第二話 理想郷(みらい)に託す夢
――朝から子ども達は大忙しだ。
早朝から軽い運動をこなし、小屋を掃除して朝食を取り、そしてデュークを指揮に青草が生える広場で剣術の稽古。その間、キャシーは小屋の脇で一人で野菜の手入れをする。首のロープから解放されたクレアはキャシーの手伝いをデュークに任され、 地面に腰を下ろして尖った石で木の実の皮剥きをしながら少年達の稽古を眺めた。声を上げて素振りをしているものの、力任せで、まるで薪割りの練習でもしているよう。
「あれじゃあダメだね、基本が出来てないよ。カッコだけ一人前だ」
ため息混じりに呟くと、キャシーは野菜に付いている土を擦り落とす手を止め、首を傾げた。
「クレアは剣を使えるの?」
「どちらかと言うと素手の方が好きだけどね。でも、剣も強いよ」
「えっへん」と胸を張って自信たっぷりのクレアの態度にキャシーは「フフッ」と笑った。
「デュークの方が強いと思う。大人も一撃しちゃうんだから」
「それくらいならボクでもできる」
敵対心を露わに眉をつり上げ、クレアは木の実を置いて胸の前で腕を組んだ。
「ボク、今のところ全勝だからね。誰にも負けないぞ」
「本当に?」
「ホントだよ」
「じゃあ……」
キャシーは少年達の間に立つデュークに向かって大きく手を振った。
「ねえー! クレアがデュークより強いって言ってるー!」
愉快げな声に、少年達は稽古の手を止め振り返り、間を置いて「アハハハハッ!」と大笑いした。
「デュークより強いってっ?」
「そんなわけないのになーっ?」
「あんな小さいの、弱いに決まってる!」
「どうせすぐ泣くんだ!」
馬鹿にされてムスッと頬を膨らますクレアに、デュークは冷めた顔で方眉を上げ、顎をしゃくってみせた。
「来てみろよチビスケ。強いなら俺を倒してみろ」
挑発的な態度を真に受けたクレアが「このヤローっ」と地面を強く踏み締め近寄るその背後、キャシーはおもしろそうに「クレア、がんばってー!」と声援を送る。
子ども達がクスクス笑いながら離れた後、クレアはデュークの前で足を止めると腰に手を置き、背伸びをして目を細め見上げた。
「ボクをナメるなよ」
威嚇するが所詮見た目は小さな子ども。そんな脅しに恐れをなすことなく、デュークは吹き出し笑った。
「チビスケのくせに」
「なんだとっ?」
ムッと眉をつり上げ睨むが、デュークは構うことなく「ほらよ」と、自分の剣を地面に突き刺した。
「俺のを使え。切れ味がいいから」
見下した態度に、クレアは「ふざけるな」と一言吐いて、見守る子ども達に近寄り、キースの錆びた剣を奪い取って戻ってきた。
「これで充分だ。そっちこそボクを甘く見てると怪我するぞ」
「チビスケだからって容赦しないからな」
「望むところだ。遠慮無くかかってこい」
互いに退く様子もなく、数歩離れて身構え、間合いを計る。少年達が自ずと後退り始めた時、開始の合図もなくダッ! とほぼ同時に足を踏み出して互いに剣を奮った。
ガキンッ! と、デュークが振り下ろした剣をクレアは受け止め、横に流し放つと、斜めに振り上げてデュークの胸元スレスレに剣先を滑らせた。デュークは身を仰け反らしたすぐその後、クレアの脇腹めがけて剣を突き、彼女が身軽に避けたと同時に斜め下から剣を振り上げる。クレアがそれを上から受け止めると、クロスされた剣を交えたまま、今度は互いに力の競り合いが始まり、周りの少年達は「おぉーっ!」と目を見開いて歓声を上げた。
デュークはグッと力むクレアを見下ろし、力を緩めることなく口元に笑みを浮かべた。
「こら、チビスケ。お前、どこで剣術を覚えたんだ?」
クレアは容赦なく力を入れるデュークの剣を押さえながら息を軽く詰まらせた。
