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第57話:繋がる伝票(ルート)

 孤独な修行も三週間を過ぎ、タムの精神は極限に達していました。

 吹き荒れる精霊の嵐と、最長老イシュタルの苛烈な攻め。ボロボロになった身体を支えたのは、かつて「賑やかな馬車」の中で共に過ごした仲間たちの記憶――パッキングされた大切な思い出でした。

 思い出を力に変え、ついに内なる「澱み」を御したタム。

 一人の戦士として羽化した彼に、イシュタルは夕闇の中で告げます。「精霊の森であの子を保護した」と。

 ついに届いた最初の一報。

 森の奥で待つのは、共に死線を越えたあの仲間なのか、それとも……。

 一ヶ月の沈黙を破り、梱包師タムの「再会」へのカウントダウンが今、始まります。

 修行開始から三週間が経過していた。

 エルフの郷を囲む断崖には、今日も絶え間なく精霊の嵐が吹き荒れている。それは、最長老イシュタルがタムの「耐久限度」を見極めるために引き起こしている、物理法則を無視した魔力の渦だった。

「……っ、……ぁ、……っ!!」

 タムは、もはや自分が立っているのか、あるいは逆さまに吊るされているのかさえ判別がつかなくなっていた。

 視界は赤く染まり、全身の筋肉は悲鳴を上げるのを通り越して、熱い鉛を流し込まれたような鈍痛に変わっている。

 右腕の澱みは、タムの疲弊に乗じて内側から器を食い破ろうと、不気味な拍動を繰り返していた。

「どうしました、梱包師。貴公の『自分自身のパッキング』は、三週間でこの程度ですか。それでは、次に嵐が来れば中身ごと弾け飛びますよ」

 イシュタルの冷徹な声が、嵐の向こう側から届く。

 彼女は指先一つで、タムの足元の空間を「圧縮」し、重力を数倍へと跳ね上げた。

 膝が、砂浜にめり込む。

 指先が、岩を掴もうとして虚しく滑る。

(……もう、限界、です……。これ以上は、……包みきれません……)

 タムの意識が、暗い底へと沈み始める。

 真っ暗な、冷たい海。あの海底で一人、酸素のサイコロだけを頼りに彷徨っていた時の絶望が、再び彼を飲み込もうとしていた。

 

 独り。

 そう、自分は独りなのだ。

 守ってくれるカイトの盾も、敵を焼き払うリナの火炎も、傷を癒やすアルウェンの光も、ここにはない。

 整備室でくだらない冗談を言い合ったエドワードも、無機質なようでいて気遣いのあったセレスも、みんな、あの情報の爆風の向こうへ消えてしまった。

 

 自分だけが、場違いな超技術を拾って、この安全な場所に辿り着いてしまった。

 

 弱気が、毒のようにタムの心を侵食する。

 こんなボロボロの身体で、誰を助けに行けるというのか。リンを救い出すなど、梱包師の分を越えた「過積載」な願いだったのではないか。

 意識が完全に途切れようとした、その時だった。

 

 タムの鼻孔を、ふと懐かしい匂いが掠めた。

 それは、潮風の香りでも、イシュタルの魔力の匂いでもない。

 

 ――古びた馬車の革の匂い。

 ――エドワードが常に纏わせていた、魔導油の少しツンとする匂い。

 ――そして、前回みんなでこのエルフの郷を訪れた時、アルウェンが振る舞ってくれた、あの甘い果実のパイの香り。

『タム、検品が終わらねえと出発できないっすよ!』

 カイトの、不器用で野太い声が聞こえた気がした。

『タム、貴方のパッキングは美学が足りないわ。もっと「確信」を持って包みなさい』

 リナの、凛とした叱咤が背中を叩いた気がした。

 

 あの日々。

 アルゴスの崩壊でバラバラになるまで、当たり前のように隣にあったあの日常。

 馬車の中で揺られながら、次の配送ルートについて語り合い、エドワードの馬鹿話にセレスが淡々とツッコミを入れ、アルウェンがそれを微笑ましく見守っていた。

 あの騒がしくも温かな時間は、失われた過去などではない。

 

