第35話 思い出すもの ヘイオル・ヒュート
「」は日本語、『』はそれ以外の言語での会話を表しています。
基本的に護以外はみんな、日本語を喋ってはくれません。
「ここが……」
護の目の前に広がる崩れた建物、そして赤黒い血飛沫の跡。ここは守護者の森を越え、さらに西へと進んだ先。かつてレクイースたちが暮らしていた集落、アディージェたちの故郷だった場所である。
アウストゥーツの痕跡を追うため、護は虹槍騎士団の副団長ヘイオル・ヒュートと共にこの地を訪れた。案内をしてくれたのはフォウセの里で待機していたラーゼアとヴァイリオである。
本来なら、ヴィルデムの民ではない護がこの件に関わる必要はない。しかし、起こっている問題に関わりを持ったことが、調査員としての職業病を発症した。協力を申し出たとき、立ち会っていたサムも最初は驚いたが、調査機関に所属するものの癖をよくわかっていたのだろう。
『子供たちのことは、俺の方で見ておく。しっかり調べてこい』
そういって、笑顔で送り出してくれた。外に出ると告げた時、灯真は少し寂しそうな顔をしていたが、アーネスに『マモルがいない間にしっかり練習して、戻ってきた時に驚かせてやりましょう』と、魔法の練習に連れて行かれてしまった。アーネスの行動に驚きながらも、灯真の顔が少しだけ明るさを取り戻したのが見え、護の不安は和らいだ。
『亡くなった人たちは、みんな弔ったっす』
ラーゼアの声が護の頭の中をスーッと通り抜けていく。聞こえていないわけではない。護の脳裏に浮かぶ光景が、音が、ラーゼアの声を遠ざけている。どこから聞こえているのかわからない爆発と銃撃の音。家族に危険を知らせる男の喚声。目の前で起きた光景を受け入れられない女の絶叫。父の名を呼び続ける少年の慟哭。家族とはぐれ、ただ泣く事しかできない少女の悲鳴。舞い上がる砂煙に血を纏ったナイフ。そして、それを握りしめる自分の手。彼の日常だった世界が鮮明に思い出される。
護は親の顔を知らない。命を奪った相手のことも覚えていない。覚える必要はないと、そう叩き込まれた。しかし、成長期であった彼の脳はその光景を記憶しないという選択をしなかった。今の護には、もうわかっている。彼らのしていたことが洗脳であったこと、そして自分が罪のない人の命を奪ってきたということを。
護は静かに手を合わせ、目を閉じる。生きている自分が、死者に対して出来るのは2つだけだと茉陽に教わった。1つは、死者が苦しみ続けることなく天国にいけるよう祈ること。2つ目は、命が奪われてしまったなら同じことが起きないように力を尽くすことだと。
『後で皆の眠る場所に案内してもらえるだろうか? 団長に代わってピオリア殿に挨拶をしておきたい』
『もちろんっす』
彼ら以外誰もいない静かな街跡を、ヒュートは何度も見渡して訝しげな表情を見せる。特に気にしていたのは地面や崩れかけた壁に開いた穴。大きさにばらつきはあるが、一番多いのは穴はどれも1cmに満たない。
『この感じ……』
『ヘイオルさん、どうかしましたか?』
黙祷を終えた護の目に入ったのは、瓦礫にあいた穴という穴を何度も確認しているヒュートの姿だった。
『似ている。黒い雨の降った場所と』
『黒い、雨?』
『オスゲアで【スクテキアの黒い雨】と呼ばれた事件のことであろう。向こうに行った仲間から聞き及んでいる』
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《その地に足を踏み入れることなかれ》
この世界の西側、オスゲア大陸の北と南は100年以上続く条約のもと、南北の陸地を分ける湖【生命の泉】とそこから流れる2本の川、それらを中心とした数キロの土地をどちらにも属さない不可侵領域と制定していた。これは互いの交流を断つためではなく、この地がオスゲア大陸に住う動物たちの命が育まれる大事な場所という共通認識があったためである。
しかし3年前、不可侵領域に隣接している南側の国【デクニューロ】が、条約は【生命の泉】周辺の資源を取らせないために北が謀ったのだと主張。これに賛同した南側諸国により不可侵領域への侵攻が行われ始めた。
最初は小規模なものであったが、徐々にその範囲は生命の泉を超え北オスゲア大陸側にまで広がった。これに対し北オスゲア三大国の1つ【スクテキア】の国境警備隊は条約違反として彼らの排除に乗り出した。そして戦いは激しさを増し、双方に甚大な被害を与えた。
