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第59話:静寂の破壊者 〜霊峰アイギス・オーバーラン〜

 かつて、その山は「死の静寂」そのものでした。

 一歩の足音、一度の魔法さえもが命取りとなった霊峰アイギス。タムとリナにとって、そこは肉体を焼き、精神を削りながら、ようやく一輪の花を摘み取った「敗北に近い勝利」の場所。

 けれど今、彼らは逃げるようには登りません。

 最長老イシュタルの見送りを受け、エルフの郷を飛び出した一行は、古代の守護者レガシー・ガーディアンの背に乗り、真っ向から霊峰へと挑みます。

 吹き荒れる拒絶の嵐を「梱包」し、音速の壁を突き破る。

 進化した梱包師と騎士が、かつての死地を最短ルートで蹂躙する、驚愕のレスキュー・ミッションが始まります。

「……準備はいいですか、リナさん。セレス」

 エルフの郷、その最果ての境界線。

 タムは、巨体を震わせるレガシー・ガーディアンの頭上に立ち、背後に座る親友へと声をかけた。

 リナは煤けた白銀の鎧を鳴らし、セレスの機能をチェックしながら不敵に微笑む。

「ええ、いつでも。……正直、この山を正面から突破するなんて、騎士団時代の私なら軍法会議にかけそうだけど……今の私は『自由な配送員』だもの。付き合うわよ」

『あら、リナ様。軍法会議よりも、この速度で私のパーツがバラバラにならないか心配していただきたいものですわ。うふふ、タム様、どうか安全運転でお願いしますね?』

 セレスの気品ある軽口が、緊張感を心地よく和らげる。

 境界の門の前では、最長老イシュタルが杖を携え、静かに一行を見つめていた。

「……精霊の山を、力ずくで。梱包師よ、貴公のパッキングとは、自然の摂理さえも箱に収めようというのですか。……見せてみなさい、貴公たちの『今』を」

「行ってきます、イシュタル様。……ガーディアン、開梱アンパッキング・スラスト!」

 ドォォォォォン!!!

 タムの右腕から溢れ出した紫紺の魔力が、ガーディアンの動力源と直結する。

 結晶の脚が地面を爆ぜさせ、巨大な獣が物理法則を無視した加速で跳ね上がった。

 目の前に迫るのは、アイギスの麓に広がる深い針葉樹林。

 かつて数時間をかけて慎重に通り抜けたその森を、ガーディアンは文字通り「一跳び」で越えていく。

「……っ、この速度……! タム、前を見て! 精霊の拒絶反応が来るわよ!」

 標高が上がるにつれ、山の意志が「異物」の侵入を察知した。

 周囲の冷気が一瞬で圧縮され、タムたちの行く手を阻む巨大な氷の壁と、全てを切り裂く魔力の猛吹雪が形成される。

「分かってます! ……全部まとめて、梱包パッキングだ!!」

 タムが右腕を前方に突き出す。

 回路が激しく発熱し、視界を埋め尽くしていた猛吹雪が、タムの手元の一点へと「空間ごと」収束していく。

 本来なら一行を拒絶し、数日間足止めするはずの精霊の嵐が、ただの「紫色の立方体」へと折り畳まれ、真空の空間が切り拓かれる。

「……信じられない。あの嵐を、消した……?」

 リナが驚愕に目を見開く。その横を、嵐を消し去って生まれた無風のトンネルを、ガーディアンが音速に近い速度で駆け抜けていく。

 麓を離れてから、わずか数分。

 かつて数日をかけて野営し、凍えながらスープを分け合った中腹の広場が、一瞬の残像となって後ろへ飛び去った。

「セレス、加速ブーストに耐えられる!?」

『ご心配なく、タム様。……この程度のG、淑女の嗜みとして優雅に受け流してみせますわ!』

 セレスの言葉に応えるように、ガーディアンが咆哮を上げる。

 遥か下界、エルフの郷の門で見送っていたイシュタルは、瞬く間に雲を突き抜け、山頂へと消えていく一筋の光の尾を見て、小さく、けれど満足げに呟いた。

「……ふむ。……数日ではなく、数刻、ですか。……今の彼らに、かつての『常識』は無用な荷物のようですね」

 標高四千メートル、かつての死闘の地。

 タムたちは今、かつての自分たちが血を流して進んだ道のりを、神速の煌めきと共に蹂躙していた。


 ***


「――来るわよ、タム! 上空、および左右から高エネルギー反応!」

 リナの鋭い警告と同時に、ガーディアンが駆ける視界の先、霊峰の守護精霊たちが具現化した。それは氷の翼を持つ巨鳥の群れであり、この聖域を侵す「異物」を排除せんと、数千の氷柱を豪雨のように降らせてくる。

「くっ、迎撃が間に合わない……!」

 タムが嵐の「パッキング」に意識を割いている隙を突き、死角から氷の刃が迫る。

 だが、その瞬間。タムの背後で、かつてないほど清澄な魔力の奔流が弾けた。

「タム、貴方は前だけを見ていなさい。……横槍を入れさせるほど、私は安くないわよ」

 リナが立ち上がる。その瞬間、鎧――セレスの魔導外殻から、眩いばかりの蒼い輝きが溢れ出した。

 結晶が急速に増殖し、リナの白銀の鎧を侵食するように、けれど美しく「再構築」していく。


「セレス、同期シンクロレートを最大へ! 『結晶武装クリスタル・アームド』!!」 


 その叫びと共に、リナを包む空間が「結晶化」した。

 かつての白銀の鎧を基部として、蒼く透き通った結晶が幾何学的な模様を描きながら増殖していく。それはリナの四肢を補強する追加装甲となり、背後には大輪の翼を思わせる六振りの結晶刃――『飛晶刃ひしょうじん』が展開された。

