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第69話:神の音色と、絶望のパッキング

 かつて、一人の少年の未来が無慈悲に断じられた場所。

 バルトロメイ子爵邸の重厚な門が、今、再びタムさんの前に立ちはだかります。しかし、その背中に流れるのは、かつての孤独な震えではありません。共に死線を越え、信頼という名の絆で結ばれた最高の仲間たちの熱い鼓動です。

 広間に集うのは、古い物流の権威に執着し、新しい風を拒む大人たち。彼らの冷ややかな嘲笑を浴びながら、タムさんは屋敷の最深部、地下宝物庫へと足を踏み入れます。

 そこで一行を待ち受けていたのは、美しくも忌まわしき「配送不可能」の象徴――神晶のオルゴール。

 周囲の魔力を狂わせ、運ぶ者の精神を内側から破壊し尽くすという、神の悪戯。

 かつて「無能」とされた梱包師は、その圧倒的な絶望を前に、どのような「答え」を提示するのか。

 権威たちの歪んだ期待と、過去の自分への決別を懸けた、命懸けの検品作業が幕を開けます。

第69話の本文は、この前書きの後に続いております。

圧倒的な不利と嘲笑の中で、タムさんが見せる「プロフェッショナルの意地」を、どうぞお楽しみください。

 王都クレイエルの北側に位置する貴族街。その一角に、威圧的な沈黙を守る石造りの巨大な屋敷があった。バルトロメイ子爵邸。かつて、水晶玉に「梱包師」という文字が浮かび上がった少年に対し、この世で最も冷酷な言葉を投げつけた貴族である。タムは、その重厚な鉄の門を見上げ、微かに右腕の義手を握りしめた。かつてここを追い出された時の自分は、ただ震えることしかできなかった。だが、今の彼の背後には、信頼という名の最強のパッキングで結ばれた仲間たちがいる。

「……タム、顔色が悪いわよ。嫌ならあたしが門ごとぶっ壊してあげましょうか?」

 リナが、折れた大剣を修復したばかりの新しい鞘に手をかけながら、冗談めかして、けれど本気で殺気を孕んだ瞳でそう言った。彼女の胸元の魔導銀からは、セレスの冷ややかな念話がタムの脳内に直接届く。

『……ふふ。お気になさらず、タムさん。もしあの方たちが再びあなたを侮辱するような真似をすれば、わたくしがこの屋敷のルールごと、内側からパッキング解除して差し上げますわ』

「いえ、お嬢様、リナさん。……大丈夫です。僕はもう、彼らが怖かったあの頃の僕じゃありませんから」

 タムは静かに微笑み、門番へ招待状を提示した。

 案内された広間には、王都物流ギルドの重鎮たちが、まるで品評会の審査員のように居並んでいた。どの顔も、高級な毛皮を纏い、脂ぎった顔に傲慢な嘲笑を浮かべている。彼らにとって、タムは「物流の秩序を乱す異端児」であり、今回の依頼は彼を公的に葬り去るための公開処刑に他ならなかった。

「ほう、本当に来おったか。……特級を騙る詐欺師の小僧が、どの面を下げてこの神聖な屋敷に足を踏み入れたものか」

 上座に座るバルトロメイ子爵が、ワイングラスを揺らしながら鼻で笑った。フェルナンドがその傍らで、勝ち誇ったような笑みを浮かべてタムを見下ろしている。カイトが静かに剣の柄を親指で押し上げ、エドワードが「……どいつもこいつも、叩き直す価値もねえクズばかりだ」と、低い声で唸るように呟いた。アルウェンは、広間に満ちる濁った欲望の匂いに、タムの背中に隠れるようにして震えていた。

「……バルトロメイ子爵。依頼をお受けいたします。……早速ですが、検品を。荷物を見せてください」

 タムの淡々とした言葉に、子爵は不愉快そうに眉を跳ね上げた。

「……生意気な。よかろう。……地下の特別収蔵庫へ案内してやれ。そこで『本物の絶望』を味わうがいい」

 フェルナンドに連れられ、一行は深く、冷たい地下へと降りていった。幾重にも施された厳重な魔封じの扉が開かれるたびに、空気は重く、どす黒く沈んでいく。そして、最奥の部屋の中央、白銀の台座に安置されていた「それ」を目にした瞬間、アルウェンが悲鳴を上げて耳を塞いだ。

