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第49話:理論を殺す禁忌の在庫

本物のアルゴスがもたらす「精密検査」の前に、一行は為す術もなく追い詰められました。カイトの刃は封じられ、リナの咆哮は霧散し、アルウェンの精霊は奪われる。お父様のシステムが導き出した「完璧な回答」が、無慈悲な廃棄の宣告を下そうとしていました。

 絶体絶命の淵で、タムがポケットから取り出したのは、これまでの旅路で誰にも見せず、夜毎にパッキングし続けてきた「最も忌まわしく、最も尊い荷物」。

 世界のことわりから外れた漆黒の立方体が、空を統べる監視者の眼と正対する時、理論の聖域はかつてない混迷へと叩き落とされます。

 白銀の広場に、アルゴスの冷徹な指先が掲げられる。

 天空の攻撃端末が放つ光の収束は既に臨界点を超え、一行の網膜を白く焼き潰さんとしていた。

 「……検品完了。……皆様、これにて配送終了デッドエンドです」

 

 アルゴスの無機質な宣告が響く中、タムは静かに、そして極めて丁寧な所作で、右手の義手を自らのコートのポケットへと差し込んだ。

 震えるカイトも、絶望に顔を伏せるリナも、その時のタムの瞳に宿った「異様な冷徹さ」には気づいていなかった。

「……アルゴスさん。貴方の言う通り、データは嘘をつきません。……ですが、データには『解釈』が必要です。……そして、この荷物だけは、貴方の貧弱なライブラリでは解釈しきれないはずですよ」

 タムがポケットから引き抜いたのは、一辺が五センチメートルにも満たない、小振りの立方体だった。

 だが、その物体は異質だった。

 光を反射する白銀の広場において、その立方体だけが周囲の光を全て飲み込み、そこだけ空間が削り取られたかのような、底知れぬ「黒」を纏っている。

「……何、ですか……それは」

 アルゴスのレンズが、カチカチと狂ったように焦点を合わせ直す。

 「……スキャン不能。……組成、魔力波形、質量、その全てが計測限界値を突破オーバーフローしています。……解析……解析を開始……」

「……無駄ですよ。……それは、リンが触れてしまった『禁忌』の澱みなのですから」

 タムの脳裏に、これまでの旅の夜がフラッシュバックする。

 皆が寝静まった深夜、馬車の奥で魔導銀のシルバー・コクーンに包まれて眠る少女、リン。

 彼女は大魔道士としての天賦の才を持ちながら、世界の深淵――得体の知れない禁忌の知識に触れすぎてしまった。その代償として彼女の精神は崩壊し、今もなお、目に見えぬ「毒」が彼女の魂を侵し続けている。

 

 タムは毎晩、独りでその繭の側に座り続けてきた。

 梱包師としての技術を転用し、リンの魂を蝕む「理解不能な情報の残骸」を、ミリ単位の精度で抽出する。それは猛毒を素手で扱うような、狂気の作業だった。

 

 抽出された「毒」は、そのまま捨てれば周囲の生態系すら壊しかねない危険物だ。だからこそ、タムはそれを、自分にしか扱えない特殊な魔力結界で幾重にもパッキングし、一つの形に凝縮し続けた。

 リンを救うために啜り取った、黒い絶望。

 彼女の心を壊した、世界のバグ(不具合)。

 それが、今タムの掌にある「漆黒の立方体」の正体だった。

「……これは、彼女の苦しみのパッキングです。……そして、梱包師パッカーが最後に配送するのは、いつだって『受け取りたくない真実』なのですよ」

 タムが地を蹴った。

 「精密検査」による干渉で、身体の自由を奪われかけていたはずのタムが、その黒い立方体を掲げた瞬間だけは、世界の法則から解き放たれたように軽やかに舞った。

「解析……不能……エラー……致命的なシステムエラーを検知! ……直ちに……直ちにその荷物を破棄――」

 アルゴスの声が、初めて焦燥に歪む。

 彼は無数の水晶片を壁のように展開し、タムの接近を阻もうとした。だが、タムが掲げる黒い立方体が触れた瞬間、アルゴスの絶対防御であるはずの水晶片が、まるで硝子細工のように脆く粉々に砕け散った。

 

 「防御」という概念そのものが、その黒い塊の前では意味を成さない。

 

「……チェックメイトです、アルゴスさん。……在庫の整理(棚卸し)を始めましょう」

 タムの義手が、アルゴスの白銀の顔面を捉える。

 その巨大な「水晶の眼」のど真ん中に、タムは一切の躊躇なく、真っ黒な立方体を叩きつけた。

 グシャリ、という、現実味のない音が響く。

 立方体はアルゴスのレンズにめり込み、その瞬間にパッキングが解除――「開梱アンパッキング」された。

 ドォォォォォン……!