この事態を受け、北オスゲア大陸を治める三国は虹槍騎士団を派遣を決定。対して南オスゲア大陸は、それを敵の侵攻と見なして剛鱗衆と呼ばれる精鋭部隊を派遣した。
戦闘が行われることはなかった。当時、騎士団長であったヘイオル・ヒュートの父と剛鱗衆の代表とで、この戦いの真意を問う会談の場が設けられたためである。二人はこの戦いが起きたこと自体に疑問を抱いていた。
互いに情報を出し合った結果、この戦いの裏に間違った情報の流布があったこと、そして情報源を辿っていくと、ある人物に辿り着くことが判明した。それが、剛鱗衆に在籍していた【アウスドネス】という男であった。
剛鱗衆の代表は、仲間を引き連れすぐにアウスドネスの身柄確保に動いた。しかし、彼の元に辿り着くことは出来なかった。
会談の場に、そして両国の兵士たちが待機していた場に【雨】が降った。当時、雨雲はどこにも見当たらなかったという。
最初にそれに気付いたのは、会談の場から外にでた剛鱗衆の長であった。肌で感じた空気の違和感。次々と倒れていく部下たち。異常事態を他の仲間たちに伝えようとしたときには、もう遅かった。
建物も、鎧をも貫く【豪雨】が彼らに襲い掛かった。それは時間と共に勢いを増し、範囲を広げ、その場にいた9割の命を奪った。
数時間後、状況確認に生命の泉を訪れた両大陸の使者が目撃したのは、横たわる無数の死体とその血が流れ、赤く染まっていく泉。しかし、彼らの命を奪ったものはどこにも見当たらなかった。遺体の傷は全て貫通しており、残っていたのは地面に開いた無数の穴だけ。
死体のそばで呆然とする生存者たちは、口を揃えてこういった。
「黒い……雨が降った……」
この事件は【スクテキアの黒い雨】として伝えられ、生存者の1人であり、会談の場に同席していたヘイオル・ヒュートの証言により、アウスドネスはオスゲア大陸全土で指名手配されることになった。
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『全く同じわけではないが……』
『アウストゥーツは言った。これは、オーツフ軍によるものと』
『そうっす。兵士を捕まえてたっすよ』
ラーゼアとヴァイリオは、確かにオーツフ軍の兵士をその目で見た。鎧に描かれていたオーツフ軍の紋章、そして守護隊章は偽物ではなかった。
多くの天然魔道具を取り扱う彼らレクイースは、各国の軍とも取引をしている。しかし、取引相手を装う偽物もいないわけではなく、自然と審美眼は鍛えられた。そんな彼らが、いくら冷静さが低下していた状況であったとしても、見紛うはずがなかった。
『そいつから話は聞けたのか?』
『否。すでに息絶えていた』
『ジノリトさんが確認を取ってくれましたが、オーツフ軍で行方不明になっている兵士や備品はないそうです』
『オイラたちが見間違えたっていうんすか?』
『アウスドネスの仕業であれば、わからない話ではない』
アウスドネスの捜索が行われていく中で、彼に騙された者だけでなく、彼に賛同し協力していた者がいたことも発覚した。ヒュートは今回の件についても、協力しているものがいると考えていた。
『そんなの……おっ……王様が黙ってるわけないっすよ!』
『3年前の事件以降、南オスゲア大陸の各国で調査が行われた。そこでわかったのは、各国の代表が知らぬところで資金援助が行われていたということだ。あの男の恐ろしさは、そういうところにある』
『我らと同じように集まっていた者たちは皆、あの男に心酔していた。人の心を掴む力は本物ということか』
『だからアウストゥーツ……ふざけた名前を』
『こっちではあんまり聞かない名前っすけど……?』
『アウストゥーツとは、オスゲアの言葉では【率いるもの】を意味する。アウスドネスという名も【導くもの】という意味だ』
『自分の行動に合わせた名前を使っている……ということですね』
『ああ。奴の出生も真の名も未だわかっていない。あの黒い雨の正体も……』
ヒュートが顔を顰める。あの日降った黒い雨は、アウスドネスが起こしたものだと考えられている。しかし、3年経った今もそれを証明できていない。本当に彼の仕業だったのかと疑い、黒い雨事件そのものをどこかの国の陰謀だったのではと考える者まで出てきている。それは、アウスドネスの捜索を行なっている虹槍騎士団や剛鱗衆らの悩みの種となっていた。
わかっている事といえば、奴が黒い槍を作り出す魔法を使うこと。そして、それを大量に作って仲間たちに渡していたこと。今回東の大陸まで赴いたのも、奴の槍を目撃したという情報が手に入ったからである。
