第三話 「もう一度、戻りたい…」
「ギルテックの先にワイズナーがある。あそこは元々信仰者達が礼拝に訪れる町だった。未だにその意思を引き継いでいる人達も多い。そこに行けば、なんとかお前らを引き取ってくれるんじゃないかと思うんだ」
青空に見下ろされた小屋の前の青葉の上、ピートの話しにみんな静かに耳を傾ける。翌朝、朝食を取り終えた後のひととき――。
「あそこの富豪達は、余所と比べてまだ庶民との連携は保っている方だ。ノーマンの数はそこそこでも、酷い扱いはされていないだろう」
「ワイズナーまでの道のりは、わたし達が責任を持って付き添います」
ピートの後にスコットが続いた。
「ですから、出来るだけ早く向かいましょう。ここももう、安全だとは言えませんよ」
少年達は顔を見合わせてデュークへと目を向けた。なんらかの意見を待つが、しかし、彼は腕を組んでじっと地面を見ているだけだ。
クレアは隣に座っているジョージを見上げた。
「ギルテックの意地悪富豪を叩きのめすのはどう?」
「……噂を聞きつけてベルナーガスから兵が出ては大変ですよ。わたし達だけならともかく、彼らも一緒ですから」
「そっか……」
クレアはため息を吐くと、無言を貫くデュークを覗き込むようにそっと窺った。
「どうする? ……ここから逃げなきゃ知らないぞ」
デュークはじっと地面を見つめていたが、ゆっくりと息を吐いて立ち上がった。
「……考えておいてやる」
そう一言残して森の方に歩いて行く。結局なんの解決にもならず、クレアは「ったく……」と、背中を見送って腕を組んだ。
「あいつはホントにわからず屋だなぁ」
「デュークはここを離れたくないんだよ……」
かばうような言葉を漏らすキースをみんなが振り返った。彼は寂しげに視線を落としている。
「多分、そうだと思う。……ここを離れたくないんだ」
「どうして? 小屋があるから?」
クレアが訝しげに首を傾げると、キースは「ううん」と首を振った。
「ここから少し離れた所、そこによくデュークは行くんだよ。何もないんだけど、デュークはずっとそこにいる」
「俺も見たことがある」
そう一人が頷くと、「僕も」と少年達が口を開いた。
「何か落としたのかな? 探しているのかも?」
「必ず一日一回は行ってるよな。どうしたのって訊いたら、なんでもないって、そればっかり」
「何か育てているのかもしれない」
彼らの言葉を聞きながらクレアは首を傾げ、デュークの消えた森を振り返った。心の奥で、何かが引っ掛かるのを感じながら。
「……ボク、ちょっとギルテックに入って様子を探ろうかな」
「またノーマンになる気ですか?」
スコットは「まったく……」と目を据わらせた。
「クレア様がそんなことをしなくても、様子を探るくらいのことはわたしがやります」
「スコットはムリ。やるならピートだよ」
「どうしてです?」
と、ピートが顔をしかめつつ訊くと、
「この中で一番ノーマンっぽい」
そうニッコリ笑われて、ピートは「はいはい、どーせどーせ」と拗ねるようにそっぽ向いた。
――昼間近になり、少年達がいつものように剣術の稽古に励む、その中にデュークの姿はない。
掛け声を上げる少年達の稽古姿を見つめていたジョージは、腰に下げている革袋におやつの木の実を入れるクレアを振り返った。
「……彼らはみんなギルテックの子ども達ですか?」
「そうらしいよ」
「……ギルテックに行ってきます」
ジョージが剣を整えると、クレアは彼を見上げてピョンピョン跳びながら、「抱っこ!」と言わんばかりに腕を伸ばした。
「ボクも行くーっ!」
「ダメですよ」
と、自前の険を磨いていたスコットがすぐに遮った。
「クレア様が行くと必ず騒動が起こるんですから」
クレアはムスッと頬を膨らましてスコットを睨むが、彼は平気な顔でツンとそっぽ向いて知らん顔した。
「俺は念のためにワイズナーに行って話を付けてくる」
ピートは「よいこらせ」と座っていた腰を上げ、遠くを見渡した。
「一人で行けば遅くても明日の朝にはこっちに戻ってこれるから、その後、すぐにここから出よう」
「わかりました」
スコットは頷き、横目でクレアを窺った。
「クレア様はここに残って旅の準備を。いいですね?」
「ボク、ジョージと一緒がいいっ!」
駄々をこねるように地団駄踏むが、
「邪魔になるからいけません」
と、“邪魔”を強調されて、クレアはグスンと寂しげにジョージを見上げた。「邪魔なの?」と、問い掛けるようなその視線にジョージは苦笑し、彼女の頭を優しく撫でた。
「……危険が及ぶかも知れませんから。……すぐに戻ってきます。スコットと一緒にいてください、いいですね?」
「……、わかった。仕方ないからスコットで我慢する」
スコットは不愉快そうに目を据わらせただけ。
その後、ジョージはギルテックへ、ピートはワイズナーに向かい、クレアとスコットで少年達に「旅の準備を」と話を進めるが、彼らは不満げな態度で気持ちを露わにした。
「デュークが行くって言ってないだろ」
「そうだそうだ。デュークが行くって言わなくちゃ、俺達はここから離れないんだぞ」
「デュークが行くなら一緒に行く。デュークが行かないなら行かない」
断固として彼に付いていく気だ。こうなると、意地の張り合いになるのは目に見えている。
クレアは気持ちを一歩退かせてため息を吐いた。
「けど早くしないと……。ここが襲われたらどうするんだ?」
「その時は逃げる!」と、少年達が自信満々で声を合わせ、クレアは「ったく……」と呆れ気味に腰に手を置いてスコットを見上げた。
「ボク、デュークを呼んでくる」
「ならわたしが行きますよ」
