画花の塞翁/最奥
何も見えない暗闇。
部屋。
暗室。
外で唸る暴風の音と叩きつける雨音だけがかすかに聞こえるような、そんな部屋。
夜目に慣れても何も見えないような一筋の光明もないような、そんな部屋。
そんな場所でも、人気というものは存外感じられるものである。
部屋にいるのは二人。
姿形は見えないが気配は感じられる。
その気配がまた特殊であるということも。
「まだ榧は『Dなんたら』という研究を続けているのか」
ギッ、というわずかに床が軋むかのような音と張りのある声が暗闇に響く。
「はい」
答えたのは暗闇に溶け込むかのような低い声。
その問いに張りのある声の主が、はぁ、とひとつ嘆息する。
「アレにも困ったものだな。『不老不死の法』を研究するために棋月の子倅と懇意にしだしたまではなかなかに面白かったが、それがいつの間にか『吸血鬼』の製造なんぞに行き着いたとはな……」
「………………」
「『吸血鬼』はあくまで『不死の王』であり、決して『不老不死』ではないということを、どうにもアイツは理解せなんだようだ。ヤツらには老いるという概念そのものが無いというのに」
そして声の主はくつくつと哂う。
「その点、棋風の倅は理解しているのだろうな……わかっていながら榧と行動を共にしている節があるが……はてさてどういう理屈かのう?」
「色恋沙汰ですかね?」
「それならば、儂も面白おかしく見守るのだがのう。どうにも利用されているような気がしてならん」
打ちつける雨音が強くなる。
「あれでも儂の……儂の……おい縷紅、あやつは儂のどんな血縁関係になるのかのう?」
「昆孫の姫菱様の御子にあたるので仍孫になります」
「おお、ヒメの子か。それにしては出来が悪い気もするが……まぁ可愛い子孫だ、助けてやるかの、縷紅」
「仰せのままに」
低い声がそういったその瞬間、部屋の中の空気が少し軽くなった。
まるでなにかの重圧から解放されたかのように。
「やれやれ、どうにもここのところ儂は家族に恵まれておらんのう。ヒメと縷紅と……太白丸は久しく聞かぬし蘇鉄はもはや死んだも同じと縷紅が言っておったしの。後は……この間、儂を殺しに来た者どもはつまらん瞳をしとったが、化けそうな輩だったのぅ。確か火鼠之宮の手のモノだったかのぅ」
久々に面白味のある若者だった。それゆえに縷紅に殺さぬよう申しつけ帰したのだが。しかし男だったか女だったか、それすらも思い出せない。
が、思い出せないことすらもそれはそれで愉しい。
まぁ、愉しくもあり、やはり煩わしくもあるが。
「……やはり年はとりたくない。こうなると棋風の「不老」が羨ましくもなってくるのう」
こんなことを言い出せば、あの幼き一族はどう思うか。
欠落を口にするより、今の「幼い」という台詞に怒るだろうか。
もっとも声の主に言わせれば、誰も彼もが「幼い」のだが。
「しかし榧にも困ったものだ。もう少し思慮のあるヤツだと思っておったんじゃが……よりによって吸血鬼――不死の王とはの」
仍孫が近頃傾倒しているという研究を思い返す。
「不死は多ければ多いほどにぎやかになって嬉しいし吸血鬼とやらがいるならば儂も見てみたいが……不死の王は戴けんのう」
それだけは反省させなくてはならないだろう。
可愛い子孫だ。外敵からは助けてやるが、少しはお灸も据えてやらねばならない。
「不死の王を気取るのは儂一人で充分じゃ」
そうしてまた数世紀またいで生きてきた声の主はくつくつと闇の中で哂うのだった。