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雨粒

掲載日:2016/01/19

誰にも言えなかった。

助けてってずっと思ってた。

誰が味方なのか、

誰が悪なのか…

信じる事を

少しづつ忘れていく。


だからこそ

本音が言える場所を

私は見つけられた。


          ≪プロローグ≫


雨の朝、勤務先に向かうバスの窓を見ていた。


小さな雨粒は

上から流れる大きな雨粒に

巻き込まれて消えていく。


“私に似てる…”


そう思った。


          ≪母との旅立ち≫


4才の冬。

母に手を引かれ

小さな駅に降りついた。

雪が積もる道にはしゃぐ私。

寂しそうに笑う母の顔。

幼い私の記憶。


駅前の古い蕎麦屋で

1杯の蕎麦を食べ、

また電車を乗り継ぎ

さらに北へ。

温泉街から少し離れた母子寮の

小さな部屋にたどり着いた。


「今日から2人で頑張ろうね?」


母は私を抱きしめる。


父がいないことに気付いていたが

母は何も言わなかったし、私も聞かなかった。


母はホテルで仲居として働き

その間は母子寮の1階にある保育所で過ごした。


外にはブランコや砂場、鉄棒があり

子どもが遊ぶには充分充実している。

クリスマスパーティーや雛祭りの行事、

お散歩に出かけてつくし取りなど。

そこで多くの子どもが預けられ

私はみんなと活発に遊び

夜になるとみんなで眠りながら

それぞれ母親が迎えに来るのを待った。

お母さん恋しさに泣く子もいたが

私は泣かなかった。


          ≪お母さん…ごめんなさい≫


母は幼少期、お手伝いさんを雇うような

お金に不自由のないお嬢様として育った。

県内で有名なキリストの女子高を卒業し、

百貨店の洋服販売の仕事の後すぐに

結婚をしたため

社会経験が少ない。

その後、駆け落ちをして

一緒になった男性との間に私が生まれた。

けれど、その父は他の女性と不倫。

父は家を出たきり2年間耐えた母は

知人にお金を借り、

母子寮がある田舎の温泉街で仲居の仕事を選んだ。


慣れない仕事から帰宅する母。

そのストレスは“暴力”