「ただでさえ大人を嫌ってるんだぞ?」
「男言葉はやめなさい」
と、厳しい目を向けられ、クレアは目を据わらせながらも改めて言い直した。
「大人を嫌ってるんだから、スコットが行ったら逃げちゃうかも知れないでしょ」
「まるで厄介者ですね……」
ハア、とため息を吐くスコットにクレアは「その通り!」と大きく頷くが、ハッとして、焦るように、段々と泣き出しそうな顔をするスコットの手を握って左右に振った。
「ボ、ボクは厄介者だなんて思ってないよっ。スコット、大好きだからねっ!」
見上げて笑顔で慰めると、少年達が「情けねぇ大人だなー」と呆れ返る。スコットは目を据わらせ、クレアは「うるさいっ」と彼らを睨み付けた。
キャシーはそれぞれを窺っていたが、舌を出す少年達に拳を向けるクレアに口を開いた。
「デューク、森の東の方にいると思う」
クレアは振り返って「……東?」と小首を傾げた。
「いつもそこにいるから、今もそこにいると思うんだけど……」
視線を落とすキャシーを見て、クレアは「わかった」と笑顔で頷いた。
「じゃあ、すぐ連れて帰ってくるよ」
「寄り道はしないように、いいですね?」
スコットに釘を刺されたクレアは、「はーい」と、手を大きく挙げて愛想良く返事をするが、
「……どうせ人の言うことを聞いていないでしょ?」
と、スコットは見抜いて、森の中に走っていく背中にため息を吐いた。
『ベルナーガスに情報が漏れた!』
『内通者がいたのかっ? やばいぞ! このままじゃ町のみんなが全員……!』
『逃げるしかない!』
『――無駄だ。どこに行こうと奴らは追ってくる。……ベルナーガスの本当の恐ろしさはそこにあるんだ……』
『……けどこのままじゃ!』
木々を避け歩いて辿り着いたのは、雑草が生え伸びた狭い原っぱ。
デュークはじっと立ったまま、視線を落とした。
その脳裏に流れるのは……――
『いいな、お前はしばらく隠れているんだ』
『どうしてっ? ……俺も一緒に行くよ! 俺だってみんなと同じ』
『同じじゃない』
『同じだよ! 俺は!』
『いいか、デューク。……俺がお前を助けたのは、お前を巻き込む為じゃない。……デューク、いつかお前が』
「見つけた見つけた~。こんなトコにいた~」
間の抜けた声に、デュークは不意に現実に引き戻されて顔を上げ、ゆっくりと振り返った。その視線の先、クレアがため息混じりに低木の枝を掻き分けてやってくる。
「旅の準備をしろ。ピートが今ワイズナーの様子を見に行ったから、明日には出発するぞ」
不器用に低木を分けてノンビリとやってくるクレアに、デュークは「……フン」とそっぽ向いた。
「勝手に行けばいいだろ」
「あのなぁ」
ようやく低木地獄から抜けたクレアは呆れるように腰に手を置いて、「……ン?」と辺りを見回した。
……何もない原っぱ。
「ここで何してるんだ?」
首を傾げて訊くが、「……、別に」と、デュークは更にそっぽ向くだけ。クレアは「別にって?」と目の前に回り込んだが、彼はすぐに背を向けた。
「別にって言ったら別にだろ」
「わからない」
「ああ、わからなくていい」
無愛想な態度に、クレアは頬を膨らませた。
「おもしろくないヤツだなっ」
「おもしろくしてるつもりはないからな」
あっさり返され、クレアは「……チェ」と拗ねて地面の草を蹴った。
「なんだいなんだい。自分勝手なヤツだな」
「ああ、そうだ」
背を向けたまま、開き直るような返事をするデュークにクレアはムスッと頬を膨らませるが、もう突っ込むことはしない。
「とーにーかーくー。ワイズナーに行くぞ、ここにいちゃダメだ」
「それは俺が判断する。お前らが勝手に決めるな」
「じゃあキミだけ残ればいいだろ。あの子達にワイズナーに行けって指示を出せ。じゃないと動かないんだ」
「それは俺の責任か? お前らが信じられないからあいつらも付いて行けないんだろ」
彼の言う通りだろうが、それを認めてしまうのはシャクだ。
クレアはムスッと頬を膨らませ、文句の一つでも言ってやろうかと口を開き掛けた、その時、ガサッと草むらが動く音がして、二人はそちらを振り返った――。
「遅いよ。いつもはこんなに時間が掛からないのに」
「見に行ったけどいなかった。行きそうな所は探したよ?」
「クレアとどこかで喧嘩してるのかな?」
――太陽が真上に昇ってもクレアとデュークは帰ってこない。心配して少年達が探しに行ったが、二人は見つからなかった。
戸惑いを露わにする彼らの様子を窺いつつ視線を斜め下に置いて考え込むスコットの傍、少年達は更に話を深めていく。
「まさか、ギルテックの大人達に連れ去られたんじゃないよな?」
「大変だよ、それ!」
「どうするっ? 助けに行かなくちゃっ」
「待ちなさい」
小屋に戻って武器でも取ってこようかと熱り立つ彼らに、スコットが手を向けて冷静に制止した。
「あなた達がギルテックに赴いたところで、それこそ罠にはまるようなものですよ。もし本当に連れ去られてしまったのなら、ジョージも行っていますから必ず二人を救い出してくれます」
「そんなのわからないだろっ」
一人が突っかかると、みんなが「そうだそうだ!」と口を合わせて、一歩、スコットににじり寄った。
「大人なんか信用出来るかっ」
「デュークもクレアも見殺しにするに決まってるっ。大人はいつもそうなんだっ」
「弱虫の大人!」
「お前らなんかどっか行っちゃえ!」
ブーブーと蔑まれるが、相手にする気のないスコットはため息を吐き、すぐに真顔で彼らを睨んだ。
「わたしの言うことを聞きなさい。さもないと、お仕置きをしますよ」
「アッカンベー、お前なんか怖くねーよっ」
一人が舌を出すと、みんなが「べーっ」と一斉に舌を出す。
