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第62話:艶夢の回廊

 骸の揺り籠。その名が示すのは、死者の安らぎではなく、生者の魂を甘い誘惑で揺さぶり、根こそぎ奪い去るための残酷な機構でした。

 おぞましい外観とは裏腹に、門の先に広がっていたのは桃色の霧に包まれた官能の迷宮。吸い込むたびに理性の堤防を削り取り、心の奥底にパッキングされていた禁断の欲求を強制的に解き放つ「艶夢の罠」が、タム、リナ、そしてアルウェンに襲いかかります。

 規律を重んじる騎士が鎧を脱ぎ捨て、聖域の巫女が情愛を剥き出しにする。

 それは城が見せる幻影か、あるいは剥き出しになった彼女たちの真実か。

 かつて孤独な戦いを経て再会した仲間たちは、このあまりにも甘美で気まずい試練をどう乗り越えるのでしょうか。

 骸の揺り籠。そのおぞましい髑髏の門を潜った先に待っていたのは、腐敗した死の光景ではなかった。

 重厚な石の扉が閉まると同時に、背後の喧騒は完全に断絶され、代わりにあらゆる感覚を麻痺させるような、甘美で芳醇な「花の香り」が廊下を満たした。

「……っ、何、この匂い……。百合とジャスミンを煮詰めたような……」

 リナが鼻先を覆い、顔を顰める。だが、その声にはいつもの鋭さがなく、どこか熱に浮かされたような湿り気が混じっていた。

 タムが周囲を検品スキャンすると、廊下の至る所から、薄紅色をした細かな霧が、まるで生き物のように這い出しているのが見えた。

「気をつけてください、二人とも。この霧、ただの煙じゃありません。……魔力が、脳の神経系に直接干渉して、精神の警戒心プロテクションを強制的にパッキング解除しようとしています」

「精霊たちが……苦しがっています。……いいえ、違うわ。精霊たちまで、この甘い誘惑に身を委ねようとしている……?」

 アルウェンが杖を握りしめるが、その指先は微かに震えていた。彼女の肌は、内側から滲み出る熱によって、林檎のように赤く火照り始めている。

 一行が進むにつれ、豪奢な装飾が施された回廊は、次第に「寝所」のような、淫らで柔らかな空気感を帯び始めていった。壁には薄いシルクのカーテンが垂れ下がり、足元の絨毯は、沈み込むほどに深く、柔らかい。

 タムは、自分の心臓の鼓動が不自然に速くなっていることに気づいた。

 右腕の黒い紋様がチリチリと疼く。だが、それは警告の痛みではなく、まるで本能を呼び覚ますような、甘く痺れる感覚。

(ダメだ……意識を……梱包ホールドしろ……。僕は、カイトたちを助けにきたんだ……)

 自分に言い聞かせ、前を見据える。だが、その視界に飛び込んできた光景に、タムは危うく呼吸を忘れそうになった。


「……はぁ、……あつい……。タム、……身体が、変なの……」

 隣を歩いていたリナが、よろりとタムの肩に寄りかかった。

 その瞬間、ガシャリ、と金属の重なる乾いた音が響く。

 リナが誇りとしていた白銀の鎧――その胸当てや籠手が、まるで持ち主の情熱に耐えかねたかのように、継ぎ目から外れ、床に転がったのだ。

「リナさん!? 鎧が、……え……?」

 タムの目は、釘付けになった。

 鎧の下に隠されていた、汗ばんだ白い肌。

 普段は規律を体現するような凛とした彼女の身体が、今は薄いインナー越しに、その柔らかな曲線を生々しく主張している。

 セレスの魔導外殻もまた、霧の影響か、リナの意志に反してその姿を変貌させていた。蒼い結晶は鋭い刃であることをやめ、彼女の四肢に絡みつく、透き通った「装飾品」へと変化している。

「タム、……もう、戦うなんてどうでもいいの。……私、ずっと……貴方のこと……」

 リナが潤んだ瞳でタムを見上げる。その瞳には、騎士としての厳格さは微塵もなく、ただ一人の女性としての、剥き出しの独占欲が渦巻いていた。

 彼女の指先が、タムの首筋に、熱を帯びたままゆっくりと這い上がる。

「リナさん、待って、正気になって……! セレス、貴女も彼女を止めて……!」

『……あら、タム様。……リナ様のこの想い、パッキングしておくには勿体なすぎますわ。……私も、今日くらいは……お節介な家庭教師ガバネスを辞めても、よろしいかしら?』

