1. 鮎川舞花、陀鬼の町に立つ
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三栗谷美琴は美しかった。
彼女を知る人々は云う。十八歳という若さながらも落ち着きがあり、美しさだけではなく優しさや愛嬌もあり、皆に愛されていたと。
ある日、そんな美琴が殺された。
誰が、なぜ、なんのために彼女の命を奪ったのか……。
これは戦後の苦境のなか、誰もがもがきながら生きていた時代に起きてしまった悲しい殺人事件の記録である。
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晴れ渡った初夏の日の午後。
東京から遠く離れた山間の陀鬼駅に、蒸気機関車の汽笛が鳴り響いた。
「お客さん、大丈夫かい?」
改札に立つ老駅員が、膨らんだ風呂敷袋を抱える若い人物を気遣う。黒ずんだ着物姿の若者が、元気なくトボトボと歩いて来る様子が目に付いたのだ。
老年に似合わないほどの大きな声を出したのは、発射する機関車の音に負けないようにということだろう。
「あ~どうもどうも……」
一方その人物はうつむきながら、機関車の音でかき消えそうな暗い声で答える。
「初めて汽車に乗ったもので、はしゃぎ過ぎたらこうなっちゃって……」
顔を上げたその人物を見て、老駅員は思わず吹き出した。
「トンネルのなかで窓を開けたか開けたままにしちまったんだな」
「わかります?」
「その真っ黒な顔と姿を見りゃな。汽車は石炭を燃やして走ってんだ、次に乗る時には気をつけな」
老駅員はしわがれた笑い声をあげる。
「まぁ、行ったあとで笑われるよりは気持ちいいけどね……」
残念そうな顔でため息を吐き、切符を渡してその人物は改札を出た。
山間の田舎とはいえ、ここはそれなりの町であった。
駅前には土産物屋や雑貨屋が立ち並び、道路には三輪自動車も見受けられる。
そして、行き交う人々には笑顔があった。
「へ~、ここが陀鬼の町か。平和そうなんだけどな~」
その人物が辺りを見回していると、黒い高級車が目に入った。
停車している車の横には二十歳前後だろうという若い女性が立っており、道行く人たちに会釈をされては頭を下げ返している。
切れ長の目だが面持ちは柔らかく、服装は地味だが小奇麗で清潔感がある。そして手には『鮎川様』と書かれた札があった。
「いた、あれだ。――お~い!」
風呂敷を振りながら駆けて行く。
若い女性はその声に反応したのだが、次の瞬間ギョッとした表情を見せる。
「え? まさか……あの人なの?」
驚くのも無理はない。向かってくる人物の顔は真っ黒で、着ている着物もみすぼらしい。本当に迎えに来た人物なのかと疑ってしまう風貌なのだ。
「どうもどうも、返事の手紙も出してないのに、お出迎えありがとうございます」
その人物は女性の前に来ると、荷物で膨らんだ風呂敷袋を放り出すように落としてその手を握る。
「初めまして、私が探偵の鮎川です。あなたが三栗谷家の方ですね」
急に手をとられて警戒した女性だったが、その人懐っこい笑顔と『鮎川』の名を聞いて表情が明るくなる。
「では、あなたが東京からいらした鮎川正彦様で? 申し訳ございません、聞いていたよりもずいぶんお若いので、駅から出ていらっしゃったことにも気づきませんでした。私は三栗谷家の使用人をしております、木島陽子と申します」
頭を下げる女性に対し、その人物は握った手を離して横に振る。
「あ、いいんですよ。謝らなければいけないのはこちらの方ですから」
「え?」
「私の名前は鮎川舞花。実は、父の正彦は半年前に死んじゃいまして。この依頼は娘の私がお受けしますね」
「む、娘さん? あなた、女性なんですか!?」
木島は思わず大きな声を出し、慌ててその口に手をあてた。
驚くのも無理はない。舞花が着ているのは男性用の着物。髪は長いが後ろで一つに束ねられている。顔は煤で汚れているのでちゃんとした確認は出来ないが、一見すると二十一歳の自分よりも年下の、少年のようにしか見えないのだ。
「まだ声変りをしていない男の方だとばかり……ご、ごめ……いえ、申し訳ございません」
混乱しながら再び頭を下げる木島に、舞花も再び手を横に振る。
「いいんですよ、よく間違われますから……あ、そうか。顔が汚れているからよけいに判らないんですよね」
舞花は懐から手拭いを取り出して顔を拭く。
「ね。十九歳の女の子に見えるでしょ」
「は……はぁ……」
木島は何と答えてよいのか分からなかった。
同意を求められても、舞花の顔は煤が広がっただけで黒いままだったのだ。しかし手拭いを出した時、胸に巻いているさらしから谷間が見えた。女性であることは間違いないようだ。
「それじゃ、さっそく三栗谷邸へと向かいましょうか」
放心気味の木島をすり抜けた舞花は車のドアを開け、運転背に座る年配の男性に「よろしくお願いしま~す」と挨拶する。
「あ、あの!」
舞花が乗り込む前に木島が声をかけた。
「失礼ですが、探偵をされていたのはお父様の方では?」
疑いの目。それを感じた舞花だが、それにも慣れっこである。
「ご心配なさらなくても大丈夫です。父が解決してきたとされる事件は、ほぼ私の推理によるものですから。木島さんが望む結末になるかは保証できませんが、少なくとも真実だけは明らかにしてみせますよ」
力強く親指を立てた舞花を木島はもう一度呼び止める。
「そ、それではせめて……」
座席にタオルを……と言いたかったのだがすでに遅し、舞花はドカッと後部座席に座ってしまった。
「あ、木島さんも後ろに座ります?」
舞花は運転席の真後ろへと移動した。清潔感のあった白いシートには舞花の形で残る黒い煤汚れ。
「い、いえ。私は前に乗りますので……」
とんでもない人が来てしまった。後部座席のドアを閉めた木島は、首を振りながらため息を吐いた。
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