第73話:静寂の調べ、喝采のパッキング
空からの強行着陸という前代未聞の手法で国境を越えたタムたち。エリュシオン第一王女エレナの庇護下に置かれた彼らだったが、執念深いバルトロメイ子爵の魔の手は、外交ルートという名の新たな包囲網となって迫る。呪われた遺物と蔑まれる「神晶のオルゴール」を巡り、王宮の晩餐会を舞台にした最後の検品が始まる。
エリュシオン王国の王宮「白亜の調べ」は、王都クレイエルの重厚な石造りとは対照的に、繊細な尖塔と美しい庭園が調和する芸術品のような場所だった。だが、その一角にある大広間には、今、外交上の火花が散るような緊張感が漂っていた。
広間の中央には、タムたちが命懸けで運んできた白銀の箱が鎮座している。その周囲を、エリュシオンの国家魔導技師たちと、王都クレイエルから「特使」として派遣されたバルトロメイ子爵の代理人が囲んでいた。
「……王女殿下、繰り返します。その少年たちは、我が国の重要文化財を盗み出し、不法に国境を越えた犯罪者です! 直ちに身柄を拘束し、荷物を返還されるよう、子爵閣下も強く要望しておられます!」
子爵の代理人が、顔を真っ赤にして叫ぶ。彼は、タムたちが空を飛んで逃げたという報告を聞いた時、自分の正気を疑ったという。だが、現に目の前には泥だらけの、しかし誇り高く胸を張る五人の姿がある。
王女エレナは、優雅に扇を閉じ、冷ややかな瞳で代理人を一瞥した。
「……返還、ね。ですが、この荷物の宛先は我が国の王太子である私の兄ですわ。正当な受取人の元に届いたものを、なぜ送り主の勝手な都合で差し戻さねばならないのかしら?」
「そ、それは……! そのオルゴールは呪われており、開梱すれば貴国に災厄をもたらすからです! その小僧のような詐欺師に扱える代物ではありません!」
代理人の言葉に、広間に並ぶエリュシオンの貴族たちからも不安の声が漏れる。確かに「神晶のオルゴール」の悪名は隣国にまで轟いていた。触れれば発狂し、運ぼうとすれば命を落とす。そんな不吉な荷物を持ち込んだタムたちを、彼らは怪物を見るような目で見つめていた。
「……タム、どうする? 相手は法律と『呪い』を武器に攻めてきてるわよ。あたしが大剣で一振りすれば、あの脂ぎった特使ごと黙らせてあげられるけど?」
リナが低い声で囁き、セレスの魔力が大広間の空気をじりじりと震わせる。
「……いえ。……暴力で解決したら、僕たちは本当に『犯罪者』になってしまいます。……僕たちの武器は、あくまで『仕事の結果』です」
タムは一歩前へ出た。彼の右腕の義手は、箱の中のオルゴールと同調し、先ほどから不思議な温かさを発していた。
「……エレナ王女殿下。……そして、王太子の代理人である皆様。……このオルゴールが『呪われている』と言われる理由は、中身が壊れているからではありません。……むしろ、その逆です」
タムの声は、騒がしい広間の隅々まで透き通るように響いた。
「……中身が、あまりにも純粋な『想い』をパッキングしたままで、出口を見つけられずに暴れているだけなんです」
タムは、エドワードが作った特殊合金の箱に手を置いた。
「……検品を開始します。……この荷物の『本当の品名』を、今ここで証明してみせます」
代理人が「やめろ、暴発するぞ!」と叫び、衛兵たちが武器を構える。だが、カイトが静かに、しかし絶対的な殺気を込めて一歩前に出ると、誰もそれ以上近づくことはできなかった。
「……邪魔をするな。……最高の職人が、納品の最終仕上げをすると言ってるんだ」
タムは右腕の紋様を輝かせ、空間の位相をミリ単位で調整し始めた。
これまでは「封じ込める」ためのパッキングだった。だが今、タムがやろうとしているのは、その莫大なエネルギーを「調律」し、安全な形へ変換して「解凍」する、極限の開梱作業だった。
タムの意識が、オルゴールの深部へと潜り込んでいく。
そこに見えたのは、数千年前の記憶の断片だった。
戦乱の最中、遠く離れた戦地へ向かう一人の職人が、幼い娘のために作った、声のパッキング。
『おやすみ、愛しい人。この歌が聞こえる時、私は君のそばにいる』