「どこだって……いいだろっ」
「お前みたいなチビが剣を使えるなんて余程だぜ? ……何者だよ、お前」
「……ボクはボクだ。……それに」
デュークの剣を振り払うことなく、彼に押されるまま力を解いた。「降参か?」と、デュークが力を弱めると、クレアはいきなり片足を上げ、彼の腹部めがけて蹴りを喰らわした。
ボグッ! という鈍い音に少年達は「うわ!」と目を逸らす。まさかそう来るとは思っていなかったデュークは思いっきり息を詰まらせ、後退しながらお腹を押さえて剣を杖代わりに背中を丸めた。
ゲホッゲホッ! と咳き込むデュークを前に、クレアは持っていた剣をザシュッ! と地面に突き立て、腰に手を乗せた。
「ボク、剣を使うよりこっちの方が得意なんだぞ」
エッヘンと威張って胸を張るが、ゆっくりと顔を上げたデュークの物凄く怖い形相に「……あ、あれ?」と瞬きを数回して戸惑い身動いだ。
「な、なに? その顔なにっ?」
「こ、ンのガキぃ。誰が肉弾戦っつぅーたよぉ……?」
震える声に、クレアはキョトンとして視線を斜め上に向けた。
「剣術戦って言ってたっけ? ボク、そんなこと聞いてないモン」
とぼけたような口調にデュークは「このクソチビぃ……」と眉をつり上げる。怒りに染まる彼の様子に、クレアは「あぁ!」と口を尖らせ不愉快さを露わにしながら右手人差し指を向けて後退した。
「負けたからって逆恨みはいけないんだぞっ! そういうのを負け犬の遠吠えって言うんだっ!」
「……誰が負け犬だ!!」
恐ろしいほどの気迫で剣を振り上げられたクレアは「うわぁ!」と慌てて逃げ、少年達もおもしろおかしく二人の追いかけっこに参戦し出した。仕舞いには何故か木の枝を投げ合ったり、掴んだ砂を投げたり、木の実を投げたり、木に登ってそこから落下体当たりしたり、もう何がなんだかワケのわからない状況に――。笑い声が響く中、それもキャシーの「お昼ご飯にするよー」という冷静な掛け声で簡単に幕が下りた。
「おい、チビスケ」
「ボクにはクレアって名前がある」
胡座をかいた背中越し、そう冷静に突き放すが、「チビスケ。クソチビ」と呼び直す気が毛頭ない相手に苛立ち、クレアは目を据わらせて振り返った。
昼食を終えてみんなで片付けを済ますと、次は読書の時間だ。少しでも知識を付けるようにとデュークからの命令で、文字のわからない子には文字の読める子が教えてあげるようになっている。
クレアは「読書は嫌いだ」と口実を作って外に出て、小屋の前で辺りを窺っていた。
いつ何が起こってもいいように――。それは体に染みついてしまったことの一つ。もしもの事を前提に、その上でのイメージトレーニングは必要不可欠なのだが、その大事な最中を邪魔されてクレアは頬を膨らまして隣りに座るデュークを睨んだ。
「あっちに行け。ボクは忙しいんだ」
「日向ぼっこが忙しいのか? いいよなぁ、チビスケはノン気でぇ」
脱力気味に背中を丸められ、「誰の為だと思ってるんだ?」と内心怒りを覚える。そんな彼女の気持ちを察することなく、デュークは周りをゆっくりと見回し、頬を膨らませるクレアに目を向けることなく口を開いた。
「どうだ? ここはいい所だろ?」
「いい所、ねぇ……。ま、悪い所じゃないとは思うけど。でも、ボクはずっとここにいる気はないよ」
喧嘩腰でもない、感想を問うだけの口調に先読みして肩をすくめると、デュークは呆れ混じりで鼻から息を吐いた。
「また大人に連れて行かれたいのか?」
「だーかーらー、一緒にいたのはボクの友達なの。ボクが生まれた頃からずっと一緒にいるんだぞ」
何度言えばわかるんだ? と、クレアも半ば呆れてため息を吐くが、デュークはそれに輪をかけて更に息を吐いた。
