第80話:不敵なる轍、再会の受領印
深淵での死闘を終え、リナはついに『真実の涙』を手に入れました。しかし、そこには一つの現実が横たわっていました。聖騎士団の番人でありながら、二度までもリナを逃がしたガリアの罪。それを隠蔽することはできません。馴れ合うことも、共に歩むことも選ばない。誇り高き二人の女騎士が交わす、未来への「不在証明」と「絶対的な味方」の約束。そして、ついに『涙』が二人の魂を潤します。
海溝の底、静寂の揺り籠。祭壇から放たれる『真実の涙』の淡い輝きが、リナの白銀に変色した鎧を優しく照らしていた。戦いは終わり、周囲には再び海水の重苦しい沈黙が戻っている。リナは手にした小瓶を見つめ、それから、壁に背を預けて座り込むガリアへと視線を向けた。
ガリアの右腕の魔導兵器は根元から断ち切られ、そこから漏れ出す魔力の火花が、暗い海底で断末魔のように明滅している。
「……ガリア。あなた、これからどうするつもり? 聖騎士団が、二度も私を見逃し、あまつさえこの聖域の守護に失敗したあなたを、無傷で放っておくはずがないわ」
リナの声には、隠しきれない懸念が混じっていた。規律を重んじるあまり孤立したリナだからこそ、組織が「不要」と判断した資材をいかに無慈悲に処分するかを、骨の髄まで理解していた。
ガリアは、折れた腕を見つめ、不敵に鼻で笑った。
「……心配なんて、柄じゃないわよ、リナ。……私は番人として、ここで『侵入者との死闘の末、致命傷を負って任務に失敗し、海に沈んだ』……そういうパッキング(偽装)を自分に施すだけ。……聖騎士団の面汚しとして、名簿から抹消されるか、あるいは死んだことにされるか。……どちらにせよ、ようやくこの退屈な檻からおさらばできるわ。規律なんていう重箱の隅をつつくような毎日より、追われる身の方がよっぽど私らしいじゃない?」
ガリアは不器用に左手で髪をかき上げ、リナを真っ直ぐに見据えた。その瞳には、かつて関所で交わしたあの「熱」が再び宿っている。
「……勘違いしないで。あなたたちの仲間に入るつもりなんて、これっぽっちもないから。……私は私の規律に従って、この世界を自由に歩かせてもらう。……あなたの後ろを歩くなんて、真っ平ごめんだわ。誰かの庇護を受けるくらいなら、私はこの海溝の底で錆びた鉄屑になる方を選ぶ」
その毅然とした言葉に、胸元の魔導銀からセレスの穏やかな、しかしどこか弾んだ笑い声が漏れた。
『……ふふ。……そうですわね。……あの方の魂は、……誰かの箱に収まるような器ではありませんもの。……けれど、ガリアさん。……わたくしたちが本当に困ったとき、……また、わたくしたちを見つけてくださいますか?』
ガリアは一瞬だけ表情を崩し、すぐに元の不敵な笑みに戻した。
「……さあね。……でも、もしどこかであなたの『中身』が腐りそうになっているのを見かけたら、……その時は、私が直接叩き直してあげる。……誰にも邪魔させずにね。……それこそが、私だけの規律……いいえ、私だけの『楽しみ』よ。世界中の誰もがあなたの敵になっても、私だけはあなたの『最高の敵』として、そこにいてあげるわ」
リナは黙ってガリアを見つめ、それから腰に差した短剣を抜いた。タムから預かった、探し物を指し示す短剣。リナはそれを逆手に持ち、自分の手のひらを薄く、鋭く切った。滴る血が、海水に溶けるよりも早く『真実の涙』の小瓶へと吸い込まれていく。
「……分かったわ。……これ、あげる。……私の血をパッキングした、特別な『受領印』よ。……これを頼りに、いつかまた、あなたの前に現れてあげる。その時まで、誰かに負けたりしたら承知しないわよ」
リナが投げ渡した小瓶の欠片を、ガリアは左手で鮮やかに、吸い寄せられるようにキャッチした。
「……重たい受領印ね。……一生、消えない傷になりそうだわ。……この温かさ、確かに受け取ったわよ」
ガリアはそれを大切そうに懐へ収めると、最後にもう一度だけ、リナの瞳を覗き込んだ。そこにはもう、かつての葛藤や迷いはなかった。
