予定調和
タクシーのラジオは珍しく大阪に台風が来ていることを伝えていた。
暮れ方の第二阪奈はいつも通り混んでいる。
窓を打つ雨粒は次第に大きくなり、風も激しさを増していた。
オレはメールが来ていないか、背広の胸ポケットに突っ込んだままだった携帯を確かめる。
着信は、無い。
間違いであってほしい。
動かないタクシーの車内で、オレは祈るような気持ちを抱えて頭を抱えた。
○
師匠が、死んだ。
自分で、それを選んだ。
いつも飄々としてとらえどころがなく、ぬらりひょんとアライグマとナマケモノを足したような、あの師匠が。
正式に師弟関係を結んだわけではないが、オレはあの人の弟子を自認していた。
弟子といっても、何の弟子というわけでもない。
人生の師、というほどのこともない。
何と言っても師匠とオレは同い年で、しかも師匠の方が後に生まれた。
大学の回生も同じだし、浪人した年数も留年した年数も同じだ。
それでも、師匠は出会ったときから師匠としての風格を備えていた。
喩えるなら崑崙山脈辺りに漂う師匠という概念が雨水に溶け込み、日本海を越えて琵琶湖に降り注ぎ、それに身を浸したナマズが突然変異したような人だ。
師匠とオレは恐らく100か200は存在する大阪○○大学(○○には好きな熟語をお入れ下さい)の一つに潜伏し、日夜“この世の神秘”と“もののあはれ”の探求に没頭した。
方法は無数にあったが、アルコールで脳髄を清めながら馬鹿馬鹿しい漫画を読んだり、下らないアニメを見たりするのがお気に入りだった。
二人とも、馬鹿だったのである。
師匠は、多分今の日本に上手くマッチしていなかった。
ジグソーパズルのピースの中に、一枚だけ円山応挙の切手が混じっている。そんな座りの悪さがあった。
四回生の秋にオレがコネで就職を決めた時も、うすらとぼけた顔をして、
「しっかり働けよ。私は働かんが」なんて言っていた。
生まれる時代を間違っていたんだろう。明治か、大正にでも生まれた方が良かったかもしれない。
それで師匠の人生が変わったとも思えないが、少なくとも今ほどの孤独さだけはなかったはずだ。
雨のカーテンの隙間から、天王寺の街が見える。
いつの間にか、タクシーは高速を降りていた。
○
斎場に人は疎らだった。
ほとんどいないといってもいい。
職にも就かず、ぶらぶらしていた師匠らしい最期だ。
師匠は、文筆業を志していたらしい。
らしい、というのは本人から直接聞いたわけではないからなのだが。
濫読癖のあった師匠は、確かに文章は上手かった。
でも、内容の方はあまり面白くない。
世の中を斜に構えて見過ぎていたのだろう。
表面を上手く描いていても、師匠の書くニンゲンには血肉がなかった。
「私の書く人間は、どうしてこう喉にテープレコーダーを仕込んだ人形みたいになるのかねぇ」と零していたのが耳に残る。
ひょっとすると、師匠には周りの人間全てがニンゲンに見えていたのかもしれない。
だとしたら、一体師匠はどれだけ孤独だったのか。
○
服毒、というよりも睡眠薬の過剰摂取で師匠は逝った。
式の前に見せて貰った死に顔は、とても安らかだった。
まるでこれから家に帰って何をするかを考えているかのような、そんな顔だ。
師匠のお姉さんが、オレに封書を渡してくれた。
遺言、というほどではないが、オレに宛てたものだという。
中には一言、「ありがとう」と書いてあり、千円札が一枚と、五十円玉が入っていた。
いつ貸したかも覚えていない。
妙に、律儀なところのある師匠だった。
雨は、どんどん強さを増している。
道路脇の排水溝を、凄い速さで濁流が流れて行く。
このまま流されてしまい気持ちを堪え、オレは焼香の列に加わった。
視界が、滲む。
ああ、もし次があるのなら、次こそは師匠が孤独でありませんように。