スコットは無表情で目を細めた。
――結局、“お仕置き”で観念した少年達は、キャシーも含め全員、小屋に閉じ込められた。
その頃……
「首を縄で繋がれた時、ボクはイヌだと思ったけど、今なら本当にイヌの気持ちがわかる」
「……ンなこと言ってる場合かよ」
鉄で出来た箱型の牢屋――。クレアの背丈でも立つことが出来ないくらい、狭くて窮屈な中、二人、強引に押し込まれしまった。しかも、薄暗くて悪臭漂う家畜小屋で気分が悪い。更に気分を害すのが、少し離れた所からじっとこちらを見張る監視の男の存在だ。
デュークは「……くそ」と悪態吐いて腕を組むと、ドカッと鉄柵に背を付けた。
「絶対に隙を狙って逃げてやる……」
「その前にジョージ達が助けに来てくれるよ」
「来る訳無いだろ」
「来る」
キッパリと宣言され、怒りを露わにしていたデュークは呆れるような息を吐いてじっとりと横目を向けた。
「このまま処刑に持ち込まれるんだぞ。わかってるのか?」
「わかってるよ。でも、その前に絶対助けに来てくれるから」
「来なかったらどうするんだよ?」
「戦う」
真顔でグッと拳を握りしめると、デュークはがっくりと肩の力を抜いた。
「武器は取られただろぉー」
「ボクは素手の方が得意なの」
「大人相手にお前みたいなチビが通用するもんか」
「とにかくっ、ボクはここで死ぬ気はない。それはキミもそう。絶対ここじゃ死なせない。だから何があっても諦めるな」
そう真剣に身を乗り出すクレアの言葉を聞いた途端、デュークは表情を消した。
『死ぬ気はない。いいか? 絶対に諦めるな。……お前は生き延びなくちゃいけないんだ。生き延びて、俺達が目指した』
「ようやくか、このガキ」
小屋のドアが大きく開いてゾロゾロと大人達が入って来た。身形からして庶民ではない。みんな、綺麗な洋服をまとい、体格もいい。得に先頭に立つ男は小太りで、白髪交じりの髪も整えられ、裕福な暮らしをしているというのがひと目でわかる。
クレアは「……誰だ、こいつ?」と顔をしかめた。
ギルテックの富豪・バトンは、険しい表情で睨み付けるデュークを見て顔をニヤつかせた。
「いい気味だな、デューク。そこに閉じ込められている姿、お似合いじゃないか。……いや、お前には立派すぎるか?」
不貞不貞しい態度と馬鹿にした言葉に、クレアは少し眉を吊り上げた。
……なんだ、こいつっ!
牢屋に入れられていなかったら真っ先に殴りかかる所だが。しかし、デュークはクレアほど熱くなることもなく、冷静にバトンを睨み付けた。
「学習能力がないのか、バトン。何度お前から逃げたと思っているんだよ?」
「ネズミは所詮ネズミ。逃げても逃げても捕まえられるんだと、お前も学習しろ」
少し離れた所から見下すが、デュークの傍にいるクレアに目を向けると、呆れるような息を吐いて「やれやれ……」と首を振った。
「また性懲りもなくボウズを増やしたのか……」
クレアはムカッ! と身を乗り出して鉄柵を掴んだ。
「ボクはオ!」
ムグッ! と、デュークに口を塞がれて言葉を詰まらせる。デュークはそのままクレアを押さえ、顔をしかめるバトンを睨んだ。
「お前の狙いは俺だろ。こいつは解放しろ」
静かな口調だが、目が威嚇している。バトンはそれを無視して、デュークに口を塞がれているクレアをじろじろと見、ニヤリと笑った。
「綺麗な顔立ちをしているな。女にも見える」
「ムググッ! ムグムググ!」
口を塞がれたまま眉をつり上げ文句を言うクレアに誰も関心を示さない。
バトンはニヤついた顔をそのままデュークに向けた。
「調教して二、三年もすれば使い物になるか? それとも、お前のモノになる予定か?」
「……クズ野郎」
デュークは目を細め、低い声で蔑んだが、バトンは「ハハハハッ!」と高々と笑ってみせた。
「お前がどうあがこうと何も変わりはしない! お前が暴れれば暴れるだけ敵が増えるんだということを思い知るんだな!」
「……お前みたいな腐ったヤツが国を滅ぼすんだろ」
そっぽ向いて陰口を叩くように吐き捨てたが、バトンは軽く首を振ってため息を吐いた。
「おいおい、八つ当たりか? いい加減目を覚ませ。腐ったヤツなら五万といる。その中にはビクターも」
「ビクターは違う!!」
突然の大声と同時に、口を塞いでいる手に力が入り、クレアは肩を震わした。その気配に気付くことなく、デュークはクレアの頭を抱えるように腕に力を込めて身を乗り出し、険しい表情で男達を睨み付けた。
「ビクターをお前らと一緒にするな!!」
「これだからガキは嫌いなんだ。事実から目を背けて、理想だけやたらとバカでかい」
バトンが呆れ気味に肩をすくめると、周りの男達がせせら笑う。
デュークは顔を真っ赤にして身を乗り出した。
「いつか絶対お前を殺してやる!! お前なんか地獄に堕ちろ!!」
「吠えるのは一著前だな。だが、それもここまで」
バトンは真顔で腕を組んで見下ろした。
「夕刻には処刑を遂行する。それでお前もお終いだ。今まで散々暴れてきたことを精々悔やむがいいさ」
フン、と、鼻であしらうと、見張りを一人残し、背を向けて男達と出て行った。ドアが閉まると、デュークは「……くそっ」と吐き捨て、クレアを押すように離した。
クレアは数回深呼吸をして、口元を手の甲で拭いながら、ふてくされて座り込むデュークに首を傾げた。
「ビクターって、誰?」
「……うるせぇ、黙ってろ」
「じゃあ、あのクソッタレ男は?」
「黙ってろってのが聞こえないのか」と睨まれて、クレアは頬を膨らまし、小屋の中を見回した。
天井近くに窓はあるが、そこまでは登れない。ドアも一つだけ。
