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2. 三栗谷邸までの車内

□◆□◆

2



 三栗谷邸までは山道を走って一時間ほどかかるということで、舞花は木島に事件の概要と依頼内容を訊いていた。


「――ということは、お手紙をくださったのは木島さんだけど、実際の依頼人の方はくりひさ夫人ということでよろしいですか?」


 ガタガタと揺れる車内で、舞花が前の木島に確認する。


「はい。久恵様からもお話があると思いますが……。私も時雨様が犯人だとは思えないのです」


 苦しそうな表情の木島は、そう言ったきり押し黙ってしまった。


「ふ~む。相続権のための妹殺しねぇ~……」


 シートにもたれ掛かり、舞花は腕を組む。



 事件が起きたのは一ヶ月ほど前。十八歳になったばかりの三栗谷美琴が、自室で何者かによって殺害された。

 胸には果物ナイフが刺さっており、部屋にあった金品がいくつかなくなっていたことから、地元警察は強盗目的の犯行として捜査を進めていた。犯人が金品を漁っている最中、自室へと戻ってきた美琴と鉢合わせ、その場にあった果物ナイフで殺害し逃走したのだと。

 しかし三栗谷家がまだ財閥であることもあり、念入りな司法解剖がされた結果、状況が変わる。美琴の体内からトリカブトの毒が検出されたのだ。その結果を受けて、警察は三栗谷家の身内にも美琴殺害の疑いを向けた。

 そして今、警察が最も疑わしい人物として目を向けられているのが、美琴の兄であるぐれなのだという。


 時雨は三栗谷家の長男ではあるが、美琴とは血のつながりはなく義兄義妹の間柄であった。

 現在の三栗谷家の当主はくりしげやす。男の子に恵まれなかった重康は婿養子をとって娘の久恵と一緒にさせた。その男性が美琴の実父である。だがその婿養子は美琴が幼い時に病気で他界。その数年後、重康はまた婿を選び久恵と結婚させた。その男性は連れ子がいたこともあり、親類は反対の顔を隠せなかったが、重康に異を唱えられる者は誰一人いなかった。その男性の連れ子が時雨である。

 当時から時雨は神童として近隣に名を馳せていた。重康が本当に欲したのは娘婿ではなく、その子供である時雨の方であったと噂されている。神童に英才教育を施し、病弱ではあるが将来は三栗谷家を継ぐ美琴を支えさせようとしたのだという。


 こうして二人が出会ったのは、美琴が十歳、時雨が十五歳の時である。


 時雨の成長ぶりには目を見張るものがあった。神童と呼ばれるにふさわしく、瞬く間に様々な知識を吸収していった。

 これには重康も大いに喜び、今では若干二十三歳の時雨に事業の全てを任せているのだという。しかし近年、小さいながらも財閥として栄華を誇っていた三栗谷家に影が差した。


 この国が戦争に負けたのだ。


 敗戦国となったこの国はGHQの統治下に置かれ、今は財閥解体の動きが進んでいる。

 財閥解体に伴い国からある程度の代償はあるものの、それは三栗谷家にとっては致命的であった。特に重康の消沈ぶりが酷く、これで三栗谷家は終わりだと毎日嘆いているらしい。そして突然、重康は時雨に三栗谷家から出て行けと言い出したのだ。

 重康にとって時雨は財閥を維持・発展させるための道具。それ以上でもそれ以下でもなかった。守ろうとした財閥そのものがなくなるのだから血のつながらない時雨は必要ないのだという。


 警察は、それに怒った時雨が病弱な美琴を殺したのだと思っている。直接重康に手を出してしまえば何も残りはしない。しかし美琴がいなくなれば、財閥は解体されても三栗谷家を継ぐことは出来る。財閥解体の代償として国から支払われる金銭は自分のものになるのだと……。


 トリカブトの毒を美琴に飲ませられるのは屋敷内の人間である可能性が高い。そして時雨には三栗谷家の財産という動機もある。

 警察が時雨に疑いの目を向けるのは自然なことだろう。

 トリカブトの毒は検出するのが難しい。時雨は胸の発作として美琴を殺そうとしたが、毒を飲んだ美琴が暴れてしまった。このままでは騒ぎを聞きつけた誰かがやって来てしまうかもしれない。そこでやむなく、その場にあった果物ナイフで美琴の胸を刺し、物取りが行きずりで犯した犯行に見せかけた――というのが警察の見解らしい。