 セレスの声さえもが、耳元で囁くような、甘く淫靡な響きへと変質していた。


 混乱するタムの、もう一方の腕に、今度は柔らかく温かな感触が加わった。

「……タム。リナばかり、ずるいです。……私だって、ずっと……精霊よりも、あなたの声を聞きたかった……」

 アルウェンだった。

 彼女を包んでいた聖域のローブは、いつの間にか、彼女の美しい肢体を強調するように、肩から大きくはだけている。

 彼女の杖からは、見たこともないような妖艶な大輪の花が咲き乱れ、そこから溢れる蜜の香りが、タムの理性の最後の一線を、執拗に抉り取っていく。

「アルウェン、君まで……! くっ、鼻血が……」

 タムは必死に顔を背けようとするが、二人のヒロインは、逃がさないとばかりにタムの身体を左右から密着させた。

 右からはリナの、鍛えられた、けれど吸い付くような肌の弾力。

 左からはアルウェンの、マシュマロのように柔らかく、甘い香り。

 

「ねぇ、タム。……私たちを、貴方の箱の中に……閉じ込めて? ……一生、出られないように……」

 リナの熱い吐息が、耳たぶをかすめる。

「あなたの右腕で、……私を、無理やり……乱暴に……『解梱アンパック』してください……」

 アルウェンの湿り気を帯びた囁きが、脳髄を直接揺さぶる。

 タムの視界は、もはや薄紅色の霧と、二人の美しすぎる肉体の残像で埋め尽くされていた。

 これまでの修行、リンへの想い、カイトを救うという使命感。

 それらすべてが、目の前の甘美な快楽という巨大な重力に引きずり込まれ、形を失っていく。

 

 一歩。

 二人の誘導に従うように、タムの足が、回廊の奥にある巨大な「ベッドルーム」へと向けられた。

 

 その時。

 鞘の中のリンの短剣が、まるで氷水を浴びせかけるような、鋭い「冷気」を放った。

「――ッ!!」

 脳を焼くような熱が一瞬だけ引き、タムの右腕の黒い紋様が、激痛と共に、青白く爆発的な輝きを放った。


 タムの右腕を駆け抜けたのは、魂までが凍りつくような鋭い冷気だった。

 鞘の中でリンの短剣が放ったその衝撃は、甘い霧に焼かれていたタムの脳髄に、強制的に「梱包師の回路」を再起動させた。

「……っ、が……はっ!!」

 タムは激しく咳き込み、自分を左右から絡め取っていた柔らかな感触から、引き剥がされるように後退した。

 視界を埋めていた薄紅色の霧が、タムの瞳に宿った青白い魔力の光に弾かれる。

「……タム? どうしたの……、そんなに怖い顔をして。もっと、こっちへ……」

 リナ――の姿をした何かが、はだけた胸元を隠そうともせず、誘うように手を伸ばす。その指先は、今やタムの目には「魔力を吸い取る触手」の残像を伴って映っていた。

 アルウェン――の幻影もまた、潤んだ瞳から一滴の涙をこぼし、拒絶された悲劇のヒロインを演じるように膝をつく。

「……検品スキャン、……終了です」

 タムの声は、氷の柱を叩き割るように冷徹だった。

 右腕の黒い紋様が、かつてないほど鋭い幾何学模様を描いて発光する。

「リナさんは、どんなに理性を失いかけても、仲間を誘惑して足を止めるような人じゃない。彼女なら、自分の身体が熱くなれば、むしろその熱を敵に叩きつけるために立ち上がるはずだ」

 一歩、タムが踏み出す。

「アルウェンだって、精霊が苦しんでいる時に、自分の情欲を優先したりしない。彼女は、他人の痛みには敏感でも、自分の弱さを他人に見せる時はもっと、……もっと、大切に想いを伝えてくれる人だ」

 タムは、二人の「絶世の美女」を真っ向から睨み据えた。

「君たちは、僕の『欲』をパッキングして作った、ただの出来の悪い偽物だ。……僕が愛し、信頼している彼女たちの誇りを、勝手に剥ぎ取るな!!」


 タムは、鞘から抜いたリンの短剣を、自身の足元へと突き立てた。

 

「『深層検品・全域開梱アンパッキング』!!」

 

 タムの右腕から溢れ出した紫紺の波動が、短剣の冷気を媒介にして、回廊全体へと爆発的に広がった。

 それは物理的な破壊ではない。空間に付与された「艶夢」という術式そのものを、最小単位まで分解し、元の「腐敗した魔力」へと強制的に戻す開梱作業。

 ――パリィィィィィィィン!!

