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七人ミサキの足音

作者: 曽我部穂岐
掲載日:2026/07/15

 吉良きら親実ちかざねが一歩踏む。


 ざっ。


 その後ろで、六つの足音が順に鳴った。


 ざっ。

 ざっ。

 ざっ。

 ざっ。

 ざっ。

 ざっ。


 親実が止まると、六つも止まる。


 月のない山道に、首のない武者たちが並んでいた。


 槍を持つ者、刀を帯びる者、陣羽織だけをまとった者。姿は違うが、刀の下緒には皆、吉良家で用いる同じ結び目がある。


 親実自身にも首はなかった。


 後ろを見ようとすれば、身体ごと向きを変えねばならない。名を問おうとしても、腹の裂け目から冷たい風が漏れるだけだった。


 死んだことは覚えている。


 叔父であり主君でもあった長宗我部元親に、切腹を命じられた。


 親実の死後、一族や近習も処断されたらしい。道端で震える生者が、七人の首無し武者を見たと噂するのを聞いた。


 ならば、後ろの六人は自分に連座した者たちだろう。


 わしのために死んだ家臣ども。


 親実はそう思い、再び歩き出した。


 やがて、土を踏む音に馬の蹄が重なった。


 ぱから。


 ぱから。


 夜道の上を、若い元親の馬が進んでいる。


 その後を、幼い親実が泥に足を取られながら追っていた。


「遅いぞ、親実」


 元親が振り返って笑う。


 まだ四国を治める前の、よく笑う叔父だった。


 この人についていく。


 この人のためなら、命など惜しくない。


 幼い自分の思いが、耳のない身体へ響いた。


 親実は歩調を速めた。


 慕っていたからこそ、誤りを諫めたのだ。


 首無し武者の一人が近づき、親実の胸へ手を入れた。


 指も腕も具足をすり抜けて沈んでいく。


 ぱから。


 ぱから。


 蹄の音だけを残し、武者は消えた。


 死んだ胸の奥で、馬が走り続けた。


 陣太鼓が鳴った。


 どぉん。


 どぉん。


 血と泥にまみれた野で、親実は一人の郎党を押しとどめている。


「ここを退くな」


「されど、殿。この人数では持ちませぬ」


「おぬしが退けば、後ろが崩れる」


 郎党は親実を見た。


「某に死ねと仰せか」


 親実は答えた。


「一人の命で軍が保つならば、安い」


 郎党は戻らなかった。


 太鼓が腹の傷へ沈み、二人目の武者が消えた。


 あれは戦だった。


 家を守るためだった。


 親実がそう思うたび、裂けた腹の奥で太鼓が鳴った。


 どぉん。


 家のためなら、一人を捨ててもよい。


 かつて自分も、その道理を使った。


 不意に、すべての音が消えた。


 虫も鳴かない。


 風も木々を揺らさない。


 胸の馬も、腹の太鼓も黙った。


 評定の間だった。


 戸次川で、元親の跡取りである信親が討ち死にした。その後、元親は四男の盛親を次の当主にすると告げた。


「御再考くだされ」


 親実は進み出た。


「順序を乱せば、家中が割れまする」


「信親の娘を盛親に娶わせる。あれの血を残すためじゃ」


「御悲嘆によって、家の道を曲げられてはなりませぬ」


 元親が顔を上げた。


「悲嘆と申したか」


 座の者たちは目を伏せていた。


 やがて一人が親実を見た。


 もう一人も顔を上げた。


 元親ではなく、親実が次に何を言うかを待っている。


 元親は親実を見なかった。


 親実を見ている者たちを、一人ずつ見た。


「親実」


 静かな声だった。


「おぬしは、わしを主と思うておるか」


「道を誤られぬ限りは」


 親実が答えると、座の空気が凍った。


 元親の目が、ようやく親実へ戻った。


 親実は叫ぼうとした。


 謀反など考えておらぬ。


 腹から風が漏れただけだった。


 誰も、謀反だとは言っていない。


 二人の首無し武者が左右から親実へ触れた。


 一人は、嫡男を失った元親の背を見ていた。


 もう一人は、親実を見つめる家臣たちの目を見ていた。


 二人の姿が親実の中へ沈む。


 音のない重みだけが、身体の奥に残った。


 その静けさを破って、一人の武者が山道を走り出した。


 親実が追うと、道はいつの間にか屋敷の廊下へ変わっていた。


 切腹の命が下る前、親しい者が部屋へ駆け込んでくる。


「御屋形様へ詫びを入れられませ」


「何を詫びる」


「ひとまずお言葉を収められよ。生きておれば、また諫めることもできます」


「ここで曲げれば、二度と正しいことを申せぬ」