逃げるのは困難だと考えたクレアは、見張りの男に目を向けた。
「ボク達、殺されるの?」
男は何も言わず、目も合わさず、壁際に立ってじっとしている。
クレアはひざまづいて鉄柵を握りしめた。
「キミはあのクソッタレ男の手下? 仲間なの? それとも、ただ言うことを聞いているだけなの? 怖くて言うことを聞いてるだけならね、お願いだからボク達を逃がして」
訴えるように身を乗り出すクレアの背中を見て、デュークはため息を吐いた。
「馬鹿か、お前は……」
突き放すような呟きに、クレアは振り返って睨んだ。
「だって逃げなきゃ駄目だろ!」
「だからって、そいつに何を言っても無駄だ」
デュークは顎で男を指し、ゆっくりと床へ目を落とした。
「みんなバトンには逆らえないんだ。あいつ、ベルナーガスの兵士と繋がりがあるから、気に触ることをしたら何をされるかわからない。……だから、みんな何も出来ない」
「キミは逆らってるじゃないか」
「……俺はこいつらとは違うだけだ」
「おんなじだよ」
言い切られ、デュークは少し眉を動かして顔を上げた。その時には、クレアは見張りの男に目を向け、また訴えかけようと鉄柵を握っていた。
「あんなクソッタレ男の言いなりになってちゃダメだ。このままじゃダメだってわかるだろ?」
話しかけたところで、男の様子は変わらない。
デュークは、目を細めて足下を見つめた。その脳裏に浮かぶのは、“あの時”のこと……。
そう、あの時……――
『このままじゃ駄目なんだ。けれど、何かを変えるには一人じゃ無理なんだ。だからこそ俺は希望を集めている』
誰かの面影と、クレアが重なった。
「みんながそう思ってるはずだから。怖くても、その一歩を踏み出すことさえ出来ればきっとみんなが集まるから」
『……きっと変えられる。……いつまでも悪いことは続かないさ。この先には望むものが待っている、そう信じることから始めようじゃないか』
デュークは目を閉じて、何かを耐えるように眉を寄せ、軽く頭を振った。
『信じることを怖がる者もいる。信じればいつか裏切られると思う者もいる。……けど、それは寂しくないか? ……信じる力は心を強くしてくれる。俺達はそうやって生きてきたんだから』
クレアは「ここから出してっ」と何度も訴え続けるが、見張りの男は全て無視。身動き一つもしない、まるで人形のような男だったが、「トントン」というノック音に振り返り、ドアを開けた。――が、誰もいない。小首を傾げてドアを閉めようとしたとき、ス……と喉元に鋭い剣先が触れ、男は「ヒッ」と小さく声を漏らして目を見開き、息を止めて硬直した。
顔をしかめていたクレアは、ドアの向こうの影から現れた姿に、驚きと嬉しさをあふれさせ、鉄柵を強く握った。
「ジョージィーっ!」
甲高い声に、デュークは顔を上げて確認し、少し身を乗り出した。
ジョージはゆっくり現れると、身動ぐことのできない見張りの男から目を逸らすことなく囁いた。
「……騒げば喉を斬る」
「……」
「……鍵は?」
見張りの男が「……う、上着のポケット……」と上擦った声で小さく答えると、ジョージはそこに手を入れて鍵を取り出し、男の後頭部に手刀を落とした。男が口をポカンと開けたまま、黒目を上に向けバタッと倒れると、クレアは、剣を直して近寄ってくるジョージを見てすがるような笑顔で鉄柵にピッタリ身体をくっつけた。
「やっぱりね! 来ると思ってた!」
「……静かに。気付かれてしまいますよ」
表情を変えることなく鍵を外すと、クレアが出て、その後に渋々デュークが出てくる。
ジョージは、服に付いたゴミを払うクレアの無事を目で確認し、彼女の頭を撫でた。
「……お怪我は?」
「大丈夫。これくらいへっちゃらだよ」
いつもと変わらぬあどけない笑顔にジョージは微笑み頷くと、深く息を吐きながらお尻を払うデュークに目を向けた。
「……お前は?」
真顔で訊くと、彼は「……平気だ」と小さく答えただけ。ジョージはそれ以上突っ込むことなくクレアを見下ろし切り出した。
「……裏がすぐに町の外れです。見つからないよう出ましょう」
「外の見張りは?」
「……意外に手薄です。簡単に抜けられるでしょう」
「……さあ、こちらへ」と、誘導し、用心をしながら歩いていくジョージの後をクレアとデュークが付いていく。
小屋から出るとドアの右側に気を失っている男がいるだけで、辺りを見回しても他には誰もいない。小屋の位置が町はずれということも伴ってか、人通りもなく静かだ。遠くに耳を傾けると、何やら騒々しさは窺えるが……。
ジョージの導きのおかげですぐに町を出ることが出来、その後、足早に森へと入り込んだ三人は、追っ手がないことを確認し、ようやく足の速度を緩めた。
「――なんだか張り合いがないなぁ」
行く手を遮る低木を掻き分け歩くジョージの横を歩きながら、クレアは訝しげに腕を組んだ。
「もっと誰かがたくさん出るんだと思っていたんだけど……」
「……そうですね」
ジョージも同意するように頷いた。
「あまりにもあっさりし過ぎているような気はしますが……。いつもこうなのか?」
デュークに訊くと、「大抵はな」と肩をすくめ答えられた。
「最初のウチは大掛かりで追い掛けられていたけど、段々数も減って。ま、俺が逃げ足速いから疲れるんだろ」
得意げになるわけでもなく、アッケラカンとした様子に、クレアは「うーん……」と顔をしかめて首を傾げた。
「でも、何か違う気がするなぁ……。……ひょっとして、ワナ?」
「……可能性はありますね」
ジョージは小さく頷き、足を止めた。
「……念のため、今日は帰らずにこのままどこかで野宿しましょうか」
「でも、スコットが心配するよ」
