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第6話:氷の華を包み込め(前編)

お読みいただきありがとうございます。

第五話で「運び屋」としての第一歩を踏み出したタムとエドワード。

二人が最初に挑むのは、この世界の常識では「運搬不可能」とされる霊峰の秘宝『氷晶花』です。

なぜ不可能と言われるのか。

そして、魔法も剣術も持たないタムが、どうやってその「不可能」をロジカルに解体していくのか。

新たな仲間、女性剣士リナを迎え、パーティ『ラスト・マイル』の本格的な挑戦が始まります。

現代日本の「物流」の視点と、異世界の「魔導」が交差する準備編、ぜひお楽しみください。

 降り続いた雨が上がり、バラムの街を夜の静寂が支配していた。

 宿屋の一室。ランプの微かな光が、テーブルの上に広げられた霊峰『アイギス』の地図と、山のような文献を照らし出している。

 タムは、その地図の等高線をなぞりながら、奥歯を噛み締めていた。

 前世で、物流センターの過酷なノルマと、一分の遅れも許されない配送スケジュールに追われていた頃と同じ、あの胃を焼くような緊張感が蘇る。

「……改めて、整理しましょう」

 タムの声は低く、自分自身に言い聞かせるように響いた。

 テーブルを挟んで座るエドワードが、古びた眼鏡を指で押し上げ、静かに頷く。

「氷晶花、通称『神の吐息』。過去、名だたる運び屋や熟練の冒険者がこの依頼で命を落とし、あるいは廃人となった。その理由は、この花が持つ三つの『絶対的な拒絶』にあります」

 タムは、手元のメモにペンを走らせる。その筆致は、前世で何度も作成した「重大事故防止マニュアル」のそれと同じ、執念じみた精密さを含んでいた。

「第一に**『魔力過敏』。この花は周囲で術式が編まれた瞬間に発生する、極微量な『魔力の揺らぎ』さえも敏感に感知する。それを栄養の過剰摂取、あるいは外敵の攻撃と認識した瞬間、花は自ら内側から爆発し、霧となって消える。第二に『温度臨界』。氷点下十度を上回った瞬間、昇華が始まる。この世界には魔法以外の冷却手段が乏しい中、魔法を使わずにこの温度を保つのは不可能に近い。そして第三に……これが最大の障壁、『振動共鳴』**」

 タムはペンを置き、地図の頂上付近を指差した。

「この花の結晶構造は、特定の周波数に共鳴して砕ける性質がある。重い足音、金属の鎧が擦れる音、あるいは人間の荒い呼吸……それらが生む微かな空気の震えだけで、花はガラス細工のように弾け散る。……魔法で冷やせば魔力で死に、魔法を使わなければ熱で死ぬ。慎重に歩けば歩くほど、装備の音が花を砕く。……自然界が作った、完璧な『配送拒否』ですよ」

 タムの言葉には、自信など微塵もなかった。あるのは、かつて日本で「これくらいできて当たり前だ」と怒鳴られ続け、ミスをすれば存在そのものを否定されてきた、あの暗い強迫観念だ。彼にとって、この「不可能な配送」を完遂することは、誇りではなく、自分を繋ぎ止めるための「最低条件」だった。

 エドワードが、相変わらずの冷静さで口を開く。

「ええ。だからこそ、我々の『バディ』としての連携が鍵となる。タム殿、君の『梱包』スキルは、発動の瞬間に君自身の魔力をわずかに外へ漏らす。だが、その瞬間に私が君の周囲の魔力をすべて『吸着ドレイン』し、強制的な無魔空間を作ればどうなる?」

「……ええ。エドワードさんが俺の魔力を吸い取っている『無魔のコンマ数秒』の間に、俺が花を包み込む。一度梱包してしまえば、箱の中は時間の流れが完全に止まった静止空間。外部の温度も振動も、中の花には届かない。……摘んだ瞬間の鮮度のまま、王都まで『完品』で届けられるはずだ」

