七人ミサキの足音
吉良親実が一歩踏む。
ざっ。
その後ろで、六つの足音が順に鳴った。
ざっ。
ざっ。
ざっ。
ざっ。
ざっ。
ざっ。
親実が止まると、六つも止まる。
月のない山道に、首のない武者たちが並んでいた。
槍を持つ者、刀を帯びる者、陣羽織だけをまとった者。姿は違うが、刀の下緒には皆、吉良家で用いる同じ結び目がある。
親実自身にも首はなかった。
後ろを見ようとすれば、身体ごと向きを変えねばならない。名を問おうとしても、腹の裂け目から冷たい風が漏れるだけだった。
死んだことは覚えている。
叔父であり主君でもあった長宗我部元親に、切腹を命じられた。
親実の死後、一族や近習も処断されたらしい。道端で震える生者が、七人の首無し武者を見たと噂するのを聞いた。
ならば、後ろの六人は自分に連座した者たちだろう。
わしのために死んだ家臣ども。
親実はそう思い、再び歩き出した。
やがて、土を踏む音に馬の蹄が重なった。
ぱから。
ぱから。
夜道の上を、若い元親の馬が進んでいる。
その後を、幼い親実が泥に足を取られながら追っていた。
「遅いぞ、親実」
元親が振り返って笑う。
まだ四国を治める前の、よく笑う叔父だった。
この人についていく。
この人のためなら、命など惜しくない。
幼い自分の思いが、耳のない身体へ響いた。
親実は歩調を速めた。
慕っていたからこそ、誤りを諫めたのだ。
首無し武者の一人が近づき、親実の胸へ手を入れた。
指も腕も具足をすり抜けて沈んでいく。
ぱから。
ぱから。
蹄の音だけを残し、武者は消えた。
死んだ胸の奥で、馬が走り続けた。
陣太鼓が鳴った。
どぉん。
どぉん。
血と泥にまみれた野で、親実は一人の郎党を押しとどめている。
「ここを退くな」
「されど、殿。この人数では持ちませぬ」
「おぬしが退けば、後ろが崩れる」
郎党は親実を見た。
「某に死ねと仰せか」
親実は答えた。
「一人の命で軍が保つならば、安い」
郎党は戻らなかった。
太鼓が腹の傷へ沈み、二人目の武者が消えた。
あれは戦だった。
家を守るためだった。
親実がそう思うたび、裂けた腹の奥で太鼓が鳴った。
どぉん。
家のためなら、一人を捨ててもよい。
かつて自分も、その道理を使った。
不意に、すべての音が消えた。
虫も鳴かない。
風も木々を揺らさない。
胸の馬も、腹の太鼓も黙った。
評定の間だった。
戸次川で、元親の跡取りである信親が討ち死にした。その後、元親は四男の盛親を次の当主にすると告げた。
「御再考くだされ」
親実は進み出た。
「順序を乱せば、家中が割れまする」
「信親の娘を盛親に娶わせる。あれの血を残すためじゃ」
「御悲嘆によって、家の道を曲げられてはなりませぬ」
元親が顔を上げた。
「悲嘆と申したか」
座の者たちは目を伏せていた。
やがて一人が親実を見た。
もう一人も顔を上げた。
元親ではなく、親実が次に何を言うかを待っている。
元親は親実を見なかった。
親実を見ている者たちを、一人ずつ見た。
「親実」
静かな声だった。
「おぬしは、わしを主と思うておるか」
「道を誤られぬ限りは」
親実が答えると、座の空気が凍った。
元親の目が、ようやく親実へ戻った。
親実は叫ぼうとした。
謀反など考えておらぬ。
腹から風が漏れただけだった。
誰も、謀反だとは言っていない。
二人の首無し武者が左右から親実へ触れた。
一人は、嫡男を失った元親の背を見ていた。
もう一人は、親実を見つめる家臣たちの目を見ていた。
二人の姿が親実の中へ沈む。
音のない重みだけが、身体の奥に残った。
その静けさを破って、一人の武者が山道を走り出した。
親実が追うと、道はいつの間にか屋敷の廊下へ変わっていた。
切腹の命が下る前、親しい者が部屋へ駆け込んでくる。
「御屋形様へ詫びを入れられませ」
「何を詫びる」
「ひとまずお言葉を収められよ。生きておれば、また諫めることもできます」