「……後でわたしが報告してきます。……まずは安全な場所を探しましょう」
辺りを見回すジョージに、デュークが「だったら」と口を挟んだ。
「この先に川が」
「イヤ!!」
形相を険しくしてギロッ! と睨み即答するクレアに、提案し掛けたデュークはキョトンとしてパチパチと瞬きをした。
ジョージは不愉快そうに小さく唸るクレアの頭を撫でて、「……なんだ、こいつ?」と顔をしかめるデュークに訊いた。
「……他にいい場所はないか?」
「……。あっちに岩壁があって、隠れることの出来る小さな洞窟もある。獣には注意しなくちゃいけないけど」
「……そこでいい。案内してくれ」
頷かれたデュークは、ジョージの服をしっかりと掴んで眉をつり上げるクレアの様子に疑問を感じながらも、詮索することなく、「……ワケのわからないヤツだな」と先を歩き出した。
クレアは、数歩遅れてその後を追いながら隣に並ぶジョージを見上げた。
「ギルテックでわかったことはある?」
「……あまり話を聞く時間はありませんでしたが。……あそこの住人は会話が好きではないらしいですね。ノーマンも庶民も、富豪達も」
「そうなの? 大抵の富豪はお喋り好きだけどなぁ……」
「ええ……。警戒をしているのでしょうか、得に変わった話を伺うことは出来ませんでした。……森に住む子ども達のことを訊いても、まるで無関心で」
「無関心?」
繰り返したクレアは顔をしかめた。
「けど、クソッタレ男はデュークに敵意向けてたよ?」
「……、クソッタレ男と言う言葉遣いはスコットの前でしないように」
苦笑気味に頭を撫でると、「はーい」と、クレアはかわいらしく返事をしただけ。
ジョージは前を歩くデュークの背中を窺った。
「……その男とは?」
問いかけると、デュークは歩き保って前を見据えたまま、目を細め、間を置いて答えた。
「……裏切り者の金持ちだ」
「裏切り者?」
クレアが再び繰り返し首を傾げると、デュークは背を向けたまま「ああ……」と頷いた。
「あいつのせいでたくさんの人が死んだ。……あいつは、罪もない人達を大勢、兵士に差し出したんだ。匿ってた女の人や、こっそり娯楽を楽しんでいた人を」
よほど悔しいのか、声の節々が震えている――。それを感じつつも、クレアは眉間にしわを寄せた。
「どうしてそんなことを?」
「自分の身がかわいかったからさ。そうして兵士に点数稼ぎしたんだよ」
「ふうん……。じゃあ、その中にビクターって人も?」
紛れて訊いても答えない。クレアは目を据わらせて「チッ……」と舌を打った。
――それからしばらく歩いて岩場に辿り着き、「これなら身を隠せるだろう」と、まずは火を熾す為の木々を集め、寝床を確保する。ジョージは「夜になる前に」と、とりあえず一人でスコット達の元に一旦戻り、クレアとデュークは辺りに警戒しながら沈む太陽を浴び、焚き火の用意をしだした。
岩場の前、青葉のない地べたに座って、クレアは細い木を折りながら太い木を折るデュークの横顔を覗き込んだ。
「ねえ、ビクターって誰? キミの友達?」
「黙ってろ」
目を合わせることなく一言。無愛想な態度に、クレアは口を尖らせて小枝を上下に振った。
「気になるんだモンっ」
「うるせぇ」
と、素っ気なく突き放された。
拗ねたクレアは、八つ当たりの矛先で小枝を数本まとめて曲げ折った。
「……いじわるだ」
ふてくされて呟いたその言葉に、デュークは目を据わらせてクレアをギロリと横目で窺った。
「そう言うお前も何も教えないだろ。おあいこじゃないか」
ツンとそっぽ向かれたクレアは「うっ……」と言葉を詰まらせ、何か言おうとして口を閉じ、間を置くとソロッと上目遣いでデュークを見た。
「じゃあ……ボクが本当のことを言ったら教えてくれる?」
「ああ、いいぜ」
「けど、内緒だよ?」
「ああ」
枝を折り曲げながらも、茶化すことなく頷くデュークに、意を決したのか、クレアは息を吸い込んで口を開いた。
「ボク、本当はベルナーガスの王子なんだ」
デュークは枝を折る手を止めた。無表情でじっとしている。
何かしら違和感を感じながらも、クレアは真顔で続けた。
「ボク、ブラッドなんだよ。……ジョージ達はボクの護衛なんだ」
「……、ブラッドって言えば、確か……事故で死んだって話しだったよな」
訝しげに訊くと、クレアは「……うん」と少し悲しげに視線を落として頷いた。
「そう言われてるけど……死んでなかったんだよ」
「ふうん」
「……で、キミは?」
「ばーか。誰がそんな話しを信じるってンだよ」
呆れ混じりでそっぽ向かれたクレアは顔をしかめ、ムッ! と身を乗り出した。
「本当なんだからっ。ボク、ブラッドなのっ!」
少々むきになるが、デュークは冷静に、「あのなぁ……」とため息を吐いて肩を落とした。
「王子は男だぞ。お前は女なんだろ? それとも本当は男か? どっちだよ、オトコオンナ」
「ボクは女だ!」
「じゃあ、ブラッドなワケないじゃないか」
「そ、それはっ……。ボクもよくわからないけどっ」
「しょーもない嘘を吐くな」
「本当だってばぁっ」
拗ねるように、駄々を捏ねるようにブンブンと拳を上下に振る。そんなクレアに、デュークはため息を吐き、疑いの眼差しで枝先を向けた。
「お前がブラッドだとして、だ。それならもう少し大きいはずだぞ。ブラッドは、俺の……二コ下くらいだったはずだ。お前、ガキじゃん」
「これでもボクは十七だぞっ」
目を据わらせて応じると、デュークはしばらく硬直した。目だけがゆっくりと足下から頭の上まで移動する。その様子にクレアは鼻から息を吐いた。
「わかってる。もっと下だと思ったんだろ」
