第七話:氷の華を包み込め(中編)
お読みいただきありがとうございます。
ついに始まった霊峰アイギスへの挑戦。
しかし、山頂の極限状態に挑むには、まずは長い長い雪山道を行かねばなりません。
今回は、パーティ『ラスト・マイル』の親睦回……もとい、アイスブレイク編です。
規律に縛られた堅物剣士リナが、タムの「異世界の知恵」にどう反応するのか。
殺伐とした旅の合間の、束の間の休息をお楽しみください。
霊峰アイギスの麓は、深い針葉樹の森に覆われていた。
標高が上がるにつれ、湿り気を帯びた空気は薄く、ナイフのように鋭い冷気を孕み始める。だが、山頂付近の「氷晶花」エリアまでは、まだ数日の行程がある。今はまだ、バックルが鳴る音に神経を尖らせる必要も、エドワードが魔力を封じて無防備になる必要もなかった。
「……リナさん。そんなに肩を怒らせて歩かなくても大丈夫ですよ。まだ、あの花が自壊する『警戒区域』じゃないですから」
タムが背後から声をかけると、先頭を歩いていたリナがピタリと足を止めた。
彼女は振り返り、その切れ長の瞳に厳しい光を宿したまま、タムの足元を指差した。
「……タム殿。あなたは先ほどから、歩幅が三センチほど揺れている。雪道での重心移動が甘い証拠だ。足の置き場が定まらなければ、無駄な体力を使うだけでなく、予期せぬ落とし穴に嵌まる。そんなことでは、頂上に着く前に疲労で動けなくなるわよ」
「厳しいなぁ……。前世でも『作業効率が悪い』ってよく怒られましたけど、まさか歩き方までダメ出しされるとは思いませんでした」
タムは苦笑いしながら、背負い袋のベルトを締め直し、セレスの入った箱の重みを肩で感じた。
横を歩くエドワードは、愛用の杖をリズミカルに雪に突き立てながら、鼻歌混じりに歩いている。かつての宮廷魔導師という、一国の運命を左右した肩書きを感じさせない、どこか飄々とした足取りだ。だが、その足跡はリナの指摘する理想的な足運びと寸分違わぬほどに整っており、タムは改めてこの老人の「底」の深さを思い知らされる。
「まあまあ、リナ殿。彼はこれでも、私がお嬢様を預けると決めた唯一の男です。それに、この山は根性だけで登れるほど甘くはない。少しは『遊び』を持たせないと、頂上に着く前に心が折れてしまいますぞ」
「……エドワード殿がそう仰るなら。ですが、規律の乱れは死に直結します。私は私の職務を全うするまで……それだけです」
リナはそう言って再び前を向いたが、寒さのせいか、それとも気恥ずかしさからか、その耳がわずかに赤くなっているのをタムは見逃さなかった。彼女は、騎士団という「組織」から切り捨てられた過去を持つ。だからこそ、この風変わりな三人パーティという「新しい組織」の中で、自分の役割を必死に証明しようとしているのだ。その不器用な誠実さを、タムは嫌いではなかった。
陽が中天に差し掛かる頃、三人は大きな岩の陰で休憩を取ることにした。
雪山での食事は、本来なら凍りついた干し肉を齧り、雪を溶かした味気ない水を飲むだけの、修行のような時間になるはずだった。だが、タムはバックパックから「あるもの」を取り出した。
「せっかくの初陣ですし、温かいものを食べましょう。……これも、俺なりの『準備』の一つですから」
タムが取り出したのは、厚手の断熱布に包まれた複数の「小さな木箱」だった。
彼はエドワードに目配せをする。エドワードは楽しそうに頷き、指先に微かな、しかし極めて精密に制御された熱魔法を灯した。
「……それは何? 魔法の道具にしては、魔力の気配がしないけれど」
リナが怪訝そうに尋ねる。彼女の常識では、雪山で温食を摂るには焚き火を熾すか、高価な魔導具を使うしかない。
「『セルフ加熱式・携行食』……の、試作品です。中には、事前に調理して『梱包』解除の瞬間に状態が戻るように設定したスープの材料が入ってます。外側の箱に、エドワードさんの熱魔法を一気に流し込んで、中で熱を循環させる。箱を開けた瞬間、出来立ての温度が再現されるっていう、現代日本……いえ、俺の故郷の知恵を応用した仕組みです」
タムが箱の封印を解くと、中から立ち昇ったのは、芳醇なスパイスと、じっくり煮込まれた肉の脂が溶け合った、暴力的なまでに食欲をそそる香りだった。
「……っ!?」
リナの喉が、無意識に大きく鳴った。彼女は慌てて口元を押さえたが、凍えた空気に広がるその香りは、空腹の限界にあった彼女の理性を易々と突破していた。
「さあ、リナさんも。雪山で冷えた体には、これが一番の薬です。……エドワードさん、ありがとうございます」
エドワードから差し出された、湯気の立つ木製のカップを受け取り、リナはおそるおそるスープを口にした。
その瞬間、彼女の鋭かった目元が、一気にふにゃりと緩んだ。
