第90話:海を越える招待状、あるいは交わる二つの正義
東の絶壁での激闘は、王都の勢力図を塗り替えた。だが、余韻に浸る間もなく、タムとゼロの元に届けられたのは、クレイエル国王の印章が捺された「召喚状」だった。
エリュシオン王国のエレナ王女から届いた、海上浮遊都市での万国物流博覧会への招待。それは、かつて「神晶のオルゴール」を届けたタムへの最大級の信頼の証であり、同時に、相容れない二つの配送会社を「クレイエル連合代表」としてパッキングする、王からの無理難題であった。
王都クレイエルの王宮、その謁見の間。
高い天井に響くのは、二つの異なる足音だった。
一つは、タムが踏みしめる、実直で迷いのない足音。
もう一つは、ゼロが刻む、鋭く知的な金属の音。
「……また、あなたと並んで歩くことになるなんて。私の計算式にはなかった不具合だわ」
ゼロは、不機嫌そうに腕を組み、タイトな礼装を押し上げる豊かな胸元を強調しながら吐き捨てた。眼鏡の奥の瞳は冷徹だが、その頬には、前回のレースでタムに見せられた「敗北という名の救い」の余熱が、微かに残っている。
「僕にとっても、予定外の検品です。ですが、陛下が二人を同時に呼ぶからには、それ相応の荷物があるはずだ」
タムが前を見据えたまま答える。
玉座に座るクレイエル国王は、並び立つ二人を見て満足げに頷いた。
「よく来た。ラストマイルのタム、そしてネオ・ロジスティクスのゼロ。貴殿らに、エリュシオン王国のエレナ王女より、特級の親書が届いている」
差し出された書面には、見覚えのある繊細な文字と、あのオルゴールの音色を思い出させるような、温かな魔力の残滓が宿っていた。
『愛愛しき配送員、タム様へ。あの日、あなたが届けてくれたオルゴールの調べは、今も我が国の平和を奏で続けています。あなたという稀代の梱包師を、ぜひとも世界の舞台へ招きたい。海上浮遊都市アクア・パルスで開催される博覧会にて、クレイエルの代表として、その「誠実な配送」を披露してはいただけないでしょうか』
「……エレナ様」
タムの脳裏に、かつて戦火を潜り抜け、ボロボロになりながらも守り抜いた、あの青い輝きが浮かんだ。彼女は今も、自分を「世界一」だと信じて待っている。
「だが」と、国王は言葉を継いだ。「この博覧会は、単なる友好の場ではない。各国の配送技術を競い、物流の覇権を争う国家間の戦場でもある。ゆえに、余は命ずる。タムの『想い』と、ゼロの『鋼』。この二つを一つにパッキングし、『クレイエル連合代表』として海上都市へ向かえ」
「――拒絶します!」
ゼロの声が謁見の間に響いた。
「私のアイギス・システムは、完成された単独の秩序です。そこに、こんな情緒不安定な人間の集団を混ぜるなど、効率の自殺に等しい!」
「……ゼロさん。エレナ様は、僕たちだけではなく、あなたの技術も評価しての招待です。世界を相手にするなら、僕も、あなたの圧倒的な速度が必要だ」
タムの真っ直ぐな瞳が、ゼロを射抜く。
ゼロは視線を泳がせ、忌々しげに髪をかき上げた。
「……っ。……あくまで、エレナ王女の面目を潰さないための『一時的なパッキング』よ。勘違いしないで」
こうして、史上最も相性の悪い「クレイエル最強の連合チーム」が誕生した。
出港の日。
王都の港には、巨大な外洋配送船『リヴァイアサン号』が停泊していた。
ラストマイルのレガシー・ガーディアンと、ゼロが率いる数十体のアイギス・ユニットたちが、一つの船倉に詰め込まれる。
「わあ……! ゼロさんのロボットさんたち、近くで見るとすごくピカピカ! ねえねえ、精霊さんたちも中に入っていい?」
アルウェンが、無機質なアイギス・ユニットの周囲を、花を撒き散らすように走り回る。
「……やめなさい。その『ノイズ』が混じると、センサーの校正が狂うわ」
ゼロは冷たく突き放そうとするが、アルウェンの無邪気な攻勢には、計算機のような彼女の理性も、防壁が薄くならざるを得ない。
その様子を、リナが腕組みしながら面白そうに眺めていた。
「へぇ、あんたでも動揺するんだ。てっきり、感情ってプログラムされてないのかと思ったぜ」
『リナさん、わたくしの計測では、ゼロ様の心拍数が平時の1.07倍に上昇。これは、予測不能な変数に対する典型的なストレス反応ですわ』
セレスの声が、リナの胸元から響く。
ゼロはギョッとしたように、リナとセレスの胸元を交互に見た。