『リナ様、出力安定。……皆様、これが私たちの新しい装いですわ。瞬き厳禁ですことよ?』

 セレスの気品ある声が響いた瞬間、リナの姿が視界から消えた。

 爆音はない。ガーディアンの背を蹴る音さえも、結晶の防震機能が完全に吸収している。

 ただ、リナがいた場所に蒼い光の残像だけが取り残された。

「……速い……っ!」

 タムの動体視力すら置き去りにする速度。

 リナは空中に浮かぶ氷の巨鳥たちの群れの中へと、文字通り「飛び込んだ」。

 

 群れの中心で、リナが舞う。

 彼女の手に握られた大剣は、今や刀身そのものが高密度の結晶へと変貌しており、振るうたびに光の軌跡が空を切り裂く。

 一太刀。

 氷の巨鳥が、断末魔を上げる暇もなく「原子レベルでパッキング」されるかのように粉砕され、霧へと変わる。

 二太刀。

 背後の『飛晶刃』が自律的に射出され、リナの死角から迫る氷柱を、まるでチェスの駒を動かすような優雅さで叩き落としていく。

 特筆すべきは、その「静寂」だ。

 これほどの破壊を撒き散らしながら、山頂に響くのは風の音だけ。

 リナが結晶武装で放つ斬撃は、空間の振動をそのままエネルギーとして吸収し、次の加速へと転換する。つまり、彼女が激しく戦えば戦うほど、周囲の音は吸い取られ、リナ自身の速度はさらに増していくという、かつての「音に敏感なアイギス」での教訓を皮肉なほど完璧に昇華させた戦闘法だった。

『あら、あちらの精霊さんは少々、お行儀が悪いようですわね?』

 セレスの警告。リナの直上から、数トンの質量を持つ巨大な氷塊が降り注ぐ。

 リナはそれを避けない。

 彼女は結晶の翼を広げ、垂直に切り上がった。

「――『零距離・開梱ゼロ・アンパック』!」

 リナが氷塊に触れた瞬間、装甲に蓄積された魔力が一気に解放された。

 内側から爆発するような衝撃波ではなく、物質の結合を無理やり解除する「ことわり」の力。巨大な氷塊は、リナが通過した瞬間に細かな雪の結晶へと分解され、彼女の背後でキラキラと輝く光のトレイルへと変わった。

「……信じられない。あの時の僕らが死ぬ思いで戦った相手を、……まるで子供をあやすように……」

 タムは、ガーディアンの背でただ立ち尽くしていた。

 かつては自分が彼女の背中を守らなければと必死だった。だが今、目の前で戦場を支配しているのは、規律と野生、そして未知の技術を融合させた「白銀の戦神」そのものだった。

 リナが空中で一回転し、最後の一羽を真っ二つに両断してガーディアンの背に音もなく着地する。

 その仕草は、激戦の後とは思えないほど優雅で、呼吸一つ乱れていない。

「……すごい。無音のままで、これだけの火力を……」

 タムが呆気にとられる。かつては一人の敵を倒すのにも慎重な隠密を要したリナが、今はまるで踊るように、聖域の守護者たちを蹂躙していた。

『あら、タム様の乗り心地も悪くありませんけれど、私のこの新しいドレスも素敵でしょう? 淑女たるもの、いつ何時も装いには気を配らなくてはなりませんもの』

 セレスの軽口に、リナが苦笑混じりに応える。

「セレス、お喋りは後よ。……タム、山頂が見えたわ!」

 ガーディアンが最後の絶壁を垂直に駆け上がる。

 標高四千メートルを超え、突き抜けた先に広がっていたのは、かつての静寂に満ちた広場ではなかった。

「……あれが、アルウェン……?」

 山頂の中央。かつて氷晶花が咲いていた場所に、巨大なエメラルド色の光を放つ「繭」が鎮座していた。

 それは、周囲の精霊たちの魔力を吸い上げ、脈動するように輝いている。

 透き通るような光の膜の向こう側には、祈るように目を閉じ、静かに眠るアルウェンの姿があった。

 ガーディアンが急停止し、タムとリナがその背から飛び降りる。

 ようやく辿り着いた。たった数刻で、あの地獄の登山を塗り替えて。

 だが、彼らが繭に一歩近づこうとした瞬間。

 霊峰アイギスの天を突く頂から、これまでとは比較にならないほどの圧力を持った咆哮が響き渡った。

 山頂の精霊たちが、繭を守るように一つに集束していく。

 それは、聖域を侵す者へ向けた、霊峰そのものの「最大の拒絶」だった。

「……タム。どうやら、簡単に『お出迎え』とはいかないみたいね」

 リナが蒼き結晶の刃を構え直す。

 タムもまた、右腕の回路を最大までパッキングし、眼前に迫る光の障壁を見据えた。

「……ええ。でも、ここが僕たちの『ゴール』じゃありません。……さあ、開梱アンパッキングの時間です!」

 エメラルドの繭を巡り、進化した二人の「仕事」が、今、最高潮へと達しようとしていた。

 第59話をお読みいただき、ありがとうございます。

 

 リナとセレスの新形態「結晶武装」の圧倒的な美しさと強さ、いかがでしたでしょうか。かつての不器用な戦い方ではなく、今の彼女たちに相応しい、洗練された「力」を描写させていただきました。

 

 そして、ついに目の前に現れたアルウェンの繭。

 わずか数刻での踏破は、タムとリナにとって、失った時間を取り戻すための大きな自信となったはずです。

 

 次回、第60話。

 霊峰の拒絶を打ち破り、タムはアルウェンを「解梱」できるのか。

 再会した仲間たちが揃う時、次なるカイトたちの居場所への道が示されます。

 

 どうぞ、ご期待ください。

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