ドワーフの里
日が登ってきたら寝ている二人を起こして、農場にある井戸で顔と口を洗う。それでもまだ夢の途中のような二人に農家から買い取った唐辛子を水に混ぜてくれてやると、二人して咳き込みながら俺を睨んだ。
「たばかったな……」
難しい言葉を知っているじゃないかとアルマに言い、辛いのが苦手なのか井戸へと走っていってありったけ水を飲んだニオは一本取られたよと苦笑いだ。
農家の家族たちも朝が早いのか目を擦りながら起きてきたので挨拶して礼を伝えると、このまま旅を続けると伝えた。こんなに寒いのに大丈夫なのかとも心配されたが、今日中には目的地に着くので心配ないと、赤いコートに袖を通した。
「それで、昼には着くのなら、ここから見える山のどれかか?」
高い山が広がる北の果てには霧がかかっており、エルフの里も霧の中にあったから聞いてみた。
「うん、あれ」
アルマが指を指した先には、一段と高くそびえ立つ山が待ち構えている。もともと山暮らしのニオやアルマなら当然のことなのだろうが、俺からすれば、よくあんなところに住むなと理解しがたい。
立ち止まっていてもしょうがないので歩を進めると、いい具合に快晴で風もなく、冬の寒さもいくぶんかはマシになる。だが、そんなほがらかな旅は山の麓にたどり着くと終わりを告げた。
「斜面が急すぎないか、これ」
山登りといえば歩いて登るものだが、目の前にあるのはただの馬鹿でかい岩だ。
「ドワーフなら簡単に登れるからこうなってる。みんな力持ちだから」
要はロッククライミングというやつだ。しかも片腕で岩肌の突起を掴んでよじ登らなければならない。こんなので騎士団長のために剣を作っていた時はどうやって運んだのかと聞くと、荷物を背負って普通にこれを下りてきたらしい。
「すまないが、アルマ……この弓と矢筒を持っていてくれないか……?」
登るしかないとわかると、ニオは少しでも軽くなろうとアルマに両方預けた。別にかまわないというのでニオは身軽になったが、はたして登れるのだろうか。
「二人とも、大丈夫。少し登れば普通の山道だから」
それまでが大変だとニオと二人で項垂れると、突起を掴んでゆっくり上り始めた。華奢なニオでは落ちるかもしれないので、アルマに命綱を巻いて預けた。
とにかく急なロッククライミングもアルマの言う通り十分程度で登りきることができた。疲れたと疲労困憊なニオは少し休むと言ったが、後はそこまで急ではない山道なので、俺が背負って登ることとなった。
こっち、あっちとアルマの指示通りに登っていくと、とうとう霧が濃くなってきた。道を踏み外せば文句なく死ぬらしいので、アルマと俺はロープを持って進んでいく。何度か道を踏み外しそうになってひやひやしていたが、だんだん霧が晴れてきた。そして風が吹くと、ようやくドワーフの里フルバルンに到着した。
「魔王の力があるってのに疲れた」
ニオを下ろして座り込むと、鉄を打つ音が木霊する霧の中に家屋が三十ほど見受けられる。どれも山の斜面を平らにして建てられており、どうやって運び込んだのかは見当もつかないが豚や牛などの家畜もいる。野菜の栽培も一部で行われており、ドワーフだけが住むならば苦労はしないであろう里だった。
と、座り込んで辺りを見回していたら俺たちに気付いてか一人のずんぐりむっくりとした男のドワーフが、アルマを指差して声を上げた。それへつづくように他のドワーフたちも何事かとこちらを見ると、皆が走り寄ってきた。
「久しぶりだなぁ! アルマ!」
ドワーフに囲まれ、アルマは住民たちからよくぞ帰ってきたと喜ばれている。しかし、両親がいないことに疑問を持ったドワーフがアルマに問いかけると、死んだ、とだけ何事もなかったかのように口にする。
しばらくドワーフたちは言葉を失っていたが、なにがあったのかと聞いている。事細かに説明してくれと。
「細かいのは苦手だからわかりやすいように教える」
そう言ったアルマは振り返って座ったままの俺を指差した。当然視線を浴びることになる。言葉次第では誤解を生みかねないので止めようとしたが、アルマはクレサでの出来事を話し始めた。
「赤目の病の発病者だからって火刑台に縛られて、お父さんとお母さんは焼け死んだ。でも私は、助ければ犯罪者になっちゃうのに、あのリージルに助けられた」