「……何よ。貴様ら、私の生体データを勝手に解析してるの? それはプライバシーの侵害、最低限の倫理規定にも反する行為よ!」
「はいはい、分かってるって。でもさ、あんた、タムが言ってた通り、結構面白いじゃない」
リナは肩をすくめ、ゼロのすぐ隣に座り込んだ。
「私たちも、最初はあんたみたいに、ギルドの連中に『非効率だ』って馬鹿にされてたんだ。でも、荷物の向こうにいる誰かの笑顔を想像すると、それが一番のエネルギーになるんだぜ」
アルウェンも、アイギス・ユニットから離れて、ゼロの傍にちょこんと座る。
「ゼロさん! 肩、すごく凝ってませんか? その……お胸が重そうですし、私が精霊さんの力で軽くしてあげます!」
「……っ!? ……何を、……どこを触ろうとしてるの、この娘は!」
顔を真っ赤にして後退りするゼロ。精霊たちが、アルウェンの手から飛び出し、ゼロの肩の周りをふわふわと漂い始めた。彼女の体に触れる寸前で、精霊たちはゼロの纏う冷気によって弾かれるように離れていく。
「……全く、余計なことを。……私の体は、計算で最適化されている。疲労など、ありえないわ」
「ふーん? でも、その計算がストレスで狂ってるって、セレスが言ってるぜ?」
リナがニヤニヤしながら、ゼロの顔を覗き込む。
『はい、リナさん。ゼロ様の瞳孔は微かに散大。これは、緊張状態に起因するものですわ』
ゼロは、無言でリナとセレス、そしてアルウェンを睨みつけるが、三人の屈託のない視線に、反論の言葉を見つけられない。
「あ、そうだ! ゼロさん、お茶飲みませんか? エドワードさんが淹れてくれた、とっておきのハーブティーですよ! 精霊さんも喜ぶ、特別なブレンドなんです!」
アルウェンが、エドワードが差し出したカップをゼロに渡そうとする。
「……毒見は終わっているのかしら。……ふん、……九八パーセントの確率で、ただの嗜好品ね」
そう言いながらも、ゼロはカップを受け取り、一口飲む。その「計算外の安らぎ」に、微かに目元を緩めた。彼女の冷徹な仮面の下で、何かが少しだけ、パッキング解除(緩み)始めた瞬間だった。
船は、クレイエルを離れ、遥か東の海上へと進む。
数日の航海を経て、霧の向こうに、その異容が現れた。
海上に浮かぶ、巨大な魔法障壁に包まれた都市、アクア・パルス。
世界中の巨万の富と、最新の技術が集まるその場所には、すでに各国の「怪物」たちが集結していた。
空を覆い尽くさんばかりの、帝国の魔導飛行艦隊。
海中を弾丸のように往復する、北の連邦の潜水配送ポッド。
それらを見た時、ゼロの表情が再び、戦う技術者のそれへと戻った。
「……あいつら、本気ね。……旧来の物流を、物理的に粉砕しに来ているわ」
「……ええ。……でも、僕たちも準備はできています。……ゼロさんの『速度』と、僕たちの『絆』。……それがあれば、どんな海も、ただの配送ルートです」
港に降り立った一行の前に、懐かしい、そして凛とした声が響いた。
「――お待ちしておりましたわ、タム様。そして、クレイエルの新たな翼、ゼロ様!」
そこには、豪華なドレスに身を包みつつも、かつてオルゴールを受け取った時と同じ、純粋な光を宿した瞳を持つ、エレナ王女の姿があった。
「エレナ様。……お約束通り、……『世界一の配送』を、パッキングして持ってきました」
タムの言葉に、エレナは花が咲くような笑みを浮かべた。
だが、その背後には、他国の配送員たちの、蔑むような視線が突き刺さっている。
「ふん、クレイエルはあんなボロ車と、女の道楽で作ったおもちゃを連れてきたのか」
ゼロが、タムの隣で不敵な笑みを浮かべた。
「……タム。検品は終わったわ。……あの大言壮語な連中に、……私たちの『最適解』、パッキング解除(解体)して分からせてあげましょう」
「ええ。……世界一の配送、……開始です」
海上都市の空に、開幕を告げる魔導花火が上がった。
ラストマイルとネオ・ロジスティクス。
二つの正義が、一つの「クレイエル」として、世界という名の荒波へと漕ぎ出した。
エレナ王女との信頼の再会、そしてゼロとの奇妙な共同生活。第90話は、ラストマイルが「世界」という巨大な壁を自覚し、同時にゼロという最高の相棒を得る物語となりました。アルウェンの無邪気な一言に翻弄されるゼロの姿は、冷徹な彼女の中に宿り始めた「新しい居場所」を予感させます。
次回、第91話。
海上都市を舞台に繰り広げられる、博覧会の第一競技。
各国の度肝を抜く、タムとゼロの「連合配送」が炸裂します。




