第五話:梱包師の逆襲、あるいは再配達の決意
お読みいただきありがとうございます。
絶望の診断を受けたタム。
しかし、彼は折れませんでした。なぜ、会ったばかりの少女に人生を捧げるのか。なぜ、危険な冒険者ギルドへと足を踏み入れるのか。
日本での過去を振り切り、一人のプロとして覚悟を決めるタム。
そして、冷静な老魔導師エドワードとの間に結ばれる「バディ」としての絆。
物語が大きく動き出す、転換の第五話。ぜひお楽しみください。
降り続いた雨が上がり、バラムの街に夜の静寂が訪れていた。
宿屋の一室。ランプの微かな光が、テーブルの上に置かれた一辺三十センチの「箱」を照らしている。
タムは、その箱の前に座り込み、じっと自分の両手を見つめていた。
指先は震え、手のひらには剣を握ったこともない「普通の事務員」の柔らかさがまだ残っている。
(……俺は、何をやっているんだろうな)
ふと、そんな思いが頭をよぎった。
数日前まで、自分は日本の物流倉庫で、ひたすら段ボールを右から左へ流すだけの、替えの利く歯車だった。
前世での記憶が、苦い味を伴って蘇る。
真夏の蒸し風呂のような倉庫。秒単位で管理される作業効率。どれほど丁寧に、どれほど心を込めて箱を閉じても、評価されるのは「数」だけだった。
『お前じゃなくてもいいんだよ。代わりはいくらでもいるんだ』
ミスをすれば人格を否定されるまで怒鳴られ、成功しても「当たり前」として流される。自分の名前が呼ばれるのは、いつだって誰かが責任を押し付ける時だけだった。
そんな自分が、突然の事故で異世界に放り出され、出会ったのが死の間際にいたセレスティアだった。
ふと視線を上げると、部屋の隅でエドワードが山のような古書に囲まれていた。
彼はタムが治癒院の裏路地で絶望に暮れていた間、一歩もこの部屋から出ず、かつての師への密信や、禁書に近い古い魔導書を読み漁っていたのだ。その眼窩は深く沈み、徹夜の疲労は隠しようもなかったが、開かれた書物を見つめる瞳には、老練な学徒としての執念が宿っていた。
「タム殿、起きていましたか。……幸い、僅かながら収穫がありました」
エドワードは掠れた声で、一枚の羊皮紙を差し出した。
「カトリーヌ様が仰った『ロストマジック』。私はその痕跡を、過去数百年分の未解決事例から逆引きして調べてみました。……お嬢様の状態は、既存の魔法体系では『不変の固定』です。ならば、それを解く鍵は、時間を逆流させるか、あるいは『概念そのものを再定義』する神話時代の権能……古代の『因果干渉法』しかありません」
エドワードは、地図の一点を指差した。大陸の最西端、世界樹の麓。
「『賢者の書庫』。そこに眠る断片を繋ぎ合わせれば、お嬢様の心臓を、傷つく前の概念へと書き換えられる可能性があります。……私はね、タム殿。君が雨の中で泣いている間、ずっと考えていたんですよ。……もし君のスキルが『絶望の檻』なのだとしたら、その檻ごと、奇跡の場所まで運び届ければいいのだと」
タムは胸の奥が熱くなるのを感じた。孤独だと思っていたのは自分だけだった。この老魔導師もまた、自分と同じ地獄を見つめながら、必死に「届けるための地図」を編んでいたのだ。
エドワードが語った『賢者の書庫』への旅路は、この世界の英雄でも命を落とすような絶望的な道のりだという。本来のタムなら、適当なところで彼女を預け、自分の保身を考えていたはずだ。それが「賢い大人」の生き方だった。
なのに、なぜ自分は、自分の人生すべてを投げ打ってでも彼女を救おうとしているのか。
『……タムさん? どうしたの、そんなに難しい顔をして』
脳裏に響く、セレスティアの声。
タムは、絞り出すように心の中で問いかけた。
「……セレスさん。あんた、怖くないのか。見ず知らずの、魔法も使えない得体の知れない男に、自分の命を『梱包』されて……」
『……怖かったわよ、最初は。……でもね、タムさん。あの森で、あなたが私に手を伸ばした時、あなたは私の「肩書き」じゃなく、私という「存在」を、壊さないように必死に包んでくれた』
セレスの声が、タムの心の奥底に沈んでいた「空虚」を優しく撫でる。
『……伯爵家の娘として、政治の道具としてしか見られなかった私が、あなたの腕の中では、ただの「守られるべき命」になれた。……あなたが私を「最高の状態」で運ぼうとしてくれるから、私は初めて、自分がセレスティアという一人の人間なんだって、思えたのよ。……ありがとう。私を「荷物」として愛してくれて』
タムは目を見開いた。
彼女は、タムの「代わりが利くはずの仕事」に、唯一無二の価値を与えてくれたのだ。
前世で誰からも望まれなかった「丁寧な梱包」が、今、一人の少女の命を繋ぎ、彼女の心を救っている。
「……そうか。救われていたのは、俺の方だったんだ」
タムは、震える手で箱に触れた。
これはもう、単なる善意ではない。
この箱を目的地に届けることは、タムにとって、自分がこの世界で「梱包師」として生きる意味を証明するための、魂を懸けた「聖戦」なのだ。
***
夜が深まる中、エドワードが重苦しい溜息をつきながら、一通の封筒をテーブルに置いた。セレスティアの父、グレンビル伯爵からの「緊急書状」だ。
