第97話:休日のパッキング、あるいは乙女たちの争奪戦
硝煙の匂いは消え、代わりに街には焼きたてのパンと、復興を祝う花の香りが満ちている。
エリュシオン王国の危機を救った英雄たちは、今、クレイエルの小さな拠点で、人生最大級の「難問」に直面していた。
それは、博覧会の特別報酬として与えられた、たった一日の「完全自由休日」。
宛先は、唯一無二の配送員、タム。
だが、その受領印を押そうとする手は、一つではなかった。
「――いい、これは論理的なリソース配分の問題よ」
「あら、物流の基本は『最優先事項』への集中ですわ」
「ちょっと! そもそもあんたたち、職権濫用だってば!」
平和な朝を切り裂く、甘くも鋭い火花。
軍師ゼロ、王女エレナ、そしてリナとセレス。
タムの休日を巡る、非公式かつ最高に熱い「特別配送」の行方は――。
激動の博覧会が終わり、エリュシオン王国に平穏が戻った。
クレイエルの街は「世界一の物流拠点」としての活気に満ち溢れ、今日も多くの荷物が行き交っている。だが、その中心地にあるクレイエル連合のガレージだけは、いつもとは違う「戦場」の気配が漂っていた。
「……待ちなさい。タムの今日のスケジュールは、私がミリ単位でパッキング(構築)済みよ。午前中はアイギスのメンテナンス補助、午後は演算回路の最適化テスト。……一秒の余白も存在しないわ」
ゼロは、タイトな私服に身をつつみ、タブレットを突き出して宣言した。対するは、朝から最高級のドレスを身に纏い、まばゆいばかりの気品を放つエレナ王女だ。
「あら、ゼロ様。公式な受領印(許可)も得ずにタム様を拘束するなんて、法律違反ですわ。今日のタム様は、私と共に王立庭園で『お茶会』という名の親睦を深める予定になっておりますの。これは、王女としての直接依頼ですわ!」
「……権力の私物化、パッキング解除(断固拒否)よ。タムは私の専属配送員なんだから!」
「専属? あら、先日の救出劇の際、彼は私の『騎士』になると誓って(と私が解釈して)くださいましたわ!」
火花が散る。その中心で、タムは困り果てたように整備用のレンチを握りしめていた。
「ええと……二人とも。僕は今日、久しぶりにガーディアンを洗車しようと思ってたんだけど……」
「「却下!!」」
二人の叫びが重なったその時、ガレージの奥から、どこか冷徹で、それでいて楽しげな声が響いた。
「……二人とも、検品(観察)が甘いですわ。タム様が本当に求めているのは、心の平穏……すなわち、私との静かな読書の時間ですのよ」
現れたのはリナだった。だが、その瞳には知性の光が宿り、話し方はどこか貴族的だ。セレスと意識を高度に同期させた『セレス・モード』のリナだ。
「……リナ(セレス)! あんたまで参戦するつもり!?」
ゼロが声を荒らげる。リナ(セレス)は優雅に髪をかき上げた。
「これはリナさんの肉体的な欲求と、私の論理的な興味のパッキング(合致)です。タム様の心拍数、現在一二〇。……この動揺を沈められるのは、私だけですわ」
結局、誰一人として譲る気配はなく、タムの休日は「全員同行」という、とんでもない積載量でスタートすることになった。
一方、そんな騒ぎを他所に、カイトは一人、街外れの海岸線にある断崖絶壁へと足を運んでいた。新しい大剣の素振りをするためだ。そこには、潮風に吹かれながら、崖の縁に咲く小さな青い花を見つめるアルウェンの姿があった。
「よお、アルウェン。こんなところで何してんだ?」
「……カイト。……精霊さんたちが、困ってるの。……あそこの風車に、子供たちの『宝物』が引っかかっちゃって」
アルウェンが指差した先。海にせり出した、高さ二十メートルはあろうかという切り立った崖。その最先端にある古い風車の羽根に、赤い帽子が引っかかっていた。
「……あんな高いところ、普通じゃ届かねぇな。……おい、アルウェン」
カイトは、無造作にアルウェンの細い腰に手を回した。
「えっ……? カイト、……何を……?」
「いいか、しっかり捕まってろ。……配送員の足腰、なめんなよ!」
「――ひゃっ!?」
アルウェンが驚きで声を上げる間もなく、カイトは彼女をひょいと横抱き――いわゆるお姫様抱っこでパッキング(ホールド)した。
カイトの隆起した筋肉が、アルウェンの薄い身体に密着する。戦場での緊張感とは違う、熱い体温が彼女の肌に伝わった。
「……飛ばすぜ!!」
ドォォォォン! と地面を爆砕するような脚力で、カイトは崖を垂直に駆け登り始めた。
「カ、カイト……! 高っ……高い、です……!」
アルウェンは、カイトの首に必死にしがみついた。視界の下には、激しく波打つ群青色の海。だが、カイトは岩肌に指を食い込ませ、重力をパッキング解除(無視)したような豪快な跳躍を繰り返す。
「ガタガタ言うな! 俺を信じて、しっかりホールド(密着)してろ!」