として私に向けられるようになった。


布団を頭に被せ

上から馬乗りになり押さえつけて殴る。

入浴中、掛け算を全て言えないと

湯船から出させてくれず、

お湯はどんどん冷たくなる。

寒さで震える身体。

でも母が良いと言うまで湯船から出られない。


母の顔色ばかり窺って過ごした。

母に嫌われたら

私は一人ぼっちになってしまう。


その頃から私の口癖は


「お母さん、ごめんなさい…」


けれど、普段は優しい母。

寝起きの悪い私に

「抱っこしてあげるから起きなさい」

その言葉に甘えて、

母の香りに包まれる時間が大好きだった。


母は5円玉と50円玉の穴にひもを通してお金を貯め、

近所に買い物に行くときは

そのお金を握りしめて出かけた。

お菓子が欲しい、おもちゃ買って。

そんなワガママも言わなかった。


母が40歳で私が生まれ、

貧しい生活の中でも

お金を貯めると、よく旅行に連れて行ってくれた。

「遅くにあなたを生んだから、沢山思い出を作ってあげたい。」

そんな思いからだった。


私にはいつも素敵な服を着せてくれた。

大きなひまわり柄のワンピースが

一番のお気に入りだった。

食事の食パンも私には一枚。

母は食パン一枚を半分だけ。

私を優先してくれる。

母に愛されていた。



          ≪お父さん≫


5才のある日、母が男性を連れてきた。

細身で目がパッチリとした優しい顔の男性。

「今日からこの人をお父さんって呼びなさい。」

入籍していたわけではないが

私はすぐにその男性に懐き、

「お父さん」と呼んだ。


“お父さん”は肩車もしてくれた。

ぬいぐるみも買ってくれた。

ディズニーランドにも連れて行ってくれた。


私の願いを叶えてくれる存在

「お父さん」が大好きだった。


          ≪嫌いにならないで≫


夜中に眠っていると

隣の部屋から母と男性の声がして目覚めた。

「お父さんが来てるんだ」

そう思った。


後日“お父さん”に

「この前お家来てたんだね?」

と聞いた瞬間“お父さん”の表情が曇った。


そして数日後

母は真っ青なアザで顔を腫らし

「あんたのせいだ!あんたのせいで殺されかけた!」

と私を何度も叩いた。


母は他の男性と浮気をしていて

それを私が“お父さん”に報告した形になってしまったのだ。

包丁を握りしめ、男性といるところを

“お父さん”は襲い、

浮気相手の男性が助けたらしい。

そんなこととはもちろん知らず、

結果、母を傷つけてしまった。


「お母さん、ごめんなさい…ごめんなさい…」


泣きながら何度も謝る。

母は何度も頬や頭を叩く。


[お母さん、嫌いにならないで]



          ≪新しいお父さん≫


母は殴った男性と別れ、

母を助けた浮気相手の男性と付き合い始めた。

眼鏡をかけ、すらっとしたスタイルの男性。

小学校2年の頃

母は再婚して、母子寮を出た。

その男性を

「新しいお父さんよ」と

私に紹介した。


「お父さん」


私はまたすぐに懐いた。


キャッチボールやプロレスごっこ。

男の子の様に育った。

頭が良くて、楽しくて。

お父さんが大好きだった。


小学4年の頃、急な腹痛で

父の職場に連絡した時も

仕事を抜け出し帰宅して病院に連れて行ってくれた。

カタカナのシとツの書き方の違いも教えてくれた。

カラオケで歌を歌うと喜んでくれた。

悪いことをしたときは

理由を説明し叱ってくれた。

本当の父の様に。


義理の父とは知らない人は

私たちを見て、「お父さんに似てるね」と言った。

父と私は目を合わせて微笑んだ。


          ≪反抗期≫


小学4年の頃

家を建てたのを機に隣りの小学校に転校。

新しい学校、新しい友だち。

新しいもの好きな男子生徒、

それを嫉妬する女子生徒。

女子生徒からイジメに合うようになった。

シカトや陰口、仲間外れ。


いつもの様に父とお風呂に入ったある日。

父は私の胸を触った。

成長とともに膨らんだ胸元。

触られたことに違和感を感じ、

それ以降、父とはお風呂に入らなくなった。

反抗期になり、父を避け始めると

父も私を避けるようになった。

転校先の学校は勉強が進んでいたため

追いつけず、どんどん成績が下がった。

そのことを許せない教育熱心な父。

怒鳴る父に母も一緒になって私を怒鳴った。

3人の家族。

味方は誰もいなかった。

イジメに合っていることも

相談出来ずにいた。


6年生になっても、

イジメは相変わらず続いていた。

けれど、誰にも言えない。

だから学校に行くしかない。


家庭訪問の際、

母は担任の先生に

「この子、学校が楽しいみたいで~。

学校休みたいって一度も言ったことがないんです。」

笑顔を振りまく母。

言わないんじゃない。

言える環境なんてなかった。



それからも、事あるごとに

両親とも私を叱り続け

学校での出来事なんて

話すことも、求められることもなかった。


言葉で不満をいう事が苦手な私は

態度で示した。

母はそんな私に激怒をし、

私のお尻をライターの火で炙りながら

「アンタなんか孤児院に預けるから!

あの人そっくりね!」

“あの人”は母が嫌う、私の本当の父のこと。

何かというと

「あの人そっくり!」

そう言っていた。


          ≪母の口癖≫


母は物心付いた私に

毎日の様にこう言い聞かせた。


「あなたの本当の父親を一生恨んで生きなさい。」

「あの人のせいで、どんなに苦労してきたか忘れないで。」


それは口癖のようだった。


          ≪死という選択≫


県立高校に入学した私は

父の反対を説得し、中学から入った

剣道の部活を続けていた。

クラスでは友だちを笑わせる事が大好きで

「悩みがなさそうで良いね」

そう言われていた。


16歳のある日、

子どもの頃から

家族ぐるみで付き合いのある

大阪出身のおじさんが

母と私を連れて食事に連れて行ってくれた。

母もかなりお酒が進み

おじさんは酔った母を自宅のベッドに寝かせ

その後、

おじさんは私に迫ってきた。


子ども頃から見てるおじさんの顔は

そこにはなかった。

おじさんの手は下半身に伸び

舌を私の唇に無理やり押し当てる。

「やめて!やめてよっ!」

抵抗する私を大きな掌で殴った。

それでも私は抵抗し続け、

諦めたおじさんは言った。

「18歳になったら俺が教えてやる」

そう言い残して出て行った。


部屋に戻り

泣いた。

声を押し殺し震えながら

泣いた。

泣きながら私は

あることを考えていた。


[18までにどうやって死のう…]


