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3. 時雨と久恵と檜風呂

□◆□◆

3



「あれ、パトカーがある……」


 豪華な三栗谷邸の装いに目を奪われていた舞花だったが、玄関前で車から降りた時に警察車両が二台あることに気付いた。


「警察は時雨様を疑っているのでよく来るんですよ。何を考えているのかしら、時雨様だって被害者なのに……」


 そう答えたのは木島。

 時雨の無実を信じているからだろうか、その目からは警察に対する怒りが読み取れる。


 玄関の扉を開いた木島に会釈をし、舞花は玄関へと入った。

 そこは広いエントランス。ちょっとした舞踏会を開けそうなほど広い。天井は吹き抜けになっており、天窓からの光でとても明るい空間である。

 一般の家庭ではお目にかかることがない大きなからくり時計、壁には絵画、陳列棚には高そうな焼き物が並べられている。


「財閥ってやっぱりすごいんだな~」


 舞花は思わずつぶやく。

 建物や内装からも、三栗谷家の栄華を知ることが出来た。


「待ってください!」


 突如、エントランスに悲鳴のような声が響き渡る。

 それは、階段から降りてくる中年女性の声。


「嬢ちゃん、あの方が久恵様だ」


 権蔵が舞花に耳打ちした。


「あの方が……」


 舞花は久恵へと目を向ける。

 財閥の人間だというから一筋縄ではいかないような雰囲気のある人なのかと思っていたのだが、とても弱々しく感じる。というのが第一印象だった。

 階段を駆け下りてくるその表情は、怒っているというよりも怖がっているという感じがする。


「なぜまた時雨を連れて行くのですか!? 家宅捜索をしてもトリカブトの毒や美琴が持っていた物なんて見つからなかったではありませんか! こんなの酷過ぎます!」


 それは久恵の前にいる二人の男性に向けられた言葉のようだ。

 二人の男性は、若い男性を挟んで階段を下りてくる。片方は制服警官、もう一人は背広を着ている中年刑事。

 警察に挟まれているスーツ姿の若い男性が時雨だろう。


「義母さん、大丈夫ですよ。私にはやましいことは何もありません。だから、任意で同行を求められれば何度でも応じます。晴夏には連絡を入れてあるので、すぐに帰ってきますよ」


 こちらは一筋縄ではいかない雰囲気を持っていた。

 警察に挟まれていても落ち着き払った表情をしている。短髪で整った顔立ち、すらっとした高身長。女性ならばお近づきになりたくなるようないい男だが、獲物を狙う獣のような鋭い目のせいで声をかける事すらためわれる雰囲気がある。


「本当ですね? すぐに帰ってくるのですよ」


 時雨に諭され、久恵は悲し気な表情をしながらいったん落ち着いた。しかし警察を見るその目は怒りに満ちている。


「まあ、いくつか確認するだけですから……」


 中年刑事は口ごもりながら久恵から視線をそらす。

 地元の人間ならば、様々な形で三栗谷家からの恩恵を受けていることだろう。そして財閥解体というご時世ではあるが、その栄光と力はまだ残っていると知っているに違いない。三栗谷家を怒らせたくはないが警察としての職務も全うしなくてはならないという感情の板挟みになっているのかもしれない。


