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第53話:深淵のパッキング

 暗黒の深海、水圧という名の絶望。

 散り散りになった仲間、失われた「恒星の脈動」、そして亡きリンの面影。

 孤独な梱包師パッカータムに残されたのは、僅かな空気の備蓄と、右腕に刻まれた禍々しい呪いだけでした。

 眼前に立ち塞がるは、古代文明が遺した結晶の番犬。

 一歩も退けぬ極限の状況下で、タムは自らの限界、そして「梱包」という技術の真髄を試されることになります。

 壊すための力ではなく、再び繋ぐための力を求めて――。

 海水が、燃えている。

 そう錯覚するほどの熱量が、タムの右腕から溢れ出していた。

 注ぎ込まれた「澱み」は、リンの短剣という器を得て、どろりとした黒い粘性を持つ魔力へと変質する。それはアルウェンが施したエルフの「循環の輪」という清廉な回路を無理やり拡張し、タムの精神を削りながら、破壊のための奔流となって刃を侵食していった。

 透明だった刃は、今や深淵を具現化したような漆黒の長剣へと伸長している。

 タムは襲いかかるレガシー・ガーディアンの突進を、紙一重で回避した。いや、回避ではない。黒い魔力が海水を押し広げ、タムの身体を強制的に加速させたのだ。

「……あ、あぁぁああッ!!」

 声にならない絶叫が、空気のサイコロから漏れた酸素と共に泡となって消える。

 制御できない。右腕が、自分の意思を無視して短剣を振り抜こうとする。

 ガーディアンの蒼い眼光が、目の前まで迫っていた。結晶の爪がタムの喉元を切り裂こうとしたその瞬間、短剣が勝手に吠えた。

 ――斬撃の実体化。

 

 振り下ろされた黒い刃から、三日月形の衝撃波が放たれる。

 それは単なる魔力の塊ではない。リンの爆発という「破壊」の概念に、タムの「梱包」という圧縮の技術が、エルフの循環によって混ざり合った異形の一撃。

 

 海水という圧倒的な抵抗を無視し、黒い三日月は海底の闇を両断した。

 キィィィィィィィン!!

 鼓膜を突き刺すような高周波の衝突音。レガシー・ガーディアンの半透明の胸部装甲に、蜘蛛の巣状の亀裂が走る。一撃。たった一撃で、古代文明の番犬がその巨体を後方へと吹き飛ばされた。

(何だ……今の、力は……)

 タムは己の右腕を戦慄と共に凝視した。

 義手を覆う黒い紋様は、今や短剣の柄と一体化し、皮膚の下では蒼い魔力と黒い澱みが混ざり合い、ドス黒い紫の「血管」となって脈動している。

 

 ガーディアンは、信じられないと言わんばかりに姿勢を立て直そうとした。だが、その動きには明らかな「不調」が生じていた。黒い斬撃が触れた箇所から、装甲の下を流れる蒼い魔力の回路が、腐食するように黒ずんでいく。

 解析不能だった番犬の「核」が、破壊を通じてようやくタムの検品スキャンに引っかかった。

 

「……ターゲットの……出力低下、確認。内部循環系の……深刻なエラーを……検知」

 タムは重い身体を引きずり、再び短剣を構えた。

 あと一撃。

 肺に残る酸素は、もう長くは持たない。

 右手の澱みが、さらに激しく脈動する。義手に施された「循環の輪」が限界を超え、キシキシと軋む音が脳内に直接響いた。タムは残された全ての魔力を、短剣の深淵へと叩きつけた。


放たれた漆黒の断絶は、海水を蒸発させるほどの高エネルギーを帯びていた。

 ガーディアンの結晶装甲がひび割れ、内部の魔力が漏れ出す。しかし、古代の番犬もまた、その「ことわり」の外にある力に呼応するように暴走を開始した。

 ガーディアンの全身から蒼い棘が突き出し、海中を全方位に貫く。タムは逃げ場のない針の山を、変質した短剣で叩き落としていく。

 一振りするごとに、右手の義手から骨を焼くような激痛が走った。リンの「澱み」はタムの精神を汚染しようと、耳元で数千もの呪詛を囁き続ける。

「……黙って、ください。私は、まだ……届けなければならないのです」

 タムは歯を食いしばり、肺の中に残った最後から二番目の「空気」を限界まで絞り出す。

 義手の指先が、エルフの魔力と混ざり合って白銀と漆黒の斑模様に染まっていく。それはタムが人間であることを辞めていくような、不気味な光景だった。だが、その犠牲と引き換えに、短剣の出力はさらに跳ね上がる。

