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19. 涙

□◆□◆

19



「克己さん?」


 何を言うつもりなのかという舞花の視線を向嶋は無視する。


「俺には一つ疑問に思っていることがある――」


 向嶋が木島を向いた。


「木島さん。あんた、舞花を利用しただろ」


「ちょ、ちょっと克己さん、それは言わないって……」


「舞花は黙ってろ」


 止めに入ろうとした舞花を、向嶋は一睨みで黙らせた。

 それだけの気迫があったのだ。


「俺は舞花を綿世の目に留まるように仕向けたあんたが許せない」


 向嶋の視線を受け、木島は怯えるように胸の前で手を組む。

 そして、晴夏がそんな木島を庇って間に入った。


「仕向けたって……なんてことを言い出すんだ。陽子さんが僕たちを呼んだから、鮎川さんは綿世さんから乱暴されずに済んだんですよ!」


 晴夏は向嶋に負けじと睨み返す。

 木島が時雨を愛しているのだとしても、自分は木島を愛している。好意を持たれていると思ったから好きになったわけではないし、木島は自分が守るのだ――。晴夏からそんな気迫が伝わる。

 向嶋もそれは感じているのだろうが、彼も言わずにはいられない。


「たしかにその通りだ。けどな、タイミングが良かったとは思わないか?」


「た、タイミング?」


「舞花の話だと、あの晩廊下で綿世と出くわした時、周りには誰もいなかった。それならば、木島さんはなぜ舞花が綿世の部屋へ入ったことを知っていた?」


「それは、偶然ドア越しに二人の会話を聞いたのでは?」


「……偶然ね。俺は舞花が自分の服を返しに来ることを見越して様子を窺っていたと思っているんだがな――」


 向嶋は晴夏の奥にいる木島をのぞき込む。


「では木島さんに訊こう。あなたの服を舞花に貸した時、自分はもう着ることはないだろうと言ったそうだが、なぜそんなことを?」


 温泉から上がった舞花は木島が貸してくれたワンピースに困惑した。

 それは着慣れていない女物の服ということもあったが、新品同様の服を汚してしまうのではないかと心配になったからである。それに対し木島は――


“それはお気遣いなく。頂き物で私が二度ほど着用しましたが、もう着ることはないと思いますし……。それに、よくお似合いだと思いますよ。洋服だって、私が着るよりも鮎川様に着ていただけて喜んでいるように見えます”


 そう答えていた。


 木島は答えられない。


「その時あんたは、舞花へ興味を持つようななにか綿世に言おうと決めた。その罪悪感から出た言葉じゃないのか? もう着ることはないというのは、もう着る資格がないって意味だったんじゃないのか?」


 向嶋の冷たい言い方に、晴夏は怒りで顔を赤くする。


「待って下さい! 陽子さんはそんな人じゃありません! 困っている人を見かけたら、自分が持っている物のなかで一番良い物から差し出してしまう優しい人なのに、いい加減なことを言わないでください!」


 耳を塞ぎたくなる大声だが向嶋は動じない。


「俺も最初からそのつもりだったとは思っていない。でもな、普段は小汚い格好をしている舞花だが、それなりの格好をすれば世間でも十分器量良しで通るし、木島さんにとっても都合が良かったはずだ」


「都合が良いだって?」


「綿世の注意を自分以外の者へも向ければ、それだけ美琴さんの針金細工を探しやすくなるだろうからな――」


 木島が絶対に成し遂げたいと思っていたことは美琴の針金細工を取り戻すこと。それは自分への屈辱にも耐えられるほどの執念。

 向嶋が許せないのは、その執念に舞花をも巻き込んだということである。

 その自覚があるからか、木島は申し訳ないという顔で責めを受けている。


「木島さん、あんたには同情する。裁判でも情状酌量される可能性は高いだろう。でもな、あんたは美琴さんのためだという理由を言い訳にして、故意に舞花を危険へと巻き込んだ。それは俺から見れば、自分のことしか考えていなかった綿世と変わらない。だいたい……痛ってっ!」


 なおも責めようとする向嶋が頭を押さえた。

 舞花が強く叩いたのだ。


「克己さん、言い過ぎ」


 ふくれ顔の舞花が向嶋を睨んだ時、室内に二人の警官が入ってきた。

 それは中年刑事と制服警官。昨日時雨を陀鬼署まで同行させた二人だった。

 二人は向嶋を見て首を横に振る。


「その……部屋をくまなく探したのですが、例の物はありませんでした。ですが、これが机の引き出しのなかに」


 中年刑事から何かを受け取った向嶋は、舞花へ向いて小さく頷いた。

 その合図に舞花は、グッと奥歯を噛んで木島の目を見る。


「木島さん、私たちが直接木島さんに問いただすことはせず、皆さんを美琴さんの部屋に集めてこんなまわりくどい事をしたのには理由があります。それは、あなたを助けたいからです」


「私を、助ける?」


 思いもよらない言葉に、皆の視線が舞花に集まった。


「美琴さんの事件でまだ謎になっていること。それはトリカブトの毒の行方です。美琴さんを病死に見せかけた時、木島さんが持ち出してどこかに隠したのでしょうけれど……それ、いま持っていますよね」


「なんでそんなことを……」


 エプロンを握る木島の仕草に舞花は目を細める。

 木島が握ったのはエプロンのポケット部。そこにトリカブトの毒を隠しているのだろう。


「私は、木島さんが権蔵さんを綿世さん殺害の犯人のままにしておく事はないと思っていました。あなたが権蔵さんから身代わりになるという申し出を受けたのは、この針金細工をベッドの枕元に戻すという時間が欲しかったからですよね。そしてその目的が達成された今、木島さんは全ての罪を告白して自害しようとしている」