「……チビぃなぁ。どう見ても十歳前後ってトコだぞ。成長止まってるのか?」
「うるさいっ」
睨み付けるが、デュークは何度目かわからないため息を吐いた。
「お前みたいな嘘つきに話すことは何もない」
「いつか絶対思い知らせてやるからな」
「ああ、ベルナーガスに戻ってこの国を平和にした時ぁ、信じてやるよ」
「その時が来たら謝れっ」
「顔を地面に押しつけて土下座してやる」
互いに退く気もなく睨み合っていると、木々の間から人影が見え、咄嗟にデュークはクレアを背後に隠して身構えた。が、やって来たのはジョージだ。二人は少し肩の力を抜いた。
ジョージは普段と変わらない表情で二人に近寄り、クレアを見下ろした。
「……スコットには、一晩、ここにいることを伝えておきました」
「子ども達は?」
「……スコットを怒らせてしまったようですね。お仕置きを受けたようです」
「うっ、かわいそうっ」と、経験があるのだろう、クレアはビクッと首を縮めて哀れむように眉間にしわを寄せた。
ジョージは、顔色ひとつ変えずに言葉を続けた。
「……わたしは、今一度ギルテックに戻って様子を見てきます。何事もなければすぐ戻ってきますが……、よろしいですか?」
用心深げに伺われ、クレアは「うんっ」と元気のいい笑顔で頷いた。
「わかったっ。いざって時はボクがデュークを護るから大丈夫!」
「なんでお前に護ってもらわなくちゃいけないんだよ」
と、名指しされて目を据わらせるデュークに構うことなく、ジョージは、「……こちらへ」とクレアに手を伸ばし、彼女が立ち上がると誘導して森に近い場所まで進み、腰を下ろして目線を合わせた。
「……何が起こるかわかりませんから、用心してください」
「平気だよ、心配ないない。でも、早く戻ってきてね」
ニッコリと、いつものようにあどけなく笑うが、しかし、ジョージは真顔で声を潜めた。
「……子ども達がギルテックに向かってしまいました」
その言葉で、クレアの顔から一瞬にして笑みが消えた――。
「……、どういうこと?」
「……スコットが小屋に閉じ込めていたらしいのですが、隠し通路を作っていて逃げ出したようです。……残っていたのは、キャシーとキースだけでした」
「……他の子達は?」
少し訝しげに眉をひそめるが、ジョージの答えは軽く首を振っただけ。クレアはゆっくりと視線を落とし、口を閉じた。
ジョージは、悲しげに、けれどどこか悔しげに目を細める彼女を強い瞳で見つめた。
「……いずれにしろ、このままでは済みません。……デュークには内密に。……彼を今ここで暴れさせる訳にはいかないんです」
「……。うん、わかった。……だから……」
戸惑うように目を泳がすクレアに、ジョージは「……わかっています」と軽く彼女の頭を撫で、腰を上げると遠くで顔をしかめているデュークに目を向けた。
「……クレア様のことを頼むぞっ」
聞こえるように声を大きめに告げると、デュークは「……ああっ」と訝しげにしながらも頷いた。ジョージは俯くクレアの頭を再度撫で、背を向けて足早に歩いていく。その背中を見送り、デュークは腰を上げるとじっと佇むクレアに近寄った。
「なんの話しをしてたんだよ?」
クレアは顔を上げてデュークを振り返り、「……ううん」と、笑顔で首を振った。
「キミに虐められたときの仕返しの方法を教わってたんだ」
「なんでお前を虐めるんだよ、ったく……」
不愉快そうに、再び薪の用意をするべく枝の山に近寄る。その背中をじっと見て、クレアは遠くギルテックの方を振り返った。
……みんな、無事でいて……――
『……一つの力じゃ小さい。けれど集まれば大きな力になる。わかるか?』
『わかるけどさ、でも、誰も集まらないよ』
『やってみなくちゃわからないだろ? お前は何もやらずにそう決め付けるクセがあるな』
『だって、みんな怖がってる。……俺だって怖いよ』
『大丈夫だ。お前まで巻き込むようなことはしないから』
『けどさ、けど……、もしこれでビクターに何かあったら……、俺、どうしよう』
『バトンがいる。その時はバトンが助けてくれる』
『そうじゃないよ。……バトンはいい人だよ。けど……ビクターの代わりにはなれないんだ。……俺はビクターと一緒がいい。……一人になるのはイヤだ』
『一人にはならないさ』
『……なるよ』
『それはお前が求めないからだぞ。……いいか、デューク。待ってればなんでも望み通りのモノがやってくるワケじゃない。そんなことはないんだ。お前が一人だって思うのは、それはお前自身が探さないからなんだよ』
『……』
『俺がいなくなってもお前は一人じゃないし、寂しくならないんだよ、本当は。だから絶対に立ち止まるな。立ち止まれば、お前自身の重みでお前は沈んでいく。沈まない為にも、ゆっくりでもいいからお前は歩き続けてくれ――』
「デューク? ……デューク?」
名前を呼ばれていることに気が付いてはいたが、“遠いどこかの事”だと思っていた。けれど、その柔らかい声に聞き覚えがある、と、認識してようやく目を開けると、ボンヤリした視界の先に心配そうな顔をしたクレアがいた。
「……大丈夫?」
そう訊かれて意味がわからず顔をしかめると、クレアはそっと手を伸ばして指で目元を拭った。
「……怖い夢でも見てた?」
岩壁に背もたれて寝ていたデュークはやっと気が付いて、戸惑いながらもわざと大きく欠伸をして身体を伸ばした。
「欠伸だよ、欠伸」
ふあぁーっ、と、深く息を吐き、袖で目元をゴシゴシと拭う。そんなデュークに必要以上の言葉をかけることなく、クレアは小さな炎を灯す焚き火にポイ、と枝を投げ入れた。
デュークは「……ふう」と鼻から息を吐いて、暗くなってしまった辺りを見回した。
