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第56話:再梱包(リ・パッキング) 古の叡智と深淵の腕

 生還の喜びも束の間、タムを待っていたのは最長老イシュタルによる、生存を賭けた「解体」の儀式でした。

 これまでのパッキング(技術)が通用しない、エルフの郷に伝わる古のことわり。圧倒的な実力差の前にボロボロに崩れ落ちるタムは、己の右腕に宿る「澱み」と、梱包師としての自らの在り方を根本から問い直されます。

 外側を固めるのではない、内側を包み直す――。

 イシュタルの峻厳な教えと、深海から共に歩んできた「相棒」が見せる意外な一面。一ヶ月という限られた猶予の中で、タムは絶望と希望を交互にパッキングしながら、新たな自分へと羽化するための過酷な静寂へと沈んでいきます。

 エルフの郷の端に位置する、潮風の吹き抜ける断崖の修行場。

 そこには、これまでタムが旅路で見てきたどのような「戦い」とも異なる、異質な殺気が満ちていた。

「……始めましょうか、梱包師よ。準備はよろしいですか?」

 最長老イシュタルは、静かに魔導杖を地面に突いた。

 その瞬間、タムの肌が粟立った。視界に入る砂の一粒、空気を震わせる波音、そして自分自身の心拍までもが、イシュタルという巨大な存在の「一部」として取り込まれていく感覚。

 

 帰らずの森で目覚めたタムの第2のスキル、検品スキャンが、脳内に警告を叩きつける。

【警告:領域内すべての物理事象が対象の管理下にあります】

【勧告:即時の撤退、または完全なる不動を推奨します】

「……検品するまでも、ありませんね。……これが、エルフの郷を数千年守り続けてきた『ことわり』ですか」

 タムはボロボロのコートを脱ぎ捨て、黒く変色した右腕を剥き出しにした。

 義手に刻まれた紫の紋様は、主の緊張に呼応してドクンドクンと不気味な鼓動を刻んでいる。左手には、リンの意志が宿る純白の結晶短剣。

「……行きますッ!!」

 タムが地を蹴った。

 狙うはイシュタルの懐。梱包師としての経験から導き出された、魔術師に対する最短の配送ルート。

 だが、その一歩が砂を踏みしめた瞬間、世界が裏返った。

「――遅い」

 イシュタルの杖が、僅かに動いた。

 それだけで、タムが踏み出したはずの地面が「波」のようにうねり、彼の重心を無慈悲に奪った。バランスを崩したタムの視界に、空気の層がレンズ状に歪むのが見える。

 

 シュッ、という鋭い風切り音。

 不可視の空気の刃が、タムの頬を浅く切り裂いた。

「っ……、……!?」

 タムは空中で身体を捻り、受身を取る。

 だが、着地するはずの場所には、既に槍のように尖った岩が突き出していた。タムは反射的に右腕の義手を地面に叩きつけ、強制的に「空間を梱包」することで着地地点を固定した。

「……ほう。右腕の澱みを使って、空間の座標を強引に固定しましたか。パッキングの技術を防御に転用する……発想は悪くない」

 イシュタルは一歩も動かぬまま、慈悲のない瞳でタムを見下ろしている。

 

「ですが、それは『外側』を固めているに過ぎない。中身が空っぽの箱は、一突きで潰れるのですよ」

 イシュタルの杖が、次は旋回するように振られた。

 瞬間、周囲の魔力が「円」を描き、巨大な渦となってタムを飲み込んだ。精霊の加護を受けた風が、タムの皮膚を無数に切り裂き、血の飛沫が舞う。

「……ぁ、がっ……あぁぁああッ!!」

 回避不能。防御不能。

 タムの検品スキルは、イシュタルの魔力の流れを完璧に捉えていた。しかし、捉えているからこそ絶望した。彼女の攻撃には、一切の無駄がない。呼吸をするように自然に、まばたきをするように必然に、タムの死角へと「結果」が届けられるのだ。

「……どうしました。貴公が守りたかった少女は、その程度の痛みで音を上げましたか?」

「……黙れ……ッ!!」

 リンの名を出された瞬間、タムの理性が弾けた。

 右手の義手が、黒い炎のような魔力を噴き上げる。澱みが暴走し、タムの腕から黒い棘が幾本も突き出し、周囲の地面を破壊しながらイシュタルへと肉薄する。

 

 それは、梱包師の技術ではない。ただの「呪い」の爆発だった。

 イシュタルは冷ややかに、その暴風を真正面から受け止めた。

「……悲しいものですね。力を御せぬ者が、力を語るとは」

 イシュタルの杖が、タムの黒い棘を軽やかに受け流し、その中心を真っ直ぐに突いた。

 

 ドォォォォォン!!

