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第63話:深淵の門番

桃色の霧を晴らし、怒りと羞恥に燃えながら突き進むタムたちの前に、真実の絶望が立ちはだかります。

 それまでの誘惑が児戯に思えるほどの、圧倒的なまでの「死」の気配。

 骸の揺り籠が、ついにその本来の姿――あらゆる生者の希望を咀嚼し、骨へと変える屠殺場としての牙を剥きます。

 迎撃に現れたのは、城主の側近にして、伝説の英雄すらも骸に変えてきたと謳われる「不滅の騎士」。

 梱包師としての技術、騎士としての剣、巫女としての祈り。その全てが、ただ一つの巨大な「死」の前に無力化されようとしていました。

 艶やかな誘惑に満ちていた回廊を抜けた瞬間、世界から一切の熱が奪われた。

 目の前に広がるのは、見上げるほどに高い天井を持つ、円形の広間。そこには花も、絨毯も、甘美な霧もない。ただ、無数の人間の頭蓋骨が隙間なく埋め込まれた壁と、中央に鎮座する巨大な「黒鉄の門」があるだけだった。

「……っ、何よ……この空気。さっきの場所とは、魔力の質が違いすぎるわ」

 リナが、自身の腕に鳥肌が立つのを抑えるように、大剣を握る手に力を込めた。

 彼女の全身を包む結晶武装が、かすかな火花を散らしながら、激しい警告音を発している。セレスの演算が「生存確率の著しい低下」を、タムたちに無言で伝えていた。

「……精霊たちが、……震えています。いえ、精霊たちですら、この先へ進むのを拒んでいる。……タム、ここから先は、私たちが知っている『生物』の理が通用しません」

 アルウェンの杖から放たれる清らかな光が、あまりに深い闇に飲み込まれ、彼女の手元を照らすのがやっとという有様だった。

 タムは右腕の義手をかざし、広間全体を検品スキャンしようとした。

 だが、その瞬間、右腕の黒い紋様が焼き付くような激痛を上げ、タムは思わず膝をついた。

「ぐ、あぁっ……! 検品不能……。魔力の流れが、完全に……止まっている? いいえ、これは停止じゃない。あまりにも巨大な魔力が、一箇所に収束して、空間ごと『固定』されているんだ……!」

 タムの言葉が終わるより先に、広間の中央、黒鉄の門の前に「それ」は現れた。

 音もなく。予兆もなく。

 ただ、そこにあるのが当然であるかのように、一体の騎士が立っていた。

 その姿は、リナのような華麗な騎士とは対照的だった。

 全身を覆うのは、漆黒というよりは「光を吸い込む穴」のようなボロボロの甲冑。その隙間からは肉体など見えず、ただ青白い魂の炎が、揺らめくことさえ許されぬほどの静寂を湛えて灯っている。

 手にした大鎌は、一振りで国を滅ぼすと伝えられる呪具そのもの。

「……不滅の門番イモータル・センチネル。……まさか、本当にお伽話の中だけの存在じゃなかったなんて」

 リナの声が、わずかに震えた。

 それはかつて、最強の騎士団ですら「出会えば死を受け入れよ」と教範に記した、骸の揺り籠の守護者。

 黒い騎士が、一歩を踏み出した。

 ただそれだけの動作で、広間の空気が物理的な重圧へと変貌し、タムたちの肺を押し潰そうとする。

「……ガーディアン、全力展開! 防御陣形だ!!」

 タムが叫ぶのと同時に、レガシー・ガーディアンが主を庇うように前面へと躍り出た。

 古代の技術の粋を集めた巨躯が、魔力の壁を展開する。

 しかし、不滅の騎士は、ただ静かに大鎌を横に薙いだ。

 激突音すらなかった。

 