「死ねば、なお申せませぬ」


 親実は答えなかった。


 相手はしばらく待ち、やがて頭を下げた。


 戸が閉まる。


 生きる道はあった。


 膝を折らなければ通れぬ道だった。


 それでも、道はあった。


 走っていた武者が親実の両足へ重なり、姿を消した。


 親実は歩こうとした。


 足が動かなかった。


 ぱちり。


 碁石が鳴った。


 切腹を命じられた日、親実は盤の前に座っていた。


 使者が御沙汰を告げても、顔を上げなかった。


 逃げることもできた。


 兵を集めることも、元親へもう一度言葉を届けることもできた。


 親実は石を置いた。


 ぱちり。


 死ねば、自分の言葉は曲がらずに残る。


 その考えが、確かに胸をよぎった。


 盤の向かいには、最後の首無し武者が座っていた。


 何もない指先が白石をつまむ。


 親実の黒石を殺す場所へ、白石が置かれた。


 ぱちり。


 逃げぬのではない。


 逃げられぬ形を、自分で選んだのだ。


 武者の手が盤を越え、親実の身体へ入ってきた。


 碁石の音が、存在しない頭の内側で何度も鳴った。


 ぱちり。


 ぱちり。


 ぱちり。


 気づけば、夜道には親実一人しかいなかった。


 胸で馬が走っている。


 腹で太鼓が鳴っている。


 身体の奥には、評定の無音が満ちている。


 両足には、退く道を拒んだ重みがある。


 頭のない身体のどこかで、碁石が盤を埋め続けていた。


 親実は右足を出した。


 ざっ、ず。


 若いころに負った古傷を引きずる音がした。


 六人も皆、同じ歩き方をしていた。


 わしか。


 声にはならなかった。


 退けば、生きられた。


 だが、その道を歩くことを、自分が許さなかった。


 親実は一歩踏み出した。


 ざっ、ず。


 後ろからは何も聞こえない。


 もう一歩。


 ざっ、ず。


 これで足音は一つになった。


 背後で、鋼が鞘を擦った。


 しゃり。


 介錯人が刀を抜いた音だった。


 親実の足が止まる。


 刀が持ち上げられる。


 風が刃をなでる。


 あのとき、親実は最後まで何も言わなかった。


 言葉がなかったのではない。


 元親へ、なお一言。


 そう思った。


 それを口にすれば、正しさだけでなく、未練も、怒りも、願いも残っただろう。


 親実は黙った。


 刃が落ちる。


 その先の音を、親実は知らない。


 首を断たれたあとの音だからだ。


 死なねばならなかった理由は分かった。


 だが、自分が死んだことだけは、まだ受け入れていなかった。



 背後で、一歩鳴った。


 ざっ、ず。


 親実と同じ古傷を引きずる音だった。


 首を落とされたまま、あの日に置き去りにしてきた自分が、後ろから歩いてくる。


 親実は振り返らなかった。


 足音が、もう一歩近づいた。


 ざっ、ず。


 胸の馬が駆け出す。


 腹の太鼓が鳴る。


 無音が満ち、碁石が置かれる。


 背後の何かが、親実の身体を通り抜けた。


 その瞬間、胸や腹に戻ったはずの記憶が、六つの影となって背後へこぼれ落ちた。


 親実の右足が、勝手に前へ出る。


 ざっ。


 その後ろで、六つの足音が順に鳴った。


 ざっ。

 ざっ。

 ざっ。

 ざっ。

 ざっ。

 ざっ。



ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

創作の励みになりますので、評価・感想をよろしくお願いいたします。


吉良親実は、長宗我部元親の弟・親貞の子で、元親の甥にあたる人物です。


戸次川の戦いで嫡男・信親を失った元親は、四男・盛親を後継者にしようとしました。後世の軍記物語『土佐物語』では、親実は長幼の序や人倫に反するとしてこれに反対し、切腹を命じられたとされています。


親実は碁を打っている最中に命を受け、沐浴と食事を済ませたのち、介錯を受けて最期を遂げました。

その後、親実に味方した七人も斬られ、その怨霊が「七人ミサキ」になったと伝わります。親実本人まで数えれば、死者は八人です。


また、親実の墓所付近では、怪火や首のない武士が現れたとも語られています。

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― 新着の感想 ―
少々マニアックな気がしますが、高知の歴史に興味があるので面白く読ませていただきました。
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