 

 衝撃波が修行場を揺らし、タムの身体が岩壁へと叩きつけられた。

 肺の中の空気が強制的にパッキングされたかのように、呼吸が止まる。

 意識が白濁し、視界の端が黒く染まっていく。その闇の中から、リンの泣き声と、お父様の冷笑が聞こえてくるような気がした。

(……ああ。……私は、また、守れない……。……自分さえ、包みきれない……)

 右腕の澱みが、タムの脳を侵食しようと囁く。

『すべてを壊せ』

『すべてを無にパッキングしろ』

『そうすれば、苦しみはなくなる』

 タムの指先が、人間ではない獣の爪のように変質し始めたその時。

 

 カツン、と。

 冷たい硬質な感触が、タムの喉元に触れた。

「……そこまでです。それ以上進めば、貴公という荷物は『廃棄物』となる」

 目を開けると、イシュタルの魔導杖の先端が、タムの喉笛を正確に捉えていた。

 杖から放たれる圧倒的な圧力が、暴走しかけていた澱みを、物理的な重圧で押し潰している。

「……はぁ、……っ、はぁ…………。……殺さ、ないのですか……」

「殺す価値もありません。今の貴公は、壊れた中身を無理やり粗悪な布で包んだだけの、不良品だ」

 イシュタルは杖を引き、タムを見下ろした。その瞳には、失望ではなく、試練を与える者としての冷徹な「期待」が宿っていた。

「梱包師よ。貴公の技術は、常に『外側』に向いている。だが、真に重い荷物を運ぶ者は、まず自分という器を完璧にパッキングせねばならぬ。魔力を外に漏らすな。澱みを外にぶつけるな。……内側に、己の深淵の中に、すべてを『循環』させ、閉じ込めるのです」

 自分自身を、パッキングする。

 その言葉が、タムの混濁した意識に、冷水を浴びせられたような衝撃を与えた。

 

 外側を固めるのではなく、内側の魔力回路そのものを、一つの「完成された荷物」としてパッキングし直す。

 タムは、震える手で地面を掴み、血の混じった唾を吐き出した。

「……再、……梱包。…………自分を、……検品し直せ、と……」

「そうです。それができぬ限り、貴公に明日ルートはありません。……立て、タム。修行は、まだ一分も経過していませんよ」

 夕闇が迫る中、タムは再び立ち上がった。

 全身の傷口が叫びを上げている。だが、その瞳には、先ほどまでの絶望ではない、梱包師としての「狂気的な探求心」が、再び宿り始めていた。

 ***

 修行場の砂浜に、銀灰色の月光が降り注いでいた。

 波の音だけが響く静寂の中、タムは一人、冷たい岩の上に座して瞑想に入っていた。

 昼間の死闘で刻まれた傷は、エルフの秘薬によって塞がってはいる。しかし、肉体の痛みよりも鋭くタムを苛んでいたのは、内側に渦巻く「澱み」の疼きだった。

(……自分自身を、パッキングする……)

 タムは、感覚を失った右腕の義手に意識を集中させた。

 検品スキャンを、自分という存在そのものへと向ける。

 視界の裏側、魔力の回路を可視化した世界で、タムは愕然とした。これまでの自分の魔力運用は、あまりにも「外側」に依存しすぎていた。梱包符を使い、荷物を包み、外部の空間を固定する。その際、自分自身の内側を通る魔力の奔流は、まるで整備されていない泥道の濁流のように、四方八方へと漏れ出していたのだ。

 特に、この右腕の澱み。

 それは高密度の魔力の塊というよりは、リンの無念や絶望が凝縮された「未整理の荷物」だった。

 タムが力を使おうとするたび、この荷物は箱を突き破り、彼の精神を汚染しようと暴れ狂う。

「……無理やり抑え込むのではない。……正しく、検品するのです」

 タムは歯を食いしばり、内なる闇へと深く沈み込んだ。

 どろりとした黒い塊。それを恐れず、一つひとつの感情の縺れを解き、梱包師としての「礼節」を持って扱い直す。

 右腕の義手を流れる不規則な脈動を、エルフの武術が説く「循環の円」に沿って、ゆっくりと、けれど確実に内側へと折り畳んでいく。

 漏れ出す魔力を、血管の一本一本、細胞の一つひとつにパッキングして閉じ込める。

 