その優しく切実な祈りが、あまりにも長い歳月を経て、魔力と混ざり合い、歪な「不協和音」へと変質してしまっていたのだ。
(……ごめん。……今まで、誰も君の声を正しく聴こうとしなかったんだね)
タムは、自分の精神を緩衝材として使い、暴れる魔力の嵐を一つずつ丁寧に取り除いていく。
アルウェンが、タムを支えるように静かに歌い始めた。
「……精霊さん、……この子の涙を、……光に変えて……」
エドワードが作った箱が、タムの放つ過剰な魔力を完璧に放熱し、リナとセレスが周囲の魔力干渉を断ち切る。
――カチッ。
小さな、しかし決定的な音が広間に響いた。
白銀の箱の蓋が、ゆっくりと、音もなく開く。
代理人は恐怖で床に伏せ、貴族たちは悲鳴を上げようとした。
だが。
そこから溢れ出したのは、破壊の衝撃でも、狂気の不協和音でもなかった。
それは、世界中のどんな楽器でも奏でられないような、神々しくも優しい、クリスタルのように澄んだ音色だった。
光の粒が広間に舞い、かつて呪具と呼ばれた多面体結晶が、美しく回転しながら虹色の旋律を奏でる。それは聴く者の心を洗い流し、数千年の時を越えて届けられた「愛」の震動だった。
広間にいた誰もが、自分でも気づかぬうちに涙を流していた。あまりにも美しく、あまりにも純粋な納品の瞬間に、魂が震えたのだ。
「……これが、……呪いの正体か?」
エリュシオンの筆頭魔導技師が、呆然と呟き、その場に膝をついた。
「……なんてことだ。……我々は、この奇跡のようなパッキングを、ただの故障品だと思い込んでいたのか……」
タムは静かに蓋を閉じ、オルゴールをエレナ王女へと差し出した。
「……配送完了です。……この音色は、今日からエリュシオンの王宮で、新しい物語を奏でるでしょう」
広間を支配したのは、これまでの緊張をパッキング解除(粉砕)するような、割れんばかりの喝采だった。
王女エレナは、瞳を潤ませながら立ち上がり、タムの手を優しく包み込んだ。
「……素晴らしい。……完璧という言葉すら、今の仕事には足りないわ。……梱包師タム。……そしてラストマイルの皆さん。……私は、あなたたちをエリュシオンの『最高位賓客』として公式に歓迎します」
その瞬間、王都の代理人は顔を青ざめさせ、泡を吹いて倒れ込んだ。
子爵が送りつけた「犯罪者引き渡し請求」は、今この瞬間に、ただのゴミ屑となったのだ。エリュシオンの王宮が公式に保護を宣言した以上、クレイエルの物流ギルドごときが手出しすることなど、天地が引っくり返っても不可能だった。
その夜、王宮ではタムたちの功績を称える華やかな晩餐会が催された。
王宮のテラスで、夜風に吹かれながら、カイトが酒杯を傾けて笑う。
「……おいタム、見たか? あの代理人の顔。……昨日の子爵邸の地下室より、さらに傑作だったぜ」
「……ええ。……でも、……あのオルゴールの音が聴けて、本当によかった」
タムは、自分の右腕を見つめた。そこにはまだ、あの優しい旋律の余韻が残っている。
「……さて、……祝杯だ! ……次はどこの国へ何を届けるか、……今から楽しみじゃないか」
エドワードの豪快な笑い声が響き、リナとセレスがご馳走を巡って賑やかに言い合う。アルウェンは精霊たちと共に、王宮の庭園に新しい花を咲かせていた。
タムは、遠い王都の空を見つめた。
自分を捨てた街。自分を否定した権威。
それらはもう、彼を縛る楔ではない。
世界という巨大な倉庫には、まだまだ、届けられるのを待っている「想い」が眠っている。
それを最高の状態で、最高の笑顔と共に届ける。
梱包師タムの、そして「ラストマイル」の伝説は、この祝杯の後に、さらに輝かしい轍を刻み始めるのだった。
隣国の王宮を感動の渦に巻き込み、ついに子爵の陰謀を外交的に粉砕したタムたち。呪いの品とされた荷物の「真の価値」を見抜いたその眼は、もはや一介の梱包師の域を超えています。しかし、王宮での平穏も束の間、タムたちの評判を聞きつけた「さらなる難題」が、海の向こう、あるいは地の底から舞い込むかもしれません。次は一体、どんな「想い」を運ぶことになるのでしょうか。物語は新たな旅路へ。




