第58話:騎士の帰還 再会の刻印(きざみ)
静寂を破る最初の一報。
最長老イシュタルが告げた「あの子」という言葉に、タムの心はかつてない激動で震えます。孤独な修行の終わりを告げる鐘の音か、あるいは新たな苦難の始まりか。
精霊の森、その深奥で待っていたのは、煤けながらも凛として立つ白銀の騎士。そして、彼女を支える魂の宿りし鎧でした。
互いに変わり果てた姿、けれど変わらぬ眼差し。梱包師と騎士が再び相まみえる時、止まっていた彼らの時間が、新たな魔力の脈動と共に再び動き出します。
タムは走っていた。
修行で鍛え上げられた脚は、精霊の森の複雑な根を跳ね除け、かつてない速度で木々の間を縫っていく。
背後からは、ガーディアンが結晶の火花を散らしながら、主人の高揚した魔力に並走する。
(リナなのか……? それとも、カイトか……!?)
検品スキルを最大出力で展開する。
森の奥から漏れ出る魔力の波長――それは鋭く、一切の無駄を削ぎ落とした規律の刃。けれど、今はその刃が欠け、ひどく不規則に揺れていた。
「……あそこか!」
森が開け、精霊の泉が月光を反射して輝く広場へと躍り出る。
そこに、彼女はいた。
かつての輝きを失い、泥とオイルに塗れた白銀の鎧。その一部は無惨にひしゃげ、右の肩当ては失われている。
リナは、大剣を杖代わりにして泉の縁に座り込んでいた。
「……リナ、……さん?」
タムの声に、騎士の肩が僅かに震えた。
ゆっくりと顔を上げたその瞳には、死線を越えた凄絶な色が宿りつつも、タムの姿を認めた瞬間に柔らかな光が灯る。
「……配送遅延、……重過失ね、タム。……でも、今回ばっかりは見逃してくれる……よね?」
掠れた、けれど気心の知れた親友へ向ける、悪戯っぽい響きを含んだ声。
リナの無事を確認した瞬間、タムの視界が滲んだ。この一ヶ月、一瞬たりとも消えなかった「孤独」という名の重荷が、その一言で一気に軽くなる。
「リナさん! 無事だったんだね……本当によかった……!」
タムは思わず駆け寄り、再会の喜びのままに彼女を抱きしめた。
「ちょ、ちょっとタム!? 暑苦しいわよ……そんなに逞しくなっちゃって……」
リナは戸惑いながらも、タムの背中にそっと手を回した。その手は細かく震えていて、強がりな彼女がどれほどの恐怖を耐え抜いてきたかを物語っていた。
その時、リナの鎧――セレスの胸元がカチリと鳴り、上品な青い光が明滅した。
『まあ、タム様。久しぶりの再会で情熱的な抱擁だなんて、少々刺激が強すぎますわ。今の私は修復が追いついておらず、お見せできるような姿ではありませんのに。うふふ、相変わらずデリカシーのない方ですこと』
「セレス……! その喋り方、動けるんだね?」
『駆動系に致命的なエラーが34箇所。本来なら淑女らしくお茶でも飲んでいたいところですけれど、リナ様が「走れ」と仰るので。……主人の無茶には、もう慣れっこですわ』
穏やかで、どこかお嬢様のような気品を感じさせるセレスの軽口に、タムは思わず吹き出し、そして涙を拭った。
リナはタムの腕から離れると、少し照れくさそうに彼の姿をまじまじと見つめた。その腰には、見たこともない「黒い結晶の鞘」に収まった短剣が新たに備わっている。
「……ずいぶん変わったわね、タム。その魔力の密度……今の貴方になら、私の検品なしでも背中を預けられるかもしれないわ」
「リナさんも……その装備。……何があったんですか?」
リナは僅かに微笑み、けれどすぐに真剣な表情で視線を落とした。
「アルゴスの爆風で飛ばされた先は、魔力が結晶化した『死の断層』だったわ。そこでセレスを修復しながら、生き延びるために……この『魔導外殻』を組み込むしかなかったの」
彼女の鎧の欠けた部分からは、タムのガーディアンとよく似た、蒼い結晶の回路が剥き出しになっていた。
リナもまた、地獄の中で異能を取り込み、戦い抜いてきたのだ。
「……独りでは、なかったけれど。……貴方の顔を見るまで、少しだけ、不安だったわ」
リナの瞳から、一筋の涙が零れ落ちる。
彼女はもう一度、今度は自分からタムの肩に弱々しく頭を預けた。
「……おかえり、リナ。……セレス」
タムは、大切な荷物を守り抜いた時のように、けれど今はかけがえのない親友を労わるように、その白銀の肩を優しく、力強く抱きしめ直した。
***
『……まあ、タム様。随分と武骨で、お顔の怖い殿方をお連れですこと』