(……そうだ。……私は、それらを、すべて『受け取って』きたはずだ……)

 タムの瞳に、僅かな光が戻った。

 カイトの不器用な優しさも、リナの誇りも、エドワードたちの技術も。

 それらはすべて、旅を通じて梱包師であるタムの中に「パッキング」された、かけがえのない大切な荷物だったはずだ。

 

 それらを、ここで投げ出すわけにはいかない。

 自分が諦めるということは、自分の中に預かっている「彼らとの思い出」という配送物を、途中で放棄するということと同義だ。

「……検品……、……再開……」

 タムの掠れた声が、嵐を裂いた。

 右腕の澱みが、再び暴走の兆しを見せる。しかし今度は、タムはそれを拒絶しなかった。

 恐怖も、痛みも、孤独も。そして仲間への切なる想いも。

 すべてを一つの「巨大な荷物」として認め、自分という器の中に、力ずくで折り畳んでいく。

 

 かつての賑やかな馬車の光景を、心臓の鼓動にパッキングする。

 リンからもらった短剣の重みを、魂の芯へとパッキングする。

 

「……おおおおおぉぉぉぉッ!!!」

 ドォォォォォン!!!

 

 タムの身体から、紫と白の入り混じった魔力の波動が爆発的に広がった。

 イシュタルが展開していた重力場が、内側から押し返されるようにして霧散していく。

 

 立ち上がったタムの姿は、先ほどまでとは一変していた。

 右腕の黒い紋様は、肌を侵食するのを止め、血管に沿って整然とした「回路」のように美しく収束している。

 

「……ほう。……自分一人の命ではなく、他者との絆という『重荷』を背負うことで、ようやく重心が安定しましたか」

 嵐を消し、イシュタルが静かに歩み寄る。

 タムは荒い息をつきながらも、真っ直ぐに彼女を見据えていた。

 その瞳に宿っているのは、もう迷いではない。仲間がこの場所に辿り着くという「確信」をパッキングした、強い意志だった。

「……あの日々は、ただの思い出ではありません。……私が次の配送を完了させるための、大切な『原資』です」

「……良い目になりましたね、梱包師」

 イシュタルは僅かに口角を上げた。その表情には、初めて見せる、一人の戦士への敬意が混じっていた。

 タムの心は、もう折れてはいなかった。

 自分の中にパッキングされた仲間たちの存在が、彼を支える鋼の骨組みとなっていた。

 一ヶ月の期限まで、あと僅か。

 

 タムは、遠い水平線の向こう、まだ見ぬ仲間たちが進んでいるであろうルートに想いを馳せながら、再び短剣を構えた。


 ***


 覚醒の瞬間から、修行の質は劇的な変化を遂げていた。

 タムの右腕に宿る「澱み」は、もはや彼を蝕む毒ではない。それはイシュタルの導きと、タム自身の執念によって、高密度に圧縮された「黒き魔力の予備タンク」として再梱包されていた。

「ハァッ……!!」

 タムが短剣を一閃させる。

 かつてのそれは、ただの鋭利な刃物でしかなかった。だが今は、振り抜かれた刃の軌跡に沿って、空間そのものが一瞬だけ「固定」される。パッキングの概念を攻撃に転じた、タム独自の戦闘技術だ。

 イシュタルの杖がその空間の歪みに弾かれ、初めて彼女の眉がピクリと動いた。

「……空間そのものをパッキングして、盾と成すか。梱包師らしい、理詰めの防御です」

「……まだ、……終わりませんよ……!」

 タムは間髪入れずに踏み込む。

 右腕の回路を全開にし、内側に溜めた澱みを指先へと流し込む。

「アンパッキング(開梱)・インパクト」

 拳を突き出した瞬間に、圧縮していた魔力を一気に解放する。至近距離で爆発的な衝撃波が発生し、砂浜の砂が巨大なクレーターとなって吹き飛んだ。

 イシュタルは軽やかに後方へ飛び、着地すると杖を収めた。

「そこまで。……検品スキャンは、完了しました。タムよ、貴公はもはや『守られるだけの荷物』ではありません。この郷を守る防人さきもりとしても、十分に通用するでしょう」

