7. 死因の謎
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事件当日。この日の朝も三栗谷家は忙しかった。
財閥が解体されることが決まってから、三栗谷家に休む間などない。
解体による代償はある程度国から保証されているとはいえ、子会社の株や証券を全部、国の整理委員会に引き渡す必要がある。そして、財閥の大元である一族は系列の企業から退職せねばならず、復職も認められない。
これには三栗谷家はもとより、系列企業の重役たちにも冷や汗が出た。それまでも経営の在り方が根本から覆されることになりかねなかったからである。
三栗谷家の経営手腕と人脈を失えば、系列企業は倒産の危機を迎える。そうなれば多くの失業者があふれ、陀鬼の町の人々が路頭に迷いかねない。
それを防ぐため、三栗谷家は――特に時雨は朝から晩まで働き詰めであった。
今までの事業を継続させていくためのアイデアを練っては重役たちと会議をする日々。時雨に眠る時間などほとんどなかった。
それでも、朝の朝食時くらいは家族と共にという時雨の強い希望により、この日も早朝からの朝食となっていた。
しかし、他の家族が揃ってもそこに美琴の姿がまだない。いつもは誰よりも早く起き、時雨を起こしにいく美琴がまだ席に着いてはいなかった。
「珍しいこともあるものだ」と、時雨が美琴を起こしに行こうとするのを止め、代わりに木島が美琴の部屋へ行くことにする。
それは余計な手間をかけさせたくないという木島の時雨に対する思いやりであったのだが、今思い返しても自分が行ってよかったと木島は言う。時雨が、最愛の妹である美琴の変わり果てた姿を最初に見ずに済んだのだからと――。
「――まだ眠っていらっしゃるのかと思ったのです。とても穏やかなお顔をしていらしたので……でも――」
語る木島の顔が青ざめていく。
「胸にはナイフが刺さっており、白いお召し物が赤く染まっていました。私は何も考えられなくなり……どうしたらいいのかわからなくなって……慌てて皆様へとご報告に向かったのです」
木島は震えている。手や肩をガタガタと震わせ、唇も青くなっている。
その時の錯乱状態が目に浮かぶようだ。
「その時の部屋の様子はどんなだったか憶えていますか? 窓が開いていたとか、いつもと違うニオイがしたとか」
「申し訳ありません。警察の方にもいろいろと訊かれましたが、よく覚えていないのです。あまりのことだったので……」
舞花の問いに木島は頭を下げる。
無残な美琴の遺体を見てしまったのだ。記憶が定かではなくなっていてもおかしくはない。
「ですが、警察の話によると、全ての窓には鍵が掛かっていたそうです」
「となると、お屋敷に侵入した犯人は堂々とドアからこの部屋に出入りしたわけですね」
舞花は窓の鍵を確認する。留め金ではなく、取っ手を回してのねじ込み式。糸などを使用しての密室づくりは難しそうだ。
しかし木島はそれを一蹴する。
「それはありえません」
「なぜですか?」
「夜の22時になるとお屋敷の外へとつながる扉には私が鍵を掛けます。そして起床後、朝の5時過ぎに鍵を開けるのも私です。あの日の朝、開いていたり鍵が壊されていた扉はありませんでしたもの」
「克己さん、外から侵入された痕跡は?」
向嶋に話を振る。
「ないそうだ。屋敷の周りも見てみたが、怪しい足跡も発見されてないんだと」
「なるほどね~。だから余計に時雨さんが疑われるわけか……」
屋敷全体が大きな密室。警察はそこに外からの侵入者が現れたとするよりも、動機のある時雨が犯人だとする方が合点がいったのだろう。
これでますます時雨が不利になった。
しかし、舞花には今の話にある疑問が浮かんでいる。
「それでは、美琴さんの御遺体なんですが、木島さんが発見した時――」
次の質問を木島へ投げかけようとした時、男性の大きな声がそれを遮った。
「お前たちッ、ここで何をしているッ!」
現れた怒号の主はご老人だった。手には杖を持ち、着物姿に長い白髪、顎には白い髭を蓄えたその風貌は、懐から印籠が出てくるのではないかと思わせる。
「し、重康様っ、なぜこちらに!?」
木島が深々と頭を下げた。
この眼光鋭いご老人が三栗谷家当主、三栗谷重康らしい。
「木島ッ、美琴の部屋に得体のしれぬ者どもを入れるとは何事だッ!」
怒鳴る重康は間髪入れず、杖で木島の肩を叩いた。
あまりの衝撃にその場でうずくまる木島。
「ちょ、ちょっと待って下さいっ!」
これには舞花も驚き、慌てて二人の間に入る。
「私たちは怪しいものではありませんっ。美琴さんの死の真相を探るべく、久恵さんに依頼された探偵ですっ」
