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第74話:鏡像の弔辞(前編)

エリュシオン王宮での祝宴に沸くタムたちのもとに届けられた、一通の不可解な依頼。建築界の巨匠サリバンが遺したという「自分自身への遺言書」の配送。一行が訪れた「水鏡の館」は、あらゆる魔導を無効化する沈黙の聖域でした。そこで彼らを目撃したのは、密室の中で冷たくなった主の姿。梱包師たちの知性が、静かなる館に潜む「歪み」を暴き始めます。

 エリュシオン王宮「白亜の調べ」で開催された晩餐会は、まさに「ラストマイル」という新しい伝説の誕生を祝うための儀式であった。シャンパングラスの触れ合う音、煌びやかなドレスが床を擦る衣擦れの音、そして何より、タムたちが届けてみせた「神晶のオルゴール」が奏でる奇跡の旋律。王都の権威を空の上から飛び越えた五人と一柱は、一夜にしてこの国の英雄となった。

 だが、その喧騒の片隅で、タムに一人の老紳士が声をかけてきたのは、宴もたけなわとなった頃だった。

「……梱包師タム殿。貴殿の『検品眼』は、物の真実だけではなく、人の心の奥底にあるパッキングをも見抜くと聞き及んでおります」

 男は名をサリバンと名乗った。エリュシオンのみならず、大陸全土にその名を轟かせる建築界の巨匠である。彼は震える手で一通の書簡を差し出した。

「……国境付近の森に、私の最高傑作であり終の棲家でもある『水鏡の館』があります。そこへ、この遺言書を届けていただきたい。受取人は……私自身だ」

 自分自身への配送。その奇妙な依頼にタムが眉を潜める間もなく、サリバンは「特定の時刻に、特定の部屋で開梱すること」という条件を遺し、夜の闇に消えていった。

 翌日、一行を乗せたレガシー・ガーディアンは、深い霧に包まれた森を切り裂いて進んでいた。

「……ねえタム、本当にこの道で合ってるの? 精霊たちの声が、なんだかどんどん遠くなっていく気がするんだけど」

 アルウェンが不安げに周囲を見渡す。確かに、森の深部へ進むにつれ、豊かな自然の息吹が失われ、代わりに無機質な沈黙が支配し始めていた。

 その沈黙の正体を知ったのは、館の正門を潜った瞬間だった。

「……ッ、身体が重い! 鎧の魔力循環が止まってるわ!」

 リナが苦悶の表情を浮かべ、膝をつく。胸元の魔導銀からは、セレスの悲鳴に近い念話が届く。

『タムさん、気をつけて! 館全体に、極めて高濃度の魔導中和剤――「沈黙の塵」が散布されていますわ。わたくしの意識を保つのも困難です。ここでは魔法も、あなたの義手のスキルも……一切の超常の力はパッキング解除(無効化)されてしまいます!』

「……ああ、わかっている。エドワードさん、ガーディアンの様子は?」

「動かなくはないが、ただの鉄の塊を人力で動かしてるようなもんだ。……こいつは厄介だぞ」

 エドワードが重いレバーを押し込みながら顔を顰める。

 

 一行を玄関で迎えたのは、白髪の老執事だった。

「……お待ちしておりました、ラストマイルの皆様。主は二階の書斎でお待ちです。ですが、……少々様子が変なのです。先ほどから何度お呼びしても、中からお返事がなく……」

 その言葉を聞いた瞬間、カイトの眼光が鋭くなった。

「……嫌な予感がするな。案内しろ」

 老執事に連れられ、彼らは館の内装を目にすることになった。そこは、サリバンの美学が凝縮された空間だった。廊下の左右に並ぶ彫刻、タイルの一枚一枚に至るまで、完璧なまでの「シンメトリー(左右対称)」が保たれている。右の壁に絵画があれば、左の同じ位置にも寸分違わぬ枠の絵画がある。

「……完璧主義にも程があるわね。見てるだけで肩が凝りそうだわ」

 リナが呟く。だが、タムはその「完璧さ」の中に、ある種の異様さを感じ取っていた。

 二階の書斎。扉は重厚な黒檀で作られ、隙間一つない精度で枠に収まっていた。

「サリバン様! ラストマイルの皆様がお見えです!」

 執事が扉を叩くが、返事はない。カイトが執事を退かせ、扉のノブに手をかけた。

「……鍵がかかっている。それも、中からボルトを落とした音がする」

 カイトはリナに視線を送った。魔法は使えずとも、彼女の筋力そのものは超人的だ。

「……どいて。……せーのッ!」

 ――ドォォン!!