『黒い雨って、彼が作った槍のことではないんですか?』
アウストゥーツと黒い雨、二つの情報から護は真っ先にそれを思いついた。しかし、ヒュートは即座に首を横に降る。
『降ってきたものが奴の槍であれば、【雨】という表現はしない。間違い無くあれは、大粒の雨だった。明るかったはずの場所が、陽が落ちたのかと勘違いさせるほど黒い雨粒だったが』
『黒い槍……雨……』
護の頭の中で様々な可能性が浮かび上がっていく。しかし、少ない情報だけで結論付けるのを避けるため、護の口からそれが出ることはない。もっと彼に関する情報を集めなければ、今後の動きも、彼と戦うことになった時の対策も決められない。
護は頭の中で行われている会議を中断し、新たな行動をとるべく思考を切り替えていく。
『どこかにオーツフの兵士が使っていたっていう槍は残ってませんか?』
彼の魔法 《エウスプル イーエ》を使えば、槍の持ち主の位置を特定することができる。すでに亡くなっていれば遺体の場所がわかる。他の持ち主がいた場合はその人物までの道筋を辿れる。
だが、護の声に対するラーゼアたちの反応は暗い。
『武器として使えるっていって、アウストゥーツの仲間が全部回収してったっすよ』
『オーツフ兵から回収したというものが奴の作ったものであるならば、我々が確認できたのは守護者の寝所に残された物だけであろう』
『あれは……』
護が言葉を濁す理由は、提案したヴァイリオもわかっている。守護者の寝所に残された槍はジノリトによって斬られてた後放置されていたが、しばらくして様子を見にいくとその姿を消していた。
『アディージェさんの傷から抜いたものも、いつの間にか消えていましたし……』
魔法で作られた物は大きく3種類に分類される。
1つは魔法を使った本人の意思によって消滅する物。これは他の人間に悪用されないということと破損しても使用者の魔力ですぐに復元できるというメリットがあるものの、使用者が死亡すれば消えてしまう。
2つ目は、魔法使用者がいなくなっても消えることはないが破壊されると消滅する物。他者に作ったものを貸せるというメリットがあるものの、作った時に使用した魔力によって強度が変わる。また一度破損すると使用者の魔力での復元はできない。
3つ目は魔法使用者がいなくなっても、破損して消えることはなく永久に残り続けるもの。破壊されることで効果を失うものも存在するが、魔法使用者の魔力によって復元可能で作られたもの自体が消滅することはない。協会本部への移動に使われている扉はこれに該当する。
その認識はヴィルデムも同じだったようで、護やジノリトは彼の作った槍を1つ目に該当するものと結論づけた。もし2つ目であったならば、ジノリトが切った段階で消滅しているはず。3つ目であった場合は消えた理由がわからない。
『やっぱりあの時無理にでも触って確認しておけば』
護の力は対象に触れなければ効果を発揮できない。怪我を覚悟でアディージェから外した槍の一部に触れようとしたが、メヒーからは「怪我をするとわかっててするバカ、治す気はないから」と、治療を断られてしまい諦めた。心配と怒りが混ざり合ったメヒーの眼差しが、護に愛する妻の姿を思い出させたのも諦めざるを得なかった理由の一つである。
『彼女の目は、まるで塵芥を見るようであった」
『そんなだったんすか……』
『仕方ないですよ。彼女の言い分も間違ってはいませんし』
『然り。だが、手がかりが無いのでは』
『無いとは言い切れませんよ』
そういうと護は、突然姿勢を低くして周囲の地面を観察し始めた。彼の行動にラーゼアが首を傾げる。
『いくら探しても何もないっすよ?』
『物はないかもしれませんが……あれかな』
護がそう呟いて何かに近づいていく。しかし、ヴァイリオやヒュートが見てもそこには何もない。あるとすれば、浅い溝が地面にあるくらいなものだ。しかし、護はまじまじとそれを見つめ溝の形を確かめている。
『アサヒナ殿、何か見つけたのか?』
『ええ。彼らの足跡を』
ヒュートらに見えたのは、誰かの足跡。つま先のほんの一部であった。
ようやく本編に戻りました。
手がかりを見つけに向かった先はラーゼアたちにとって辛い思い出の地。
さすがは護さん、調査機関の支部長!
ちゃんと手がかりへの道筋を見つけ出す!
さて、一体その足跡をどう使っていくのでしょうか?
アウストゥーツにたどり着くことはできるのか!?