 神晶のオルゴール。

 それは、拳ほどの大きさの、透明な多面体結晶で構成された複雑な機械だった。だが、それは静止しているはずなのに、周囲の空気を歪ませ、空間を不規則に震動させている。

 

 ――キィ、……ギギィ……。

 耳を劈くような金属音ではない。それは、神経を直接爪で引っ掻くような、不快な不協和音。

 

「……これは、……音じゃない」

 タムが白銀の瞳を輝かせ、オルゴールの周囲に渦巻く魔力の流れを読み取った。

 このオルゴールは、周囲の魔力を乱気流のように吸い込み、それを変換する過程で、制御不能な「魔力の脈動」を垂れ流しているのだ。過去、この荷物を運ぼうとした者たちが発狂したのは、この脈動が人間の脳に直接働きかけ、精神をパッキング解除(破壊)してしまったからだった。

「……どうした? 震えて声も出んか。これこそが『配送不可能』の代名詞。物理的な衝撃だけでなく、魔力的な干渉さえも命取りになる、神の悪戯だ」

 フェルナンドが、背後から嘲笑を浴びせる。

 物流ギルドの重鎮たちも、地下室に降りてきていた。彼らは安全な結界の外から、タムがどう無様に逃げ出すかを待ち構えている。

「……タムさん、この子は、……とても悲しんでいます。……自分の中に溜まった力が、出口を見つけられずに暴れているんです」

 アルウェンが、震える声でオルゴールの本質を見抜いた。彼女の言葉に、タムは大きく頷いた。

 

「……ええ。……だからこそ、僕たちの出番だ。……エドワードさん、箱を」

「ああ、用意はできてるぜ。職人としての全霊を込めた、魔力を遮断する特殊合金『静寂銀』の特製コンテナだ」

 エドワードが、重厚な金属箱を梱包台の上に置いた。

 タムは、右腕の義手を掲げ、リンの短剣を抜いた。

「……検品開始。……このオルゴールの問題は、周囲の魔力を吸い込み続け、飽和したエネルギーを外へ放出しようとする性質にある。……なら、答えは一つだ」

 タムの脳内で、複雑なパッキング理論が音を立てて組み上がっていく。物流ギルドの面々が「馬鹿な、箱に閉じ込めれば爆発を早めるだけだ!」と野次を飛ばすが、タムの耳には届いていない。

「……音を閉じ込めるんじゃない。……箱の中の空間を、複数の位相フェイズに切り分け、それぞれに異なる時間の流れをパッキングする。……名付けて『多重位相梱包マルチ・フェイズ・パッキング』」

 タムの指先から、まばゆい魔力の糸が溢れ出した。

 彼はまず、オルゴールの周囲に精霊の力を借りた緩衝材を形成し、それをさらに自らのスキルで「一瞬前の状態で固定された時間軸」の中に封印した。

 オルゴールが魔力を吸い込もうとする瞬間に、その「吸い込む」という事象そのものを別の位相へ配送し、空っぽの空間だけを箱の中に残す。

 

「……アルウェン! 精霊たちの歌で、この子の不協和音を包み込んでくれ! 嵐の中の静寂しじまを作るんだ!!」

「はい、タムさん!! ……精霊たちよ、……荒ぶる脈動に、……安らかな眠りの歌を!!」

 アルウェンの魔力が、青白い光の粒となってオルゴールに降り注ぐ。その瞬間、不快な不協和音が、微かに美しいメロディへと変わり始めた。

 