「……ありがとうございます、イシュタル様」

 タムは深く息を吐き出し、膝を突いた。

 全身を襲う疲労は凄まじいが、心はどこまでも澄み渡っている。内側の魔力回路は一本の糸のように整然とパッキングされ、あの忌まわしかった澱みの拍動も、今は頼もしい鼓動としてタムの身体に馴染んでいた。

 ***

 その日の夕暮れ。

 タムは修行場の傍らで、ガーディアンの背に寄りかかって休息を取っていた。

 相棒である結晶の獣は、夕闇の中で蒼い瞳をゆっくりと明滅させている。

「……聞こえるか、ガーディアン。……あの日々を思い出していたんだ」

 タムは、誰に聞かせるでもなく独り言を漏らした。

 ポケットから取り出したのは、ボロボロになった方位磁針。針はまだ狂ったように回っているが、タムにはもう、それが必要ないことが分かっていた。

「カイトは、今頃どこかで馬車を修理して……不器用だから失敗してるかもしれない。リナは、一人になっても凛として、次の目的地を計算しているはずだ。……エドワードもセレスも、そしてアルウェンも……」

 一人ひとりの顔を思い浮かべるたび、タムの胸の奥が熱くなる。

 一ヶ月という期限。

 仲間を信じて待つということが、これほどまでに過酷で、これほどまでに自分を強くさせるものだとは知らなかった。

「……荷物は、必ず届く。私が、届けてみせる」

 ガーディアンが、低く金属質な音を鳴らした。

 励まされているのか、呆れられているのかは分からない。だが、その音は不思議とタムの心に安らぎを与えた。

 そこへ、修行を終えたイシュタルがゆっくりと歩み寄ってきた。

 彼女は沈みゆく夕日を眺めながら、ふと思い出したかのように口を開いた。

「……ああ、そういえばタムよ。先ほど、森の哨戒に当たっている者から報告があったわ」

 タムは居住まいを正し、彼女の言葉に耳を傾ける。

「精霊の森であの子を保護したそうよ。少し疲弊はしているようだが、命に別条はないとのことだ」

 一瞬、タムの思考が停止した。

 全身の血液が沸騰するような衝撃が駆け抜ける。

「……えっ? い、今……何と? 『あの子』……って、誰のことですか!? カイトさんですか? それともリナ、あるいはアルウェン……!?」

 タムは勢いよく立ち上がり、イシュタルの肩を掴まんばかりの勢いで問い詰めた。

 しかし、イシュタルはタムの動揺をどこ吹く風と受け流し、静かに森の奥へと歩き出す。

「さあ、誰かしらね。貴公が一番会いたいと思っている者かもしれないし、そうでないかもしれない。……自分の目で確かめるのが、梱包師の流儀でしょう?」

「待ってください! イシュタル様! 誰なんです、一体……!!」

 タムの叫びに応えることなく、最長老の背中は鬱蒼とした森の闇へと消えていった。

 

 精霊の森で保護された「あの子」。

 それは、タムが再会を待ち望んでいた仲間なのか。

 それとも、予期せぬ新たな「荷物」なのか。

 

 タムは激しく鼓動する胸を押さえ、イシュタルが指し示した森の入り口を、ただ凝視し続けていた。

 孤独な一ヶ月。

 その終わりを告げる「最初の到着通知」が、今、彼の手元に届けられた。

 第57話をお読みいただき、ありがとうございます。

 

 修行の完成、そして仲間との再会の予感。物語が「静」から「動」へと大きく転換する瞬間をパッキングいたしました。タムが手にした新たな戦闘技術、そして仲間の思い出を力に変える描写は、彼が一人の自立した戦士になった証でもあります。

 

 そしてラストのイシュタルの一言。「あの子」とは一体誰なのか……。

 カイトなのか、リナなのか、あるいはアルウェンやエドワードなのか。

 

 次回、第58話。

 ついに明かされる再会の一人目。

 その再会は、タムにどのような喜びと、そして新たな「課題」をもたらすのでしょうか。

 

 どうぞ、ご期待ください!

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