修復の追いついていないセレスの胸元から、くすくすと上品な笑い声が漏れた。彼女はタムの背後に控えるレガシー・ガーディアンをスキャンし、感心したように青い光を明滅させる。
『お茶の一杯も差し上げたいところですけれど、今の私はこの有様。タム様、後でこの方の内部構造、私にも共有してくださいませね? とても興味深い設計思想を感じますわ』
「ああ、分かっているよセレス。君たちの修復も、僕の『検品』で必ず何とかしてみせるから」
タムがそう答えると、リナが少しだけ安心したように息を吐いた。彼女は泉の水を掬って顔を洗い、煤けた白銀の肌を晒しながら、タムの隣に座り込む。
「……カイトは、最後まで馬鹿だったわ。アルゴスが崩壊する直前、あの折れた聖剣を力任せに振るって……私たちを爆風から逃がすための『盾』になったのよ。あいつ、最後に笑いながら『タムを頼む』なんて……」
リナの拳が、膝の上で固く握りしめられる。親友としての悔しさと、それ以上に強いカイトへの信頼。
「エドワード殿も、カイトを追うようにして空間の歪みに消えた。……あの二人は、おそらくもっと遠くへ飛ばされたはずよ。でも、生きてる。あいつらが、あんなところで終わるはずがないもの」
「……ええ。僕もそう信じています」
タムが頷いたその時、森の奥から静かな足音が近づいてきた。
最長老イシュタルだ。彼女は再会を果たした二人と一体を交互に見つめ、慈愛に満ちた、けれどどこか重みのある声で告げた。
「……騎士よ、よくぞ生きて辿り着きました。そして梱包師よ。貴公が気に病んでいるもう一人の同族……アルウェンの行方ですが、案ずることはありません」
「! アルウェンの場所がわかるんですか!?」
タムが身を乗り出す。イシュタルは静かに頷き、遠く北の空を指し示した。
「我らエルフの魂は、精霊のネットワークを通じて繋がっています。彼女は今、**『霊峰アイギス』**の頂……その聖域で、精霊の繭に包まれて眠っていますよ」
「アイギス……」
その名を聞いた瞬間、タムとリナの間に、一瞬の静寂が流れた。
かつて、セレスを救うための「氷晶花」を求めて登った、あの死の山。
暗殺者との無音の死闘。タムが両手を焼かれながら爆発を封じ、リナが音もなく敵を排除し続けた、あの極限の記憶。
「……あそこなら、確かに精霊の力は強いけれど。……あんな過酷な場所に、一人で?」
リナが眉をひそめる。タムもまた、あの時の薄い酸素と絶対零度の感覚を思い出し、指先を微かに震わせた。一度登っているからこそ、あそこがいかに「届ける」のが困難な場所であるかが痛いほど分かる。
「彼女はエルフとして、無意識に最も精霊の加護が厚い場所へと引き寄せられたのでしょう。ですが、今のアイギスは外的干渉を完全に拒絶する『絶対封鎖』の状態にあります。……今の貴方たちでなければ、その繭を『開梱』することは叶わないでしょうね」
イシュタルの言葉に、タムは自分の右腕をじっと見つめた。
修行で手に入れた、空間そのものを再定義する力。そして、隣にいる最強の親友。
「……分かりました。……検品は、もう済んでいます。リナさん、セレス。……今度は僕たちが、彼女をパッキング(回収)しに行きましょう」
「ええ……。前みたいに、スープを冷ます暇もないような強行軍になるかもしれないけれど。……付いてきてくれるわね? タム」
リナが不敵に、けれど信頼を込めて微笑む。
タムは力強く頷き、再び立ち上がった。
バラバラになった伝票が、今、再び一箇所に集まり始める。
カイトとエドワードを救うための、それが最初の一歩になる。
梱包師と騎士は、夜明け前の森を抜け、次なる目的地――白銀の霊峰へと、迷いなき一歩を踏み出した。
第58話をお読みいただき、ありがとうございます。
ついに果たされたリナ、そしてセレスとの再会。過酷な状況下でも失われなかった彼女たちの気高さと、タムとの気兼ねない関係性が、物語に再び温かな灯をともしてくれました。
かつて「氷晶花」を求めて命懸けで登った霊峰アイギス。その名前が最長老の口から出されたことで、タムとリナの脳裏には、当時の苦闘と互いへの深い敬意が鮮明に蘇ったはずです。
次回、第59話。
一行は再びあの白銀の頂を目指します。かつては隠れるようにして進んだあの道を、修行を経て進化した彼らがどのように切り拓いていくのか。そして、リナが隠し持つ新たな力の片鱗とは。
仲間を一人ずつ取り戻していくための、反撃の旅が始まります。
どうぞ、ご期待ください。