「お前は馬鹿だねぇ……」
見下すように首を振られたクレアは、眉をつり上げてギロリと横目で睨んだ。
「なにがだっ?」
「一緒にいるから友達だとか、生まれたときから一緒だからとか、それがなんの保障になる?」
呆れを通り越して、まるで心配しているよう。そんな声色に、クレアはキョトンとし、「……ホショウ?」と少し首を傾げた。
デュークは足下の雑草を軽く千切って、風に飛ばした。
「言っただろ。……みんな生みの親に捨てられたんだぞ。親切そうに声を掛けてくる大人のほとんどは俺達を売り飛ばそうと企んでる。お前だって、明日になれば捨てられていたかも知れない。売られていたかもな」
「ジョージ達はそんなことしないモン」
フン、とそっぽ向くが、そんなクレアに対してデュークは真顔を向けた。
「どうしてそう言える? お前と一緒にいた大人達が何を考えているかわかるのか?」
クレアは「う……」と言葉を詰まらせた。――確かに、ジョージ達が何を考えているか、なんてことは全くわからない。いや、それを考えたこともなかった。彼らが一緒にいるのが普通で、当たり前だと思っていたから。
真っ直ぐなデュークのその目を見返すことが出来ず、クレアは少し視線を逸らし、地面へと落とした。
「……でも、ジョージ達はそんなことしない」
精一杯、反発するつもりで言ってはみたが囁くような言葉なんて何も通じない。
デュークは軽く身を乗り出し、クレアの拗ね顔を覗き込んだ。
「じゃあ、なんでお前といるんだよ? お前みたいなチビスケを連れて歩く理由はただ一つだろ。今でも充分売れる。けど、もうちょっと大きくなったらそれこそ高値で売ろうって気だ。そしてお前はいずれ兵士に突き出されて殺される。それがお前らオンナの運命だろ」
「ジョージ達を馬鹿にするとブン殴るぞ」
鋭く睨むが、デュークはそんなクレアを相手にする気は無いのか、「ったく……」とため息を吐いた。
「信じたいなら信じてりゃいいさ。けど、いつか裏切られるって覚悟もしておけよ。大人はみんなそうなんだって忘れるな。誰だって自分の身がかわいいからな。……いつも犠牲になるのは、何も出来ない子どもなんだ」
じっと遠くを見つめる、その横顔に何かしら違和感を感じながらも、クレアはそれを掻き消すように、ふてくされて森の方へと目を向けた。
――時代が時代だ。夢も希望もない。デュークの言っている事が現実的なのだ。とても悲しくて、とても残酷な現実……。
気持ちが沈み、無口な時間が訪れたが、「……ん?」と、二人は顔を上げた。森の中から人影が近寄ってくる。ジョージとスコットだ。
クレアは目を見開いて「……あっ」と立ち上がろうとしたが、それをデュークが肩を掴んで押さえ込み、再び地面にお尻を付いてキョトンとするクレアの前に立ちはだかって腰に帯刀する剣を抜こうと構えた。
クレアは「ち、ちょっとちょっと!」と慌てて立ち上がり、止めようとデュークの腕を掴んだ。
「二人はいい人だってば!」
「……信用出来るもんか」
デュークは手前で足を止めたジョージとスコットを睨み、剣の柄を握る。敵対心剥き出しの彼を制止することは不可能だと悟ったクレアは「んもーっ」と眉を吊り上げた。
「ジョージ! もう手加減無しにやっちゃって!」
こんな奴知るか! と言わんばかりに投げやりに腕を振ると、ジョージは小さく苦笑し、その隣り、スコットは真顔で腰に手を置いてデュークを見つめた。
「すぐに立ち去った方がいいですよ。この森にキミ達が潜んでいることを町の富豪は知っています。何十匹という猟犬を集めていましたから、このままここにいればキミ達は見つかってしまうでしょう」
「騙されないぞ」