初めて“死”を意識し、

自分の誕生日が来ることを恐れた瞬間だった。



おじさんからの暴力を

誰にも言えずにいた。

母、友だち、先生や恋人…。

誰にも言えない分

気付いて欲しくて

リストカットを繰り返した。

[もしかしたらこの顔が原因かも…]

落ちていたガラスの破片で

頬を切った。

腕や顔から流れる血を見ると

何故か安心した。


[楽に死ねる方法はないかな?]


呼吸を止めてみる。

心臓が激しく脈打つ鼓動が聞こえる。

息を止めたら、心臓に負担がかかるはず…。

毎日、毎日繰り返した。


息を止め続けても結局怖くて

諦めてしまう。

結果、心臓の検査で引っ掛かり

激しい運動が出来なくなってしまった。


部活も辞めた。


悪いことに手を染めるようになった。

タバコやアルコール、万引きや無免許にノーヘルの暴走行為。

当時の私は目つきが悪く、

口も、への字に曲がっていた。

繁華街を歩き、気が強い人と目が合えば

「テメー!何睨んでるんだよ?」

そう絡まれる事は日常的。

反対に地元のヤンキーや裏社会の人に

好かれることが多かった。


高校2年の頃

様々なことが学校にバレ、無期謹慎になった。

父は呆れて母にこう言った。


「あんなヤツ、俺の子として認めないからな!」


          ≪実子との比較≫


有名化粧品会社の部長として勤めていた父は

母と出逢う前、

結婚をし、奥さんとの間に男の子どもを授かった。

息子は頭が良くてスポーツ万能。

東北の優秀な大学に合格をし、

父の自慢の一人息子だった。

その後離婚をし

再婚相手の連れ子である私は

実の息子と比較をされ続けていた。

だから出来の悪い私を父は認めたくなかった。


皮肉にもその父の言葉がきっかけで

母との交流が増えた。

母と家出をしたこともあった。


「あの人を恨みなさい。」

母の口癖は相変わらず。


「でも、その人がいなければ私は生まれてこなかった。

その人を否定することは、私の存在も否定することになるね?」

そう話した日から

母はその言葉を言わなくなった。


          ≪父の不審な行動≫


学校から早めに帰宅すると

父は慌てて私の部屋がある二階から降りてきた。

顔を真っ赤にし、息は上がり、

明らかに様子がおかしい。

部屋に入ると

私の下着が無造作に置かれていた。


私が入浴中は何かと理由を付け

お風呂の扉を開けるようになった。



          ≪母の入院≫


高校3年になり

18才を迎える前に

おじさんは急に姿を消した。

大阪に帰ったそうだ。

恐れていたことが一つ消えた。


進路を決めなければいけない時期に入った頃

母が勤務先から救急車で運ばれた。

父は病名を母には隠し

私には真実を言った。

胃ガンだった。


母が入院し、父はショックからアルコールに走り

仕事も休みがち。


ある夜、

私は二階の部屋のベッドで休んでいた。

階段を昇って来る父の足音。

嫌な胸騒ぎ。

身体を起こして構えた。


父が私の部屋の扉を開け

私に覆いかぶさってきた。

アルコールのきつい臭い。

正気を失っている父。


[まただ…]

2年前のおじさんの記憶が蘇る。

「気持ちいい事してやる」

父はニヤニヤと

いやらしい笑みを浮かべた。


驚きで声が出ない。


酔っていた父の力は弱く

すぐに振り払った私は

部屋を飛び出し

トイレに逃げ込んだ。


ドンドンッ。

「開けろ!」

ドンドンドンッ。

「ここを開けろー!」


繰り返し扉を叩く音。

怒鳴る父の声。


[助けて…助けてよ…]