「陽子さんが自害を図っているって!?」


 驚く晴夏に、向嶋が白い封筒を見せた。


「これがその証拠だ。木島さんの部屋から発見された遺書だ。まだ確認はしていないが、舞花が推理したのと同じようなことが書かれているんじゃないか?」


 舞花も向嶋に続く。


「私が真相に気付いた時、同時に木島さんが自害を図っていると感じました。それは、晴夏さんから送られたワンピースをあなたはもう着る事はないと言っていたのを思い出したからです。木島さん、あなたは美琴さんにあんなことをしてしまった自分が許せないのでしょう? だから綿世さん殺害とは関係なく、すべてが済んだら自害しようと思っていたのではありませんか?」


 木島は答えない。

 木島が言ったワンピースを着る事はないだろうという言葉。向嶋が言ったことも正しかったが、舞花はさらに先のことも見越していた。


「だから私は時雨さんに連絡を取り、どんな用事でもいいので、私たちが戻るまで木島さんに仕事を与え続けてくださいとお願いしました。あなたに自殺をする時間与えないという意味で」


「それでは、時雨様も知っておいでだったのですか!?」


 木島の視線を受けた時雨が首を横に振る。


「俺は頼まれたから木島にも書類整理を手伝いをしてもらっただけで、理由までは聞かされていなかった。だが今の話を聞いていてそういうことかとわかったよ……木島――」


 時雨はなんとも言えないが柔らかい表情で木島を見据える。


「もし本当に自害を考えているのならやめてくれ。真相がわかってもお前が美琴にした事をどう受けとめればよいのかわからない。だが、あの行為がなければ俺たちは何も知らないままだった。美琴が三栗谷の家や俺をどう思っていたかを知らないままだったのだ。それを知ることが出来たという意味では、お前には礼を言うべきなのだろう」


 その優しさは木島には重すぎた。


「時雨様……。しかし、私は……私は時雨様を苦しめました。美琴様の死を誰よりも悲しんでいらっしゃるあなたに、美琴様殺害の疑いをも向けさせてしまったのです。美琴様だけでなく時雨様をも裏切った私に、これからを生きていく価値などございません!」


 時雨に知られたくはなかった。知られる前に死んでしまいたかった。そして、知られてしまったのなら責められた方が良かった。

 罵られて蔑まれ、いっそのこと死んでしまえと言われた方が覚悟が決まった。


「何を言う、それは美琴のためを想ってのものであったのだ。俺は木島を恨んでなどいないのだぞ」


 時雨の優しさは木島に希望を与える。それは許されるという希望。

 しかしその希望は木島にとって決して許されない希望。

 美琴の胸にナイフを突き立ててしまった。すでに亡くなっていたとはいえ、木島にとっては自分が殺したようなものだった。

 こんな自分が許されるわけがない。いや、許されてはいけない。

 そう思っている木島は――


「来ないでください!」


 ポケットから小瓶を取り出した。


「それは、トリカブトの毒を抽出した……」


 舞花はなかで揺れる液体を視認した。


「皆さま、今までご迷惑をおかけして、本当に申し訳ございませんでした」


 木島がコルクの栓を抜く。

 それを一気に飲んで自殺するつもりだ。


「舞花っ!」


「わかってるっ!」


 向嶋の声に反応する舞花。

 木島の一番近くにいる舞花だが、僅かにその手は届かない。

 しかしそんな舞花よりも速い動きで、口もとまで迫った木島の小瓶を叩き落とした人物がいた。


「……時雨様?」


 目を見開く木島が、信じられないものを見る目で時雨を見た。

 時雨は怒っていた。そして泣いてもいた。


「愚か者め。美琴がお前を姉妹だと思っていたように、俺にとっても木島は妹なのだ。お前は、再び俺に妹を失う悲しみを負えというのか?」


 震える声で、時雨は木島の肩を掴む。


「私が、時雨様の妹?」


 困惑する木島に久恵が近づく。


「そうよ陽子さん、あなたも私たちの家族ではありませんか」


 久恵もまた泣いている。

 涙を流し、優しく諭すその口調はまるで美琴に語りかけているようでもある。

 そして重康も久恵の横に並ぶ。


「木島、すまなかった。このことは全て儂が悪いのだ。儂がちゃんと説明しておれば、美琴は死なずにすんだ。お前にもいらぬ苦労をかけさせることもなく、ましてや綿世を手にかけさせることもなかったのだ。全ては儂の不徳。この通りだ、許してくれ」


「久恵様……重康様……」


 木島の目に大粒の涙が浮かぶ。

 舞花も近づき、木島の手を取った。


「木島さん、みんながあなたに生きていてほしいと願っています。きっと美琴さんだって……だからこそ自分が亡きあとのことを託したのでしょうし。美琴さんならこう言うのではないでしょうか。“私の分も生きて幸せになってね”と」


「み、美琴様……私は、私なんかが……」


 言葉を詰まらせた木島が嗚咽を漏らすと、耐えきれなくなった感情が溢れ出たかのように、次々と涙が流れ出た。

 そして木島は顔を覆って大声で泣く。

 執念という仮面は脆くも崩れ去り、その涙は穢れをも洗い流しているかのようであった。


 財閥解体がきっかけとなったこの事件。

 それは誤解や思い込みが重なった悲劇だった。

 愛があったから起きてしまった。だが、その愛があったからこそ互いの本心を知ることが出来た。

 残念なのは、その過程で命が失われたこと。本当のことを知らないまま旅立ってしまった者がいること。

 木島を見つめる舞花の目にも涙が浮かんでいる。

 何に対しての涙なのか、それは舞花にもわからなかった。




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