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カガッサの馬鹿な鱒達

作者: 黒森牧夫

 カガッサの山ン中を、そう大きくもない川が流れていたんだが、そこへ時々釣りをしにやって来る男がひとりいた。普段は木こりをしていたんだが、木を切る季節を外れて手が空いちまうと、よく釣り竿一本肩に担いで川に出掛けてな、沢山釣れた日なんかにゃあ麓の村まで下りて行って、そいつを売って小金を稼ぐこともあった。

 その日男はいつものように川に出掛けて、何日か前に仕掛けておいた罠に魚が入っているかどうか確かめて見て回ったんだが、何故だか籠の中には一匹も入ってやしない。三日程前に、上流の、八合目の辺りで山崩れがあったんでな、多分そのせいで魚達が落ち着かなくなってるのかもしれねえと男は思った。

 手ぶらで帰る訳にもいかないんで、男はいつものように、山の中程、六合目の辺りだな、そこのよく釣り場にしている辺りに行って釣り糸を垂れた。

 しばらく待ってみたんだが、これがまた一匹もかかりゃしない。今日は駄目かなと思って、男はぼんやりと、いつもより少し濁った川を眺めていた。そうしているうちに、男はふとおかしなことに気が付いた。男のいる所から少し下流に、前は見なかった大きな石が幾つもゴロゴロしていた。多分山崩れで転がって来たんだろうな、そいつがすっかり川を塞いじまってるせいで、流れが浅くなってる所があってな、邪魔をされた水が石の壁の上を急な速さで流れていた。

 その丁度下流の所に、随分とまぁ沢山の日暮れ鱒達が群がっていて、頻りにばたばた騒がしくしていた。よおく見てみると、その日暮れ鱒達はばしゃばしゃと懸命に尾っぽをくねらせて、その石の上を跳び越えようとしているんだってのが判った。ところが石は魚の体に比べちまうと結構大きいのばっかりで、日暮れ鱒達の何十倍もあるもんだから、そいつらは失敗してばっかりでな、男が近寄って遠巻きに様子を窺ってみると、運良く上流にまで跳びはねることが出来たのは殆どいやしなかった。

 日暮れ鱒ってのは知っての通り、川の何処かの静かな所に自分達の縄張りを持っていてな、どんなことがあっても死ぬまでずうっとそこを離れない。今こうやって上流に泳いで行こうとしている鱒達はきっと、山崩れの時に水と一緒に下流に押し流されてしまって、帰るに帰れなくなった奴等じゃなかろうか、と男は思った。流されて戻れないんだったら縄張りを変えちまえばいいのに、今居る所で落ち着いてしまった方がわざわざあんな風に苦労するよりなんぼか楽だろうに、馬鹿な奴等だと男は思ったが、一方日暮れ鱒達の方ではそんなことにはお構いなしに、何があっても元の縄張りに戻りたいようだった。

 男はそこで釣り場をその石の下流に変えることにした。何せ塞き止められて上に行けなくなった日暮れ鱒達がうようよしていて、おまけに皆腹を減らしていて男が近付いて行ってもまるで気にする様子もないもんでな、それまでとは打って変わったようによく釣れ始めた。

 ところが釣り上げた鱒をよくよく見てみると、どれもこれも体中傷だらけ。考えてみりゃあ当たり前なんだが、間違いなく、山崩れの時に受けた傷と、それに上流に戻ろうとして出来た傷だ。

 その日はその後もそこそこ釣れたんで、男は魚籠に一杯になったところで切り上げて、麓の村で売っ払ったんだが、安の定傷ものだってんで大分値引きされちまった。

 明くる日男はまた川に釣りに出掛けた。すると昨日と同じ場所で、まだ日暮れ鱒達が同じように一所懸命に石を跳び越そうとしているじゃないか。川魚ってのは概してとても用心深く臆病な生き物なんだが、相変わらず男が近付いて行っても隠れようともしない。とてもそんなことにまで気が回らないって感じだった。男はそこでまた釣り糸を垂れ、また傷だらけの魚を沢山釣り上げて、麓の村で売っ払った。

 その明くる日もまた同じような段取りになると、男も流石に少し呆れちまってな、今までよりももっとボロボロになった日暮れ鱒達の群れに、もっと近付いてみた。

 見てみると、そいつらは本当に一心不乱で、まるでもうその石の壁を跳び越えることしか頭にないみたいだった。失敗してべちっと石にぶつかり、流されてしこたま川底に叩き付けられても、鱒達は何度も何度もその石の壁に挑み掛かっていた。一番低くなっている所なんかはもう大変な騒ぎで、互いに押し合いへし合い、周りの奴等を蹴落とさんばかりの勢いで、その余りに一所懸命な様子に、男はちっとばかり可哀想になって来ちまった。

 もう十分という所まで釣ってから、その日の釣果を魚籠に収めちまうと、男はいきなりジャボジャボと川の中に入って行っって、それからこう、よいしょっと塞いでいる石を二つばかりどかしてな、魚が通れるくらいの隙き間を作ってやった。途端に半狂乱になった日暮れ鱒達の大群が、待ってましたとばかりにわあっと男の足元を擦り抜けて、上流へと向かって行った。

 男はその日はいい功徳をしたもんだといい気分になって、満足して山を下りた。村で売り捌いた鱒達は当たり前のことに値が落ちたまんまだったんだが、男は余り気にしなかった。

 さて明くる日、男はまた川に行ってみた。するとまぁ驚いた、昨日どかした石のせいで水がちょっとばかり淀んだみたいになっている所があったんだが、そこに引っ掛かって折り重なるようにして、日暮れ鱒達がどっちゃりと、白い腹を見せてぷかぷか浮いていたんだ。そりゃあびっくりしたの何の、折角この俺が元居た所に帰れるようにしてやったのに、どうしてこんなことになっちまったんだろう、何があったんだか知らねぇが、全く馬鹿な奴等だと、男は不思議に思った。

 だけどまぁ、死んだ鱒共をそのままうっちゃらかしておく訳にもいかない。男は魚籠に入り切らないもんだから、手近の木の枝で大きな即席の籠を作ると、浮かんでいる日暮れ鱒達を残らずその中に入れてしまった。それから山を下りて麓の村で売ってみると、相変わらず大分傷んでいたので値は落ちたものの、何しろ量が随分とあったもんだから、結構な金になった。男はその金で久し振りに酒を買って、その夜はしこたま酔っ払ったもんだ。

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