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陽菜乃さんは霊が視えない! ~episode 3~

作者: 釜瑪秋摩
掲載日:2026/03/10

旧音楽棟からの悲しい旋律

 その夜、キャンパスの外れにある旧音楽棟から、ピアノの旋律が聞こえてきた。


 ──ワルツだった。


 どこか懐かしく、それでいて胸の奥がざわつくような、未完成の旋律。

 夜風に乗って微かに流れたその音色に、岸本泰河(きしもとたいが)はぎくりと肩を震わせた。


「……な、なあ陽菜乃。聞こえるよな? な、ななな、なんかヤバいの聞こえるよな!?」


「うん、聞こえるね。メロディはまあまあ奇麗だけど、音の気配が変。感情が混ざってる感じ」


 宮野陽菜乃(みやのひなの)は懐中電灯を手に、冷静なまなざしで旧音楽棟の入り口を見据える。栗色の髪を振り乱してオロオロする泰河とは対照的に、黒髪ロングの陽菜乃は、まるで心霊現象の中心に立つことが日常のような落ち着きぶりだった。


 二人は大学の都市伝説研究サークルの二年生。陽菜乃は霊がまったく視えないにも関わらず、なぜか除霊や浄霊の力を持つ、視えない系の霊能者。一方、泰河は霊感が強くて霊が視えるものの、お人よしで超絶なビビリ、そしてすぐ泣く。


 そんな凸凹コンビのもとに、今回の『音楽棟の怪異』の相談を持ち込んだのは、サークルの後輩である一年生、野々宮香澄(ののみやかすみ)だった。


「……私、あの旋律を口ずさんでから、変なんです。毎晩、夢の中でピアノの音が鳴ってて……誰かが『完成させて』って言うんです」


 細身で穏やかな雰囲気の香澄は、音楽サークルと掛け持ちで、月に数日程度だけれど、都市伝説研究サークルに来てくれていた。彼女の証言によれば、問題の曲は『誰も知らない旋律』で、聴いた人の記憶に強烈に残るものだった。


 調査の結果、かつて旧音楽棟で教鞭をとっていた女性ピアノ講師が、十数年前に突然事故死していたという事実が判明。その講師は、生前最後まで自作のワルツを完成させるために練習していたという。


「たぶん、その人の未練が今も残ってる。ピアノが鳴るのはそのせいだと思う」


「で、でも、なんで香澄が巻き込まれた? 音楽サークルには、都市研よりも大勢の学生がいるのに!」


「曲を口ずさんじゃったからだろうね。旋律に宿ってた『想い』を引き込んじゃったんだよ」


「やっぱヤバいじゃん!! やっぱ来るんじゃなかった!! 怖い怖い怖い!!」


「泰河、うるさい。声が響くから静かにして。ピアノが止まっちゃう」


「止まってくれた方が安心だろがぁぁぁッ!」


 そんな泰河の叫びが響いた直後──ポーン、と低い一音が鳴り、ピアノの音が途絶えた。

 廊下に沈黙が戻る。


「……消えた?」


 静まり返った廊下で、三人は顔を見合わせた。その瞬間だった。


 ──ポーン。


 旧音楽室の扉の奥から、鍵盤が一つだけ押されたような音が響いた。


「う、うわぁぁぁあああ!? なんで鳴るんだよォ!? 誰かいるのか!?」


「落ち着いて泰河。いるのは()じゃないでしょ」


「だから落ち着けないんだろうがああぁッ!!!」


「いつもいつも、泰河マジでうるさいって」


 陽菜乃はそう言って、首から提げたお守り袋をそっと握った。小さな銀の鈴がチリンと鳴る。陽菜乃にとって、それは霊に働きかけるための触媒だった。鈴の音が霊の存在を揺さぶり、魂に触れるきっかけになる。

