第67話:帰路の灯火、古巣の香
骸の揺り籠という名の悪夢を、梱包師タムの「概念梱包」が虚空へと葬り去りました。
数千年の呪いが消えた静寂の中で、一行を包んだのは、達成感よりも重くのしかかる、剥き出しの疲労でした。
ボロボロの機体を揺らし、無言で背中を貸すレガシー・ガーディアン。
その背に身を寄せ合い、一行は一路、始まりの地である王都クレイエルへと向かいます。
扉を開けた先に待っていたのは、懐かしい木材と魔力水の匂い。
そして、リナさんの鎧に宿るセレス様の、深く甘い独占欲。
新しく加わった仲間、アルウェンさんにとっては初めて見る、タムさんたちの「家」の光景。
祝杯も、語らいも、夕食すらも後回し。
ただ泥のように眠りにつくことこそが、死線を越えた「ラストマイル」が手にした、最高のご褒美でした。
再出発を前にした、穏やかで切実な、休息のひと時をパッキングいたします。
骸の揺り籠が虚空へと消え去り、後に残されたのは、ただ耳を鳴らすような静寂と、冷え切った夜の空気だけだった。タムは荒い呼吸を繰り返しながら、感覚の失せかけた右腕をじっと見つめていた。全魔力を放出した反動で、視界の端がチカチカと明滅し、指先一つ動かすことすら億劫なほどの疲労が全身を支配している。
「……終わった、んだな。……本当に」
カイトが隣に座り込み、乾いた笑い声を漏らした。その顔は泥と返り血にまみれ、かつての聖騎士の面影を微塵も感じさせないほどに薄汚れているが、その瞳だけは清々しく、親友を取り戻した喜びに満ちていた。リナは折れた大剣を杖代わりに立ち上がろうとしたが、足元がふらつき、あわや転倒しそうになったところを、背後に宿るセレスの魔力がかすかに支えた。
「……リナ、無理をしないで。あなたの筋肉はもう限界よ。……タムも、そんなところに座り込んでいたら凍えてしまうわ」
リナの胸元、白銀の輝きを放つ「魔導銀の欠片」から、セレスの透き通った声が響く。かつて箱の中にいた彼女は、今やリナの鎧の一部として、その命を共有していた。
アルウェンは、初めて体験する激闘の果ての静寂に戸惑いながらも、最後の一滴まで魔力を振り絞り、一行に淡い癒しの光を届けていた。エドワードは、自らの魂が戻った肉体を確かめるように太い指を動かし、職人の無骨な掌をじっと見つめていた。
「今日は……もう、ここで野宿するしかないかしら」
リナが弱々しく呟く。だが、この骸の森の深部で休息を取るには、あまりに心許ない環境だった。その時、闇を切り裂いて重厚な駆動音が響き渡った。
現れたのは、傷だらけの巨躯を月光に光らせるレガシー・ガーディアンだった。機械でありながら、その挙動は野生の獣のように力強く、意思を宿している。ガーディアンはタムの前に来ると、その大きな背中を低く沈め、「乗れ」と促すように低く唸った。
「……相棒。……動けるのか。……助かるよ」
タムが苦笑しながら、カイトの手を借りてガーディアンの背に這い上がる。窓も内装もない、剥き出しの鉄の背中。だが、その温度は機械とは思えないほどに温かく、タムにはそれがガーディアンの「生命」の鼓動のように感じられた。リナ、カイト、エドワード、そしてアルウェンがその広い背にしがみつくようにして座り込む。
「エドワードさん、アルウェン。……ガーディアンに、少しだけ……力を」
タムの願いに、エドワードが金槌を軽く当てて「ガタが来てるが、王都までなら持たせてやるよ」と応え、アルウェンが森の精霊の加護を機体に注ぎ込んだ。
ガーディアンは地を蹴り、一路、王都クレイエルを目指して夜の闇を疾走し始めた。
王都クレイエルの高い城壁が、昇り始めた朝日に照らされて白銀に輝く頃、一行を乗せたガーディアンは目抜き通りを避けて路地裏へと滑り込んだ。
懐かしい石造りの二階建て店舗。看板に刻まれた「ラストマイル」の文字が見えた瞬間、カイトが小さく「帰ってきた……」と声を漏らした。
カイトが震える手で合鍵を鍵穴に差し込む。カチリ、という乾いた音が響き、扉が開かれた。
一年以上も主を失っていた店内には、薄っすらと埃が積もっていたが、タムの鼻をくすぐったのは、紛れもない「梱包師の城」の匂いだった。
木材、羊皮紙、魔力水。それらが混ざり合った独特の香りに、タムは胸がいっぱいになるのを感じた。
「……ここが、……ラストマイル王都店……」
アルウェンが、初めて足を踏み入れる空間に目を丸くする。リナたちがかつて共に作り上げ、守り抜いた場所。その歴史が刻まれた棚やカウンターの一つ一つに、彼女は畏敬の念を感じているようだった。
「……タム、カイト。……悪いけど、あたし、もう一歩も動けないわ……」
リナがカウンターの椅子に崩れ落ちるように座り込んだ。いつもなら「さあ掃除よ!」と叫ぶはずの彼女が、そのまま目を閉じて動かなくなる。鎧に宿るセレスもまた、沈黙していた。
カイトも、エドワードも、そしてタム自身も同じだった。
本来なら再開を祝して酒の一杯でも酌み交わし、死闘の思い出話をすべきなのだろう。だが、今の彼らに残されているのは、ただ「眠りたい」という剥き出しの本能だけだった。
「……飯も、風呂も、明日だ……。……みんな、……おやすみ……」
タムが意識を半分失いながら、そう呟く。
カイトは床に転がったまま、エドワードは壁に背中を預けたまま。アルウェンもまた、リナの隣の椅子で丸くなるようにして眠りに落ちた。
