6. 美琴の部屋
□◆□◆
6
★
美琴の部屋は一階にあるのだという。
舞花たちは廊下を歩き、階段を下りて行く。
「木島さん、すみませんでした。私、無神経でしたね」
「え?」
舞花の暗い声に木島が振り向く。
「久恵さんに、最愛の娘が殺されていた部屋まで案内してもらおうだなんて……。辛い記憶を思い出させてしまうことになるのに……」
舞花の表情は暗い。
美琴は胸に果物ナイフが刺さった状態で発見されたのだという。部屋へ案内しようとした時、久恵の脳裏にその時の映像が過ったのだろう。だから、顔色が悪くなり、立っていられないほどの悲しさに襲われたに違いない。
反省する舞花に、木島はゆっくりと首を振る。
「いえ、最初から私がご案内するつもりでしたから。久恵様は美琴様のお部屋まではたどり着けないでしょうし……」
階段を下りきると、木島は階段横の廊下へと進む。
「久恵様だけではないのです。時雨様も、当主である重康様も、美琴様のお部屋には近づくことも出来ません。あんなお姿を見ては無理もない事でしょうけど……」
木島の声が少し震えている。
「木島さんも美琴さんの御遺体を?」
舞花の問いに、木島はゆっくりと頷いた。
「はい、最初に発見したのは私ですから……」
そう答えると、木島はドアの前で立ち止まる。
「こちらが、美琴様のお部屋になります」
泣いているかのようなきしむ音と共にドアが開かれた。
「私はここでお待ちしておりますので」
頭を下げる木島に一礼し、舞花と向嶋は室内へと入った。
そこは二十畳ほどもある広い部屋。
角部屋なのだろう。南側三枚、西側に二枚の大きな窓がある。
「なにも……ない……?」
舞花は呆然と立ち尽くす。
室内の中央には円形の机があり、籠に入った果物がいくつか置かれていた。しかし事件の時のままなのだろう。すでに水分はなく干からびてしまっている。
西側の壁際にはベッドがあり、西日が直接あたらないように窓とはずらして配置されていた。ドアの横には大きめのクローゼットが二つ並んでいる。
――それだけだった。良く言えば片付けられている綺麗な部屋。しかし、悪く言えば殺風景な部屋、生活感のない部屋……。
若い娘が暮らしていたとは思えない部屋だった。
「警察が根こそぎ持って行ったの?」
見上げる舞花に向嶋が首を振った。
「いや、そんな話は聞いていないな。そりゃあ血痕のついたものや事件と関わりのありそうな物は分析にまわしただろうけど……」
向嶋もこの殺風景な部屋に驚いているようだ。
そんな二人に、木島が廊下から話しかける。
「美琴様のお部屋はあの時から変わっておりません。そちらの刑事さんがおっしゃった通り、何点かは警察が持ち出しましたが、それ以外は当日のままです」
「そうなんですか。美琴さんって、綺麗好きでしっかりされていたんですね。私の部屋とは大違いです」
恥ずかしそうな舞花に、向嶋がため息をつきながら頷いた。
「舞花の部屋は足の踏み場もないからな。お前のお母さんも困っていたぞ、本を読むのはいいけど片付けくらいしてほしいってな」
「か、克己さん、私の部屋に入ったの!?」
顔を真っ赤にして慌てる舞花。
「あの部屋には入れないだろ。自分が言っても効かないから、兄貴分である俺からも言ってやってくれって言われてたんだけど……やっと言う機会が出来たな」
笑う向嶋。対して舞花は肩を震わせている。
「か、母さん……娘のプライベートルームをなんだと思ってるの……」
向嶋が父の正彦に弟子入りした時、舞花はまだ幼かった。住み込みということもあり、家族のように接してきたのだが、母にとっては本当の兄妹のように見えているのかもしれない。
「鮎川様も本がお好きなのですか?」
そう訊いたのは木島。
「ええ、まあ。探偵っていろんなことを知っておかなきゃいけないんです。今の家は貧乏なので新しい本は買えないんですけど、父の部屋には本が山のようにありまして、それを自分の部屋で読んでいたらどんどん積み重なっていってしまったというか……」