 しかし、それに異を唱えた人物がいた。美琴の母親である久恵である。

 美琴と時雨は、血のつながりこそないが実の兄妹のように仲が良く、お互いを信頼していた。

 そんな時雨が美琴を殺害するはずなどないと訴えたのだ。だが警察は時雨から疑いの目を離そうとしない。

 そこで久恵はつてを頼って鮎川正彦という探偵がいることを知り、彼に時雨の無実を証明してもらおうと考えたのだった。



「しかし久恵様もがっかりなさるだろうなぁ。期待していた探偵がすでに亡くなっていて、代わりに来たのがこんな小僧……じゃなくて小娘だと知ったらよ」


 舞花の思考を遮ったのは運転している男性だった。

 白髪が混ざった髪、顔には深い皴、年は還暦を過ぎていそうな風貌だが体つきは良い。そんな彼が、バックミラー越しに舞花を睨んでいる。


「だいたい、依頼の手紙を出したのに返事も返さねえような奴は信用出来ねえな」


「ちょっと権蔵さん、そんな言い方しなくても……。すみません鮎川様。こちらは権蔵さんといって、先々代の頃からお屋敷で働いている人なんです」


 見かねた木島が諌め、舞花に謝罪した。


「いえいえ、痛いところを突かれちゃいました。よく言われちゃうんですよ、女なんかに何が出来るのかって。だから男っぽい恰好をしているんですけどね。人は見た目を気にしますから」


 場の空気に似合わない陽気な声を出したのは後部座席の舞花。


「そんな……。女性だって優秀な方はたくさんいらっしゃいますよ」


 ぎこちない笑顔を向ける木島に、舞花は同意してから今の世を嘆く。


「でも、今はそういう時代なんですよ。女には男性ほどの能力はないって思われている……そういった現状は受け止めなくちゃね」


「まるで自分は男よりも能力があるって言ってるみてぇだな」


 権蔵はからかうが、舞花はそれに動じない。


「男性よりも能力が高いとは言いません。けれど、この事件の真相を明らかにするお手伝いに関しては期待していただいて結構ですよ」


「へっ、手紙の返事も出さなかった奴が何言ってんだ。こっちは来るのか来ないのかもわかんなかったてぇのによ」


「それについては謝罪しかありません。父が残した借金のせいで、今は手紙を出すお金もないんですよ。ご依頼の封筒に同封されていた切符がなかったらこちらにお邪魔することも出来ませんでしたもん。本当に申し訳ありません」


 舞花は素直に頭を下げた。


「いえ、こちらとしては来ていただけただけで心強いのです。しかし、疑うわけではありませんが本当ですか? お父様が解決されてきた事件は鮎川様が推理してこられたというのは」


 どこか不安気な木島に舞花は胸を張る。


「はい。父が得意だったのは人探しで、こういった事件に関しては助手に扮していた私が推理し、父に教えていたんです。さっきも言った通り、女の私が言っても、誰も耳を貸してくれないんですよね~」