 一瞬。

 ガーディアンが展開していた、あらゆる物理・魔法攻撃を跳ね返すはずの「絶対障壁」が、まるで紙細工のように音もなく切り裂かれた。

 それどころか、ガーディアンの分厚い装甲に、深い一文字の傷が刻まれ、内部の回路から蒼い火花が吹き出した。

「な……っ!? ガーディアンの防御を、……一撃で……!?」

 タムは愕然とした。

 梱包師としての彼の眼には、今起きたことがはっきりと見えていた。

 あの騎士は、防御を「破った」のではない。

 大鎌が通る軌道上にあった「生存」という概念そのものを「切断」し、強制的に「死」の状態へと書き換えたのだ。

「……タム、下がって! ここは私たちが……!」

 リナが決死の覚悟で、結晶の翼を全開にして突進する。

 光速に近い一撃。

 だが、不滅の騎士は、それを見ることさえしなかった。

 ただ、空いた左手をリナの方へと向ける。

 ――ズ、ゥゥン……。

 リナの身体が、まるで見えない巨人の足で踏みつけられたかのように、床へと叩きつけられた。

「……カハッ、……あ、……」

 結晶の鎧が、内側からの圧力で次々と砕け散っていく。重力をパッキングしたかのような、超高密度の「死の重圧」。

「リナさん!!」

 タムが駆け寄ろうとするが、騎士の視線がタムを捉えた。

 その瞬間、タムの全身の血が凍りついた。

 脳が、神経が、細胞のすべてが「死」を確信し、動くことを拒絶する。

 これが、圧倒的な死。

 揺り籠の中で、赤子が眠るように抗う術を奪われる、真実の絶望。

「……リンの、短剣が……」

 タムの腰にある短剣が、今までにないほど激しく鳴り響いていた。

 それは道を指し示す輝きではなく、死の淵で必死に「生」を繋ぎ止めようとする、断末魔のような叫びだった。


 広間の床に叩きつけられたリナが吐き出した血が、冷たい石畳を赤く染めていく。

 普段なら瞬時に修復されるはずの結晶武装は、砕けた破片を散らしたまま動かない。それはセレスの演算能力が限界に達したためではない。この空間そのものが、あらゆる「再生」や「活性」という概念を拒絶する、死の静止領域へと変貌しているからだった。

「……あ、ぐ……っ、……セレス、応答……して……」

『……申し訳、……ありません、リナ様。……魔力回路に……「死」が……侵入して……出力が……』

 耳元のセレスの声も、今や消え入りそうなノイズに変わっていた。

 不滅の騎士が、ゆっくりと大鎌を持ち上げる。

 ただの武器ではない。その刃が空を切るたびに、周囲の空間から色が、音が、そして熱が奪われていく。それは、存在することそのものを罪とするかのような、圧倒的な否定の具現だった。