カイトの荒い息遣いが、アルウェンの耳元をかすめる。逞しい腕の熱量と、自分を絶対に離さないという確固たる意志。アルウェンは、恐怖がいつの間にか「別の何か」に書き換えられていくのを感じていた。
最後のひと跳びで、カイトは風車の土台へと着地した。
「……ほらよ、お目当ての『荷物』だ」
カイトは風車の羽根から赤い帽子をひょいと回収すると、ようやくアルウェンを地面に下ろした。だが、アルウェンは腰が抜けたのか、カイトの胸板に手を置いたまま、顔を上げられない。
「……どうした、アルウェン? まだ酔ってるか?」
「……違う。……カイトの、……心臓の音。……精霊さんより、ずっとうるさいから……」
真っ赤な顔で呟くアルウェン。カイトは一瞬呆気に取られた後、自分の心臓が配送車のエンジン以上に激しく鼓動していることに気づき、頭を乱暴にかいた。
「……っ、そりゃあ……これだけ動けば、そうなるだろ! ……さっさと降りるぞ、また担いでやるからよ!」
「……うん。……今度は、……自分から……していい?」
「……勝手にしろ!」
クレイエルの豪腕配送員は、夕焼けよりも赤い顔をして、再び少女を抱き上げた。
一方その頃、クレイエル中央広場のカフェ。
タムは、左右と正面を三人の美女にパッキング(完全包囲)され、極限の緊張状態に置かれていた。
「はい、タム様。この『完熟イチゴのムース』、私がお口までデリバリーして差し上げますわ。あーん、ですわ!」
エレナが、黄金のスプーンでケーキを差し出す。その瞳は、拒絶を一切許さない王族の輝きに満ちている。
「……待ちなさい。タム、今のあなたの血糖値と疲労度を計算すれば、必要なのはその隣にある『特製ビターチョコ・タルト』よ。……はい、私が検品(味見)してあげたから、安心して食べなさい」
ゼロが、自分が一口かじったタルトを、顔を真っ赤にしながらタムの唇に押し当てる。
「……甘いですわね、お二人とも。タム様、私の『セレス演算』によれば、あなたは今、喉の渇きを優先しています。……さあ、私が淹れたハーブティーを。……間接接吻の確率は一〇〇パーセントですわ」
リナ(セレス)が、妖艶な微笑みと共にカップを差し出す。
「えっ、ええと……。……あの、僕の手は空いてるから、自分で……」
タムが手を伸ばそうとすると、三人の視線が鋭く光った。
「「「ダメ(受領拒否)!!」」」
周囲の客たちは、この「世界を救った英雄」が、配送業務の何百倍も過酷な業務に立ち向かう姿を、同情と羨望の眼差しで見守っていた。
「……もう、みんな……」
タムは覚悟を決めた。一人一人から「一口ずつ」もらうという、最も公平で、最も全方位にダメージを受ける解決策を選択したのだ。
エレナのイチゴ、ゼロのタルト、セレスの紅茶。
順番に口に運ばれるたび、タムの顔は熟したリンゴのように赤くなっていく。
「……ふふっ。タム様、お味はいかが?」
「……計算通りのリアクションね。……悪くないわ」
「……心拍数、さらに上昇。……パッキング成功ですわ」
三人が満足げに微笑む。その時、夕暮れの街角から、カイトとアルウェンが戻ってきた。二人の絶妙に気まずそうで、それでいて距離の近い空気感に、ゼロの眼鏡がキラリと光る。
「……あら、あっちも『新ルート』が開通したみたいね」
「あらあら。素敵ですわ。……さて、タム様。夜のパッキングは、これからですわよ?」
エレナがタムの腕をギュッと抱きしめる。
「……えっ、まだ続くの!?」
「当たり前よ。……今日は一日、あなたの全時間を私たちがパッキング(独占)するって決めたんだから」
ゼロも反対側の腕を確保し、リナ(セレス)が背後を固める。
「……あはは。……僕の休日は、やっぱり『過積載』が丁度いいみたいだ」
タムは、賑やかな仲間たちの笑い声に包まれながら、夜の帳が下りるクレイエルの街を見渡した。
届けるべき荷物(平和)は、今、自分たちの手の中にしっかりと収まっている。
「――よし、みんな。……最後の目的地まで、配送開始だ!」
タムの爽やかな号令と共に、世界で一番騒がしくて、世界で一番幸せな「ラストマイル」は、明日へと続いていく。
第97話をお読みいただき、誠にありがとうございます。
平和を取り戻したクレイエルでの、タムを巡る三つ巴の争奪戦、そしてカイトとアルウェンの不器用な急接近……。戦いの中では見られなかった、彼らの等身大な素顔を詳しくお届けいたしました。
しかし、幸せな時間は、次なる波乱への束の間の休息に過ぎません。
三人の美女に追い詰められたタムが冷や汗を流すその裏で、世界の物流網の根幹を揺るがす「未知の伝票」が、密かに発行されようとしています。
次回、第98話。
『真夜中の受領拒否、あるいは招かれざる差出人』。
クレイエル連合の元に届いたのは、宛先不明、差出人不明、そして開封することさえ禁じられた「禁忌の荷物」でした。
果たして、この荷物が運ぶのは希望か、それとも再び世界を塗り替える絶望か。
物語は、さらなる深化の時を迎えます。
タムたちの新たな配送、どうかお見逃しなく!