泣きながら何度心で叫んだだろう。



信じても裏切られる。

愛を求めても

汚らわしい。


このまま母を失ってしまったら

私はこの男と2人きりになってしまう…。


[お母さん、一人にしないで。]



父はその後

アルコール依存症で、母と同じ病院に入院することになった。


誰もいない家。

静まり返った家は居心地が良くも感じた。


母の手術も無事に終わり、

退院の日を待つだけに。


          ≪たった一つの夢≫


幼いころから本音を言えず育った私は

ずっと歌手になりたかった。

本音を唯一伝えられる気がしていた。

けれど恥ずかしくて誰にも言えず

小学校の文集には、

“夢はお花屋さんか婦人警官”

ウソを書いた。



高校卒業後は

歌の道に進みたいと初めて話したが

無事退院した両親も先生も

「現実を見なさい」と猛反対。

結果、実家を離れて寮完備の

バスガイドの仕事に就いた。

両親とも喜んだ。


幼い頃に母と訪れた観光地や旅館。

愛されていた幼い頃の記憶が度々蘇る。


ずっと下がっていた口角も、

上がる様に笑顔の練習をした。

ガイドの仕事では案内の合間に

演歌でも民謡でもなんでも歌い、

お客さんに喜んでもらった。

慣れないメイクも

本を見ながら作る料理も

好きな家具を揃えたり、

何もかも新鮮で楽しかった。



会社の協力もあり、バスガイドをしながら

週に一度、六本木のアーティストスクールに

特待生として通った。

金銭面で迷惑をかけなかった分、

両親は口を出さなかった。


「歌手になれば本当の父が“目印”を見つけて、

私を手放した事を後悔するかもしれない…。]


生まれつきある、右腕の茶色い大きな痣。

子どもの頃に

私がイジメに合わないよう

レーザーで消す手術を母は進めたことがある。



その“目印”を失う訳にいかず、

手術を断った。



          ≪これが“私らしさ”≫


仕事もプライベートも、

合間に取得した運転免許と車も

全て順調に感じていた。



心の病で1年前に仕事を退社した父が

2月13日。

私の20歳の誕生日に

電話で言った。

「免許を取ったばかりなんだから、

車の運転には気を付けなさいよ」

退院後にやせ細っていた父が

私に送る最後の言葉になるとは…。



それから9日後の

2月22日。

母と休みを合わせ、

レッスンを見学したいと言った母と都内へ向かった後、

一泊で埼玉県に住む従妹と会った。

従妹と言っても

私の20才ほど年上。


その従妹が母に

「トワノちゃんにお姉さんがいること話したの?」


[…?お姉さん?]


驚く私の顔を横目に

母が従妹に罰が悪そうに目線を送った。

でも、もう聞いてしまった。

私には姉が2人いるらしい。


私を生む前に結婚していた男性との子ども。

母は、私の本当の父と駆け落ちした為

長年会えていない。


[私には姉妹がいるんだ!]


嬉しかった半面、

母がどれだけ会いたいと願っているかを考えた。


翌日、母と電車に乗り

それぞれ別のホームに向かう。

でも何故か胸騒ぎがした。

「寮に戻って車で実家まで送るよ!」

免許を取ったばかりの私の誘いを母は断ったが

無理を言って送ることになった。

車内に流れるBGMを

母は「音楽を消して!」

小さな音量だったが

BGMを消して、会話もないまま実家に着いた。


駐車場には父のワンボックスカー。

玄関を開け

「お父さんただいまー!」

私の声が響いたが

父の返事はない。


まだ外は明るいのに

大きな窓がある風呂場に明かりが付いていた。

「お母さん、お父さんお風呂みたいだよー?」

母は走ってくるなり

「あっちに行ってなさい!」

すごい剣幕で言いながら

私を風呂場から遠ざけた。

母は風呂場のドアを開け

私に大声で言った。

「警察に電話してっ!!」


何が起きているかも分からない。

倒れているなら救急車を呼ぼう…

119に電話をした。


腰を抜かし座り込む母。

「警察を呼んでよっ!」

その声はオペレーターにも届き

数分後、救急車とパトカーが到着した。



父は風呂場で手首を切って死んでいた。

死亡時刻は前日の

2月22日。

私がレッスンを受けている時間帯。

発見は私の20才の誕生日の

ちょうど10日後だった。


父の遺体が浴槽から出される。


風呂場には2本のタバコの吸い殻。

天井まで血で真っ赤に染まった浴室。


テーブルには遺書があった。

“俺はいない方が良い存在だ。今まで迷惑をかけた。

次の役員は○○さんにお願いしてくれ。”