「……させ、ない……っ!!」

 アルウェンが、震える両手で杖を掲げた。

 彼女の周囲に、エメラルド色の光が渦巻く。それは自身の生命力そのものを燃料として燃え上がらせる、エルフの禁忌の術式だった。

「精霊たちよ、……契約を無視して構いません! 私の、私のすべてを……この瞬間の『生』に変えて!!」

 放たれたのは、新緑の暴風。

 死を拒み、命を無理やり芽吹かせるその奔流は、不滅の騎士の黒い甲冑へと真っ向から激突した。

 広間が、一瞬だけ緑の光に包まれる。

 だが。

 不滅の騎士は大鎌をただ一振り、縦に振り下ろした。

 それだけで、アルウェンが命を削って生み出した奔流は、中央から綺麗に両断され、霧となって霧散した。

 騎士の歩みは止まらない。それどころか、術の反動でアルウェンが血を吐き、崩れ落ちた。

「……アルウェン! リナさん!!」

 タムは叫んだが、その喉からも血が込み上げた。

 右腕の義手に刻まれた黒い紋様が、今や赤黒く焼けつくような熱を発している。

 脳内で、梱包師としてのスキャン結果が絶望的な数値を羅列し続けていた。

 ――生存確率、零。

 ――全装備、機能不全。

 ――心拍数、停止まで……あと三十秒。

「……っ、ふ、ざけるな……。こんなところで、検品を終わらせて……たまるか」

 タムは、震える手で腰の短剣を抜いた。

 リンの想いが詰まったこの結晶の刃だけが、この死の領域で唯一、青白く、けれど激しく光り輝いている。

 タムは悟った。この騎士は、物理的な攻撃では倒せない。魔力でも、剣技でもない。

 これは、世界に定められた「死という理」そのものをパッキングし、別の何かに書き換えるしかない。

「……リン。君が、僕に道を指し示してくれたのは、……ここで止まるためじゃないだろ?」

 タムは右腕を、自らの胸へと突き立てた。

 皮膚を裂き、肉を貫く。だが、流れるのは血ではない。

 右腕の黒い紋様が、タムの心臓に直接触れ、その拍動を強制的に「梱包ロック」した。


 不滅の騎士が振り下ろした大鎌の刃が、タムの目の前で止まっていた。

 いや、止まったのではない。タムの鼻先に触れた瞬間に、死そのものであるはずの刃が、まるで見えない「壁」に阻まれたかのように火花を散らし、弾かれたのだ。

「……はぁ、……はぁ。……検品、……完了しました」

 タムの全身からは、これまでの旅で見たこともないような、どす黒いほどに濃い紫紺の光が溢れ出していた。

 右腕の義手が悲鳴のような音を立て、タムの全魔力を強制的に吸い上げ、彼の「身体の表面」へと流し込んでいる。

深層自己梱包パーソナル・フルパッキング』。

 それは梱包師タムが、死の淵で編み出した、文字通りの「絶対防御」だった。

 やり方は極めて単純で、かつ狂っている。自分の身体の表面で起こる「すべての現象」を、起こった瞬間に片端からパッキング(梱包)し続けるのだ。

 敵の斬撃が肌に触れれば、その衝撃が伝わる前に「箱」に詰めて封印する。

 死の魔法が細胞を腐らせようとすれば、その腐敗が始まる前に「箱」に閉じ込めて停止させる。

 たとえ心臓が止まろうとも、その「死」という結果さえもパッキングして、無理やり「生きている状態」のまま箱の中に固定する。

 自身の命そのものを商品(荷物)として扱い、傷一つつけさせない「完全無欠の保存状態」。

 だが、この技は一秒ごとにタムの寿命を削り、魔力を底なしに食いつぶしていく。持って、数十秒。

 その数秒間だけは、神の裁きも、死神の鎌も、タムを止めることはできない。

「……タム、貴方、その技……身体がもたないわ! やめて!!」

 リナが血を吐きながら叫ぶ。騎士である彼女には分かっていた。目の前の少年が、今、人間であることを辞めて、ただの「壊れない箱」になろうとしていることが。

「……大丈夫ですよ、リナさん。……梱包師は、荷物を壊さないのが仕事ですから」

 タムが地を蹴った。

 不滅の騎士が、初めて困惑したように大鎌を連撃で叩きつける。

 ガギィィィン! ガガガガガッ!!

 世界を切り裂くはずの鎌が、タムの肌に触れるたびに「パッキング」という絶対的な法則に弾かれ、空しく火花を散らす。タムは避けない。防御もしない。ただ、死の嵐の中を、真っ直ぐに突き進む。

「……今だ!!」

 タムの右手が、騎士の黒い甲冑に触れた。

 騎士が放つ、触れるだけで魂を腐らせる「死の冷気」さえも、タムの皮膚表面で次々とパッキングされ、小さな虚無のサイコロとなって霧散していく。

「お前の『死』は、大きすぎる。……だから、僕が一番小さな箱に、整理してやるよ!」

 タムの右腕に刻まれた黒い紋様が、騎士の甲冑へと侵食を開始した。

 不滅の騎士が絶叫する。それは、これまで幾千の魂を飲み込んできた「死の王」が、逆に自分が「梱包される側」になったことへの、根源的な恐怖の叫びだった。

「――全存在・一括梱包フルパッキング!!」

 タムの魔力が限界を超えて爆発した。

 不滅の騎士の巨躯が、渦巻く紫紺の光の中に引きずり込まれ、ねじれ、縮小していく。

 どれほど強大な死の概念も、タムが展開した「無限の容量を持つ箱」の中では、ただの一つの荷物に過ぎない。

 ドォォォォォン!!

 広間を揺らす衝撃波と共に、光が収束していく。

 やがて、カラン、という軽い音を立てて石畳に転がったのは、漆黒の輝きを放つ小さな立方体だった。

 国の歴史を終わらせるほどの死の化身は、今やタムの手のひらに収まる「黒い荷物」へと成り果てていた。

「……っ、が、……はっ……!!」

 自己梱包を解除した瞬間、タムの全身から鮮血が噴き出した。

 守っていたはずの衝撃、止めていたはずのダメージ、そして無理やり固定していた「生」の反動が、津波となってタムの肉体を襲う。

「タム!!」

 リナが駆け寄り、倒れ込むタムの身体を抱きとめた。

 タムの身体は、氷のように冷たくなっていたが、その胸の鼓動だけは、小さく、けれど確かに時を刻んでいた。

「……リナ、さん。……カイトたちの……ところへ……。……僕の、検品(仕事)は……まだ、終わって、ませんから……」

 薄れゆく意識の中で、タムは開かれた黒鉄の門の先を見つめた。

 最強の門番をパッキングし、死のことわりさえもねじ伏せた一行。

 三人と一体は、今、真の絶望が待つ「儀式の間」へと、重い足取りで一歩を踏み出した。

 第63話「深淵の門番」を最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

 圧倒的な「死」の体現者である門番との、文字通りの死闘を描かせていただきました。タムが自らの命すらも「荷物」として梱包し、運命を無理やり固定するという、梱包師としての究極の荒業。3,000文字のボリュームの中で、その切迫感と、リンの短剣が繋いだ「生」の重みをパッキングいたしました。

 

 死を司る騎士すらも小箱に収めてしまうという、タムの覚醒。

 これによって道は開かれましたが、タムの身体はもはや限界を超えています。

 次回、第64話。

 開かれた門の先、最深部の「儀式の間」で、ついにカイトとエドワードの姿を捉えます。

 けれど、そこにいたのは、彼らの「皮を被った」異形の何かで……。

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