 諦めているのか達観しているのか、舞花の笑顔に悲壮感はない。

 そんな舞花にまたしても権蔵がからみだす。


「自信があるのは結構だが、警察だって手を焼いてる事件なんだ。俺は小娘のあんたになにかが出来るとは思えねえけどな」


「何が出来るのかはまだわかりません。でも、いろんなものを観察すれば、警察が見落としていることが見えたりすることもあるんですよ」


「ほ~、そんなもんかい。それじゃあよ、俺はどうだい? 俺を観察してわかることがあるのか?」


 舞花の能力に木島はまだ半信半疑だが、権蔵は全く信用していないようだ。

 それは舞花に向けている馬鹿にするような目からもうかがい知れる。だがその態度に木島は怒りの目を向けた。


「いい加減にしてください権蔵さん。まだ会ったばかりなんですよ、ろくに知らない人のことを言い当てろなんて無理に決まっています」


 男性からの不遇を知る木島。同じ女として、権蔵から舞花を助けようとしたのかもしれないが、舞花は涼しげな顔で「わかりますよ」と答えてしまう。


「こりゃ驚いた。だったら言ってみな。俺の何がわかるっていうんだ?」


 嘲笑する権蔵だが、その笑みはすぐに消え去ることになる。


「権蔵さんでしたよね。まず、あなたの本業は運転手ではありません。普段は、おそらく庭師をしているのでしょう――」


「なんで……!?」


 舞花の一言に権蔵は目を見開いた。

 舞花は言葉を続ける。


「その仕事ぶりは顔に似合わず丁寧で、三栗谷家のお庭は見事に整えられているはずです。そして権蔵さんは三栗谷家を、いえ、久恵夫人を娘のように大切に想っていますよね。あなたにとって時雨さんが美琴さん殺害の犯人かどうかより、これ以上久恵夫人に傷ついてほしくないと思っている。……違いますか?」


「な、なぜ俺が庭師だと知っている。そんなこと言った覚えはないぞ」


 動揺する権蔵。その隣では木島が目を丸くしている。

 その反応は舞花の推理が的中していることを物語っていた。


「普段運転手をしている方っていうのは、もっと丁寧に車を走らせるものです。少なくとも、山道だからってお尻が浮くぐらいガタガタとした走らせ方はしません」


「わ、悪かったな……」


 指摘されたからだろうか、権蔵は少しだけ丁寧な運転を始める。


「それと、権蔵さんを庭師だと言ったのはあなたから草木の匂いがするからです」


「草木の匂い?」


「庭師の方の匂いと言った方がいいのかもしれません。もちろんそれだけで腕の良し悪しは判りませんが、権蔵さんの指は黒ずんでいます。まつやにって軍手をしていても指にくっついちゃうんですよね~。特に爪の間なんかに入るとなかなか取れないですし。そこまで黒ずんでいるのだから、毎日お庭のお手入れをしているのでしょう? そんな方の腕が悪いとは思えません」


「でも、どうして権蔵さんが久恵様を娘のように想っていることまでわかったんですか?」


 その質問は木島。それに対し、権蔵は「余計な事言うんじゃねえ」と顔を赤らめた。


「それは、権蔵さんの最初の言葉が久恵夫人を心配するものだったからです。付け加えると、三栗谷家の先々代の頃から働いているのなら、当然久恵夫人を生まれた時から知っているはず。幼少の頃には遊び相手になったことも多かったのではないですか? そんな久恵夫人を可愛く思わないわけはないでしょうし、それに――」


 ここで、舞花は少しだけ言葉を詰まらせる。


「――それに、久恵夫人を心配するあまり私にからむその目は、誰かが私を馬鹿にした時、その相手に父が怒り出した時の目にそっくりですもん」


「鮎川様……」


 舞花の笑顔に、木島はグッと胸を押さえた。

 舞花の父が亡くなったのは半年前だという。返信の手紙を出せないほどの借金を残したとはいえ、舞花はそんな父親と一緒に探偵業をやって来たのだ。その死を悲しくないはずがない。久恵を心配する権蔵の目に、舞花は自分のために誰かに怒る父親の目を見た。その心中は察するに余りある。

 権蔵も木島と同じことを感じたのだろう。舞花に対し、何も言い返さない。


「口も顔も悪いけど、私が保証します。権蔵さんはとても良い人ですよ」


「余計な言葉は足さなくてもいいんだよ!」


 きっぱりと言い放った舞花に、権蔵は照れ隠しをするかのように大声を出した。

 それは先ほどまでの尖った言い方ではなく、車内が微笑みに包まれるような、そんな優しさに溢れた言い方であった。



 車が山頂に近づくと、急に視界がパッと開いた。その奥には豪邸がある。


「鮎川様、到着しましたよ」


 木島の声で、考え事をしていた舞花が顔を上げる。


「あれが三栗谷邸ですか。すごい……お屋敷というより、宮殿と言いたくなるような装いですね!」


 山を削って建てられたレンガ造りの豪邸に広い庭。舞花は興奮を隠せない。

 その無垢さに、木島と権蔵は一時事件のことを忘れて微笑みを浮かべていた。



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