 扉の先で、また鍵盤の音が鳴った。今度は和音──悲しげな、不安定な響きだった。


「……入ろう。香澄、あたしの後ろにいて」


「……は、はいっ」


 泰河が足を引きずるようにして後に続く。息づかいが荒いのはビビっているせい。

 旧音楽室の扉を開けた瞬間、空気が変わった。


 冷たい。


 シンとした空間の中に、グランドピアノが佇んでいる。その椅子には、誰も座っていないはずだった。


「──あっ」


 泰河の声が震えた。

 椅子の背後に、長い髪を垂らした女性の影が見えたのだ。

 香澄が小さく呻くと、体が陽菜乃の脇をするりと通り抜け、ピアノのほうへと勝手に歩き出してい行った。


「ちょ、香澄!? なにしてんだってば──」

「――泰河、止めちゃダメ」


 陽菜乃の声が響く。


「これ、たぶん『完成させてほしい』って訴えてる。旋律の最後を、彼女自身じゃ弾けないから」


 香澄の指が、鍵盤の上を滑る。まるで誰かの手に操られるように。

 旋律は、途中でいつも終わってしまっていた箇所まで進んでいた。

 そこから先は──未知の一小節。

 陽菜乃はゆっくりと香澄の横に立ち、その肩に自分の手を添えた。香澄の目が陽菜乃を見上げる。


 ──チリン。


 お守り袋についた銀の鈴が、小さく鳴った。

 陽菜乃が静かにうなずいてみせると、香澄もそれに返すようにうなずいてみせた。


「……センセ……あなたの、続きを……私が、感じたままに弾きますね……」


 香澄の指先が、鍵盤の上で軽やかに踊っている。陽菜乃も泰河もただ黙ってその旋律に聞き入っていた。最後の和音が響いた瞬間、ピアノの上に漂っていた影が、ふっと形をほどいて消えていった。


 空気が暖かさを取り戻す。


 香澄の肩から力が抜け、彼女はその場にへたりこんだ。泰河は目を丸くしていたが、ようやく緊張が緩み、へにゃあと笑った。


「……すご。陽菜乃、やっぱマジで霊能者なんだな」


「霊がなにを伝えたいのか、感じるだけだよ。視えないけど、気持ちは伝わってくるから。それに今回はあたし、なにもしてないんだよね」


「なにもしてない? それってどういうことですか?」


「きっと香澄は完璧に弾いたのね。満足したんだと思う。自分で上がってしまったから」


 そう言いながら、陽菜乃はピアノの椅子に腰をおろし、たった今、聞いたばかりの旋律を真似て鍵盤を叩いた。その姿はまるでピアニストのように美しく二人の目に移ったけれど……。

 流れる旋律は、お世辞にも上手いとは言えず、泰河も香澄も困惑するしかなかった。


「いやいやいや、視えなくてこの仕事してんのがすごいから! つか、リズム感もゼロかよッ!!! 雰囲気詐欺だってばよ!」


「失礼ね! ピアノは大昔に習い始めで辞めちゃったんだから、仕方ないでしょ!」


「辞めたなら、そのまま辞めとけよ! 無駄に雰囲気だけ良いから余計に音感ゼロが目立つわ!」


 二人のやり取りを苦笑して見ていた香澄は、わずかに涙ぐみながら「ありがとうございました」と頭を下げた。


 旧音楽棟に再び静寂が戻る。


「……それにしても、完成させることにあんなに強い執念があるなんてね。音楽って、すごい」


「俺もう当分ピアノ聴きたくないわ……マジで勘弁、って感じ」


「昼間に聞けば、きっと違った印象になるけどね」


 校舎を出たあと、夜空には淡く月が浮かんでいた。

 歩きながら、陽菜乃はぽつりと呟く。


「あたしもピアノ、ちゃんと習っておけばよかったかもな」


「いや、あのセンスは……ガチで辞めておいて良かったと思うけど……」


 鈴の音が、風に揺れてチリンと鳴った。

 その音に送られるようにして、未完成だった旋律の余韻が夜の闇に溶けていった。




 -完-

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