第55話:海割れの疾走、孤独な先駆者
海が割れ、伝説の道が拓かれる。
海底古代文明の番犬「レガシー・ガーディアン」を相棒としたタムは、かつてない速度で深淵を駆け抜けます。それは、仲間を失い、無力感に苛まれた男が、再び「配送」という名の希望を繋ぐための強行軍でした。
目指すは、再会の約束の地――エルフの郷。
しかし、割れた海から異形の獣と共に現れたタムを待っていたのは、歓迎の宴ではなく、最長老イシュタルによる厳しい迎撃の杖と、誰も辿り着いていないという残酷な「一番乗り」の現実でした。
孤独な先駆者となった梱包師。彼は仲間を待つ一ヶ月の間、自らの無力な過去を解梱し、禁忌を力へと変えるための過酷な修行へと身を投じます。
それは、梱包師としての人生で最も「速い」配送だった。
海割れの祭壇が作り出した、垂直にそびえ立つ左右の水の壁。そのわずかな隙間に顕現した海底回廊を、タムはレガシー・ガーディアンの背に跨り、弾丸のような速度で駆け抜けていた。
本来なら水圧と海水の抵抗に阻まれるはずの深海。だが今、この回廊には空気のみがパッキングされ、ガーディアンの四肢は結晶の火花を散らしながら、剥き出しの海底を正確に捉えている。
「……ッ、速い……! 振り落とされるなよ、自分……!」
タムは動かない右腕を、リンの短剣と共にガーディアンの首元にある結晶の突起へと無理やり固定していた。
ゴーグル越しに見える風景は、速度のあまりに線となって後ろへと流れていく。左右の巨大な水の壁の向こう側では、深海を泳ぐ巨大な海獣たちが、見たこともない「光の筋」を驚きと困惑の瞳で見つめていた。
その時だった。
不意に、前方の水の壁が大きく歪み、爆音と共に決壊した。
「なっ……!?」
凄まじい水しぶきと共に道へ躍り出たのは、この海底回廊の異質さに引き寄せられた、巨大な水陸両用のカニ型魔物――「シザース・デプス」だった。
二階建ての民家ほどもあるその巨体。鋼鉄をも容易に断ち切るであろう巨大な双鋏が、回廊を完全に塞ぐようにして振り下ろされる。
回避は不可能。迎撃するしかない。
タムは反射的に、固定していたリンの短剣を左手で抜き放とうとした。右手の義手に刻まれた黒い紋様が、戦闘の予感に反応してジわりと熱を帯びる。
「……パッキング、解除……ッ!」
タムが叫び、魔力で斬撃を補強しようとした――その刹那だった。
ガーディアンの蒼い瞳が、冷徹な計算を完了したかのように鋭く発光した。
タムが短剣を振り下ろすよりも早く、ガーディアンは一切の減速なしに踏み込み、その巨体を駒のように回転させた。
キィィィィィィィン!!
空間を切り裂く高周波の衝突音。
タムの目に映ったのは、ガーディアンの結晶の爪が、シザース・デプスの強固な外殻を紙のように易々と切り裂き、その巨体を一瞬で「両断」する光景だった。
カニ型魔物は、自分が何に斬られたのかすら理解する間もなく、左右に泣き別れて海底の砂塵へと消えていく。
ガーディアンは返り血(体液)を浴びることすらなく、再び最高速度へと加速した。
「……嘘、でしょう」
タムは、左手に握りかけた短剣をそのままに、呆然と呟いた。
カイトの剣技が「剛」であり、リンの魔法が「破」であるとするならば、このガーディアンの攻撃は「最適」だった。
一切の無駄を排し、ターゲットの最も脆弱な一点に、最大効率のエネルギーを叩き込む。それは、梱包師が荷物を隙間なく箱に収める時の、あの理詰めの作業にも似た、冷徹な美しさだった。
(これが、古代の防衛機……。お父様のデータにない、失われた時代の『番犬』の実力ですか)
タムは、自分の下で脈動する結晶の背に、確かな心強さを感じていた。
独りではない。
カイトも、リナも、アルウェンも、今はまだいない。
だが、この頼もしすぎる相棒と、リンが遺してくれたこの短剣があれば、どんな過酷なルートであっても、自分は目的地へと辿り着ける。
「……急ぎましょう。……皆様を、待たせるわけにはいきませんから」
タムの声に応えるように、ガーディアンが一声、金属質の咆哮を上げた。
海底回廊の終着点。
そこには、かつて仲間たちと共に訪れた、あの懐かしい潮の香りがする「エルフの郷」の気配が、ようやく検品できる距離まで近づいていた。
***
エルフの郷の浜辺は、かつてない緊張に包まれていた。
突如として海が垂直に割れ、光り輝く道が現れたのだ。伝説に語られる「海割れの祭壇」の起動――しかし、平和を重んじるエルフたちにとって、それは「外敵による禁忌の解錠」に他ならなかった。
「……弓を構えよ。海の理を乱し、聖域を侵す無作法者に、我らの慈悲は不要です」