「……タム殿。閣下からの催促です。ですが、これはただの親心ではない」
エドワードの声は、低く、冷徹なまでに落ち着いていた。
「この書状に記された隠し文……閣下は今、王都で相当な政治的圧力を受けておられる。お嬢様を『潔白の盾』として利用しようとする勢力に、逃げ場を奪われているのです」
エドワードは眼鏡を外し、疲れたように目元を指で押さえた。だが、その瞳に宿る光は消えていない。
「もし今、お嬢様がこの『箱』の状態であると知れれば、閣下は君を処刑せざるを得なくなるでしょう。政敵に弱みを見せないために、愛娘を怪物に変えた不審者を始末した、という体裁が必要になる。……それが、貴族の世界の非情な論理です」
タムは、エドワードの言葉の裏にある「断絶」を感じ取った。彼はセレスの忠臣でありながら、主君である伯爵に虚偽を報告し、戻れぬ道を進もうとしている。
「エドワードさん……あんた、いいんですか。そんな、国と主君を騙すような真似をしてまで」
「勘違いしないでいただきたい、タム殿。私は伯爵への忠誠を捨てたわけではない。……ただ、今の閣下よりも、君の腕にある『可能性』の方が、お嬢様を救う確率が高い。そう判断した。……合理的な選択ですよ」
エドワードは淡々と告げ、杖を手に取った。
「私はお嬢様を、もう一度お救いしたい。そのためなら、私は喜んで希代の詐欺師にでもなりましょう。……タム殿、君はあの森で、私の想像を絶する『覚悟』を見せた。ならば、私もそれに応えるのが礼儀というものです」
エドワードはタムに視線を向け、わずかに口角を上げた。それは熱血というより、熟練の猟犬が獲物を見定めた時のような、静かな愉悦を含んでいた。
「明日、ギルドへ行きます。……君を『運び屋』、私をその『護衛』として登録する。旅人という不安定な身分では、国境の検問一つ越えられない。ランクを上げ、物理的・法的な特権を勝ち取る……それが賢者の書庫へ至るための、最も効率的な『ルート』です」
「……二人のチームとして、この世界に認めさせるってことですね」
「ええ。君が『中身』を守り、私が『外側』を排除する。……バディとしての初陣です。しくじって、私の経歴に泥を塗らないでくださいよ?」
タムは、その静かな激励に背筋が伸びる思いがした。孤独な漂流者ではない。隣には、自分をプロとして認め、共に泥を被る覚悟を決めた、凄腕の魔導師がいる。
***
翌朝。バラムの冒険者ギルド。
タムとエドワードは、並んでその巨大な門をくぐった。
作業着の青年と、古びたローブを纏いながらも一切の隙を見せない老紳士。その異色な組み合わせは、一瞬にしてギルド内の空気を冷え込ませた。
並み居る荒くれ者たちの殺気混じりの視線を、エドワードが放つ静謐な魔圧が、まるで見えない壁のように押し返す。
「タム殿、胸を張りなさい。君の腕にあるのは、この世の何よりも重い『依頼品』だ。歩調を乱しては、中身が不安がりますよ」
エドワードの低く響く声に、タムは迷いを捨てて受付へと進んだ。
騒然とするギルドのど真ん中で、彼は受付嬢へとはっきりと告げた。
「……運び屋の登録を。俺が『運び手』で、こっちの紳士が『護衛』だ。二人で一つのパーティとして登録してくれ」
受付嬢が戸惑いながらペンを走らせる。
「……パーティ名は、どうされますか?」
タムは一瞬、エドワードと視線を交わした。エドワードは「お好きなように」と、静かに目を伏せる。
「……『ラスト・マイル』だ。どんな絶望的な場所でも、俺たちが必ず、最後の一歩まで届けてみせる」
その言葉が響いた瞬間、ギルドの掲示板の奥から、一人の職員が埃を被った古い依頼書を持って現れた。
「……面白いことを言う。ならば、その『最後の一歩』を証明してみせろ。……半年以上、誰も運べずにいた『氷晶花』の輸送依頼だ。摘んだ瞬間に霧散し、魔導師の体温でさえ溶けるその華を、生きたまま王都へ届けるのだ……老魔導師の杖と、その青年の包みが、どこまで通用するか試させてもらうぞ」
タムとエドワードは、同時にその依頼書を見据えた。
セレスティアという究極の荷物を運ぶための、これは二人の「証明の儀式」だ。
「……やりましょう、エドワードさん。俺たちが、誰にも真似できない仕事を見せてやる」
「ええ。……プロの矜持、しかと見届けさせていただきますよ、タム殿」
梱包師と魔導師。
二人のバディが、この世界の常識という名の「外装」を剥ぎ取り、新たな伝説をパッキングし始めた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回はタムの「動機」と「覚悟」を丁寧に描かせていただきました。
「お前じゃなくていい」と言われ続けた男が、「あなたじゃなきゃダメなの」と言ってくれた少女のために世界を変えに行く。そんな熱い一歩になっていれば幸いです。
また、クールなオジサマ・エドワードとのパーティ名『ラスト・マイル』も決まりました。
次回、第六話「氷の華を包み込め」。
ついにタムの「梱包技術」が白日の下に晒されます。
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