「カイト、リナさん! 僕が位相を固定する間、外側からの魔力干渉を断ってください! 物流ギルドの連中が、外でこっそり魔力攪乱の術式を動かしています!!」

「……何だと!? 汚ねえ真似を……ッ!」

 エドワードが吼える。カイトとリナが即座に反応し、結界の向こうで青ざめているギルドの面々を、抜き放った剣の切っ先で威嚇した。

「……動くな。……もしこの梱包が失敗すれば、ここにいる全員を爆発の道連れにしてやる」

 カイトの冷徹な一言に、ギルドの連中は攪乱用の触媒を握りしめたまま、石像のように固まった。

 タムは、その隙に全魔力を右腕に集約させた。

 義手の紋様が、血のような赤から、神々しいまでの白銀へと色を変える。

「――『概念梱包・多重位相(イデア・パッキング:マルチ・フェイズ)』!!」

 空間が、幾重にも重なるガラス細工のように結晶化し、オルゴールを包み込んだ。

 一秒、あるいは永遠。

 

 ――カチリ。

 

 金属の箱が、完全に閉じられた。

 先ほどまで地下室を揺らしていた不気味な不協和音が、嘘のように消え去っていた。

 エドワードが作った箱は、内部で荒れ狂う魔力の嵐を完全に受け流し、外側には冷たい静寂だけを保っている。

 

 タムは、額の汗を拭い、荒い呼吸を整えながら、その箱をバルトロメイ子爵の前に差し出した。

「……梱包、完了しました。……検品の結果、この荷物は、たとえ火山の中に投げ込まれても、この静寂を保ち続けるでしょう」

 地下室に、沈黙が降りた。

 物流ギルドの連中も、フェルナンドも、そして子爵自身も。誰もが、目の前で起きた「奇跡」を信じられず、呆然と立ち尽くしていた。

 かつて彼らが「無能」と切り捨てた少年が、王都の最高権威が束になっても解けなかった難問を、ものの数分で「梱包」してみせたのだ。

「……あ、ありえん、……そんな馬鹿なことが……ッ!」

 フェルナンドが震える手で箱に触れようとしたが、カイトがその手を剣の鞘で叩き落とした。

「……触るな。……これはもう、あんたらの『私物』じゃない。……ラストマイルが責任を持って、隣国まで届ける『預かり物』だ」

 タムは、子爵の顔をまっすぐに見つめた。そこには恨みも、憎しみもない。ただ、一人のプロフェッショナルとしての、誇り高い「仕事」の結果があるだけだった。

「……三日後。……隣国の王太子に、この音色を届けてきます。……それが、ラストマイルの誇りですから」

 タムの声が、地下室の冷たい空気を震わせた。

 子爵は、自分を見下ろすことすら忘れたように、ただ、白銀に輝く箱を、恐怖と畏敬の混じった目で見つめ続けていた。

 一行は、愕然とする権威たちを置き去りにして、堂々と地下室を後にした。

 屋敷を出た時、夜の冷たい風が、火照った彼らの頬を優しく撫でた。

「……やったわね、タム!! あいつらの顔、最高だったわ!!」

 リナがタムの背中を、弾けるような笑顔で叩いた。

 胸元のセレスもまた、嬉しそうに囁く。

『……ふふ。……素晴らしい納品でしたわ、タムさん。わたくしも、あの方たちの顔を一生忘れませんわ。……さあ、リナ。今夜は祝杯ですわよ。……タムさんの新しい伝説に乾杯しなくては』

「……ああ。……でも、まだ梱包しただけだ。……これを、無事に届けるまでが、仕事だからな」

 タムは、エドワードが抱える白銀の箱を、愛おしそうに見つめた。

 かつて自分を否定した街で。

 今、梱包師としての新しい物語が、最高の仲間と共に、力強く動き始めていた。

 第69話「神の音色と、絶望のパッキング」を最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。

 かつての屈辱の地での、圧倒的なリベンジ劇。

 「神晶のオルゴール」という、物理と魔力の両面で「配送不可能」とされた難敵を、タムさんの進化し続ける技術と、エドワードさん、アルウェンさんの協力によって攻略する様子を描写させていただきました。

 権威たちの嘲笑を、技術と誇りで沈黙させる。これこそが、タムさんが歩んできた道の一つの結実でもあります。しかし、物語はここで終わりではありません。

 次回、第70話。

 王都を出発した一行を待ち受けるのは、ギルドが差し向けた、物理的な「妨害」の嵐。

 そして、隣国までの険しい道中で、オルゴールが秘めていた「真の呪い」が、タムさんたちをさらなる試練へと誘います。

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