 汗が滝のように流れ、全身の筋肉が軋む。

 自分自身という荷物を、一ミリの隙間もなく、完璧な立方体に収めていくような、狂おしいほどの集中。

 数時間の格闘の末、タムの右腕に刻まれた黒い紋様が、微かに、けれど安定した紫の光へと落ち着いた。

「……はぁ、……はぁ、……。……一歩、だけ……進めましたか」

 タムは目を開け、月を見上げた。

 肺を満たす空気すらも、今は「自分の内側に正しく収まっている」感覚がある。

 

 ***

 翌朝。

 タムが重い足取りでエルフの郷の広場へと戻ると、そこには昨日の地獄のような光景が嘘のような、平和な光景が広がっていた。

「わあ! ほら、ここを叩くとコンコンって綺麗な音がするよ!」

「キラキラしてる! おめめが光った!」

 村のエルフの幼い子供たちが、群がるようにして「それ」を囲んでいた。

 中心にいたのは、あのレガシー・ガーディアンだった。

 海底でシザース・デプスを瞬殺した、あの冷酷無比な古代の番犬。しかし今の彼は、巨大な身体を砂浜に伏せ、置物のようにじっとしている。

 

 一人の少女が、ガーディアンの結晶でできた鋭い角に、花輪をかけようと背中に登っていた。

 普通の魔獣なら一瞬で振り払うような無礼な振る舞い。だが、ガーディアンは迷惑そうに蒼い瞳を明滅させながらも、少女が滑り落ちないように、微妙に装甲の角度を調整して「足場」を作ってやっていた。

「……パッキングが、解けすぎではありませんか」

 タムが思わず苦笑しながら近づくと、子供たちが一斉に振り返った。

「あ! 梱包師のお兄ちゃん!」

「ねえ、この子すごいんだよ! 結晶の中から冷たい風を出してくれるの!」

 どうやらガーディアンは、エルフの郷の暑さを和らげるために、内部の魔力循環を調整して冷却材代わりになっているようだった。

 タムがガーディアンの正面に立つと、蒼い瞳がじろりと彼を捉えた。

『……不本意である』

 言葉は聞こえないが、そんな信号が検品スキルを通じて伝わってくる気がした。

「……貴方にも、パッキングされた使命以外の『余白』があったのですね」

 タムは、そっとガーディアンの冷たい頭部に触れた。

 かつてリナが、馬車の横でカイトや動物たちに笑いかけていた時のことを思い出す。

 もし彼女がここにいたら、真っ先にこの「キラキラした番犬」を気に入り、名前を付けて、お菓子を与えていたに違いない。

 

「……待っていてください、リナ。……私は今、自分自身を包み直しています。……次に出会う時は、貴女の絶望ごと、私が完璧にパッキングしてみせますから」

 タムの言葉に呼応するように、ガーディアンが短く、金属質の音を鳴らした。

 それはまるでもう一人の「相棒」が、彼の決意を肯定したかのようだった。

 エルフの子供たちの笑い声と、潮騒の音。

 その穏やかな日常の裏で、タムの右腕は、静かに、けれど確実に「深淵の力」を内側へと馴染ませていく。

 一ヶ月という期限。

 仲間たちがこの郷に辿り着いたとき、彼らが目にするのは、誰かに守られるだけの梱包師ではない。

 

 自らを器とし、深淵すらも荷物として運ぶ、真の「ラストマイル」の姿。

 

 タムは再び修行場へと歩き出した。

 その背中には、昨日までの迷いはなく、ただ真っ直ぐな配送ルートが見えていた。

 第56話をお読みいただき、ありがとうございます。

 

 苛烈な死闘のあとの、タムの静かな覚悟と、ガーディアンの意外な一面をパッキングいたしました。「自分自身をパッキングする」という修行は、タムのこれまでの技術体系を根本から覆すものになります。

 

 そして、ガーディアンとエルフの子供たちの交流。殺伐とした物語の中に、こうした「守るべき日常」を置くことで、タムの修行の目的がより鮮明になったのではないでしょうか。

 

 次回、第57話。

 修行はさらに段階を上げ、タムは「澱み」を武器へと転換する実戦形式の訓練に入ります。

 一方、海の向こうから、ついに「最初の仲間」の影が……?

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