苦笑いする舞花を向嶋がさらに笑う。
「だらしないヤツっていうのは言い訳ばかりするよな」
その顔はとても楽しそうだ。
「う、うるさいわね。いいのよ、自分の部屋なんだからどこになにがあるのかは把握しているし、誰かに迷惑かけてるわけじゃないもん」
そう舞花が口をとがらせた時、木島が楽しそうな笑い声をあげた。
「ごめんなさい、鮎川様を笑ったわけではないのです。ただ、その言い訳の仕方が美琴様と同じだったもので、つい……」
「美琴さんと同じ?」
「はい。美琴様は胸に重い持病をお持ちで、あまり外を出歩かれることはありませんでした。ご趣味といえば本を読まれること。特に植物の本がお好きで、普段は足の踏み場もないほど本が散乱していたのです」
「この部屋がですか?」
信じられないという顔をする舞花。今の何もないこの部屋からは想像も出来ないのだ。
「久恵様にお叱りを受けては鮎川様と同じようなことを言い返していらっしゃいました。それでも渋々片づけを始めるのですが、本を手に取り片づけながらもぶつぶつと……。“三栗谷の娘として外に出る時はちゃんとしているのだから、部屋が散らかってるくらいいいと思わない? 誰かが困るわけじゃないしさ”なんて、お手伝いをする私に言いながら……」
その時を思い出した木島が微笑む。美琴との楽しい思い出なのだろう。
舞花も、会ったことのない美琴に自分と同じものを感じて口もとが弛む。
「けっこう気の強い方だったんですね」
「それはもう。はっきり申し上げれば男勝りなお嬢様でした。言いたいことははっきりと述べられるし、女の身でありながら、時には時雨様や重康様にまでお説教をされることもありました。もしお身体が健康で、生まれた時代が今ではなかったのなら、きっともの凄い功績を残されたかもしれません」
木島が残念そうな顔を見せる。
三栗谷美琴。彼女が優秀であったのは間違いないだろう。しかし、今の時代は男社会。どんなに優秀でも「女なんか……」と言われてしまう時代。
木島の言う通り、美琴が生まれたのは早すぎたのかもしれない。
「それでも、本当の美琴様はおしとやかで優しい方だったんですよ。誰に対しても分け隔てなく接され、みんなから愛されていたのです。特に、年の近かった私に対しては姉妹のように接してくださいました。だからこそ、私は悔しいのです――」
嬉しそうに話す木島の表情が最後に厳しくなった。
それは、見ている舞花の背筋に寒気が走るほどの怒りの表情。
「美琴様にあんな酷いことをした犯人を、私は絶対に許しません。時雨様の無実が証明されれば、警察は真犯人を追うはず。鮎川様、一刻も早く、時雨様の無実を証明してくださいませ」
木島の気迫に圧される舞花。
そこに向嶋が質問を投げかけてきた。
「木島さん、美琴さんを発見した時はこのベッドで横になっていた――間違いないか?」
そちらに目を向ければ、向嶋はベッドに手を添えてしゃがみ込んでいる。ベッドそのものや下に何かないか調べているようだ。
「は、はい、間違いありません」
急に話しかけられた木島は驚いている。
「警察に話した美琴さんを発見した時の状況を確認させてもらいたいんだが。ついでに舞花も聞きたいだろうしな」
向嶋は背を向けたままそう言う。ぶっきらぼうな態度である。
「え? は、はい……」
うろたえる木島の視線を受けた舞花が息を吐く。
「いくら久恵さんからの依頼を受けているとはいえ、警察官の自分が部外者の私に事件の詳細を話すわけにはいかないってことです。まったく、変なところで真面目なんだから――」
舞花の言葉に、向嶋は「う、うるせえよ」とつぶやいた。
「木島さん、お願いします」
向き直った舞花に木島が頷く。
「あの日、朝食の準備が出来たので美琴様をお呼びしに来たのです――」
木島は悲しい顔でその日のことを語り始めた――。
□◆□◆