王都店での再出発の夜。それは祝杯も夕食もない、ただ沈黙と深い呼吸だけが満ちる、ラストマイルらしい「極限の安息」から始まった。
翌日、タムが目を覚ましたのは、窓から差し込む陽光が真上を過ぎる頃だった。
節々が悲鳴を上げる身体を無理やり起こし、階下へと向かう。そこには、同じように寝癖を爆発させたカイトと、珍しく鎧を脱いで簡易な服に着替えたリナが、ぼんやりとした表情でテーブルを囲んでいた。
「……おはよ、タム。……酷い顔ね」
リナが欠伸をしながら、ポットに残っていた温いお茶をタムのコップに注ぐ。
「……リナさんこそ。……聖騎士の威厳が台なしですよ」
「うるさいわね。……あたし、今なら石でも食べられる気がするわ。カイト、何か買い出しに行ってきてよ」
「勘弁してくださいよ、リナさん。俺だって膝が笑ってるんです。……エドワードさんとアルウェンは、まだ夢の中ですよ」
カイトがテーブルに突っ伏しながら応える。その時、リナの胸元の魔導銀が淡く光った。
『……皆さん、ようやくお目覚めですわね。……タムさん、おはようございます。……わたくし、あなたの寝顔が以前より少しだけ大人びて見えて、少しだけ……寂しゅうございましたわ』
セレスの声は、いつも通り上品で、そして底知れぬ愛着を含んでいた。
「……おはようございます、お嬢様。……すみません、昨日は挨拶もできずに……」
『構いませんわ。……あなたがこうして、再びこの場所で、わたくしの愛する「ラストマイル」の皆さんと目覚められたこと。……それだけで、わたくしは幸せですの』
タムは、白銀に輝く欠片をそっと指先で撫でた。
箱の中ではなく、リナの鎧として、常に仲間と共に戦い、時間を共有している彼女。
かつて自分が「停滞」を強いていた彼女は、今、リナと共に新しい歴史を刻んでいる。
「……よし、……決めた。……今日は、何もしない! 掃除も、仕事も、全部明日からだ!!」
タムが突然宣言すると、一同が驚いたように彼を見た。
「珍しいわね、仕事人間のタムがそんなこと言うなんて。……でも、賛成よ。あたし、もう一度寝るわ」
「俺も賛成。タムさん、たまには師匠らしく良いこと言いますね」
カイトが笑い、再び目を閉じる。
窓の外では、王都クレイエルの賑やかな喧騒が聞こえてくる。
自分たちを「無能」と呼んだ神官や、かつて追い出してた騎士団の連中が、今もどこかで威張っているかもしれない。
だが、この路地裏の一角にある小さな店の中には、世界で一番贅沢な時間が流れていた。
午後になり、ようやく起き出してきたエドワードが、自慢の金槌を振るって店の軋む箇所を直していく。アルウェンは王都の精霊たちに挨拶をするように、店内に飾られた枯れかけた花に命を吹き込んだ。
「……タムさん、王都の精霊たちは、……少しだけ賑やかですね。森の精霊たちとは、また違った歌を歌っています」
アルウェンが楽しげに微笑む。彼女にとっても、この「ラストマイル王都店」は、新しい旅の出発点であり、初めて手に入れた「家」になったのだ。
その日の夕方、ようやく五人と一体は、簡単なパンとスープでささやかな「帰還の祝宴」を開いた。
豪勢な料理はない。煌びやかな飾りもない。
ただ、仲間が揃い、温かな火が灯っている。
「……カイト、……おかえり」
タムが、スープの湯気の向こうで微笑みながら言った。
「……ああ。……ただいま、タム。……みんな、……ありがとうな」
カイトの声が少しだけ震え、それを隠すように彼は大きなパンを口に放り込んだ。
リナはそれを笑い飛ばし、エドワードがカイトの背中を豪快に叩く。
時間は確実に流れている。
骸の揺り籠という悪夢を乗り越えた彼らは、以前よりもずっと強固な、決して壊れることのない「絆」という名のパッキングで結ばれていた。
夜が更け、タムは一人、作業室の窓から月を見上げていた。
リナの胸元で眠りについたセレスの気配を感じながら、彼は右腕の義手をそっと撫でる。
明日からは、また忙しくなる。
「ラストマイル」の名を聞きつけて、また厄介な依頼が届くかもしれない。
あるいは、かつての因縁が彼らを試そうとするかもしれない。
だが、今のタムには何の不安もなかった。
「……さあ、……明日から、また最高の仕事を届けよう」
王都の空に、一つの流星が流れた。
それはかつて収集家から解放した魂たちの、未来への挨拶のようにも見えた。
梱包師タムと、その最高の仲間たちの物語。
その新しいページは、この懐かしい路地裏の灯火から、再び鮮やかに綴られ始める。
第67話「帰路の灯火、古巣の香」を最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。
激闘の後の静寂、そして王都店への帰還。
今回は、あえて大きな事件を起こさず、タムさんたちが積み重ねてきた「日常」の尊さを描かせていただきました。再会を喜ぶ余裕もなく眠りについてしまう姿に、彼らが背負ってきたものの重さを改めて感じていただければ幸いです。
リナさんの鎧となって共に歩むセレス様。彼女との絆は、形を変えながらもより一層深まっております。また、アルウェンさんがこの賑やかな「家族」の一員として馴染んでいく様子も、物語の新しい彩りとなりました。
次回、第68話。
一時の休息を終え、いよいよ「ラストマイル王都店」がその看板に灯を入れます。
再開の鐘を鳴らす最初のお客様は、果たしてタムさんにとっての恩人か、それとも拭い去れぬ因縁の相手か。
お楽しみに。