 鏡が割れるような凄まじい音と共に、豪奢な絨毯も、官能的なシルクのカーテンも、そしてタムを惑わせていた「二人の美女」も、黒い煤となって霧散した。

 

 霧が晴れた後に現れたのは、骨と土くれで構成された、寒々しくもおぞましい本来の廊下の姿。

 そしてそこには、自分と同じように虚空を掴み、真っ赤な顔をして荒い息をついている、「本物」のリナとアルウェンがいた。

「……あ、……ぁ、……タ、タム……?」

 リナが、震える手で自分の胸元を抑える。彼女の鎧は幸いにも脱げ落ちてはいなかったが、先ほどの幻覚の影響か、金属の隙間から覗く肌は未だに深い朱色に染まっていた。

 彼女の目の前には、タムの姿をした幻影が霧散した痕跡が残っている。どうやら彼女もまた、タムの「誘惑」を受けていたらしい。

「リナさん、……アルウェン。……大丈夫、ですか?」

 タムが声をかけると、二人は弾かれたように飛び退いた。

「見、見ないで!! 来ないで!! 今、私に近づいたら……斬るわよ、本当に斬るわよ!!」

 リナが大剣の柄を握りしめ、目を泳がせながら叫ぶ。

「タム、……その、……今の、……忘れてください。全部、忘れてください……。精霊たちも、記憶を消して……お願い……っ!」

 アルウェンもまた、顔を両手で覆い、うずくまってしまった。


 静まり返った回廊に、セレスの「うふふ」という忍び笑いだけが虚しく響く。

『……皆様、素晴らしい「情熱」でしたわ。タム様がリナ様のあんな場所やこんな場所を……おっと、これ以上は私の検品記録ログにパッキングしておくだけにいたしましょうか』

「「「セレス(さん)!! 静かに(して)!!」」」

 三人の叫びが重なる。

 これ以上ないほど気まずい、死ぬほど恥ずかしい沈黙。

 だが、その羞恥心は、即座にこの罠を仕掛けた「城の主」への猛烈な殺意へと変換された。

「……あの、髑髏の城主。……絶対に、タダじゃ置かない。私の、……私の乙女心を、あんな、あんな風に……っ!」

 リナの身体から、かつてないほど密度の高い結晶魔力が溢れ出し、周囲の壁をメキメキと砕いていく。

「人の、……大切な想いを弄ぶなんて。……精霊たちも、激しく怒っています。タム、行きましょう。この怒り、どこかに『納品』しないと気が済みません」

 アルウェンの杖からも、冷徹なまでの光が放たれる。

 タムもまた、鼻血を拭い、短剣を鞘に収めた。その背中には、先ほどの誘惑に一瞬でも負けそうになった自分自身への情けなさと、それを強いた敵への怒りが、静かに、けれど確実に「梱包」されていた。

「……行きましょう。骸の揺り籠……、この城ごと、僕がパッキング(始末)してやります」

 一行は、もはや恐怖など微塵も感じていなかった。

 あるのは、この「気まずさ」を物理的に消し飛ばしたいという、圧倒的な破壊衝動のみ。

 三人と一体は、カイトたちが待つ最深部へと、爆風を巻き起こすような勢いで突き進んでいった。

 第62話「艶夢の回廊」を最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

 「生」への強烈な執着としてのエロトラップ、そしてそれを打ち破った後の「地獄の気まずさ」を描写させていただきました。骸の揺り籠という名が示す通り、人の心を揺さぶり、安らぎと絶望を行き来させる悪趣味な罠。それを経て、三人の団結力(と、城主への恨み)は、ある意味で最強の状態になったと言えるでしょう。

 羞恥心で真っ赤になりながらも、そのエネルギーを全て殺意に変えて進むヒロインたちの姿が、物語に新たな熱量を与えていれば幸いです。

 次回、第63話。

 生への欲求へと傾いた揺り籠は、その逆。圧倒的な死へと揺れ始めます。生と死の狭間をゆらりゆらりと揺れ動く古城に翻弄されるラストマイルの面々。

 圧倒的な死とその先に待つ2人の安否は如何に。

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