「俺だって好んで疑っているわけじゃ……ん、なんだこの汚いやつは?」


 中年刑事が舞花に気が付いた。


「どけ小僧。この三栗谷家はな、お前みたいな物乞いが来ていいところじゃないんだぞ。さっさと帰れッ!」


 乱暴に舞花を押しのける中年刑事。舞花のその汚れた姿から勘違いをしているようだ。

 この横柄な態度に、木島と権蔵は非難の目を向けるが中年刑事は意に介さず、足早に時雨を連れて行く。


「好きで汚くなったわけじゃないんだけどな」


 苦笑いをする舞花は、横目で自分を見た時雨と目が合った。


「あとで、お話を聞かせて下さいね」


 舞花が小さく手を振ると、時雨は目を細める。

 睨んだのではなく、どこか遠くを見るような……。舞花へそんな一瞥を送り、時雨は三栗谷家を出て行った。


 舞花たちも外へ出てパトカーに乗り込む時雨を見守る。そして三栗谷家を後にする車両の後ろ姿を見送った。



 パトカーが見えなくなると、木島は久恵に近づいて一礼する。


「久恵様。こちら、東京からいらした鮎川様でございます」


 振り返った久恵は目じりを拭いながら舞花を見た。


「……あなたが?」


 その黒ずんだ姿に驚いたようだが、すぐに優しい笑みを浮かべる。


「私は三栗谷久恵です。鮎川さん、この度は遠いところをお越しいただきありがとうございます」


「い、いえ、こちらこそ、陀鬼までの切符や迎えまで手配していただいてありがとうございました」


 深々と頭を下げた久恵に、舞花は慌てて久恵よりも深く頭を下げる。

 久恵は鮎川正彦へ時雨の無罪を証明する依頼を出したはず。なのに木島のように舞花が来たことに驚いていない。

 比較的すんなりと自分を受け入れた久恵に舞花は驚く。


「蒸気機関車に乗ったのは初めてだったのですか?」


「え?」


 久恵の声に頭を上げると、久恵はくすくすと笑っている。


「そのお姿……」


 そう言われ、舞花はあらためて自分の姿に目をやった。

 駅では老駅員に笑われ、刑事には物乞いだと言われたが、それも仕方のない姿だと自分でも思う。


「トンネルに入るのに窓を開けたままにしちゃいまして……。同じ車両に乗っていた方々からかなりのお叱りを受けてしまいました」


 蒸気機関車は石炭を燃やして動力を得ている。トンネルという狭い空間では煙は拡散されず、開いていた窓から車両内にドッと入り込んできた。舞花は慌てて窓を閉めたものの、顔や着物は真っ黒になり、車両内にいた他の乗客の悲鳴と怒号が舞花へと向けられてしまったのだっだ。

 それを思い出す舞花の苦笑いに、久恵は「それは大変でしたね」と微笑んだ。


「陽子さん、まず鮎川様にはお風呂に入っていただきましょう。お着替えを用意して差し上げて」


 久恵の目配せに、木島は「かしこまりました」と目礼。


「ははは……来て早々申し訳ないです」


 煤で汚れている舞花は頭を下げる事しか出来ない。


「いいんですよ、詳しいお話は後程。よろしくお願いしますね、鮎川舞花さん」


「え?」


 すがるような目で目礼し、屋敷内へと戻る久恵。舞花は目を丸くしてその背中を見送った。


「それでは鮎川様、浴場へとご案内いたします」


「あ、はい。すみません、よろしくお願いします」


 木島に促され、舞花も屋敷内へと入っていった。





「旅館だ……これは高級旅館の温泉だ。浴室がひのきでできた檜風呂……」


 着物を脱いで浴室に足を踏み入れた舞花の第一声である。

 三栗谷家の湯は地下から汲み上げた温泉をかけ流しているのだと、木島から説明された。一度に五人は入れる広さがある。


 舞花は湯船の前で膝をついた。

 檜の香りが混ざっているからか、立ち昇る湯気に安らぎを感じる。


「熱すぎるってことは……ないな、よし!」


 舞花は風呂桶で湯をすくう。手拭いを湯に浸してから顔を拭くと、白かった手拭いが真っ黒になってしまった。


「はは……。これは汚い小僧って言われてもしかたないな~」


 中年刑事に言われた言葉を思い出し、舞花は苦笑う。


 自分から男の格好をしているので小僧と言われるのは慣れているのだが、汚いと言われたのは女心が傷ついた。

 舞花は丁寧に身体や髪についた煤を洗い流してから湯船につかる。


「はぁ~……これは極楽ですな~。お肌にも良さそうだし……」


 少し滑り気のある湯は弱アルカリ性。美肌効果にも期待できそうだ。


「それにしても――」


 舞花は息を吐いて天井の木目を見上げる。


「久恵さん、なんで私の名前を知っていたんだろう?」


 木島は久恵に、舞花を『鮎川様』と紹介した。なのに、久恵は舞花の名前を知っていた。

 舞花は名乗っていないのに、木島は舞花が来たことに驚いていたのに……。久恵は知るはずのないことを知っていた。


 なぜ?


 そんな疑問を持ちながら、舞花はしばし心地よい湯と檜の香りを楽しんだ。



□◆□◆

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