デュークは動じることなく見透かそうと目を細めた。
「そうやって誘い出そうって魂胆だろ。……お前らなんかやっつけてやる!」
彼の大声の後にドタタッと小屋から足音が聞こえ、子ども達が表に出てきた。「何事だ!?」とキョロキョロする目にジョージとスコットが映るなり、彼らは「……あーっ!」と不愉快げに指差し、一旦引っ込んで武器を手に再び外に飛び出してきた。
「この大人め!」
「クレアを連れて行く気だろ! 許さないぞ!」
「クレアは俺達の仲間なんだからな!」
「お前らなんか叩きのめしてやる!」
クレアは、「護る!」と言わんばかりの雰囲気で少年達に囲まれ、「ち、ちょっとちょっと……」と困惑した。キャシーだけは戸惑いを露わに小屋の中からこっそりと窺っている。
スコットは深くため息を吐いてジョージに目を向けた。「どうします?」と目で問いかけられ、ジョージはいつもと変わらぬ冷静な表情のまま、睨みを利かすデュークに声を掛けた。
「……見たところ、お前がここの統率者のようだが」
「ああ、そうだ。……ここが知れたからには、お前らを生きて帰す訳にはいかない。死んでもらう」
真剣なデュークに、「……殺されるのはどっちだと思ってンだ」と言わんばかりにクレアは心の中でガックリ頭を落とした。だが、ジョージはそんな意気込みを笑い飛ばすでもなく、突き放すでもなく、やはり冷静な表情で一歩、踏み出した。
「……では、太刀打ち願おうか」
そう申し出ると、腰の後ろにクロスされている剣の一本を引き抜いた。――スラリとした細く長い剣。刃先が太陽の光に輝いて、それを見た少年達は固唾を飲んだ。
スコットは腕を組んで呆れるように鼻から息を吐くと、ジョージを横目でチラリと窺った。
「わたしなら、クレア様をさらった罰として軽く腕の一本くらい落としますが?」
苛立ちを含んだ助言にジョージは少し笑い、数歩、デュークに近寄って剣を構えた。
「……かかってこい」
デュークは「……このヤロウ!」と地面を蹴って突進し、素早く斬りかかる。ジョージは身動ぐことなく、剣を振り上げるデュークを真っ直ぐ見つめた。
キィーンッ……! と、刃の触れ合う甲高い音が空気を震わす。デュークは、その場を動くことなく片手で軽々剣を受け止めたジョージを睨み付けた。しかし、ジョージはやはり表情一つ変えない。余裕っぽい様子が気に食わないのか、デュークは「こいつ!!」と言わんばかりに何度も力任せに斬りかかった。だが、その度にいとも簡単に弾き返され、しかもその力で自分が押しやられる始末。ジョージは一歩も動いていない。どう見ても力の差は歴然だ。
デュークが突っ掛かってもまるで相手になっていない、その状況を見て少年達は「……デュークの手助けに!」と言わんばかりに武器を構えたが、
「やめとけ、ガキ共」
小屋の横からそう太い声が聞こえて振り返ると、ピートが「まったく……」と呆れんばかりのため息を吐いて突っ立っていた。クレアは、「ピート!」と、少年達の間から抜け出て駆け寄り、嬉しそうに彼の大きな腰に腕を回して抱きついた。
ピートは顔を擦り寄せるクレアの頭を撫で、恐怖からか、硬直する少年達に目を向けた。
「一対一のケンカに手を出すのは、そりゃお前ら、あのデュークってヤツを認めていない証拠だぜ? あいつのことを信じているのなら、腹の底から目一杯応援でもしろ」
――自分たちを襲う気はなさそうだ。そう感じた少年達は顔を見合わせると、未だ弾き返されてばかりいるデュークを振り返って大声を張り上げた。
「デュークがんばれぇ!」
「そんな大人に負けるなぁ!!」
腕を振り上げ回しながら力一杯応援をする。それを聞いて、デュークは息を切らしながらもジョージを再度睨み付けた。ジョージの方は息一つも切らしていない。涼しい顔をしている。