 物理的な質量が扉を打ち破り、蝶番が悲鳴を上げて吹き飛んだ。

 部屋に飛び込んだ彼らが目にしたのは、デスクに突っ伏したサリバンの姿だった。

「……サリバンさん!」

 タムが駆け寄り、その肩に手をかける。だが、返ってきたのは生きている人間が持つ温もりではなく、石細工のような冷たさだった。

「……死んでいる。身体は既に硬直を始めているわ」

 リナが冷静に診断を下す。

 カイトは瞬時に部屋の四隅を確認した。

「窓は内側からラッチがかかっている。隠し通路の形跡も、この壁の構造からは見当たらない。……タム、これは密室だ」

 サリバンの遺体の傍らには、銀のトレイに載せられたティーセットがあった。飲みかけの紅茶からは、微かに苦いアーモンドの香りが漂っている。

「……青酸系の毒ね。……自殺、あるいは……」

 

 タムは、スキルの使えない義手を、もどかしそうに握り締めた。

 いつもなら「検品」の一言で、死因も凶器も、犯人の指紋さえも視覚化できる。だが、今の彼はただの少年だ。

(……落ち着け。魔法がなくても、僕の目は節穴じゃないはずだ。……梱包師として、この部屋の『荷物(真実)』をどう読み解く?)

 タムは、サリバンの右手に握られた「万年筆」に目を向けた。

 それ自体は何の変哲もない高級品だ。だが、サリバンが突っ伏したデスクの上には、書きかけのメモすら存在しない。

 次にタムは、書斎の家具の配置を詳細に観察した。

「……エドワードさん。サリバンさんは右利きでしたよね?」

「ああ、王宮でサインを書いていた時は確かに右手だった。……だが、見てみろタム」

 エドワードが指差したのは、デスクの引き出しの配置だった。

 一般的な右利き用のデスクなら、頻繁に使う道具を入れる大きな引き出しは右側に設計される。しかし、この部屋のデスクは、インク瓶の置き場所、ペーパーナイフの位置、さらにはティーカップの取っ手の向きに至るまで、すべてが「左利きの人間」にとって最も使いやすい位置に配置されていた。

「……不自然だわ。館全体の設計はあんなに完璧なシンメトリーにこだわっていたのに、この一番重要な場所だけが、主の利き手と逆になっているなんて」

 リナの指摘は鋭かった。

 

 タムは壁に目をやった。そこには、床から天井までを覆うほどの巨大な「姿見」が設置されていた。

 あまりにも磨き上げられたその鏡面には、困惑するタムたちの姿が克明に映し出されている。

 だが、カイトがその鏡の前を横切った瞬間、彼は違和感に足を止めた。

「……タム、今のを見たか?」

「ええ。……鏡の中に映るカイトの影が、コンマ数秒、遅れて動いたように見えた」

 カイトは無言で、腰の剣を鞘ごと鏡の表面に突き立てた。

 ――コン、コン。

 返ってきたのは、厚いガラスを叩く音ではない。それは、中空の空間を隔てた「板」を叩くような、乾いた音だった。

「……これは鏡じゃない」

 カイトが確信を持って言い放つ。

 タムが歩み寄り、鏡の枠を丹念に検品する。指先に伝わる微かな空気の流れ。

 

「……左右対称の美学。……いいえ、これは、……左右を反転させた『複製』だ」

 タムは、鏡に見せかけたガラス板の端に、小さな、しかし決定的な「蝶番ちょうがい」の跡を見つけた。

 この鏡は、鏡ではない。

 向こう側にある「もう一つの世界」を覗くための、窓に過ぎなかったのだ。

 タムたちがその「仕掛け」に手をかけようとしたその時、背後で老執事が、低く、重い溜息を漏らした。

「……やはり、気づかれましたか。特級梱包師の目は、誤魔化しきれませんでしたな」

 

 一行が振り返ると、老執事は扉の傍らで、静かに、しかし冷徹な光を湛えた瞳で彼らを見つめていた。

 外の霧が、一層濃くなる。

 鏡の向こう側に隠された「もう一つの書斎」。

 そして、死んでいるはずのサリバンが遺した遺言書。

 

 密室殺人の幕は、まだ上がったばかりだった。

魔法が封じられた「水鏡の館」で、一行は巨匠サリバンの遺体を発見しました。利き手の不一致、そして鏡の中に生じた「時間のズレ」。タムが見出した数々の違和感は、この館に隠された「もう一人の住人」の存在を指し示しています。果たして、鏡の向こう側には何があるのか。そして老執事の沈黙の意図とは。次回、ついに密室のパッキングが解除され、驚愕の真実が明かされます。

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