浜辺に立つ最長老イシュタルが、厳かに魔導杖を掲げた。
周囲を囲むエルフの射手たちが、一斉に魔力を込めた矢を番える。イシュタルの眼光は、割れた海の奥から迫りくる「巨大な魔力の塊」を鋭く射抜いていた。
そこから現れたのは、およそこの世のものとは思えぬ、蒼く光る結晶の四足獣。そして、その背に跨るボロボロの男だった。
「撃てッ!」
イシュタルの鋭い号令と共に、百の光矢が放たれる。
だが、その暴風のような攻撃を、結晶の獣は一切の減速なしに跳ね除けた。ガーディアンの周囲に展開された幾何学的な障壁が、エルフの矢を次々と「梱包」し、無効化していく。
「――待ってください! イシュタル様! 撃たないでください!!」
獣の背から、掠れた、けれど聞き覚えのある声が響いた。
イシュタルは、次なる大魔術の詠唱を喉元で止めた。砂煙を上げながら浜辺に滑り込んできた異形の獣。その背から転げ落ちるようにして降りてきたのは、泥と海水にまみれ、右腕を真っ黒に変色させた一人の男だった。
「……貴公、は……。梱包師、タム……なのか?」
イシュタルが杖を下げ、呆然と呟く。
タムは砂浜に膝をつき、激しく咳き込みながらも、左手でリンの短剣を掲げて見せた。
「……はい、……検品、完了です。……遅くなりましたが、……ただいま戻りました」
その姿に、周囲のエルフたちがざわめき立つ。
一ヶ月前、アルゴスの崩壊と共に海の彼方へ消えた一行。その生存が絶望視されていた中で、最も戦力外と思われていた梱包師が、古代文明の番犬を従えて「海を割って」帰還したのだ。
タムは荒い息を整えながら、必死に周囲を見渡した。
白い砂浜。懐かしいエルフの住居。……だが、そこには彼が最も求めていた「影」がなかった。
「……皆様は? カイト、さんは。リナも、アルウェンも……まだ、届いていないのですか?」
タムの問いに、イシュタルは悲痛な面持ちで首を振った。
「……我らも捜索を続けておるが、あの大爆発以降、他の者の姿は一人として確認できておらん。……タム、一番乗りは貴公だ。そして……他者の気配は、この海にはもう無い」
その言葉は、深海の水圧よりも重くタムの心にのしかかった。
自分は「相棒」と「ショートカット」を得て、誰よりも早く辿り着いた。だがそれは、残りの仲間たちが今もなお、世界のどこかで死線を彷徨っているか、あるいは……という事実を突きつけていた。
「……そうです、か。……ラストマイルの全員を届けるのが、私の仕事だったのに……」
タムは、自分の黒く変色した右腕を見つめた。
イシュタルの鋭い瞳が、その腕に刻まれた「禁忌の紋様」を凝視している。
「タムよ。その腕……そしてその獣。貴公、深淵で何を拾ってきた? 今の貴公からは、かつての穏やかな梱包師の気配が微塵も感じられぬ。……その力、今の貴公では制御しきれまい」
「……わかっています。だから、お願いします」
タムは、砂浜に深く頭を垂れた。
カイトもいない。魔法で守ってくれるリナもいない。次に再会する時、自分だけが「守られる側」であってはならない。
リンを救い出すために。仲間を今度こそ目的地へ届けるために。
「仲間が辿り着くまでの間、私を鍛え直してください。……この『澱み』を、梱包師の力としてパッキングし直す方法を、教えてください!」
最長老イシュタルは、しばらくの間、無言でタムを見下ろしていた。
やがて彼女は小さく溜息をつき、杖を砂浜に突き立てた。
「……一ヶ月だ。仲間が来るまでの間、我らエルフの古式格闘術と魔力制御、その全てを貴公の身体に叩き込んでやろう。……梱包師よ、死ぬ気でパッキングに励むが良い」
海割れの道が、静かに閉じようとしていた。
孤独な先駆者となったタムの、己を造り替えるための一ヶ月――「再梱包編」が、今、幕を開けた。
第55話をお読みいただき、ありがとうございました。
海底からの爆走、そしてシザース・デプスの瞬殺。タムが手に入れた新たな「相棒」の力強さを描きつつも、精神的にはまだ仲間を失った空虚さに揺れるタムの姿を強調しました。
一番乗りでエルフの郷へ辿り着いたことは、タムにとって幸運であると同時に、仲間たちの安否が不明であるという恐怖をより際立たせる結果となりました。最長老イシュタルの下で始まる一ヶ月の修行は、タムが「守られる専門職」から「守り抜く戦士」へと脱皮するための重要な期間となります。
次回、第56話。
エルフの古式武術と循環、タムの梱包技術の融合。タムの右腕に宿る「澱み」は、修行によってどのような形へ再梱包されるのでしょうか。
どうぞ、ご期待ください!




