幸せになりたかった
彼氏に振られた。
大学生の頃から付き合っていて、お互いが社会人になっても遠距離で頑張りながら、もう少し経ったら結婚しようね、なんて約束をしていた彼氏に振られた。
4年付き合ったところで、終りなんてあっけないものだった。
「あいつと付き合うことにした。結婚もしようと思ってる。ごめん、別れたい」
その言葉を耳にした途端、私の全身に一気に後悔がなだれ込んできた。彼の言うあいつとは、彼の【親友】だとかいう、高校の頃の同級生の女。
あいつは親友だし、男みたいなもんだから。あいつとは別に何もないから。そんな言葉を信用して、彼がその女と食事に行ったりカラオケに行ったりするのをずっと許してきた。
これが、第一の後悔。
第二の後悔。
彼に別れを切り出されたのに、私はふうん、そっか、しか言えなかった。
もっと必死になって縋ればよかったのか。私はまだ愛してる、行かないでと泣けばよかったのか。きっと、そんなことをしたところで離れてしまった心は戻らないのだろけど。もったいなかったな、割と大手の企業勤めだったのにな。
彼からもらったもの、彼とお揃いで買ったものは全てリサイクルショップに売ってきた。私と彼の4年間は3140円という価値しか付けられなかった。どうせなら、この心も一緒に売ってくればよかった。きっと、10円にも満たないんだろうけど。
3140円でお酒とおつまみとお弁当を購入し、私は自分のアパートへと戻った。投げるようにして机に買ったものを置き、乱暴にビールのプルタブを引く。カシュ、となんとも間の抜ける音と共に、白い泡が缶から溢れ出す。それを呆然と眺めていた。
喪失感?虚無感?
今の私に名付けられる感情はない。
不思議と心臓は痛くなかった。もっと泣きわめいたり、友達に言いふらしたり、失恋旅行をする、そんな鮮やかな失恋を思い浮かべていたが、何一つする気が起きなかった。
ふ、とスマホを手に取り、SNSを開く。
してはいけない、そんなことは頭では分かっていた。しかし、この衝動を自分一人では抑えることは出来なかった。
彼のSNSの友達一覧から、例の女を探す。顔も名前も分かっていたため、すぐに見つけることができた。
自分が可愛く見える角度を知っているのだろう、トップ画像にはまるでモデルのように可愛い女の子が設定されていた。
誤操作で友達申請を送らないように注意を払いながら日記を読む。なんてことはない、ただのそこらへんにいるような女と変わらない内容だった。
なんだ、と拍子抜けしながら少し優越感。
日記に載っている写真もたくさん加工されており、普通に見たら大して可愛くはないのだろう。
こんな女のどこがよかったの。
鼻で笑い、SNSを閉じる。
私とは違って、身長が小っちゃくてぽっちゃりしているあの女。ピンクや白の服と、スカートが似合うあの女。短大を出て、事務職をしている、旦那の給料を頼りにしているような、あの女。
「なぁんだ」
自然と口から言葉が漏れていた。どうせならもっと、いい女と結婚しろよ。
缶ビールを一気に煽る。
私だったら四年制大学も出てるし、総合職だし、共働きができる。料理だって出来るし、身長高いからモデルみたいに服を着こなせる。子供にだってちゃんと教育できるし、彼の親とも仲良くできる。私だったら・・・。
ポロ。
頬を何かが転がって、灰色のニットに染みを作った。
ビールでも零しちゃったかな、と袖口で頬をぬぐう。
ポロポロ。
しかし、何か、は止まることなく頬を滑り落ちていった。
私じゃだめなのかな。なんで私じゃだめだったのかな。
空になるまでビールの缶を傾ける。中からあふれ出る液体が口元をつたって零れたが、彼が褒めてくれた灰色のニットが全て吸収してくれた。
私のことを好きだと、結婚しようと言ってくれたのに。
胃から食道にかけて黒い感情が込み上げ、視界が狭くなる。灰色のニットに染みができればできるほど、私の心も汚く染まっていくようだった。
ようやく、心臓に激しい痛みが出た。
でもきっとそれは、彼を失った痛みではなく、あの女に負けたという敗北感。
私はなんて嫌な女なのだろう。願っているのだ、切望しているのだ。彼との復縁ではなく、あの女の不幸を。
こんな私が幸せになれるはずない。頭ではわかっていても、心が許さない。
私だって幸せになりたかった。でも私じゃだめだった。私だけで、私じゃなきゃだめで、私以外の人なんてみんな不幸で、私だけが幸せでありたかった。
こんな私にいくらの価値があるの?3140円?一億円?10円?結婚できるだけの価値は?
あの女より価値があると言ってよ。誰か、あの女を不幸にしてよ。
誰か、私を幸せにしてよ。
私はただ、幸せになりたかっただけなのに。