その言い方ではなぜ両親も助けなかったのかと糾弾されそうだと緊張するが、ドワーフたちは肩を落としながらもアルマを抱きしめ、一人の身なりがいいドワーフが俺の方へ歩いてくると、この里の長だと名乗り頭を下げた。
「片腕の御仁、どうも我らが同族であるアルマを救っていただき、誠にありがとうございます」
ひったくりを追いかけていたら偶然見つけて、メネスの言葉が聞こえた気がして助けただけだというのに、ここまで感謝されるとは。悪い気はしないが、騙しているようで心苦しい。
「それで、こちらのエルフはどういったご用件で?」
どうやらエルフとドワーフ間での溝はないようで、俺と同じく座っていたニオは立ち上がり、砂を払うとこの里にある黒水晶に関する蔵書を読みにきたと告げた。だが族長は少し困った様子だ。
「私は七百年生きていますが、あれに書かれている文字は千年近く前の物です。読むのは結構ですが、解読できるかは保証しかねます」
「大丈夫だよ、ボクは千年生きているから」
ドワーフは歳と共に老けていくが、エルフは成長が止まる。だから年下と侮っていたのであろう族長はそれならば早速読みに来てくれて構わないと、家へと向かった。
「それで、アルマを救ったリージルとやらはなにをしに来たんだ?」
筋骨隆々ながらも背の低いドワーフに、アルマのおじいちゃんが作る剣が欲しいと告げた。
それを口にした瞬間、里に入ってからつづいていた鉄を打つ音が途切れ、ドワーフたち一同に緊張が走った。なぜだと問おうとしたら、巨大な人影がドワーフたちの背後から現れる。クマより巨大なオークかと剣を抜こうとしたが、よく見れば巨人のような大男だった。
「ワシの剣が欲しいと言ったのはお前か」
しゃがれた声といかつい顔で俺を見下ろす大男に、アルマは久しぶりと声をかけた。
「孫娘よ、帰ってきたか」
「うん、お父さんもお母さんも死んじゃったけど」
そうか。この爺さんはそれだけしか口にしなかった。アルマがおじいちゃんと呼んだドワーフにしても巨大すぎるエルダードワーフは、息子たちの死に悲しみも怒りも抱いていないようで、ただそれがあっただけとしか受け取っていない。アルマの性格は、どうやらおじいちゃん譲りのようだ。
「で、片腕の小僧ごときがワシの剣が欲しいだと?」
「片腕じゃ不服ってか」
他のドワーフたちが恐れるように散っていくが、気にもしないで俺を睨みつける。そして次の数瞬の時間をおき、アルマのおじいちゃんは剛腕を天に掲げて俺へと容赦なく振り落した。なぜ、どうしてと考える前に右手で受け止めると、あまりの力に踏ん張っていた足が地面にめり込む。右手もプルプルと痙攣しているが、どうにか払うことができた。
「ほう」
拳を引っ込めて若干笑みを浮かべると、アルマを見た。
「旅の土産に面白い男を連れて来てくれたのだな」
「本気を出せば、おじいちゃんより強いかもしれないよ」
その言葉に大きな口を開けて笑うと、改めて俺を見据えた。
「エリオルド・マックダフだ。片腕と馬鹿にして悪かった」
「俺はリージル・シティブソンだ。あんたは意外に話せるドワーフのようだな」
挨拶も済ませると、エリオルドはついてこいとアルマと俺に言った。
鉄を打つ鍛冶場に数はあれ、そこらの悪魔より巨大なエリオルドが出入りする鍛冶場は有に人間二人分は担いで通れる入り口が待っていた。
「鍛冶場は職人の聖域だ。だが拳を合わせた感覚とアルマをもってしてワシより強いと言わしめた貴様には、特別に立ち入りを許可してやろう」
そりゃどうもと馬鹿でかい入り口を通って鍛冶場へと入ると、およそ人間では扱えない槌などの鍛冶道具が壁に掛かっている。それだけでも武器になりそうな槌を見やりながら辺りを見回していると、厳重に布で縛られた身の丈ほどの塊が二つほど並んでいる。
「それはミスリル。それでこっちがオリハルコン」
思わず耳を疑った。神の与えた鉱石とすら言われるミスリルにオリハルコンといえば、それこそおとぎ話か冒険譚に出てくる名前だからだ。
「それで、若造はどんな剣が欲しいんだ」
槌を持ってやる気満々のエリオルドに、ダメもとでミスリルとオリハルコンを指差した。ふざけるなと怒鳴られる覚悟をしていたのだが、エリオルドは、ふむと考え込んでいる。