「ここで曲げれば、二度と正しいことを申せぬ」
「死ねば、なお申せませぬ」
親実は答えなかった。
相手はしばらく待ち、やがて頭を下げた。
戸が閉まる。
生きる道はあった。
膝を折らなければ通れぬ道だった。
それでも、道はあった。
走っていた武者が親実の両足へ重なり、姿を消した。
親実は歩こうとした。
足が動かなかった。
ぱちり。
碁石が鳴った。
切腹を命じられた日、親実は盤の前に座っていた。
使者が御沙汰を告げても、顔を上げなかった。
逃げることもできた。
兵を集めることも、元親へもう一度言葉を届けることもできた。
親実は石を置いた。
ぱちり。
死ねば、自分の言葉は曲がらずに残る。
その考えが、確かに胸をよぎった。
盤の向かいには、最後の首無し武者が座っていた。
何もない指先が白石をつまむ。
親実の黒石を殺す場所へ、白石が置かれた。
ぱちり。
逃げぬのではない。
逃げられぬ形を、自分で選んだのだ。
武者の手が盤を越え、親実の身体へ入ってきた。
碁石の音が、存在しない頭の内側で何度も鳴った。
ぱちり。
ぱちり。
ぱちり。
気づけば、夜道には親実一人しかいなかった。
胸で馬が走っている。
腹で太鼓が鳴っている。
身体の奥には、評定の無音が満ちている。
両足には、退く道を拒んだ重みがある。
頭のない身体のどこかで、碁石が盤を埋め続けていた。
親実は右足を出した。
ざっ、ず。
若いころに負った古傷を引きずる音がした。
六人も皆、同じ歩き方をしていた。
わしか。
声にはならなかった。
退けば、生きられた。
だが、その道を歩くことを、自分が許さなかった。
親実は一歩踏み出した。
ざっ、ず。
後ろからは何も聞こえない。
もう一歩。
ざっ、ず。
これで足音は一つになった。
背後で、鋼が鞘を擦った。
しゃり。
介錯人が刀を抜いた音だった。
親実の足が止まる。
刀が持ち上げられる。
風が刃をなでる。
あのとき、親実は最後まで何も言わなかった。
言葉がなかったのではない。
元親へ、なお一言。
そう思った。
それを口にすれば、正しさだけでなく、未練も、怒りも、願いも残っただろう。
親実は黙った。
刃が落ちる。
その先の音を、親実は知らない。
首を断たれたあとの音だからだ。
死なねばならなかった理由は分かった。
だが、自分が死んだことだけは、まだ受け入れていなかった。
背後で、一歩鳴った。
ざっ、ず。
親実と同じ古傷を引きずる音だった。
首を落とされたまま、あの日に置き去りにしてきた自分が、後ろから歩いてくる。
親実は振り返らなかった。
足音が、もう一歩近づいた。
ざっ、ず。
胸の馬が駆け出す。
腹の太鼓が鳴る。
無音が満ち、碁石が置かれる。
背後の何かが、親実の身体を通り抜けた。
その瞬間、胸や腹に戻ったはずの記憶が、六つの影となって背後へこぼれ落ちた。
親実の右足が、勝手に前へ出る。
ざっ。
その後ろで、六つの足音が順に鳴った。
ざっ。
ざっ。
ざっ。
ざっ。
ざっ。
ざっ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
創作の励みになりますので、評価・感想をよろしくお願いいたします。
吉良親実は、長宗我部元親の弟・親貞の子で、元親の甥にあたる人物です。
戸次川の戦いで嫡男・信親を失った元親は、四男・盛親を後継者にしようとしました。後世の軍記物語『土佐物語』では、親実は長幼の序や人倫に反するとしてこれに反対し、切腹を命じられたとされています。
親実は碁を打っている最中に命を受け、沐浴と食事を済ませたのち、介錯を受けて最期を遂げました。
その後、親実に味方した七人も斬られ、その怨霊が「七人ミサキ」になったと伝わります。親実本人まで数えれば、死者は八人です。
また、親実の墓所付近では、怪火や首のない武士が現れたとも語られています。