私への言葉はなかった。

私への謝罪の言葉も何もなかった。

役員の話の方が父には重要で

最後まで真面目な人だった。


冷たい父の姿。

手首には迷い傷。


悲しみの間に

不謹慎にも笑いが込み上げてきた。


[これが私らしい]



          ≪線で消された戸籍≫


穏やかな日々なんて

私には似合わない。

常に何かしら問題があってこそ

私らしい。


葬儀が終わり

母が心配で、寮がある会社から

車で1時間30分かけ毎日の様に実家に帰った。

母は

「良いお父さんだったね…」

そればかり繰り返す。

亡くなった人を何故か残された人は

美化する。



私の怒りが込み上げてきた。


「私はお父さんに襲われそうになったんだよ!

知らないでしょ?誰にも相談できなかったんだよ!」


母は驚いて目を丸くしていた。


言うつもりはなかったけど

耐えられなかった。



戸籍の父の名前が

1本の線で消された。


[死んだら

こんな簡単に処理されるんだ…。]


[こんな風に死にたくない。]


そんな思いが湧いてきた。


いつか亡くなった人のことを

少しづつ人は忘れていく。


家族や親戚、友だちもいつかこの世を去り

誰一人“その人”が生きていたことを

知る人はいなくなる。

有名にならない限り…。



          ≪夢と現実≫


3年半務めたバスガイドを辞め、

実家の母と暮らすことにした。

浴槽は新たに増築し、父が自殺した痕跡を消した。


後に聞かされた話。

父は自殺未遂を繰り返し、

自殺の名所の大きな橋で

挙動不審になっているところを警察に保護された。

精神病棟で入院していたが、

私に心配かけないように母は一人で抱えていた。


私は地元で洋服の販売員として働き

母も仕事に復帰。


歌のレッスンを続けていた私に

母が言った。

「アンタがそんなことやってるからお父さんは死んだのよ。」


そっか…。

レッスンを受けていなければ、

あの日、母を見学に連れて来なければ、

父は死なずに済んだかもしれない。


私はたった一つの夢を諦めた。



          ≪5年間の苦しみ≫


父のことを許せないまま

5年が経った23歳のある日、

有名な占い師を訪ねた。


占い師の言葉が私を軽くした。


「もう、お父さんは仏様になったのよ?」


このたった一言で

心の中の真っ黒い何かが消えて行った。


[亡くなった人を恨んでも、もう仕方ない。]


それから、人を大切に思うようになった。

心からの笑顔で人と向き合えるようになった。

恨みも憎しみも

私の中から消えて行った。



          ≪私は人殺し≫


母も落ち着き、

私は家を出て県の中心部で

独り暮らしを始めた。


昼はアパレル、夜は飲食店。

掛け持ちを始めた私は

疲労から記憶を失くした。

自分の住所も生年月日も思い出せない。

前触れもなく排出物を漏らす。

初めて母に泣きながら話した。

母も心配してくれた。


アパレルの店が撤退し、飲食店が本業になった。

その飲食店は歌のパフォーマンスがあることで知られ、

私も歌ってみたかった。

すぐにそのチャンスは訪れ、

私も歌わせてもらえることになった。


ある日、10才ほど年上の男性に一目惚れをした。

けれど、既婚者だった。

それでも私は彼に夢中になり、不倫関係になった。


夜、私が眠りにつくと

そっと部屋から出ていく彼。

分かってはいても独占欲が生まれてしまう。


半年ほど経った頃、

生理が来なくなった。

お店でも匂いに敏感になり

吐き気で仕事が出来なかった。

病院での検査結果、妊娠していた。

間もなく3か月。

エコー写真には、手足や頭部がはっきり映り

まさにそれは“人”だった。

産むか産まないか、決めなければいけない時期だった。


彼は土下座して言った。


「ごめんなさい…おろして欲しい!」


結果は分かっていたけれど

実際に言われるとショックだった。

11月28日に中絶をした。



私は人を殺したんだ。




          ≪私の赤ちゃん≫


後悔と申し分けない気持ちで押し潰されそうになっていた。

[赤ちゃんはもっと痛かっただろうな…。

なのになんで私は生きているんだろう?

