5:受動喫煙より危険なモノ①
「ああああああああああああっ!」
叫び声を上げながら走って来たのは由美子であった。手にしていた鉄パイプを蒼太の太腿に噛みついている“奴”の頭目がけて振り下ろす。その衝撃で蒼太から離れるのだが、由美子は何度も何度もその異形の者の頭目がけて鉄パイプを振り下ろした。
頭蓋が凹み皮膚が裂け髪の毛の間からまるで桃色の花が咲いているかのように肉が剥き出しになる。頭が原形を留めない程になるまで鉄パイプを打ち下ろし続けた由美子の手からも血が滴り落ちていた。
ピクピクと痙攣しながら動かなくなると由美子は鉄パイプを放り出して蒼太を見る。
「噛まれたのっ!?」
「どうやらそうみたいだ」
「嘘……大丈夫よっ! すぐに傷口を洗えばっ!」
既にウィルスに感染している可能性が高く、それを煙草によって抑制しているのだから今更噛まれたところで関係ないように思えるが、奴らによって噛まれたり引っ掻かれたりした時に負った傷による恐ろしいところはそんなことではなかった。
半日もしない内に傷口が化膿し始めて1日も経てば周囲の細胞ごと壊死してしまうのだ。
そうなったら体中に細菌が回り、2~3日もしない内に絶命してしまう。それは煙草を吸っていても防ぐことのできない致命傷なのであった。
「大丈夫だよ由美子。落ち着いて」
「落ち着いていられるわけないじゃないっ! 噛まれたのよっ! 早く処置しないと助からないっ、いいえ、絶対に助けるからっ!」
「だから落ち着いて由美子。噛まれはしたけど傷にはなっていないよ」
その言葉に酷く取り乱した様子の由美子はわけがわからず一瞬呆けるのだが、すぐに何を馬鹿な事をと蒼太の足を見ようとするのだがそこで気がついた。
「ジーンズが、破けてない?」
「そうだよ。奴の顔は潰れていたんだ。ハンドルに顔面を強打したんだろうね。その時に歯が全部折れたんだろう、おかげで僕は命拾いしたってわけだ」
由美子は茫然とするのだが、次第に目に涙を浮かべて蒼太に飛びついた。
安堵するのも束の間。蒼太は立ち上がると由美子の手を取る。急がなければ奴らが群れになってここに押し寄せてくるだろう。しかし車を失ってしまった今、移動手段をどうするかと悩む蒼太。
電信柱に突っ込んだ車の方を見ると、武史に肩を貸し起き上がらせようとしている典子の姿が見えた。
ふとその頭上を見上げると雑居ビルの三階の窓に影が蠢いたように見える。誰か人が居るのか? もちろん奴らの可能性もあり、どちらかと言うとそちらの方が高い。
逡巡するも蒼太は皆に、その雑居ビル内に一先ず身を隠すことを提案した。
丁度そのビルの一階部分は薬局だったらしくまだなにか残っているかもしれない。武史の足の治療の為にシップや包帯が手に入るかもしれない。皆は蒼太の提案に同意するとビルの中へと駆け込むのであった。
電気の通っていない自動ドアの隙間に木の板を差し込んで強引に抉じ開ける。中は思ったほど荒らされてはいなかったが、やはり棚にはなにも残っていなかった。
「やっぱりなにもねえぜ。ちっきしょう……痛えよぉ」
武史が毒づく。それを横目に見ながら蒼太は奥の部屋へ行き扉を開けようとするのだが、なにかにつっかえているらしく開かなかった。
思い切り蹴飛ばしたり体当たりをするのだがビクともしない。
「駄目だ。内側でバリケードでもはっているのかビクともしない。別の場所から中に入れないか確認してくるから、君たちは中で待っていてくれ」
「外に出るの? 危険よ」
「いつまでもここに居るわけにもいかないだろう。地上にいるより上の階の方が安全だ。大丈夫、なにもなければすぐに戻って来るから」
心配する由美子を説得すると蒼太は再び外へと出て行くのであった。
つづく。