デュークは「……クソォ!」と、再度斬りかかった。ジョージはそれをヒョイ、と身を逸らし簡単に避けると、目にも留まらぬ速さで剣を地面に突き刺し立て、勢い余って横を通り過ぎようとしたデュークの剣を持つ手首を掴み取った。
グッ、と手首を握り絞められ、デュークは「うっ……」と痛みに顔を歪めた。
「……これがお前の実力か? この程度の力であの子達を護ろうと? ……自惚れるのもいい加減にしろ」
「うるせぇ!!」
少年達の応援が響く中、デュークは睨み吐き出すと同時に空いている片方の手で殴ろうと拳を振り上げたが、その手も簡単に掴まれてしまった。振り解こうと暴れても、しっかりと掴まれ離してもらえない。
ジョージは、今度は蹴ろうと足を上げて暴れる彼をじっと見つめた。
「……誰かを護るならそれ相応の覚悟も必要。同時にその力も必要になる。……お前は気持ちばかりが急いで力が付いてきていない。……そんなお前に何が出来る?」
デュークは唇を噛み締めてジョージを睨んだが、彼の真っ直ぐな目と向き合うと、そこからもう目が逸らせなかった。
「……束の間の幸せを与えることは簡単だ。……だが、お前が望むのはそんなものなのか? ……そうじゃないだろう?」
「……っ、俺はっ!」
「お前があの子達を心の底から護りたいと思い、そう願うなら、現状を把握すべきではないか? ……俺が信用出来ないならそれも良し。……しかし、俺達はお前の敵じゃない。……クレア様が信じるものは俺も信じる。……クレア様がお前を助けたいと望む以上、俺達はお前の味方だ」
デュークは何も言えずに言葉を詰まらせた。小さく泳ぐ目に消えていく闘争心を感じ取ったのか、ジョージは戸惑う彼の手をそっと離した。
「……のんびりしている時間はないぞ。……これからどうしたらいいか、よく話し合わなければならない。わかったな?」
デュークは「……くそ」と小さく吐いて、抵抗も反発もなく、剣を下ろした。
「ねぇ、これも!」
「僕のも!」
夜食の時間――。少年達に囲まれて、ピートは「お、おいおい……」と困惑げに身動いだ。
日中、子ども達はなかなか警戒心を解かなかった。何を言っても聞こえないフリ。何をしても無視。けれど、デュークはふてくされているし、何も言わないし……。指揮官がそうだと、彼らはどうしたらいいのかわからないのだ。それとは逆に、三人の大人達はテキパキと“動いてくれる”。ピートとジョージはこの周辺をくまなく見て回り、その間にスコットは子ども達の様子を把握。一人一人の名前を覚えると、早速、彼らに夜支度を指示。知らんフリをしていたが、クレアに「スコットの言うことを聞かないと殴るぞ!」と脅されて、少年達は渋々行動しだした。キャシーはオロオロしていたが、スコットが優しく声を掛けて接した甲斐あって、少年達よりもだいぶ懐いてくれた。
そして焚き火を囲みながらの食事時、スコットが作った料理が余程おいしかったのか、子ども達は遠慮なくおかわりをし、ピートには、殻の硬い木の実を簡単に指で潰して実を食べるという彼の“業”をおもしろがった少年達が次々と木の実を持ってくる始末。
普段とほとんど変わらない、賑やかな光景が広がっていた。
クレアは満腹になったお腹を撫で、食事を済ませて隣でじっとしているジョージのあぐらを掻いた膝の上に移動してまたがり向かい合って座って、彼の胸にペタンともたれた。
ジョージは微笑み、寝る体制に入るクレアに腕を回し体を支えると背中を優しく撫でた。頬笑ましいような、そんな二人の様子に、キャシーは小首を傾げた。
「……、クレアのパパ?」