 

 爆発音ではない。

 それは、数万人の悲鳴と、数億の数式が同時に脳内に直接流れ込んでくるような、精神を削り取る「情報の轟音」だった。

「ア、ア、ガ、ギギギッ……!? ……アアアアアアアアアアアアア!!」

 アルゴスの絶叫が、広場を震わせる。

 漆黒の澱みがアルゴスの視神経を通じて、彼の演算装置メイン・プロセッサへと逆流していく。

 お父様が構築した完璧な論理世界。

 その整然としたデータの森に、リンの心を焼き尽くした「禁忌の劇薬」が、津波となって押し寄せた。

 アルゴスの全身の装甲が、不気味に黒く変色し始める。

 白銀の輝きは失われ、鏡のような美しさはドロドロとした混沌に塗り潰されていく。

 

「……計算……できない……! ……こんな、こんな『無意味』な……デ……タ……あ、る、はずが……な……」

 アルゴスの唯一の眼が、血のような赤色に染まり、激しく明滅する。

 理論の守護者が、理論によって殺される。

 タムは至近距離でその崩壊を見つめながら、黒く侵食され始めた自らの義手を、静かに引き抜いた。

 白銀の広場に響き渡るのは、もはや言葉ではなかった。

 アルゴスの口から溢れ出すのは、数億の数式が反転し、意味を失った文字列の残骸。そして、それらを無理やり処理しようとして焼き切れる、電子回路の悲鳴である。

「……あ、あ、……ことわりが……崩れ、る……。お父様の、完璧な……在庫管理、が……真っ黒、に……!」

 アルゴスの全身から噴き出したのは、銀色の擬似血液ではなく、黒い煤のような情報のかすだった。タムが叩きつけた「黒い立方体」――リンの魂から啜り取った禁忌の澱みは、アルゴスの演算装置プロセッサという名の聖域を、一瞬で修復不能な混沌カオスへと塗り替えていく。

 データキャラであるアルゴスにとって、この世界の「バグ」そのものであるリンの記憶は、処理不可能な論理爆弾ロジックボムに他ならなかった。

「……理解……できない……! なぜ、星が……泣いている……!? なぜ、この空は、……巨大な、死体……なのだ……ッ!!」

 アルゴスが、自身の頭を抱えてのたうち回る。彼のレンズの奥では、リンが触れてしまった「見てはいけない世界の断面図」が、強制的に再生され続けていた。完璧を自称する管理者が、最も完璧から遠い「狂気」に侵食されていく。

「……タム、これ……一体何が起きてるんだよ……」

 カイトが呆然と呟く。熱線で焼かれた右腕の痛みも忘れ、彼は変わり果てたアルゴスの姿に戦慄していた。リナもまた、セレスのセンサーが捉える「解析不能な闇」の波動に、言葉を失って立ち尽くしている。

「……お父様の理論では説明できない、この世界の『毒』を流し込みました。……アルゴスさん。貴方のハードウェアは優秀すぎた。……優秀すぎるがゆえに、この劇薬を無視することも、捨てることもできず、律儀に全てを読み込んでしまったのですよ」

 タムの声は、どこまでも冷ややかだった。

 だが、その言葉とは裏腹に、タムの右腕――黒い立方体を押し付けた義手からは、不気味な黒いモヤが立ち上っていた。禁忌の侵食は、アルゴスだけでなく、その「運び手」であるタムにも牙を剥いていたのだ。