「……温かい。……信じられない。こんな、山の中で、まるでお城の厨房から今出てきたような……。騎士団の遠征でも、これほどの贅沢は経験したことがないわ……」
「日本の……俺の故郷じゃ、『届ける』っていうのは、ただ物や場所を移動させることじゃなかったんです。中身を、一番喜ばれる『最高の状態』で維持して届ける。それが当たり前で、できない奴は無能だと切り捨てられる……そんな世界でした。……だから、これは俺にとっては『こだわり』じゃなくて、当然の義務なんです。荷物を完璧な状態でゴールに運ぶ。その中には、道中の俺たちの体調管理も含まれてるんですよ」
タムはスープを啜りながら、ふと背中の箱を見た。
中ではセレスが、この香りを共有しているだろうか。
『……ふふ。いい匂いね。タムさん、私の分は、後でたっぷり食べさせてもらうんだから。王都に着いたら、一番高いお店でね?』
(……ええ。お嬢様の分は、王都で一番の店でプロに作らせますよ。俺のは、ただの素人料理ですから)
そんなやり取りを心の中で交わしていると、リナがカップを両手で包み込みながら、ぽつりと呟いた。
「……タム殿。あなたは、本当に不思議な人ね。剣を振るう腕力も、空を裂く魔法も持たないのに……。誰よりもこの旅を、自分以外の命を『管理』しようとしている」
「管理、ですか。……そうかもしれません。俺にとって、不確定要素っていうのは、ただの事故の原因でしかないんです。……だから、リナさん。あんたみたいな、自分を律することに長けた『精密機械』みたいな人が仲間にいてくれて、実はすごくホッとしてるんですよ。……俺一人じゃ、この荷物は絶対に守れない」
リナは一瞬呆然とした後、顔を真っ赤にして背を向け、スープを一気に飲み干した。
「……そ、そんなにお世辞を言っても、歩き方の指導は緩めないわよ。……でも、スープは……その、美味しかったわ。感謝する」
「はは、やっぱり厳しいな」
エドワードがその様子を見て、愉快そうに声を上げて笑った。
凍てつく霊峰の山道。だが、三人の間には、小さな焚き火のような、確かに心の通い合う温かい空気が流れ始めていた。
しかし、その団欒の最中、エドワードの瞳がふと鋭さを増した。
彼は視線だけでタムを制し、杖の石突きを雪の下の岩に、音もなく触れさせた。その動作は、先ほどまでの好々爺のそれではなく、獲物を察知した老練な猟犬のそれだった。
「……タム殿、リナ殿。……アイスブレイクは、ここまでのようですな。……どうやら、お行儀の悪いお客様がいらっしゃったようだ」
エドワードの低い、地を這うような声に、リナは瞬時にカップを置き、剣の柄に手をかけた。その動作に一切の迷いはない。
タムもまた、食事の箱を素速く「梱包」し直し、バックパックのベルトをこれ以上ないほどきつく締め上げる。
雪の斜面の向こう。
白い景色に紛れるようにして、数条の「白い影」が、重力すら無視したような速度で接近してくるのが見えた。
それは魔物ではない。統制された動き、殺気を完全に消したまま距離を詰める足運び。
「……刺客、ですか」
タムの問いに、リナが抜剣しながら短く答える。その刃は、周囲の雪を映して冷たく輝いていた。
「……ええ。それも、王宮の裏仕事を担う影の者たちね。……タム殿、荷物を。私の背後から離れないで。……あなたの『配送計画』、私が守り抜いてみせるわ」
いよいよ始まった、命懸けの追撃戦。
だが、リナの背中は、バラムの街を出た時よりも、どこか頼もしく、そして温かくタムの目に映っていた。
「……お願いします、リナさん。……『荷物』に、傷一つつけさせないでください。……俺も、全力でサポートします」
「ええ。――私の規律と、誇りにかけて」
三人の「ラスト・マイル」が、初めて実戦の荒波に呑み込まれようとしていた。
白い雪原が、血の赤に染まる予感を孕んで、静かにざわめき始める。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
「物流とは、ただ運ぶことではなく、最高の状態で届けること」。
そんなタムの信念が、過酷な雪山で図らずも仲間たちのQOL(生活の質)を爆上げしてしまいました。不器用なリナがスープで絆されるシーン、書いていて楽しかったです。
しかし、そんな平穏も長くは続きません。
ラストに現れた暗殺者たち。次回、第八話では「魔法禁止・音立て厳禁」という極限の縛りプレイ下での、リナの超絶剣技が炸裂します。
もし「リナが可愛い!」「三人のチームワークに期待!」と思っていただけましたら、ぜひ【ブックマーク】や【評価】をよろしくお願いいたします!
皆様からの応援が、タムたちの旅を目的地まで届けるための、最大のエネルギーになります!