「ジョージのヤツは? まだか?」
クレアはキョトンとした。目をパチパチさせるクレアに「……なんだよ?」と訊くと、
「やっと名前を呼んだね」
と、ニッコリ笑われ、デュークは分が悪そうにモゴモゴと口を動かし、結局フンッといつものようにそっぽ向いてしまった。
クレアは「フフ」と笑うと、目を据わらせつつ岩に背を付けるデュークの隣に同じく背を付け、山にした足を抱いた。
「まだだよ。……もうそろそろ戻ってくるかなー」
そう答え、腰の袋から木の実を出して差し出す。デュークはそれを受け取ると、砕いて中身を食べた。
「ギルテックでなんかあったか……」
「まあ……ボク達が逃げたのがバレてるだろうから。集会でも開いているかもね」
「あいつらもいい加減諦めろってンだ」
ため息を吐いて、岩場に背もたれて星空を見上げる。クレアは視界の片隅で彼の横顔を窺い、同じく空を見上げた。
――しばらく言葉が途切れ、虫の声に耳を奪われていた。何をする訳でも、何を話す訳でもなく、時間が過ぎていることすら感じずに。
流れ星を目で追いながら、クレアは「……ねぇ」と、小さく言葉を切り出した。
「……キミはどうしてこんなことをしてるの?」
デュークは眉間にしわを寄せて、夜空を見上げているクレアを見た。
「こんなこと?」
「子ども達を集めてさ。……キミが最初に始めたの?」
「お前に話すことはないって言わなかったっけ?」
相変わらずの態度だ。
そっぽ向くデュークを、クレアは目を据わらせて睨んだ。
「秘密主義?」
「その言葉、そっくり返してやるよ」
「ボクは言ってるだろ、ブラッドだって」
頬を膨らますが、デュークは「はいはい」と簡単にあしらった。
「わかったわかった」
「本当だってば」
「じゃあ、そのブラッドがなんでこんなトコにいるんだよ?」
疑い深く軽く睨むと、クレアは「なんでって……」と言葉を詰まらせた。
デュークは「ほ~らみろ」と、ため息を吐きつつ、尚突っ込んだ。
「息子だろ? 早く城に戻って悪魔の帝王を説得しろよ」
まるで責任転換だ。
睨むような彼の視線に、クレアは足を抱いている腕に少し力を入れ、爪先に視線を落とした。
「……ボクの言うことなんか、聞いてくれない……」
「なんでだよ? 国王はブラッドが死んだせいでおかしくなったんだぞ? お前がブラッドなら、会いに行って、生きてたんだって教えてやりゃいいじゃないか。それが出来ないならお前はブラッドじゃないって事だ。わかったか、この嘘つき」
投げやりに意地悪く突き放すが、クレアは文句を言うこともなく、背中を丸めた。
「……ボクがベルナーガスに戻ることでみんなが幸せになるなら、ボクは進んでそうする。……でも、駄目なんだ。……誰も信じてくれないから」
寂しそうに目を細める、そんな彼女をじっと見て、デュークは間を置き「……そりゃそうだろ」とそっぽ向いた。
「お前がブラッドだなんて信じられる訳ない。女だし、チビぃし。そんな嘘を吐くヤツは大勢いる」
「……、そうだね」
「そういうンだから、お前は現状を理解していないって言ってるんだよ。……ったく、ホント、世間知らずのガキだな」
呆れ混じりで首を振られ、クレアはじっと足下を見つめていたが、何か吹っ切るように夜空を大きく仰いだ。
「キミはずっとこの森で暮らすの?」
空を見上げたまま問いかけるクレアを見て、デュークも同じように空を見渡した。
「さぁな……。多分そうなるんじゃないか?」
「別の町に行こうって思わない? みんなを連れて」
「ワイズナーのことかよ?」
「そうとは言ってないだろ」
「行く気はねーよ」
ツン、と愛想無く答えられ、クレアは「ったく……」と息を吐いた。
「どうしてキミはここにこだわるのかなぁ……」
脱力気味に呟いた。訊いたところでどうせ答えは返ってこないだろうから、独り言で終わらせた方が、まだ、空気がいい。だが、予想に反して、デュークは空を見上げたまま応えた。
「……あいつらの父親が、いつか迎えに来るかも知れない」
クレアは少し目を見開いてデュークの横顔を見つめた。
「ギルテックで騒動起こしてるから、ここにいることもバレてる。……この国に平和が戻ったら、迎えに来るかもしれないだろ」
じっと星を見上げるその横顔に、クレアは小さく笑みをこぼした。
「……そっか。……そうだね」
「ああ、そうだ」
「……じゃあ、キミも親を待ってるの?」
ついでに伺うと、デュークは口を閉じた。
「やっぱり話さないか」と、クレアはため息を吐き、足下の地面に目を落とす。
「――俺が待ってるのは人じゃない」
デュークの小さな声に、クレアは顔を上げて彼に目を戻した。――真顔だが、どこか寂しげにも見える。
「俺が待ってるのは……この国の平和だ」
「……」
「……戻りたいんだ、……もう一度あの頃に。そのために何かをしなくちゃいけないなら、俺はどんなことでもする。……どんなことだって」
真っ直ぐ空を見て力強く告げる、そんな彼にクレアは少し視線を落としたが、すぐに笑みを浮かべ、元気よく口を開いた。
「ボク達、目指す所は一緒だね!」
「……一緒?」
と、デュークが顔をしかめると、クレアは「うんっ!」と笑顔で頷いた。
「ボクもこの国の平和を願ってる。そのためならどんなことだってするつもりだよ」
「ブラッドだ、って言ったりか?」
「……、その話題はもうやめよう」
目を据わらせると、デュークは吹き出し笑った。
「お前はホント、ワケわかんないヤツだな」
「どーでもいいだろ、放っとけ」
「もういいじゃんか。大人達とは別れて、ここで俺達と暮らそうぜ。その方が絶対おもしろいって」