ピートは「ゲホッ!」と咳き込み、スコットは「うっ……」と息を詰まらせて硬直する。二人の戸惑いに構うことなく、クレアは眠そうな目でキャシーを振り返り、ニッコリと笑った。
「違うよ。んーと……。ボクはいつかジョージのお嫁さんになるんだよ。だよね、ジョージ」
「……そうですね」
と、ジョージは微笑み、クレアの頭を撫でながら髪の毛を解く。それが心地良く、クレアはそのまま眠りに就こうと目を閉じたが、キョトンとするキャシーとは違って、それをおいしいネタにしてしまうのが男の子だ。少年達は「やーいやーい!」「バッカでー!」とクレアを指差した。
「クレアがお嫁さんだってー!」
「なれるワケないじゃん! オトコオンナのくせに!」
クレアはムクッと体を起こすと、「なんだとこのガキ共ォ!!」と眠さもどこへやら、ジョージから離れて、逃げる少年達を追いかけ回した。
ギャーギャーと騒々しさを背に、ピートは、ずっと黙りを決め込むデュークにため息を吐いた。
「いい加減、意地を張るのをやめたらどうだ? 疲れるだろ」
優しく声を掛けてもデュークはそっぽ向くだけ。キャシーはそんな彼を見て不安げに視線を落とした。
スコットはキャシーの頭を軽く撫で、厳しい目でデュークを見つめた。
「あなたはこれからも、この子達にとって逞しいリーダーでなければいけません。そんな拗ねた姿を見せるのはどうかと思いますが?」
――やはり無視。話しをする気も、目を合わせる気もないらしい。
ご飯にも手を付けず、ただ木の実を食べるだけ。“お前らは敵”、という姿勢を崩すつもりはないようだ。
ピートは「やれやれ……」と肩をすくめるが、しかし、このまま流すわけにもいかない。真顔になって、少し声を潜めた。
「ギルテックの大富豪がお前に腹を立てている。……何をしてきたのかは知らないが、徹底してお前を潰す気だぞ」
デュークは何も言わない。
「町の奴らはそいつの言うことには逆らえないみたいだな。一刻も早くどうにかしないと、誰一人として逃げられないぜ?」
「そんなことないよ」
キャシーは顔を上げ、ピートをすがり見上げた。
「だって、今までみんな逃げてきたんだもの。デュークが助けてくれたんだもの。今度もきっとみんなで逃げられる。そうだよねデューク」
かばうように、けど懸命に訊く。そんな彼女にやっとデュークは反応した。
「ああ、俺達は逃げ方が上手いもんな。いつものように、またあいつらから逃げて影で笑おう」
笑顔で答えると、キャシーは嬉しそうに頷いた。
スコットは窺うようにジョージに目を向けるが、彼は何も言わず、表情も変えることなくじっと地面を見つめている。
デュークは立ち上がると、キャシーを見下ろした。
「見回りに行ってくるから、しっかり用心しておけよ」
キャシーがいつものように「うん」と頷くと、デュークは小屋に戻って剣を持ち、暗い森の中に一人消えていった。しばらく間を置いて、ジョージはゆっくり立ち上がり、その後を付いて行く。
――月と星では昼間ほどの明かりは得られない。森の中は尚更。木々が邪魔をして視界が悪い。やっと目が暗闇に慣れても、感覚を研ぎ澄まさなければ身の保障はない。
デュークは低木を避け、枯れ葉を踏み締め歩いていた足を止めてため息を吐いた。
「付いてくるな。話すことなんか無い」
文句を付けるように突き放すが、ジョージはそれを却下し、背後まで近寄ってきた。
「……意固地になるのは結構だ。だが、自分の言動には責任を持て」
厳しい口調に、デュークは振り返って目を細めた。
「なんなんだよ、あんたら。チビスケも何者だかよくわからねぇけど、俺はお前ら大人なんか絶対信用しないからな。とっとと消え失せろよ」
フンッ、とそっぽ向いて歩き出すと、その後をジョージが追う。