木島を庇う舞花に、重康はカッと目を見開いた。
「久恵に雇われた探偵だと? あの馬鹿娘がッ、まだ時雨が犯人ではないと言い張っておるのか! 帰れ小娘どもッ、早く美琴の部屋から出ていけッ!」
重康が怒りの顔で杖を振りかぶる。
その重圧で舞花は動けない。そしてヒュッという風を切る音に舞花と木島は堅く目を閉じた。――しかし、その杖が二人に届くことはなかった。
「そんな棒っきれ振り回したら危ないですよ」
その声に舞花が目を開けると、向嶋が杖を受け止めている。
「克己さん……」
舞花はその背中へ向嶋の名をもらす。
今のは怖かった。動けないほど怖かったからこそ、その背中がいつも以上に頼もしく見えた。
「なんだその声? もしかして泣いてるのか?」
肩越しに振り向く向嶋に舞花は目を擦る。
「な、泣いてなんかないっ」
強がった舞花に、向嶋は口元を弛めた。
向嶋の前では、重康が杖を引いている。
「なんだお前はッ! ええぃッ、離せ探偵小僧ッ!」
顔を赤くするほど強く引いているのだろうが、向嶋との力の差がありすぎてビクともしない。
「探偵なのは後ろの小生意気な娘っ子で、俺は警察です。それに小僧って言われるほど若くはないですよ。あ、でも、ご老体から見ればまだまだ小僧かもしれませんね」
人懐っこい笑顔を浮かべる向嶋に、重康は目を細める。
「警察だと?」
笑う向嶋に重康は力を抜いた。
それを確認した向嶋はゆっくりと杖を手離す。
杖で体を支えた重康は眼光鋭く向嶋を睨んだ。
「なぜ警察がまだここにおるのだ。先ほど時雨を連行して行ったではないか。こんなところで油を売ってないで、さっさと時雨を締め上げてこんかッ」
大きな声を出す重康だが向嶋は動じない。
「いやいや、逮捕したわけではないので連行ではなくて同行してもらっただけですよ。それに、血が繋がっていないとはいえ、時雨さんだってお孫さんでしょ? 締め上げろっていうのは言葉が乱暴じゃないですか?」
「なにが乱暴なものかッ。あの恩知らずは、この三栗谷の家を売却するために美琴を殺したのだぞッ! 美琴がいなくなればこの家を継ぐことができるなどと思い上がりおって……。儂が二人のためにどんなに……どんなに……うう……」
興奮する重康だったが、美琴の部屋を見るなり胸を押さえてフラついた。
「おいおい、大丈夫ですか」
向嶋が支えようとするが、それよりも早く木島が重康の肩を支えていた。
「重康様、ご無理なさってはいけません。さあ、お部屋へ戻りましょう。――鮎川様、向嶋様、申し訳ありませんが失礼させていただきます。なにか尋ねられたいことがありましたら、後ほど答えさせていただきますので」
口早にそう言うと木島は一礼し、重康を支えながらこの場を去って行った。
残された舞花と向嶋は二人を見送り、再び美琴の部屋へと戻っていく。
「で? 舞花はこの事件をどう見る?」
ドア横の壁にもたれた向嶋が話しかけた。
舞花は足を止めることなくクローゼットの前まで行き、その扉を開く。
「服が数着あるだけ。それ以外は何もなし……か」
もう一つのクローゼットも開けてみたが、中身は似たようなものだった。
「舞花、聞こえてるか?」
向嶋の声に舞花は扉を閉めて向き直る。
「たぶん克己さんが感じたのと同じ違和感があるわ。納得いかないというか、しっくりこないというか……」
舞花は腕を組んで考える。そして顔を上げると美琴のベッドへ行き、観察してから振り向いた。
「ねえ克己さん。美琴さんは毒を飲んで苦しんでいるところを刺されたんじゃなくて、毒を飲んで亡くなったところをさらにナイフで刺されたってこと?」
「やっぱり舞花もそこが引っ掛かるか……」
向嶋の言葉に舞花は頷く。
「胸を刺されたにしてはベッドに残る血痕が少なすぎるわ。それに、トリカブトの毒を飲んだのに穏やかな顔をしていたっていうのはおかしな話だもんね。トリカブトの毒を飲んだ人の表情は、不美人を表す『ブス』の語源になったっていう説もあるくらいなのに……」
トリカブト(キンポウゲ科・トリカブト属)
紫・白・黄など、鶏の鶏冠に似た花を咲かせる。芽吹きの頃はセリやヨモギと似ているため、誤食して死亡してしまうケースも少なくない。
根を乾燥させて強心作用や鎮痛効果のある漢方薬として使用されるが、その根には非常に強い毒性がある。専門的な減毒をしないまま人間の体内に入ると、嘔吐・臓器不全・心室細動などの症状から心停止に至り死亡してしまう。
中枢神経に障害が出て顔の表情がおかしくなることからブスという言葉の由来との説もある。
――なお、解毒剤はない。
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