笑顔で誘われ、クレアは「うーん……」と、目線を上に向けて考え込んだ。
「ここはいい所だって思うけど。でもボク、ジョージ達と離れる気はないよ」
「あんな大人のどこがいいんだよ?」
「強い、かっこいい、賢い、優しい」
指折り数えながら答えるクレアを「はいはい、わかったわかった」と途中で遮る。
「ノーマン買いする大人の典型的なパターンだ」
「違うって言ってるだろ」
クレアは苦笑するデュークを睨み、気を取り直そうと深く息を吐いた。
「キミ、結構見込みあるしさ、ジョージ達に剣術とか習うといいよ。もっと強くなって、一緒に協力してこの国を元に戻そうよ」
「お前と協力だぁ?」
嫌そうに顔を歪めるが、クレアはアッケラカンとした表情で頷いた。
「目指すトコは同じだろ? 力を合わせた方がいいと思うな」
「そりゃぁ……な。……でもなぁ」
「うーん……」と目を上に向けて考え込むデュークに、クレアは「ん?」と首を傾げた。
「なに? 何が不満?」
「……不満、ってワケじゃないけど……」
デュークは言葉を濁し、視線を斜め下に向けた。――と、枯れ葉を踏む音が聞こえて二人は顔を上げ、デュークは咄嗟にクレアを背中の方に押しやった。暗闇の中から炎に照らされてジョージが現れると、デュークはホッと肩の力を抜く。クレアはそんな彼の背後から、近寄ってきたジョージをじっと見上げた。
ジョージは二人の手前で足を止め、ゆっくりと腰を下ろしてデュークを真っ直ぐ見つめた。
「……ワイズナーに向かうぞ」
「って、俺は行くって言ってないだろ」
「……お前の意見を聞いている暇はない」
真顔で返されてデュークは目を据わらせた。その後ろから覗くように顔を出しているクレアの視線に気付いたジョージは、間を置いて、ゆっくりと首を振った。そして、少し眉を動かしたクレアからデュークへと再び目を戻した。
「……ベルナーガスから兵が出てきている。今までお前を逃がしてきたギルテックの町人に業を煮やしたんだろう……。お前の相手は、ベルナーガスになった。……これがどういう事かわかるか?」
「今までと同じ事だろ」
生意気な態度であしらうが、「……同じじゃないよ」と、クレアが彼の背後から静かに遮った。
「国を敵に回す恐ろしさを、キミはまだわかっていない……」
「そんなの知ったことかよ」
素っ気なく突っ返すが、そんな彼の肩をジョージは強く掴んだ。
「……お前は生きたいのか、死にたいのか、どっちなんだ?」
真剣に問われてデュークは少し戸惑いを露わにしたが、口を尖らせつつ間を置き答えた。
「生きたいに決まってる」
「……なら、ここから出る決心を付けろ」
デュークは不満げな表情でいたが、ため息を吐いて、不愉快そうに視線を斜め下に向けた。
「……ベルナーガスになんか乗っ取られやがって。……バトンのヤツ」
「――……殺されたぞ」
ジョージの言葉にデュークは顔を上げた。ボー然として、少しの間言葉を切らしていたが、視線を泳がすと「……ハッ」と鼻で笑った。
「ざまァねーよ。たくさんの人を殺した罰ってヤツだ。……自業自得。地獄に堕ちろ」
そう無愛想に吐き捨てる彼の襟首をジョージは握って引っ張り寄せた。
いきなりのことに、デュークは「……っ?」と息を詰まらせて眉を寄せ、睨むジョージに躊躇いを露わにした。
「な、なんだよっ! 文句あるのか!?」
ジョージの服を掴み、粋がるが、そんなデュークをジョージは真っ直ぐな目で見返して静かな口調で返した。
「……お前達にどんな経緯があったかは知らない。悪行を重ね、人を蔑ろにしてきた者かもしれない。……だが、彼もまた人の手によって命を失くした。……死して尚、嘲り笑うか? 死するときの痛み苦しみはみんな同じだぞ」
デュークはじっとジョージを見ていたが、「……知ったことかよ」と、ジョージの手を払い落とした。
「あいつはそれだけのことをしてきたんだ。……恨まれて当然だ」
フン、とそっぽ向く、そんな彼をジョージはじっと見ていたが、寂しそうな顔をしてるクレアに目を移して小さく切り出した。
「……行きましょう。……長居は無用です」
「……、でも……」
「……兵を相手にしたら、またしばらく厄介ですよ」
クレアは視線を落とし、顔を上げると、デュークの背中の服を引っ張った。
「行こう、デューク。……ここから出よう」
「……けど、俺はまたここに戻ってくる」
「……わかった。とにかく、今はここから離れるんだ」
クレアの冷静な声にデュークは渋々腰を上げ、薪の炎を消そうと砂を蹴って掛けた。
クレアはジョージと共に立ち上がって少しその場から離れ、デュークから目を逸らさず口を開いた。
「……、駄目だったんだね?」
「……申し訳ありません……」
「ジョージのせいじゃないよ……」
クレアはキュッと、視線を落とすジョージの手を握った。まるで「自分も一緒に背負うから」と告げるような雰囲気に、ジョージは微かな笑みを浮かべ、すぐに真顔に戻った。
「……ひとつ、おかしなことが」
「なぁに?」
「……ギルテックのバトン、と言う富豪。……彼がデューク達を追っていたのですね?」
「そうだよ」
「……子ども達をかばっていたのは、彼でしたが……」
クレアは顔をしかめてジョージを見上げた。
「かばってた?」
「……助けようと、必死になっていました。……そのために殺されたんです。……罪人幇助の罪だと」
「……」
「……状況が把握出来ませんが……、ともかく、ギルテックは今、不安定になっています。……崩落するのも時間の問題でしょう」
クレアは視線を落とし掛けて、顔を上げた。
「今はデュークとキャシーとキースを生かすことに集中しよう」
「……わかりました」