 この計画において、エドワードの魔力制御は不可欠だった。

 バラムの住人たちは、この老人がかつてクレイエル王国の宮廷で「神童」と持て囃され、泥沼の政争に絶望して歴史から名を消した宮廷魔導師の一族であることを知らない。彼らに見えるのは、ただの落ちぶれた老人が、無謀な若者に担がれている滑稽な姿だけだ。

「……問題は、そこに至るまでの道中です。俺が花を抱え、エドワードさんが魔力制御に神経を削る。その間、俺たちは完全に無防備になる。一切の物音を立てず、かつ一撃で魔物を仕留める『第三の足』が、どうしても必要なんです」

 タムは立ち上がり、宿屋の酒場の隅へと向かった。

 そこに、一人の女性剣士が座っていた。かつて名門騎士団で「音無し」の異名を持ちながら、規律への異常なまでの固執から周囲に疎まれ、追放された剣士、リナだ。

 ***

 リナは、自分のブーツの紐を、一ミリの狂いもなく左右対称に結び直していた。タムが目の前に座っても、彼女は視線を上げない。

「……リナさん。あなたの『歩き方』を、今回の仕事に貸してほしい」

 リナの手が止まった。彼女は、氷のような鋭い視線をタムに向ける。

「私の剣ではなく、歩き方だと? 酔狂なことだ。私は騎士団を追われた身。誰かの命令に従う気はない」

「命令じゃありません。……条件の提示です」

 タムは、前世で理不尽な上司と交渉していた頃の、感情を押し殺した口調で続けた。

「あなたの足運びは、騎士団の中でも『雪上を歩いても音がしない』と評されていた。今回の依頼、氷晶花の『振動共鳴』を避けるためには、あなたの歩法が必要不可欠なんです。……過去、この依頼に挑んだ運び屋は、ブーツのバックルが鳴っただけで花を台無しにした。……あなたなら、そんな低レベルなヘマはしないはずだ」

 リナの眉が動いた。彼女はタムの瞳をじっと見据える。そこには自信に満ちた英雄の輝きなどはなく、ただ、失敗という破滅を極端に恐れる、社畜じみた執念だけが宿っていた。

「……報酬は、金貨二十枚。ただし、条件がある。道中、俺の合図があるまで『音を立てること』を一切禁じる。魔物を斬る際も、風を切る音さえ最小限に抑えてもらう。……これは、俺がプロを気取っているからじゃない。そうしなければ、全員死ぬからです。……俺は、あんたを死なせたくないし、預かった荷物を傷物にして突き返されるのが、死ぬよりも我慢ならないだけだ」

「……音を立てずに、すべてを終わらせろ、と」

 リナは、タムの背後に立つエドワードに目をやった。老魔導師は何も言わない。だが、その佇まいには、経験豊富なリナですら気圧されるような、静かな、しかし底知れない魔力のプレッシャーがあった。

(……ただの運送屋じゃない。この老人……一国の軍勢を相手にできるほどの力を、内側に押し殺しているわね。そしてこの青年……失敗への恐怖だけで、ここまで理路整然と地獄を説くか)

「……いいでしょう。規律を重んじるのは私の性分。あなたの『配送マニュアル』、鉄の掟として守ってみせるわ」

 ***

 出発を明日に控えた宿屋の裏庭。三人は、それぞれの専門分野において「徹底した準備」に没頭していた。

 リナは、自分の鎧の継ぎ目一つ一つに、音を消すための特製油を差し、さらに金属同士が触れる部分には、予備の肌着を切り裂いて作った薄い布を巻き付けていた。剣を抜く音すら立てないための、徹底した隠密仕様への「デバッグ」作業だ。

 エドワードは、タムの周囲の魔力を一瞬で吸い取るための特殊な魔法陣を、杖の石突きに刻み込んでいた。

「タム殿、タイミングの練習を。私が杖を地面に突いた、そのコンマ二秒後です。あなたの魔力が漏れる直前に、私がそれを喰い取ります。……いいですか、コンマ二秒です。一分一秒のズレも許されませんぞ」