「……リナ、セレス様。……さっさと行きなさい。……その『涙』を使って、……私が見惚れるほどの、完璧な姿になりなさい。次に会う時は、その鎧の上からでも、あなたの魂を震わせてあげるから」
リナは一度だけ強く、深く頷き、背を向けた。ガリアが一人、深海の闇の中へと消えていく。その背中を追うことは、彼女の誇りを汚すことだと理解していたからだ。
ガーディアンが待つ場所へと戻る道すがら、リナはタムたちが静かに待っているのを見つけた。タムは、多くを語らなかった。ただ、リナの瞳の輝きを見て、彼女がどのような決断を下し、どのような「想い」をその身に刻んできたのかを、熟練の検品師のように悟っただけだった。
「……エドワードさん、カイト。……戻りましょう。……『荷物』の最終工程が、……僕たちを待っています。最高の鮮度を保ったまま、仕上げなければなりません」
アクア・リブラの最上階。朝日に照らされた海面を見下ろす、白亜の私室。海風がカーテンを揺らす中、静かに儀式は行われた。
タムが右腕の義手をリナの胸元に添え、手に入れた『真実の涙』を、その核へと流し込む。
「……リナさん、お嬢様。……これから、二人の境界線を『消失』させます。……それは、個を捨てることではありません。……互いの不純物を排除し、……真実の形をパッキングし直す……。魂の再配達です」
小瓶から溢れ出した白銀の液体が、リナの鎧に触れた瞬間、部屋全体が息を呑むほどの純白の輝きに包まれた。それは、物理的な光を超え、精神の深部にまで届く温かな波動。痛みを伴う癒着ではなく、乾ききった大地が、数千年ぶりの雨を隅々まで吸い込むような、祝福された融和であった。
『……ああ……。……リナさん。……あなたの激しい誇りが、……わたくしの中に流れてくる。……冷たかった魔力の回路が、……あなたの血で、……熱く、熱く、満たされていく……』
「……ええ、セレス。……私の記憶も、……あなたの慈愛も。……全部、……一つの箱の中に収まっていく。……私たちが、……本当の意味で一つになるための、……最後の欠片……!」
漆黒だった鎧が、内側から溢れ出す光によって白銀へと塗り替えられていく。装甲の繋ぎ目はより洗練され、不必要な突起は削ぎ落とされ、機能美の極地へと至る。背後には、魔力の余剰を極薄の羽のように排出する「白銀の光翼」が形成された。
二人の声は、もはや重なり合う不協和音ではなかった。深く、透明で、凛とした「一つの意思」――新生リナ・セレスの調べとなって、アクア・リブラの空へと響き渡る。
エドワードは、その光景を前にして、帽子を脱ぎ、深々と、震える手で頭を下げた。
「……おお……。……これこそが、……わたくしが夢にまで見た、……王家の真なる守護者の姿。……もはや、……お嬢様とお呼びするのも憚られるほどの……。……リナ・セレス様。……わたくしの生涯を懸けて、……その誇りを守り抜きましょう」
儀式を終えたタムは、膝をつき、義手から立ち上る蒸気の中で微笑んだ。
「……梱包……完了です。……世界で最も強固で、……最も自由な、……奇跡の再配達……。……僕の仕事の中でも、……これは、……間違いなく特級品です」
アクア・リブラの港。再出発の準備を整えたガーディアンの前で、リナは遠い海平線を見つめていた。そこにはもう、ガリアの姿はない。けれど、リナの胸元にある『受領印』の痕が、確かに熱を帯び、彼女の鼓動と共鳴している。
自由を愛するがゆえに別れ、絆を信じるがゆえに独りで歩く。いつか、この世界のどこかで再び刃を交えるその日まで。
「ラストマイル」の轍は、新しい白銀の光と共に、未知なる大陸へと続いていく。
「……行きましょう、タム。カイト。エドワードさん。……次の荷物が、……まだ見ぬ誰かの想いが、……私たちを待っているわ」
ガリアとの別れ、そして『真実の涙』による新形態「白銀のリナ・セレス」の誕生を描きました。馴れ合わないけれど、絶対的な信頼で結ばれたガリアとの関係は、今後ラストマイルが窮地に陥った際、最強の「イレギュラー」として再会する伏線となります。魂の完全癒着を果たしたリナたちが、次に目指すのは……?