「人間が生きる歳月のすべてを使ってでも見つかるかどうかという鉱石を使う、か……」
アルマはどう思うと、エリオルドは問いかけた。
「ちょっと事情があって左腕は使えないけれど、リージルは私の作った剣でも耐え切れない力を剣に宿せる。見た感じだとミスリルじゃ壊れそうだから、使うならオリハルコンがいいと思う」
「人間の若造に代々受け継いできたオリハルコンを使えと? 確かにワシらが持っていても宝の持ち腐れだが、なんのために剣を欲する?」
「頭のイカレタ魔王に次ぐ悪魔を倒すために使う。結果としては、それで赤目の病もおさまるから一石二鳥だ」
ふむと、またしても考え込んだ。
正直、オリハルコンの剣は喉から手が出るほどに欲しい。しかし、エリオルドは簡単な条件を提示した。
「ワシの剣を持って無様に死なないと約束できるのならば、オリハルコンの剣を作ってやろう。もし死んだ場合は、墓石を斧で砕いてくれるからな」
「まだ死ぬ気はないし、死んでも墓石なんぞに入れねぇだろうから受けるぜ、その条件」
ククと笑ったエリオルドは、本当に面白い男を連れてきたとアルマを撫でた。
「死んだ後のことをどうでもいいと考えられる者などそうはいない。それに、仕草から見てわかるが左腕も動くようだ。いいだろう、作ってやる」
そうこなくてはと小躍りし、アルマに補助を頼んで今から打ち始めるらしい。オリハルコンというだけあって、最高級品を数分で作り上げたアルマとエリオルドをもってしても丸一日はかかるそうだ。
「離れを好きに使ってくれて構わない。あのエルフにも伝えておいてくれ」
「あの場にいなかったのに、ハイエルフのニオのことを知っているのか?」
「鍛冶職人は耳が命だ。鉱石の声を聞かなければ、剣は打てないからな」
職人の世界にはついていけそうにないので二人に任せると、ニオが向かった族長の家を探した。アルマを助けたからと道を聞いたら、おそらくドワーフと結婚している人間の女に案内されて、煉瓦造りの家屋へとやってきた。
いきなり入っては作法がないのでノックをしたが、反応がない。大声を出して呼びかけても出てこないので扉を開けると、鍵もかかっていなかった。同族たちが住むのだから必要ないのだろう。
壁に飾りつけられている斧を交差させた飾りなどを目にしながらウロウロと家の中を歩いていると、地下へとつづく階段があった。話し声も聞こえるので降りていくと、薄暗い地下室に、身の丈以上の本棚か並び、蝋燭の明かりでニオと族長が蔵書を開いている。
「成果はどうだ?」
突然の来訪にビクッとした二人だが、俺だとわかると、まだ時間がかかるとニオは言う。
「これだけ本があるとね、とてもじゃないけれど一日二日じゃどうにもならないよ」
そう言って手にしている本には、見たこともない文字が羅列されている。
「とりあえず、剣の方は明日には完成するそうだ。それだけじゃ見きれないか?」
残念だけど、とニオは肩を落とすが、赤目の病に関する情報を探していると族長は聞いていたようで、サンストに蔵書のすべてを運ばせると言いだした。
「大切なものじゃないのか?」
年代もの程価値が上がるのは世間の常識だ。そんなマニアかなにかに売りつければ大金になりそうな蔵書を渡すのは裏があるのだろうか。勘繰ろうとしたが、族長は丁寧に頭を下げて皺のよった顔に笑みを浮かべる。
「七百年前後の蔵書は読み切ってしまいましたからね。後は千年以上生きているニオさんに任せることにします。この地下室にも新しい本がおけますので」
エリオルドといい、ドワーフは太っ腹なようだ。ならば、それにあやかるのが人の性というもの。ありがたくサンストに運んでもらうこととなった。
「それじゃ、詳しく調べるのはサンストに戻ってからにするとして、アルマの爺さんから離れを借りたから、荷物を置きに行くぞ」
了解と口にしたニオは、埃くさい地下室から出て体を伸ばすと、丁度若いドワーフたちが俺たちの前にやってきた。
「里の女神とも呼ばれるアルマを片腕で助けてくれたんだ。この里特有の酒と食い物を用意したから、ぜひ来てくれ」
「そいつは助かる」
丁度腹が減っていたのだ。それに、濃霧の先に少し見える太陽は陰り始めている。今日は飲んで騒いで、剣の完成を待つことにしよう。
