両腕は自由に舞う
読んでくださってありがとうございました。感想をいただければ昇天します。
「エピローグ」
――ここは、どこだ。
ただ真っ白な空間に、俺はフワフワと浮かんでいる。どこかで見た光景だと思い起こせば、いつか見た夢の世界のようだ。
ふと下を見れば、魔王とサタナキアが真っ黒な空間に引きずりこまれている。それを見るとなんとなくだが察することができた。あそこは地獄の入り口だと。
俺も、下へ、地獄へとゆっくり落ちていった。やっぱり地獄行きかなんてやりきれない感情でため息を付くと、誰かが落ちていく俺の手を取った。見上げれば、とても懐かしい顔が微笑んでいる。
「やあ、リージル。久しぶりだね」
「お前こそな……メネス」
一年前、エルメラに殺されたガキの頃からの親友メネストレット・ブラッドルフが鳩の飛んでいる青空の下から来てくれた。
「こんなところまで、なにしに来たんだ」
メネスは決まっているよとふくよかな声で返してきた。
「君を地獄へ行かせないために、無理やり天国の扉を開けて助けに来たんだ」
「だが俺は、数えきれないほどの命を奪ってきた……地獄が相応しいんじゃないのか?」
そんなことないわよと、またしても声が聞こえる。
「レッドアイになって死んだ人たちが天国でいうには、死ななければ解放されない地獄から救ってもらった恩人らしいわよ」
ルンも、迎えに来てくれた。こうして三人がそろうのは一年ぶりだ。それでもたった一年だったというのに、時間が進むのが遅かったなと振り返る。きっと、沢山の人と関わって、充実していたからだろう。
「それで、俺はこれから天国へ行くのか」
青空にぽっかりと浮いている扉を見てそう言うが、二人は顔を見合わせてクスクスと笑った。
「どうした?」
「いや、本当は迎えに来たつもりだったんだけれども、まだ君は死なないみたいだ」
死なないだと? あれだけの傷を負って、大量に出血して、それでも生きていられるのか?
「疑問に思うのはわかるよ。でも、これはだ丈夫だ。だからもう一度ちゃんと伝えるね」
一息つくと、メネスは微笑んだ。
「僕たちのいない世界を頼んだよ」
その言葉が合図だったようにルドベキアの花弁が辺りに降り注ぎ、俺は地獄でもない下へと落ちていく。最後に先に逝ってしまった親友たちに手を伸ばしたら、視界は真っ暗になった。
重たい瞼をあけると、何度か運び込まれた騎士団の詰め所にある医務室のベッドで横になっていた。誰もいない医務室で声を出そうとするが、長いこと寝ていたのか掠れて言葉にならない。しかし丁度よく置かれていた花瓶の横にある水差しから冷水を飲み込むと、布団で見えなかった、なくしたはずの魔王の左腕が露わになっていた。
「これは、いったい……?」
魔王の力を解放した時と同じ感覚は残っているが、魔王は俺の中にいない。今見ていた夢のような空間で地獄に落ちていったからだろうか。
「起きた! 起きたよ!」
そんなとき花瓶に入れる花を持って来たのであろうアルマが、慌ただしい声で俺に抱き着いてきた。
「死んでない! 生きている!」
珍しく声の大きいアルマの声に釣られてか、シスイとニオも医務室にやってきた。
「なにが、あったんだ」
その問いにはニオが前に出てきて説明してくれた。
「アインヘルムで言ったろう? ボクも賭けをするって」
確かにそう言っていたが、賭けとはいったい……?