ごめんね?

私の赤ちゃん。]


クリスマスの夜を迎えた。

私のアパートで彼と過ごした。

お酒が進む。

フラッと立ち上がった私は

左の手首にカミソリの刃を当て

思いっきり引いた。

パックリと皮膚が裂け、大量の血が流れた。

[人の身体はこんなにももろいんだ。]


「何やってるんだよっ!」

初めて怒鳴る彼の声が聞こえる。

恐怖で気が薄れる。

泣きながら私の手首を押さえた彼は

すぐに病院へ運んだ。


7針を縫い、神経ギリギリだった。


「あんな事しちゃ駄目だろう!?」

彼は言った。


「赤ちゃんは死んだの!私が殺したの!

なのに私は生きてるなんておかしいもん!」


そう伝えると

彼は泣きながら何度も何度も謝った。


年が明け、また2月の私の誕生日が来る。

彼と会う約束をしていた誕生日当日、

彼は来なかった。

彼の子どもが熱を出し、看病していた。


[私の赤ちゃんはいないのに…。]



それを機に、彼とは別れた。



昔からそうだ。

大きな雨粒に巻き込まれて消えていく。

私は

小さな雨粒。



          ≪親友の一言≫


年下の親友が出来た。

言いたいことはハッキリ言う、

マイペースな自分のスタイルを持った元ダンサーの女の子。

全国にゲストとして呼ばれるほどのダンサーだったが、

膝を悪くし、ダンスを辞めざる負えなかった。


彼女は私がアーティストになる夢を諦めたことを知っている。

そんな彼女が

「もう一回歌えばいいじゃん」

簡単に聞こえたけれど、

彼女の顔は本気だった。


[もう一度、最後に挑戦してみようかな?]

不思議と彼女に言われて自信が湧いてきた。


都内で行われるアーティストオーディションへ向かった。

2時間ほどの面接の後、

結果は“合格”


小さな事務所に所属が決まった。




          ≪私の願い≫


所属が決まり、再びレッスンを受け、

まだ少ないながらもライブで歌わせてもらっている。

多くの人が私の歌に耳を傾け

時には涙を流しながら聴いている。


幼いころから抱えていた悲しみも

メロディーがあれば伝えられる。

ステージで歌っているとき、

私は“生きている”と実感する。


歌う夢を反対をしていた母も

ようやく認めてくれた。

嫌いだった育ての父のことも

今では心から愛し、歌の楽しさを教えてくれたことに

感謝している。


全て両親の影響で“今の私”が作られた。

家族3人仲が良かった当時、旅行で訪れた横浜で

大切な仲間、応援してくれるファン。

沢山の愛に囲まれて

今、生きている。


死を選んでいたら“今”はなかった。



子どもたちが自ら死を選ぶ。

そのニュースを観る度

胸が痛む。

[どんなに辛く、怖かっただろう…]



ねぇ?

今、どんな事があなたを苦しめるの?

あなたの周りには、目に見えない

沢山の愛が溢れている。

それに気付くには少し時間がかかるかもしれない。

だから気付くまで、どうか生きていて下さい。

気付いた時、今の悩みが小さいことの様に感じるでしょう。



まだやり残していることがある。

家庭を持ち“私の赤ちゃん”に出逢う事。

母に姉たちを会わせる事。

本当の父に私を見つけてもらう事。


そして一番の願いは

この話を読んで「明日も生きてみよう」

そう思ってくれる子どもたちが、1人でも多く増える事。



顔も知らないあなたの幸せを祈っています。

顔も知らないあなたのことを愛しています。



まだまだ、私は“明日”を生きる。





自伝を書くことで

1人でも勇気が持てる子どもがいたら。

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