「ギ、ギギ……ガ、アアアアアアアアアアアア!!」

 アルゴスのレンズが、真っ赤に充血したような光を放ち、限界まで膨張した。

 次の瞬間、広場を揺るがすような大爆発が起きた。

 それは物理的な火薬の爆発ではない。蓄積された情報と魔力が、論理の崩壊に耐えきれず、空間そのものを歪めながら弾け飛んだのだ。

 爆風が白銀の広場をなぎ払い、鏡のような床が次々と砕け散る。カイトたちは爆圧に耐えるべく、地面に這いつくばるしかなかった。

 やがて、爆煙が晴れる。

 そこには、かつての美しさを失い、無残なスクラップと化したアルゴスの残骸があった。

 「水晶の眼」は粉々に砕け、白銀の装甲は煤け、もはや少年の面影などどこにもない。ただの、言葉を発しない「壊れた荷物」がそこに転がっていた。

「……配送完了、ですね」

 タムが短く呟く。だが、その声は微かに震えていた。

 彼が自らの義手を見つめると、そこには黒い紋様が血管のように浮かび上がり、指先の感覚を奪い去っていた。リンを救うために溜め込んだ「毒」は、あまりにも強大すぎた。

「タム! 大丈夫か!」

 駆け寄るカイトとアルウェン。だが、彼らがタムに触れるより早く、絶壁の回廊スカイ・コリドーの奥から、さらなる異変が一行を襲った。

 ――ドクン。

 重く、湿った鼓動。

 それは、広場に停めてあった馬車の奥、魔導銀のシルバー・コクーンの中から響いてきたものだった。

「……え? リン、さん……?」

 アルウェンが振り返る。

 馬車の荷台、厳重にパッキングされていたはずの繭が、生き物のようにドクドクと脈動していた。

 

 タムがアルゴスに叩きつけた「神託の澱み」。それはリンの魂の一部だった。その一部が外部で爆発的なエネルギーを放ったことで、本体であるリンの精神にも、共鳴シンクロによる異常事態が発生していたのだ。

「……まずい。……パッキングが、内側から食い破られる……!」

 タムが痛む義手を抑えながら馬車へと駆け出す。

 繭の表面を覆う魔導銀が、内側からの凄まじい魔圧に耐えきれず、ヒビ割れていく。その隙間から溢れ出すのは、先ほどの黒い立方体と同じ、全てを飲み込むような漆黒の魔力だった。

 

 そして。

 銀の破片が飛び散る中、繭の中から一本の白い腕が伸びた。

 それはかつての美少女・リンの腕であったが、その肌には、タムの義手と同じ黒い紋様が刻まれていた。

「……あ、……あぁ……」

 虚ろな声が漏れる。

 リンは目を覚ましてはいなかった。だが、その無意識の唇が、この世の者とは思えない言葉を紡ぎ出す。

「……見ては、いけない……。……タム、……そこは、お父様の……中……」

 リンの周囲の大気が歪み、物理法則が崩壊を始める。

 アルゴスを倒した喜びは、一瞬で吹き飛んだ。

 今、一行が直面しているのは、お父様の兵器よりも遥かに恐ろしい、「世界のバグ」そのものであるリンの暴走だった。

「リナ、カイト! 全員で繭を押さえろ! 再梱包リ・パッキングだ! 今ここで彼女を封じ込めなければ、この回廊ごと私たちが消滅する!」

 タムの悲痛な叫びが、天空の静寂を切り裂いた。

 最強の監視者を退けた先に待っていたのは、自分たちが最も守りたかった少女が、最も恐ろしい災厄へと変わろうとする悪夢だった。

 広場を飲み込もうとする黒い魔力の奔流。

 その渦中で、タムは自らの義手が砕けるのも厭わず、再びリンを「パッキング」するために手を伸ばすのだった。

第49話をお読みいただき、ありがとうございます。

 

 タムがリンのために夜毎コツコツと「毒」を啜り取ってきたという献身が、アルゴスを倒す最強の武器ロジックボムとなるカタルシス。そして、その武器が強大すぎたゆえに、本主であるリンまでもが共鳴して暴走を始めてしまうという、衝撃の後半戦を描かせていただきました。

 データキャラであるアルゴスが「狂気」に触れて壊れる様は、お父様のシステムの限界を示唆するものでもありました。しかし、代償としてタムの義手は侵食され、リンの繭は崩壊しつつあります。

 

 守るための「パッキング」が、守るべき相手を壊してしまうのか。

 梱包師としての最大のジレンマが、タムを襲います。

 

 次回、第50話。

 物語は一つの節目を迎えます。

 どうぞ、ご期待ください!

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