「わからないのは当然だから教えてあげると、君から左腕を千切ってくれと頼まれてから考えがあったのさ。表面上はホワイトを取りに行くだけにして、ついでに針と糸を荷物に入れておいた。それだけだよ」
「ということはつまり、あの場で腕をくっ付けたのか? 魔王の左腕を」
その通りと口にするニオは、エルメラが倒れた後ダメもとでくっ付けようとしたら、最低限の糸だけでくっ付いたという。まるで元あった場所へ帰るように。
「不快ならこのサンストで斬り取ってもらえばいいし、ピリピリと感じる魔王の力で傭兵でも騎士でも努めればいいだろう?」
確かにようやく両腕が使えるようになり、魔王の力は際限なく使うことができる。
「まあ、急ぐこともないじゃろ。ゆっくりと決めればよい」
シスイの言葉に頷いて左腕を見る。黒と紫の混じった鱗の生えた魔王の手。力を使っても魔王が出てこないなら、生まれつきとでも嘘をついて使えばいい。
「そういえば忘れていたが、エルメラはどうなった」
ふと思い出したかつての宿敵について聞くと、俺が体を二つに斬ったようで、一応遺体はサンストに持って来たらしい。なんでも、憎い相手ならどれだけ痛めつけても気が収まらないからだとシスイは言うが、なんというか、もうどうでもよくなっていた。あれだけ憎かったのに、殺してしまえば炎に水をぶっかけたように復讐の業火は消えていた。
「少し、一人にしてくれるか」
三人とも俺のことを思ってくれてか、三日間は寝ていたらしいので食事だけメイドに持ってこさせるとベッドの上でこの一年を思い返していた。
エルメラに殺されかけ、魔王と契約を交わし、ニオたちエルフを助けて、ジッグラトをいくつも潰して、アルマを助けて、イルムに手を貸して、エルダードワーフから剣を作ってもらって、エルメラを倒した。
なんだか、長かったようなあっという間だったような、そんな気持ちにさせる。とにかく復讐は果たしたので、もう一度寝よう。すべてに片が付いたからか、熟睡できたとだけ覚えていた。
相変わらずヨモギの緑が死者たちの魂の安寧を願っている戦士たちの慰霊碑に、エルメラを倒したことで貰い受けた僅かな金でルドベキアの花束を買って訪れた。あれだけ命を賭けて世界から赤目の病をなくしたというのに、帝王はエルメラについて知らないから謝礼は支払はれなかった。せめてもの気持ちとしてシスイが騎士一人分の給料を渡してくれたことだけが救いだが、やはりやりきれない。
とにかくそんなことを考えながら慰霊碑にルドベキアの花束を添えると、しばらくそこで佇んでいた。気のきいた台詞でも言えれば恰好がつくのだが、生憎とそんな語彙は持ち合わせていない。けれど空を見上げれば、雲一つない快晴が視界いっぱいに広がっていて、あの青空の向こうからメネスとルンが俺のことを見ているのではないか、なんてことをふと思っていた。
さて、そろそろ行こう。俺は何度も洗って干して血の臭いを取り除いた赤いロングコートを風になびかせて、街ひとつくらいには入れる程だけの金を残して旅道具をサンストで買い集めた。季節はもうすぐ春になるので、今までのような本格的な装備はいらない。それに魔王の左手と右目のおかげで腹もあまり減らないし病気にもならないので気楽な旅になるだろう。
こんな様子をアルマに見られれば無理やりにでもついてくるだろうし、シスイからはこの前騎士団に復帰して副団長になってくれないかとも頼まれていたので、二人に見つからないように、ニオへうまいこと二人を引きとめておいてくれと頼んでおいた。流石は千年生きているだけあって、二時間以上も街の中を買物のために回っていたが、二人は現れなかった。
装備を整えると、俺は見つからないように騎士団の詰め所に置手紙だけを残した。内容は簡潔で、アルマの幸せとシスイに長生きしてくれとのことだけだった。
「お前でいいか」
厩にやってくると、俺を二度乗せた黒毛の馬を引っ張って、馬に荷物を持たせるために腰の両側へ厚い皮の袋を取り付けて、リュックの荷物をそちらに移した。俺を含む三人を乗せても走ってくれたのだ。これくらい軽いだろう。
「ちょっとまちなよ」
準備万端となった際、ニオの中性的な声が俺を引きとめた。なんだと振り返れば、忘れ物だとノワールを投げ渡された。だが、もうこれは必要のない物だ。
「もう十分戦ったからな。アルマにでも渡してやってくれ」
俺の復讐を一番助けてくれたニオに投げ返すと、本当にもう行ってしまうのかと聞かれた。その答えに、俺はただ行くとだけ告げて、馬に飛び乗った。突然のことに馬も驚いていたが、これから世話になる相棒なので頭を撫でてやった。
「それじゃ、またいつかどこかで」
詩的だね、なんてニオははにかみながらも、手を振ってくれた。
復讐は終わったのだ。だがそれは同時に向かうべき未来がなくなったとも同意義だ。今まではエルメラとジッグラトという明確な目的があったが、今はない。だから探しに行こう。俺なりの生き方で。
また別の作品で。しからば。