 タムは、空の箱を手に取り、エドワードの呼吸と杖の動きを凝視した。

「……今!」

 エドワードが魔力を吸い取ると同時に、タムがスキルを発動させる。周囲の空気が、まるで真空に吸い込まれたかのような奇妙な感覚。

「……くそ、今のは0.1秒遅かった。もう一度」

 タムの額から、大粒の汗が滴り落ちる。

「ええ。その0.1秒の遅れがあれば、花は魔力に触れて爆発し、君の腕も一緒に消し飛んでいたでしょうな。……嫌なら、今からでもこの依頼を放り出しますか?」

 エドワードは、皮肉な笑みを浮かべながらも、タムの疲労を測るような眼差しを向ける。

「……俺は、一度引き受けた配送を途中で投げ出す方法なんて、教わってないんです。……失敗した後に待っているのは、死か、それ以上の絶望だけだ」

 タムは自嘲気味に笑い、背中に固定したセレスの箱の重みを確認した。

 練習は深夜まで続いた。タムは、前世で過労死寸前まで深夜残業を繰り返していた時のような、妙に研ぎ澄まされ、しかしどこか壊れた感覚に包まれていた。あの頃と違うのは、この「丁寧すぎる仕事」が、誰かの使い捨ての利益ではなく、背中にいる少女の命に直結しているということだった。

『……タムさん。……ごめんなさい。私のせいで、こんな危ないこと……』

 脳裏に、セレスの声が届く。

(……謝らないでください。俺が、勝手に決めたことなんだから。……あんたを「完品」で届けるまで、俺は絶対にミスをしない)

 タムは、不透明な箱の表面を、愛おしそうに、そして執念深く撫でた。

 ***

 翌朝、バラムの正門前。

 朝靄の中、一行は静かに門を出ようとしていた。それを見つけた若手冒険者たちが、酒の抜けない声で野次を飛ばす。

「おいおい、あの『氷晶花』に本気で行くのかよ! 運送屋のガキに、ボケ老人、それに追放された堅物女か。……せいぜい霊峰の肥やしになるのがオチだな! 記念に遺書でも置いていくか?」

 彼らが知るのは、ただの無謀な挑戦者の姿だけだ。エドワードの隠された正体も、リナの驚異的な足捌きも、タムの「失敗すれば終わりだ」という異様なまでの執念も、彼らには理解できない。

「……行きましょう、タム殿。外野の雑音など、私の『吸着』で消してやりたいところですがな」

「……ええ。行きましょう。……ノイズは、配送の邪魔になるだけだ」

 タムは、背中の重みをしっかりと噛み締め、一歩を踏み出した。

 街道の先には、白銀の霊峰アイギスが、天を突くような威容で聳え立っている。

 

 しかし、一行が門を離れ、森の影へと消えていくのを、城壁の上からじっと見つめる視線があった。黒いローブの男。その手には、伯爵家内の反対派から奪った、セレスティア抹殺の密令。

「……魔法を吸い取る老いぼれと、音を消す女か。……面白い。だが、その箱の中に眠る魂は、必ず私が刈り取ってやろう。……アイギスの雪は、血を隠すには格好の場所だ」

 パーティ『ラスト・マイル』。

 三人の「不完全な者たち」による、不可能な配達がいよいよ始まる。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

今回は、出発前の「徹底した準備」に焦点を当てて執筆しました。

タムがリナをスカウトした理由は、彼女の強さではなく「歩き方の綺麗さ」。

こうした独自の着眼点は、前世で「ミスが許されない現場」にいたタムならではの強みとして描いています。

また、エドワードの「魔力吸着」とタムの「梱包」。

0.1秒のズレも許されない二人の共同作業は、単なる主従を超えたプロ同士の信頼関係の芽生えでもあります。

門の外で待ち受ける刺客の影、そして白銀の霊峰。

次回、第七話「氷の華を包み込め(中編)」では、音を立てることも魔法を使うことも許されない、極限の登山と戦闘が始まります。

「この三人のチーム、期待できる!」「リナさんの活躍が見たい!」と思っていただけましたら、評価やブックマークをいただけますと執筆の励みになります!

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