「……言っているだろう。このままじゃ危険が及ぶ」
「俺もさっきから言ってるだろ、お前らを信用しないってな」
「……言葉を間違えるな。……信用しないんじゃなくて、信用するのが怖いんだろう」
デュークは足を止めると、ジョージを振り返り睨んだ。
「怖いっ? ふざけんな!」
向きになって拳を作り身を乗り出す様子に、ジョージは深く息を吐いた。
「……図星か」
「なんだと!?」
眉をつり上げ、今から再戦でもしようかという勢いのデュークに、ジョージは変わらずの冷静さで目を向けた。
「……ふざけてなんかいない。怖いなら怖いと、そう言えばいい。……お前は形も考えも大人に近い。しかし、まだまだ弱さのある子どもだ」
「俺はもう十九だ!」
「……歳の問題じゃない。……気持ちに問題があると言っているんだ」
そう言って、熱り立つデュークの胸を指差した。
「……傷を背負ったまま、癒すことなく生きるのは危険だ。完治していない傷は、なんの弾みで広がるかわからない。……お前は爆弾を抱え込んでいるようなものなんだ」
静かなジョージの言葉に、デュークの眉がピクッと動いた。
「……爆発したとき、お前はお前自身を責めないか? ……粉々に砕けた心をどうやって癒す? ……癒す為の薬を、お前は持っていないだろう」
「……」
「……お前はあの子達の薬になれる。……しかし、お前自身はどうだ? あの子達の思いが力にはなっても、それではお前は癒されない。……お前に必要なのは、心許せる相手と、穏やかな時間だ」
「……知ったような口を利くなよ」
デュークは悔しげにグッと拳を握りしめた。
「お前ら大人が全部奪ったんじゃないか。自由も夢も、……大事な人も。お前らが言っているのは綺麗事だ。そうやって何もかもをわかったフリして話しをしても、本当は上辺ッ面だけで、いざとなったら逃げるくせに。何もなかったように忘れてしまうくせに。……大人なんか、都合良く生きてるだけのガラクタじゃないか」
吐くだけ吐いて、デュークは背を向けて歩き出す。ジョージは間を置いてその後を追った。
「……お前もいずれ、そのガラクタになるんだぞ」
「俺はならない。お前らみたいなヤツにはならない」
「……なら、その一歩だ。……この森から出る決心を付けろ」
「嫌だね。俺はここから絶対に出ないぞ。……何があってもな」
――夜も深まり、子ども達は先に就寝した。ジョージ達三人は小屋の外で代り番こで見張りをし、クレアも三人の傍に居座ろうとしたが「眠りなさい」とスコットに押しやられ、渋々小屋に引っ込んだ。……けれど眠れない。目を閉じて「眠るんだ!」とがんばっていたが、微かな物音と気配で目を開け、暗い部屋の中、視線を動かした。――人影が動いている。
クレアはゆっくりと起き上がった。
「……どうしたの?」
手作りのためか少し傾いた腰窓、その側に座ったまま、そこから覗き込むように外を眺めるデュークは小首を傾げるクレアに「……なんでも」と表情なく小さく答えてまた外に目を戻した。
クレアは「……?」と更に首を傾げ、子ども達を踏まないように彼に近寄って外を見た。ジョージ達が見張りをしている姿がそこにある。
「ああ、心配ないよ。ジョージ達に任せてたら、何が来ても追い払ってくれるから」
苦笑気味に教えながら腰を下ろすが、デュークはやはり表情ひとつも変えず、間を置いて口を開いた。
「お前ら、なんなんだよ?」
「……、なに、って?」
瞬きをして繰り返すが、ゆっくりとこちらを窺うデュークの目は真剣そのものだ。
「お前もそう。あの大人達も……普通じゃない。……どこかの富豪出か?」
見透かそうと目を細めて訊かれ、クレアは「んー……」と視線を上に向けた。
「近いような、遠いような……かなぁ」
