナイトレイ家にもここがどこなのか、何のために存在する場所なのかわからないという。
「常に先を読み備えよっていう言葉が伝わってたくらいだもの。ここもきっと、そういう場所として作られたんでしょう」
君島の言ったその言葉は魔法使いたちに昔から伝わっているもので、力無き者達から逃げ続けてきた魔法使いたちが常に心掛けていたことだ。この空間が作られた経緯などは一切残っていないが、研究者たちは避難場所として作られた可能性が高いという見解を示している。実際、同じような役割があったと考えられている遺跡は他にもいくつか存在する。
「なるほど……じゃあ、あの人たちも協会の方が先を読んで手配した方々ってことでいいですか?」
そう言って灯真が見つめた方向にいたのは、白い床によって際立つ漆黒のスーツに身を包む男たちだった。他の扉からは誰も出てくる気配はなく、男たちは灯真たちのことを待っていたかのようにじっと彼らを見ていた。