ドワーフの用意した酒は強く、腹に沁み渡る味わったことのない酒だった。一気には飲めないが、その分一杯で十分に満足できる。ニオはもうグデグデに酔っており、つまみとして出されたアルマが持っていた甘い豆をかじっている。
そんな風に騒いでいる間にも鍛冶場からは鉄を――オリハルコンを打つ音が聞こえ、一休みしないかと酒を持っていったが、アルマはもう寝ており、エリオルドが一人で槌を振るっている。
「一杯どうだ?」
グラスに入った酒を差し出すが、シラフでなければオリハルコンを無駄にすると言って、気にせずに里を満喫してくれと笑顔で言われた。
「しかし、なんであんたたちは里に籠っているんだ?」
賑わっている場所に戻って聞いてみると、出入りは意外と激しいらしく、エリオルドの鍛冶場以外で作られた武器を売りに街へ訪れているという。しかし、里で暮らす分には金はいらないので、決まった商人のドワーフだけが出たり入ったりを繰り返しているらしい。族長は蔵書を商人に運ばせるようで、礼のために銀貨を用意しておかなければならない。
そうして里をあげた大騒ぎは夜遅くまでつづき、酔ってふらつきながらもニオを背負って一階建ての離れに入ると、ベッドまで行けずに床で眠ってしまった。
翌朝、二日酔いで頭がガンガンしていたが、ドワーフのくれた秘薬とやらを飲み干すと、味は最悪だったが頭痛はひいていく。ニオも同様に臭いをかいだだけで顔を険しくしていたが、頭痛がつづくよりはマシだと覚悟して飲み込んだ。そしてすぐさま井戸の方へ走っていくと、浴びるほどに水を飲んでいる。
それに目が覚めて気が付いたが、オリハルコンを打つ音が消えている。完成したのかと鍛冶場へ行くと、大きな入口からアルマと目にクマができたエリオルドが一本の剣を手にやってきた。
「自慢ではないが、五百年生きてきて最高傑作だと太鼓判を押せる。決して折れず、刃こぼれせず、切れ味の落ちない剣だ。ためしに振ってみろ」
投げ渡すのではなく、丁寧に慎重に受け取ったオリハルコンの剣の鞘には特別なにも装飾はなかったが、引き抜くとその刀身は分厚く、何色にも染まらない真っ黒をしている。
集まって来たドワーフたちに退いてもらい片腕で構えると、前のアルマが作った剣よりも軽い。流石はオリハルコンだ。そうして振り上げて地面に本気で叩きつけたが、振動で腕が痙攣した。今までの剣では折れていたかひびが入っていた一撃でも傷一つないオリハルコンの剣は、まさに最高傑作と言えるだろう。
「せっかくだ、なにか名前を付けてみろ」
「きっと、生きている限り一生使うことになると思うから、慎重にね」
そうは言うが、剣に名前など考えたこともなかった。いつもすぐに折れていたからだ。だからどうしようかと頭を悩ませていると、どうせだから黒い刀身に合う名前をつけなよとニオが言う。
黒くて、オリハルコンで作られた最高の剣……そして、用途は復讐となると……。
しばらく悩んだ末、ちょっと自信なさげに呟いてみた。
「ラッヘノワールってのは、どうだ?」
エリオルドもアルマもニオも、ドワーフたちも反応に困っていたが、復讐について簡単に説明してやると、ラッヘは語呂が悪いと指摘された。だからラッヘは取ってノワールとだけにすると、エリオルドが柄にと掘ってくれた。
なにはともあれ、魔王の力にも耐えられる剣はできた。後は商人に蔵書を運ぶための銀貨を渡して、サンストに戻るだけだ。
「まだついてくるんだな」
傍らにいるアルマを見て、まだまだ知らないことが多いからと言い、ノワールの点検もしてくれるらしい。
「それじゃ、旅人が旅発つときに残すのは感謝の言葉とまた来るという約束だけだからな。ノワールを作ってもらって助かった。それと今度来るときはサンストから酒を持ってきてやるよ」
待っているぞとエリオルドを含むドワーフたちが手を振りながら濃霧の中に足を踏み入れた。せっかく作ったノワールを無駄にしないためにもアルマに命綱を持ってもらい濃霧を抜けて大岩をゆっくり降りると、今日もまた快晴だった。
「ボク達より先に蔵書を持ったドワーフは馬車でサンストに向かったらしいから、速いところ戻ろうか」
意義はなし。こうして剣も作り終え、黒水晶を砕く手がかりもつかめた。陽気なドワーフたちの里をもう一度濃霧越しに見てから、サンストへと帰路へついた。