曖昧な返事だが、デュークはそれを深く追求しようとはせず、静かに息を吐いて再び外に目を戻した。
「……誰かが親なのか?」
「ン、違うよ。三人はボクのご……」
途中で言葉を切らし、「友達」と言い直す。だが、デュークは深く息を吐いて肩の力を抜き、呆れるような横目を向けた。
「ンなワケないだろ。あんな奴らが友達なもんか」
「でも、友達なんだモン」
クレアは、子ども達を起こさないよう小声で答えながら壁に背もたれた。
「そんなにジョージ達のことが気になる?」
「ああ、小屋に火でも付けるんじゃないかってな」
肩をすくめられ、クレアは「そんなことするわけないだろ」と不愉快さを露わに目を据わらせた。
「キミはどうしてそこまで大人を嫌うんだ? ボク、いろんな町を見てきたけど、中にはノーマンをお世話する人だっているんだぞ? ジョージ達みたいにいい大人だっている。キミは一部を見て決め付け過ぎてるよ」
どうせまた反発するだろう。そう思っていたが、予想に反してデュークから漏れた言葉は「……そうかもな」と言う小さな声――。クレアはキョトンとした。
デュークはじっと外を見つめて、冷たくて汚いガラスに手を付いた。
「中には信用してもいい大人がいるのかも知れない。……けど、そういうヤツと巡り逢える確率は低すぎる」
もの悲しげに遠くを見つめるその横顔に、クレアは少し視線を外して考え、そして再びデュークに目を戻すと小さく訊いた。
「……どうして大人が嫌いなの? ……ノーマンの時に虐められた?」
躊躇い気味の声にデュークは少し目を細め、クレアの問いに答えることなく眠っている子ども達を見回した。
「……いつか、この時代は終わると思うか?」
クレアは彼の視線を追いつつ、「……そうだね」と少し視線を落とした。
「いつか、ね。……終わると思うよ。……ううん、終わらせなくちゃ」
「……けど、まだまだ先の話しだろうな……、きっと」
「かもね。……でも、ここで挫ける訳にもいかないだろ」
「ああ、それはそうだ」
「うん、そうだよ」
囁くような小さな声で交わしていた言葉が途切れ、デュークは壁に背を付けて暗い対面の壁を見つめた。
「……いつかこの時代が終わったら、きっとこいつらが先頭切って進むはず。……辛い時代を味わい続けた分、人の痛みがわかる、そういう大人になって、世界を変えてくれるはず」
「……」
「こいつらは残さなくちゃいけない。未来に必要なんだ。……人が人として生きて、誰も虐げない、誰も拒まない、いい世界を作るためには」
――静かなその声の節々に優しさが感じられる。
クレアは、微かな笑みを浮かべるデュークをじっと見つめた。
「……キミ、結構いいヤツかも知れないな」
「結構ってのは余計だぞ、チビスケ」
横目で睨み言われて、
「撤回。キミはやっぱり嫌いだ」
と、不愉快げに目を据わらせるとデュークは「フン」とそっぽ向いた。
「ああ、好かれようとも思わないからな」
「キミと話してると疲れる」
クレアは頬を膨らまし、キャシーの隣に戻ろうとしたが、「……なあ」と声を掛けられて振り返った。
「なぁに?」
「……お前、何者だ?」
「ボクはボクだろ。何者かは関係ないと思うけどな」
「……あの大人達」
「ん?」
「……、本当に信用出来るのか?」
クレアは真顔で問いかけるデュークに微笑んだ。
「この世界で一番信用出来る大人だよ」
そう答えて、「おやすみ」と、再びキャシーの横で寝転がる。
デュークは再び外を見つめた。
『……寂しいことを言うな。……大丈夫だ、きっと時代は変わるさ。……その時こそ夢を叶えよう……』
……いつになったらこの時代は変わるだろう。……その時、本当に叶えられるのかな……――