 タムは水圧を無視した踏み込みで、ガーディアンの懐に潜り込んだ。

 眼前には、生命の熱を感じさせない冷徹な蒼い眼球。

 タムはそれを「検品」する。

 かつて上司から教わった。どんなに強固な機械にも、必ず「繋ぎ目」があると。

 この古代の獣にとって、それは胸部中央、魔力が最も激しく循環している「核」の直上だった。

「……ここですね」

 タムは渾身の力を込め、短剣を突き立てる。

 黒い魔力がドリル状に回転し、結晶の装甲を粉砕しながら内部へと侵入していく。ガーディアンは断末魔のような高周波の音を出し、暴れ狂ったが、タムは離さなかった。

 右手の澱みがガーディアンの魔力回路と直結し、エネルギーが逆流してタムの身体を焼き焦がす。意識が白濁する中、タムは叫んだ。

「おとなしく……しなさいッ!!」

 

 放たれた巨大な黒い十字の斬撃が、レガシー・ガーディアンを正面から捉える。

 衝撃波が広がり、海底の砂塵が巻き上がる。

 タムの放った一撃は、ガーディアンの核を物理的に破壊するのではなく、黒い澱みによってその機能を「凍結」させたのだ。

 

 古代の結晶獣は、防護障壁を展開しようと試みたが、変質した短剣の「侵食」の前には無力だった。漆黒の刃は、ガーディアンの巨体を岩壁へと縫い止め、その内部にある蒼い魔力の源を強引に中和していく。

 

 海底を揺るがした爆鳴が収まると、そこには動かなくなった結晶の塊があった。

 蒼い眼光は消え、脈動していた魔力の輝きも、今は弱々しい明滅へと変わっている。

 

 タムは膝をつき、激しく肩を揺らした。

 右手の黒い澱みは、獲物を仕留めた満足感を得たかのように、静かに義手の内側へと引いていく。

 意識が遠のく。だが、仕事パッキングはまだ終わっていない。

 

 タムは這うようにして、動かなくなったガーディアンへと近づいた。

 象ほどもあったその巨体。冷徹な殺意を振りまいていた古代の番犬。

 だが、こうして間近で見れば、それはただ、誰にも看取られることなく数千年の孤独を耐え抜いてきた、悲しい「遺物」に過ぎなかった。

 

 タムは、震える左手を伸ばした。

 傷だらけの結晶の装甲に、そっと掌を重ねる。

 それは驚くほど冷たく、けれどどこか、タムの体温を求めているようにも感じられた。

「……お疲れ様。……もう、ここで独りで、待ち続ける必要は……ないのですよ」

 それは、梱包師が荷物に向ける、最大級の慈愛。

 これから共に、海底の闇を抜けていく仲間への挨拶。

 タムは、肺に残る最後の一息を吐き出すように、穏やかにその言葉を紡いだ。

「――梱包パッキング

 瞬間、純白の光が深海を照らし出した。

 巨大なレガシー・ガーディアンの輪郭が、幾何学的な紋様へと分解されていく。

 一千万もの光の粒子が中心へと収束し、圧縮され、極小の空間へと閉じ込められていく。

 

 光が収まったあと。

 タムの手のひらには、一辺が数センチメートルほどの、透明なサイコロ状の立方体が残されていた。

 

 その立方体の中には、先ほどまでの激闘が嘘のように穏やかな姿で、小さくなったガーディアンが浮いている。まるで深海という名の琥珀の中に閉じ込められた、精巧なミニチュアのように。

 

「……よし。……検品、完了。配送ルートへ……復帰……します」

 

 タムはその「サイコロ」を大切に胸元のポケットに収めると、重い足取りで遺跡の門へと向かった。

 酸素はもう、一分も持たない。

 だが、その表情には、絶望の淵から這い上がった者だけが持つ、静かな覚悟が宿っていた。

 

 一人ではない。

 手の中には、かつての「ラストマイル」が繋いでくれた力と、新たな「荷物」がある。

 タムは巨大な石の門に手をかけ、残された全ての力を込めて、その扉を押し開いた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 第53話は、タムの新たな覚悟と、謎に満ちた新装備(?)の誕生回となりました。

 「澱み」と「循環」という相反する力が混ざり合い、放たれた漆黒の斬撃。かつての仲間たちが彼に遺してくれたものが、形を変えてタムを支える展開には、書いていて胸が熱くなるものがありました。

 そして、あんなに恐ろしかったレガシー・ガーディアンが、最後には小さなサイコロの中に収まってしまうシュールさ。これこそが、タムというキャラクターの持つ独特の「優しさ」なのかもしれません。

 果たして、この「梱包された番犬」が再び解き放たれるとき、彼はどのような姿を見せてくれるのでしょうか。

 物語はいよいよ、海底遺跡の核心部へと進んでいきます。

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